最終更新:ID:1nPl4XoW/g 2018年03月18日(日) 20:53:15履歴
◆脚本:大草芳樹 ◆絵コンテ・演出:渡辺正樹 ◆作画監督:向山祐治・門 智昭
西岐では姫昌が病に倒れていた。
もしもの時のため、息子である周公旦から「次男の姫発に会ってほしい」と頼まれる太公望。跡継ぎとして相応しいか?その器を確かめるため、姫発を探しに街へ出ることに。
一方、朝歌では、妲己の策略が着々と進んでいた。咎める聞仲だったが、彼自身も殷に仇をなす西岐の存在を許せるはずもなく……戦争を決意し、聞仲が向かった先はーー崑崙山と対をなす金鰲島だった。
(アニメ公式サイトから引用)
この2つの台詞は原作6巻・第48回にて交わされる、衰弱しつつもまだ生きている頃の姫昌と太公望の会話からのもの。
これを今回の臨終の場面(原作7巻、第51回)にそのまま差し込んでしまったため、姫昌が今まさに死にかかっているという状況で返事をするまでたっぷり7秒も待たせるという、意味深なやり取りになった。
出会ってすぐの、まだ姫発の長所を見いだせていない状況では、太公望もこのまま西岐陣営で活動するには不安があったからなのだろうか。
この長い間からの承諾をした第48回の次となる原作第49回にて、太公望は周公旦に今後の戦略を語り「姫昌を王とすればこの世は安泰だ!」と発言する。
つまり48回の時点では、姫昌に亡くなられては太公望の戦略が崩れてしまうので、あの場で即答するには躊躇いがあったと思われる。姫昌以外で封神計画遂行に見合う次代の王者を探すとなれば、西岐以外の勢力の可能性も検討する必要があっただろう。
だが、続く第49回において、周公旦に促され太公望は姫昌の次男・姫発と出会う。そして徐々に彼の可能性を認めてゆき、その後の第53回で姫昌が倒れるという流れになる。
従って、仮に原作で姫昌が今際の際に再度太公望に自身の死後も西岐に協力してくれるかと尋ねれば、太公望の肚は決まっているので即答したであろう。
4話で太公望を登用したのも束の間、あっという間に衰弱死してしまった姫昌。早すぎである。台詞に反して何もしていない。
上記の姫昌の台詞は作中でも指折りの人気を誇るはずなのだが、視聴者が全く共感できないほど何の活躍の場も無く退場することになった。
カットの連発で太公望の魅力も半減しているので、そんな太公望を招いた姫昌も眼鏡違いをしているかのような残念ぶりである。
原作4巻にて幽閉から解放され、太公望と出会い、7巻にて衰弱し病死する西伯候・姫昌。
原作の長さ全23巻を考えれば確かに早めの退場劇だが、歴史物語たる封神演義において人間界の歴史の遷移を描写するキーパーソンであり、彼を通じて殷を取り巻く他の国がどう動くか、古代中国全土の動きがどうなっているかが描かれていたはずであった。
特に、殷に味方する北の国を説得し反乱同盟を結ぶのは、彼でなければ出来ない仕事である。いかに頭が良いはずの太公望でも仙道である限りはこれを代わることは許されない。
あくまで人間が新たな国を興して歴史を進め、仙人たちと共にいた神話の時代を終わらせるのが、この封神演義が描く物語の一面だからだ。
だが覇穹では、そういった人間界側の歴史の変わり目を描くことにほとんど力を入れていないため、姫昌の存在も非常に軽いものにされてしまった。
原作では周公旦のマスコット的存在として、彼のペットの象がたびたび登場するのだが、覇穹ではその象にまつわる話(6巻、第50回)をカットしたため、何故彼の背景に象が現れるのか意味不明である。
これは物語の本筋とも関係が薄い設定なので、はじめに登場する話をカットしたのであれば、この場面でもわざわざ背景に象を描く必要性は無いに等しかったはずなのだが。
王天君を引き連れ、金鰲島の指導者・通天教主の部屋に入り宣言する聞仲。
この場面の流れは漫画版と全く同じなのだが、
上記の宣言に至る原作13巻までの、2つの仙人界間の抗争の経緯が一気にカットされているのが原因。
恐るべき圧縮率である。30分間で原作単行本7巻分近く進めただろうか。
最低でも、趙公明が与えた通天教主からの「打倒崑崙山」指令の発令の事実をどこかでカバーしていれば、いきなり聞仲がここまで偉そうに振る舞うことにも筋が通ったはずだったのだが。
太公望は金鰲島の最高指導者である通天教主との和解を元始天尊に提案する。しかし通天教主、及び金鰲島は殷の太師である聞仲側の勢力なので聞仲が健在である以上、和解が成立するとは考えづらい。
原作では聞仲は一時期、十天君によって亜空間に閉じ込められてしまう。聞仲の気配が無くなったことを受けて、通天教主は聞仲がいなければ殷を守る理由が無くなるだろうと考えた太公望が金鰲島との和睦を提案する。
原作では太公望の金鰲島との和睦という提案は聞仲がいないことが大前提である。しかしアニメでは太公望は聞仲が健在であるにも関わらず金鰲島との和解を提案して金鰲島に向かう。
ちなみに覇穹の該当シーンに相当する原作の場面の元始天尊は、
太公望が和解のために金鰲島に向かっている時に申公豹が太公望に言った台詞。原作では太公望は聞仲がいない前提で金鰲島との和睦を提案し、聞仲が復活してしまったことで計画が失敗する形になるのだが、アニメでは最初から無謀な計画を立てて申公豹に正論を言われているようにしか見えなくなってしまった。
加えて、原作では太公望に向かって語りかけているこのセリフを、覇穹では太公望を見つける前に画面に向かって唐突に喋っているので、まるで視聴者を煽っているかのようである。
一方、元始天尊は覇穹第一話で太公望へ妲己に横暴について「数年前にこの問題をどう解決するか話し合った」と語り、その背景には元始天尊+太上老君+通天教主が映っているシーンもあった。殷vs周の構図を覇穹第一話から提案したのは他ならぬ元始天尊なのだが、しかし元始天尊と通天教主は妲己への対抗策として封神計画を通じて協力できる間柄ではなかったのかという疑問も湧く。なぜこのジジイは金鰲島に攻め入ってはどうじゃ!?などと言い出し、自分が命令した封神計画について太公望から「金鰲を倒すことが目的ではない」と諭されると呻き声を上げるほど血の気が多いのか。
これは原作では、第3巻の殷王妃の自殺封神事件によって、第1巻時点での元始天尊の封神計画の説明に嘘があったことから、封神計画の発足時点も数年前でなかったことやその真の目的が隠されていることが窺えるので一応納得の行く状況になっている。だが覇穹ではこの元始天尊の豹変ぶりについて誰もツッコミを入れず、誰も封神計画に不信を抱く様子もない。
あちこち乱暴に切ったり張ったりを繰り返した結果、様々なキャラクターの行動原理がメチャクチャである。
仙界大戦直前、何故か妲己は突如配下と共に禁城から姿をくらまし、紂王はその記憶が全く無い・・・
という展開は原作13巻の通りなのだが、漫画では妲己らは黒点虎自慢の千里眼でも補足できないほど遠い謎の地域に撤退し、申公豹も「妲己がこの大陸から消えました」と言って行方を掴めなくなっているのに対し、覇穹の妲己はなぜか禁城の敷地内上空を1人で浮遊し、申公豹に話しかけて協力を求める。
そこそこ近い距離なのだから聞仲は妲己の気配くらい察知できてもいいんじゃないだろうか。妲己一流の宝貝と術の威力のおかげとでも言えば辻褄は合わせられそうだが。
妲己は仙界大戦中に聞仲が崑崙山攻撃に集中できるよう、彼女の真の本拠地である蓬莱島に一時撤退し、その真の目的のため2つの仙人界の潰し合いを画策している。
禁城上空での申公豹との会話シーンは原作でもあるものだが、この仙界大戦開戦時点の13巻よりもやや前の9巻で行われる(ここでアニメオリジナル演出として背景に一瞬「謎の存在」が映されたことが、覇穹のアニメ化範囲について新たな憶測を呼んでいるが)。
わざわざ蓬莱島まで撤退したのは聞仲や申公豹たちに居場所を悟られたくなかったからと思われるが、覇穹で中国大陸のどこかをひとり飛んでいるのは大丈夫なのか。
また、この妲己がひとりで空を飛ぶ場面は、金鰲島を目指す太公望と四不象が突然の地鳴りに驚く場面の間にも挟まれるので、太公望が妲己の登場に驚いたようにも見えてやや分かりづらい描写である(一応、太公望の見ている背景が揺れているのに対し、直後に映る妲己の方の背景は揺れていないので、それぞれが別の地点であることは示されている)。
西岐では姫昌が病に倒れていた。
もしもの時のため、息子である周公旦から「次男の姫発に会ってほしい」と頼まれる太公望。跡継ぎとして相応しいか?その器を確かめるため、姫発を探しに街へ出ることに。
一方、朝歌では、妲己の策略が着々と進んでいた。咎める聞仲だったが、彼自身も殷に仇をなす西岐の存在を許せるはずもなく……戦争を決意し、聞仲が向かった先はーー崑崙山と対をなす金鰲島だった。
(アニメ公式サイトから引用)
─私が死んでも・・・西岐に いてくれるか?
・・・・・・・・・・・・・・・うむ!
この2つの台詞は原作6巻・第48回にて交わされる、衰弱しつつもまだ生きている頃の姫昌と太公望の会話からのもの。
これを今回の臨終の場面(原作7巻、第51回)にそのまま差し込んでしまったため、姫昌が今まさに死にかかっているという状況で返事をするまでたっぷり7秒も待たせるという、意味深なやり取りになった。
出会ってすぐの、まだ姫発の長所を見いだせていない状況では、太公望もこのまま西岐陣営で活動するには不安があったからなのだろうか。
この長い間からの承諾をした第48回の次となる原作第49回にて、太公望は周公旦に今後の戦略を語り「姫昌を王とすればこの世は安泰だ!」と発言する。
つまり48回の時点では、姫昌に亡くなられては太公望の戦略が崩れてしまうので、あの場で即答するには躊躇いがあったと思われる。姫昌以外で封神計画遂行に見合う次代の王者を探すとなれば、西岐以外の勢力の可能性も検討する必要があっただろう。
だが、続く第49回において、周公旦に促され太公望は姫昌の次男・姫発と出会う。そして徐々に彼の可能性を認めてゆき、その後の第53回で姫昌が倒れるという流れになる。
従って、仮に原作で姫昌が今際の際に再度太公望に自身の死後も西岐に協力してくれるかと尋ねれば、太公望の肚は決まっているので即答したであろう。
─困ったな、もう本当に何もする事がない
4話で太公望を登用したのも束の間、あっという間に衰弱死してしまった姫昌。早すぎである。台詞に反して何もしていない。
上記の姫昌の台詞は作中でも指折りの人気を誇るはずなのだが、視聴者が全く共感できないほど何の活躍の場も無く退場することになった。
カットの連発で太公望の魅力も半減しているので、そんな太公望を招いた姫昌も眼鏡違いをしているかのような残念ぶりである。
原作4巻にて幽閉から解放され、太公望と出会い、7巻にて衰弱し病死する西伯候・姫昌。
原作の長さ全23巻を考えれば確かに早めの退場劇だが、歴史物語たる封神演義において人間界の歴史の遷移を描写するキーパーソンであり、彼を通じて殷を取り巻く他の国がどう動くか、古代中国全土の動きがどうなっているかが描かれていたはずであった。
特に、殷に味方する北の国を説得し反乱同盟を結ぶのは、彼でなければ出来ない仕事である。いかに頭が良いはずの太公望でも仙道である限りはこれを代わることは許されない。
あくまで人間が新たな国を興して歴史を進め、仙人たちと共にいた神話の時代を終わらせるのが、この封神演義が描く物語の一面だからだ。
だが覇穹では、そういった人間界側の歴史の変わり目を描くことにほとんど力を入れていないため、姫昌の存在も非常に軽いものにされてしまった。
原作では周公旦のマスコット的存在として、彼のペットの象がたびたび登場するのだが、覇穹ではその象にまつわる話(6巻、第50回)をカットしたため、何故彼の背景に象が現れるのか意味不明である。
これは物語の本筋とも関係が薄い設定なので、はじめに登場する話をカットしたのであれば、この場面でもわざわざ背景に象を描く必要性は無いに等しかったはずなのだが。
─私はこれより十天君を率い、崑崙を落とそうと思います。
王天君を引き連れ、金鰲島の指導者・通天教主の部屋に入り宣言する聞仲。
この場面の流れは漫画版と全く同じなのだが、
- なぜ仙人よりも位が低い道士の聞仲が
- 金鰲島の幹部である十天君を率いて
- 崑崙を倒す
上記の宣言に至る原作13巻までの、2つの仙人界間の抗争の経緯が一気にカットされているのが原因。
- 殷の属領であった西岐が新国家「周」の樹立を宣言して独立したので、聞仲は反乱とみなし鎮圧を計画する
- しかし今回冒頭の紂王に起きた異状により聞仲は出陣できず、代わりに金鰲島から派遣された魔家四将が周を襲う(以上原作7巻)
- 魔家四将は撃退されるが、戦災に遭った周では徹底抗戦ムードが高まり、殷へ宣戦を布告し遠征を開始
- 殷側を応援するため、通天教主の使者として聞仲や妲己に並ぶ実力の大仙人・趙公明が来訪し、「崑崙を滅ぼせ」との指令が下り、そのために聞仲へ幹部集団の十天君を含めた金鰲全仙人への指揮権が授けられたことを伝える
- 趙公明の仲裁で聞仲と妲己の紛争は一時休戦となる
- 聞仲は十天君を殷王宮に招集するが十天君はこれを無視。趙公明に留守を任せ、聞仲は金鰲島に向かい直談判を試みるが、十天君らは「人間界の戦力はお前と趙公明と張奎(覇穹では未登場)で十分」「我ら仙人が格下である道士の聞仲の下につくのは不満」と主張し交渉は決裂、力づくで従わせようとする聞仲を亜空間に監禁する(以上8巻)
- 留守を任された趙公明は足止めのため手下を出撃させるが敗退が続く。周軍が殷の王都・朝歌近辺まで進軍して来ると自ら出撃し、太公望ら周軍の仙道に決闘を挑むが、激戦の末に元始天尊らの支援を得た太公望たちに敗北、封神される。(以上12巻末まで)
- 教主の元始天尊まで参戦している崑崙に対し、連敗続きなうえ大仙人の趙公明までもが封神され、戦力差に危機を感じた十天君は、リーダー格の王天君の発案でやむを得ず聞仲を解放。聞仲への帰順を誓い、崑崙との全面戦争を決断する(13巻冒頭)
恐るべき圧縮率である。30分間で原作単行本7巻分近く進めただろうか。
最低でも、趙公明が与えた通天教主からの「打倒崑崙山」指令の発令の事実をどこかでカバーしていれば、いきなり聞仲がここまで偉そうに振る舞うことにも筋が通ったはずだったのだが。
太公望は金鰲島の最高指導者である通天教主との和解を元始天尊に提案する。しかし通天教主、及び金鰲島は殷の太師である聞仲側の勢力なので聞仲が健在である以上、和解が成立するとは考えづらい。
原作では聞仲は一時期、十天君によって亜空間に閉じ込められてしまう。聞仲の気配が無くなったことを受けて、通天教主は聞仲がいなければ殷を守る理由が無くなるだろうと考えた太公望が金鰲島との和睦を提案する。
原作では太公望の金鰲島との和睦という提案は聞仲がいないことが大前提である。しかしアニメでは太公望は聞仲が健在であるにも関わらず金鰲島との和解を提案して金鰲島に向かう。
ちなみに覇穹の該当シーンに相当する原作の場面の元始天尊は、
このまま十天君らが黙っておるとは思えん!聞仲のいぬ間に先手を打って金鰲島に攻め入ってはどうじゃ!?と言う。覇穹ではさすがにそのまま言わせてはおかしいと気付いて下線部を削除してから使ったようだが、最早そんな小手先で済む状況ではない。
もう後戻りなど、出来ないのですよ。
太公望が和解のために金鰲島に向かっている時に申公豹が太公望に言った台詞。原作では太公望は聞仲がいない前提で金鰲島との和睦を提案し、聞仲が復活してしまったことで計画が失敗する形になるのだが、アニメでは最初から無謀な計画を立てて申公豹に正論を言われているようにしか見えなくなってしまった。
加えて、原作では太公望に向かって語りかけているこのセリフを、覇穹では太公望を見つける前に画面に向かって唐突に喋っているので、まるで視聴者を煽っているかのようである。
一方、元始天尊は覇穹第一話で太公望へ妲己に横暴について「数年前にこの問題をどう解決するか話し合った」と語り、その背景には元始天尊+太上老君+通天教主が映っているシーンもあった。殷vs周の構図を覇穹第一話から提案したのは他ならぬ元始天尊なのだが、しかし元始天尊と通天教主は妲己への対抗策として封神計画を通じて協力できる間柄ではなかったのかという疑問も湧く。なぜこのジジイは金鰲島に攻め入ってはどうじゃ!?などと言い出し、自分が命令した封神計画について太公望から「金鰲を倒すことが目的ではない」と諭されると呻き声を上げるほど血の気が多いのか。
これは原作では、第3巻の殷王妃の自殺封神事件によって、第1巻時点での元始天尊の封神計画の説明に嘘があったことから、封神計画の発足時点も数年前でなかったことやその真の目的が隠されていることが窺えるので一応納得の行く状況になっている。だが覇穹ではこの元始天尊の豹変ぶりについて誰もツッコミを入れず、誰も封神計画に不信を抱く様子もない。
あちこち乱暴に切ったり張ったりを繰り返した結果、様々なキャラクターの行動原理がメチャクチャである。
仙界大戦直前、何故か妲己は突如配下と共に禁城から姿をくらまし、紂王はその記憶が全く無い・・・
という展開は原作13巻の通りなのだが、漫画では妲己らは黒点虎自慢の千里眼でも補足できないほど遠い謎の地域に撤退し、申公豹も「妲己がこの大陸から消えました」と言って行方を掴めなくなっているのに対し、覇穹の妲己はなぜか禁城の敷地内上空を1人で浮遊し、申公豹に話しかけて協力を求める。
そこそこ近い距離なのだから聞仲は妲己の気配くらい察知できてもいいんじゃないだろうか。妲己一流の宝貝と術の威力のおかげとでも言えば辻褄は合わせられそうだが。
妲己は仙界大戦中に聞仲が崑崙山攻撃に集中できるよう、彼女の真の本拠地である蓬莱島に一時撤退し、その真の目的のため2つの仙人界の潰し合いを画策している。
禁城上空での申公豹との会話シーンは原作でもあるものだが、この仙界大戦開戦時点の13巻よりもやや前の9巻で行われる(ここでアニメオリジナル演出として背景に一瞬「謎の存在」が映されたことが、覇穹のアニメ化範囲について新たな憶測を呼んでいるが)。
わざわざ蓬莱島まで撤退したのは聞仲や申公豹たちに居場所を悟られたくなかったからと思われるが、覇穹で中国大陸のどこかをひとり飛んでいるのは大丈夫なのか。
また、この妲己がひとりで空を飛ぶ場面は、金鰲島を目指す太公望と四不象が突然の地鳴りに驚く場面の間にも挟まれるので、太公望が妲己の登場に驚いたようにも見えてやや分かりづらい描写である(一応、太公望の見ている背景が揺れているのに対し、直後に映る妲己の方の背景は揺れていないので、それぞれが別の地点であることは示されている)。
このページへのコメント
読み返したら確かに違った。蝉玉の後だったね。ごめん。
いや違うよ。「血の気」はさておき原作の時系列は以下の通りだ。
姫昌死去で周を建国(第54回)
→魔家四将が豊邑を襲撃(第55回)
→魔家四将の封神(第64回)で周公旦が該当のセリフ「通天教主を倒しましょう!」
→姫発が宣戦布告スピーチ(第67回)。
原作で魔家四将が来たのはスピーチの後だよ。
四聖の被害だけで戦争を決意するのは原作通り。その準備に北の説得やら兵農一体やら。
魔家四将の被害で広まったのは「仙道も人間の手で倒す」って意識。
魔家四将カットは血の気の多さには関係ない。「カットと入れ替えしすぎのせいで」が近い。
周公旦の「敵の大本である妲己と聞仲…そして背後の通天教主を倒しましょう!」と言い出すのこと自体は原作8巻の彼の台詞そのまんまよ。魔家四将戦の終結直後のものだが。
物知りキャラの周公旦なら知っててもおかしくないんじゃないの。
覇穹で起きてる問題は、原作と違って魔家四将から受けた被害が省かれてるから、四聖の王魔がちょっと西岐の郊外を攻撃しただけで、周の建国から殷への宣戦布告まで一気にやっちゃうほど全員血の気多すぎになってることだな。
既に指摘されてるけど、周公旦の台詞矛盾について。
「此度は周の民も大ダメージを受けました」
→魔家四将戦が省かれたことで王魔による被害しか出ていない。原作では周公旦はその被害程度を低く見積もる側。
「通天教主を倒しましょう」
→仙道でもない周公旦が打倒金鰲まで言い出すのは無理矢理過ぎ。あのシーンはあくまで「殷を倒す為の障害なら仙道と戦って人間に犠牲が出ることもやむを得ない」、という覚悟を表明しただけにすぎないはず