メアリー・ケイ・フアラアウ(Mary Kay Fualaau, 1962年1月30日 - )、結婚前の姓名メアリー・ケイ・シュミッツ(Mary Kay Schmitz)、最初の結婚時の姓名メアリー・ケイ・ルトーノー(Mary Kay Letourneau)は、未成年の生徒と性行為を行い2人の娘を妊娠・出産した事で知られる、アメリカ合衆国の元既婚女性教師である。彼女は児童レイプの罪で懲役7年の刑を受けたが、その後この生徒と結婚した。

来歴

生まれ

メアリーの両親はカリフォルニア州の保守的なカトリック教徒であった。父ジョン・ジョージ・シュミッツ(John George Schmitz, 1930年 - 2001年)は元海兵隊のパイロットで、カリフォルニア州南部の大学教授からカリフォルニア州の州上院議員を務め、さらに1970年からは共和党の下院議員を1期だけ務めた。公立学校での性教育に反対し、市民が自家用車内に拳銃を保持することに賛成するなど、選出のオレンジ郡の保守反動的風土から測ってもさらに保守的で、当時のニクソン大統領の中国訪問に反対を表明し、1972年の大統領選挙では共和党の予備選挙で敗北する。これを根に持ってアメリカ独立党の大統領候補として立候補したが、泡沫候補の扱いのまま落選する。母メアリー・シュミッツは反女性解放論者としてテレビ討論番組に出演し、ERA(Equal Rights Amendment:合衆国憲法修正案)反対の論陣を張るなどしていた。メアリーの他に6人の兄弟姉妹があったが、弟は幼年期に自宅のプールで事故死している。やがて、父が大学教授時代の教え子と不倫関係にあって2人の子供を儲けていたことが、この2人の子供の虐待疑惑から明らかとなり、両親の政治的キャリアは終焉した。

メアリーは望まない妊娠のため、1984年6月30日に胎児の父スティーヴ・ルトーノーと気の進まない結婚をし、ともに大学を中退して職に就いたのち、夜学で教職資格を得て教師の職に就く。この間、夫スティーヴとの間に2男2女を儲けていたが、スティーヴは浮気が絶えなかったと言う。

生徒との関係

メアリーはワシントン州の小学校の2年生の担当となった時、少年ヴィリ・フアラアウ(Vili Fualaau, 1983年6月26日 - )に出会った。少年はその時8歳であった。

彼女はその後再び、6年生の学級でヴィリ少年の担当となり、1996年の夏に少年と性関係を持ち、その結果妊娠する。しかし1997年2月に、少年とメアリーとの間でやり取りされていた手紙を夫スティーヴが発見し、スティーヴのいとこが保護サービス機関にこれを報告した事で、問題は発覚した。

裁判

1997年2月26日にメアリーは児童レイプの罪で逮捕された。その4ヶ月後、彼女は娘を出産した。1997年8月7日、メアリーは2件の児童レイプの罪を認め、懲役89ヶ月を宣告された。この裁判において、彼女は情緒障害と言われた(実際にそうなのだろうといわれる)。

世間の多くの人々はこの時、何となくメアリーに同情した。少年は自分達の間に起こった事は何も間違った事ではないと主張し、「重要なのは、僕たちが互いを愛し合っていたという事実だけだ」*1と記者に語った。また、メアリーの弁護士デイヴィッド・ガーキは1998年2月16日付けの『タイム?』誌で「彼女は理想の男性を見つけた。だが、彼は13歳だった」と述べた。

メアリーは少年に会わない事を約束したため減刑され、郡刑務所で6ヶ月刑期を務めるように宣告されて、3年間のプログラムを受ける事になったが、危険性はないとして1998年1月1日に仮釈放される。だが釈放から数日後、彼女は躁うつ病の薬を飲まなくなり、心理療法にも行かなくなった。

政治家である父や兄弟たちは、このスキャンダルをどうにかしようと必死に奮闘していた。

2度目の妊娠

1998年2月3日、警察は少年とカー・セックスを行っているメアリーを見つけ、少年に会わないという仮釈放の条件に反した咎で逮捕した。警察は現金6,500ドルとベビー服とパスポートを発見、海外逃亡を企てていた模様と報じられた。これにより仮出所は取り消される事になり、刑務所に戻された。

さらに1998年3月、彼女は再び妊娠していることが発覚する。結局メアリーが押し切った形となり、それ以上の訴追はされずに、少年らの家族はメアリーを家族の一員として迎え入れる事になった。10月16日に2人目の娘が生まれたが、誕生の数時間後にはメアリーは刑務所に戻された。

少年との結婚

1999年5月、メアリーはスティーヴと離婚した。2001年1月には、癌を患っていた父ジョンが死去する。メアリーは葬儀への参列を希望したが、刑務所はこれを認めなかった。

メアリーはその後、2004年8月4日に仮出所し、2005年5月20日にヴィリ・フアラアウと結婚した。セレモニーは、テレビ局(担当した番組はアメリカの娯楽ニュース番組“エンターテイメント・トゥナイト?”)によって取り仕切られた。

著書

  • “Un seul crime, l'amour (Only one crime, love)”Letourneau, Mary Kay, Vili Fualaau (1999) ISBN 2-221-08812-3
    • (日本語訳)『禁じられた愛―それは愛なのか、それともレイプだったのか?』 村上能成 訳、日本文芸社 (1999) ISBN 4-537-02687-1

映画

楽曲

  • ジル・ソブル(Jill Sobule)「Mary Kay」(アルバム「Pink Pearl」に収録、上記映画の主題歌)

参考文献

  • 『9人の児童性虐待者 NOT MONSTERS』(パメラ・D・シュルツ、2005、翻訳2006)ISBN 4-89500-092-3
  • 『少年への性的虐待 男性被害者の心的外傷と精神分析治療』(リチャード・B・ガートナー?、1999、翻訳2005)ISBN 4-86182-013-8

関連項目

  • 女性による性的虐待?
  • 少年への性的虐待?

外部リンク

出典

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