最終更新: mansei1116 2014年09月23日(火) 22:11:55履歴
リパブリック・ピクチャーズ(Republic PicturesまたはRepublic Entertainment, Inc.)は、アメリカ合衆国の映画製作・配給会社である。
B級映画や西部劇・連続活劇に特化している。代表作はオーソン・ウェルズ?主演のシェイクスピア?映画『マクベス?』。
2006年にバイアコム?とCBSが分離して以来、リパブリックの所有物は2つに分かれてしまった。CBSテレビジョンはリパブリックのテレビ番組の副次的な権利の大半を所有した一方、リパブリックの映画作品はすべてバイアコムの傘下にあるパラマウント・ピクチャーズ?が所有している。2009年、パラマウントのライセンス下、Trifecta Entertainment & Media?が、リパブリックの映画作品の放映権を得た。
ライオンズゲートが所有していたリパブリック作品のビデオ化権は2005年に一度切れたものの、ライオンズゲートが再び取得した。(ただし、『素晴らしき哉、人生!』などのビデオ化権と、リパブリックのテレビ作品のライブラリはパラマウント・ホームエンタテインメントが所有している。なお、リパブリックのTV作品はかつてCBS DVD?から出ていた。)
また、パラマウントはリパブリック作品のインターネット配信権を所有しており、iTunes?とEpix?で配信している。
アメリカ国外におけるリパブリック作品のライブラリのビデオ化権の状態は国によって異なる。例えば、ユニバーサル・スタジオ ホームエンタテインメントは、イギリスでの放映権(上映権)を持っている。また、ユニバーサルはスペリング・エンタテインメントの『ツインピークス?』のイギリスにおけるDVD化権を持っているが、他のスペリング作品のDVDリリースはパラマウントが行っている。なお、パラマウントはオーストラリアとニュージーランドでリパブリック作品の配信を行っている。
2011年現在、リパブリックは、名前だけの配給会社として残っており、現在バイアコム傘下のパラマウント・ピクチャーズの子会社である。
B級映画や西部劇・連続活劇に特化している。代表作はオーソン・ウェルズ?主演のシェイクスピア?映画『マクベス?』。
「ポヴァティ・ロウ?」も参照
1935年、長年映画や音楽に投資を行い、 コンソリデイテッド・フィルム・インダストリーズ?を設立してその代表の座についてきたハーバート・J・イエーツ?は、6つのポヴァティ・ロウ?映画のスタジオ連合としてリパブリック・ピクチャーズを立ち上げた。
1930年代の大恐慌の中、イエーツの会社は多くのポヴァティ・ロウのスタジオ相手に事業を行っていた。1935年、イエーツは、プロダクションの代表になるチャンスをつかんでいた。6つのスタジオ(モノグラム・ピクチャーズ、マスコット・ピクチャーズ、リバティ・フィルムズ、マジェスティック・フィルムズ、チェスターフィールド・モーション・ピクチャーズ、インヴィンシブル・ピクチャーズ)は全てイエーツの会社に借金があった。イエーツはこれら6つのスタジオに、イエーツ主導による映画事業の統合を持ちかけ、もし断ったら未払い金に対する抵当権を実行するとして同意を迫った。6つのスタジオは統合に同意し、かくしてリパブリック・ピクチャーズは低予算映画に特化した合弁企業として誕生した。
リパブリックの構成企業の中で最も規模が大きかったのはTrem CarrとW. Ray Johnstonの経営するモノグラム・ピクチャーズ?である。この企業はB級映画の制作に特化しており、きちんとした全米配給システムをもっていた。技術面で優れていたのはNat Levine?率いるマスコット・ピクチャーズ?で、この企業は1920年代半ばから連続活劇ばかりを作ってきた。この企業はスタジオ・シティにある マック・セネット?-キーストーン?から受け継いだスタジオを所有しており、施設の面でも一流であった。また、リパブリックができた当時、マスコットはジーン・オートリー?の才能を見出しており、自社作品にカウボーイ・スターとして出演してもらう契約を結んだ。ラリー・ダームールのマジェスティック・フィルムズは大物スターの出る映画を作り続けて発展してきた会社で、リパブリックからセットを借りて自社作品に彩りを添えた。リパブリックのロゴである『リバティ・ベル』(Liberty Bell)はM・H・ホフマン?のリバティ・フィルムズ( フランク・キャプラ?の『素晴らしき哉、人生!?』をプロデュースした リバティ・フィルムズ?とは別の会社である。ただし、 『素晴らしき哉、人生!』の版権は現在リパブリックにある)からきている。チェスターフィールド・モーション・ピクチャーズとインヴィンシブル・ピクチャーズの経営者は同じ人物で、この2つの姉妹会社は低予算のメロドラマやミステリ映画を作るのに長けていた。これら6つがリパブリック・ピクチャーズとして1つになったとき、リパブリックは経験を積んだスタッフ・B級映画の名わき役たち・将来を約束されたスター・完璧な配給システムそしてちゃんとした映画スタジオを持つ制作会社として、恵まれたスタートを切った。合弁企業の傘下に入る代わりに、6つのスタジオの代表者たちはリパブリックの庇護のもと、独立した活動を続け、映画の質を上げるために予算を増やした。
パートナーになった企業から映画製作と配給に関するコツを学んだイエーツは、だんだんパートナー企業に対して権威をふるうようになり、パートナー企業の間ではイエーツに対する不満が浮かび上がってきた。カーとジョンソンはリパブリックを去り、モノグラムで再び活動を開始し、ダームールはコロンビア映画に移籍して独立した活動を続けた。Levineもリパブリックを去ったが、スタッフもスタジオも俳優もリパブリックとイエーツおよびリパブリックと契約していたため、失ったものを埋め合わせることはできなかった。パートナー企業が次々と去っていったイエーツのもとには、"自分の"映画スタジオと、自由な発想とテーマを持ったベテランの映画スタッフとしてではなくただ単に彼に従って来た古参の製作・配給スタッフだけが残った。
なお、リパブリックは カウボーイ歌手ジーン・オートリー?とロイ・ロジャース?の2人のレコードを出すためにBrunswick Records?を買収し、 サイ・フューアー?を自身の音楽部門のトップに採用した*1。
1935年、長年映画や音楽に投資を行い、 コンソリデイテッド・フィルム・インダストリーズ?を設立してその代表の座についてきたハーバート・J・イエーツ?は、6つのポヴァティ・ロウ?映画のスタジオ連合としてリパブリック・ピクチャーズを立ち上げた。
1930年代の大恐慌の中、イエーツの会社は多くのポヴァティ・ロウのスタジオ相手に事業を行っていた。1935年、イエーツは、プロダクションの代表になるチャンスをつかんでいた。6つのスタジオ(モノグラム・ピクチャーズ、マスコット・ピクチャーズ、リバティ・フィルムズ、マジェスティック・フィルムズ、チェスターフィールド・モーション・ピクチャーズ、インヴィンシブル・ピクチャーズ)は全てイエーツの会社に借金があった。イエーツはこれら6つのスタジオに、イエーツ主導による映画事業の統合を持ちかけ、もし断ったら未払い金に対する抵当権を実行するとして同意を迫った。6つのスタジオは統合に同意し、かくしてリパブリック・ピクチャーズは低予算映画に特化した合弁企業として誕生した。
リパブリックの構成企業の中で最も規模が大きかったのはTrem CarrとW. Ray Johnstonの経営するモノグラム・ピクチャーズ?である。この企業はB級映画の制作に特化しており、きちんとした全米配給システムをもっていた。技術面で優れていたのはNat Levine?率いるマスコット・ピクチャーズ?で、この企業は1920年代半ばから連続活劇ばかりを作ってきた。この企業はスタジオ・シティにある マック・セネット?-キーストーン?から受け継いだスタジオを所有しており、施設の面でも一流であった。また、リパブリックができた当時、マスコットはジーン・オートリー?の才能を見出しており、自社作品にカウボーイ・スターとして出演してもらう契約を結んだ。ラリー・ダームールのマジェスティック・フィルムズは大物スターの出る映画を作り続けて発展してきた会社で、リパブリックからセットを借りて自社作品に彩りを添えた。リパブリックのロゴである『リバティ・ベル』(Liberty Bell)はM・H・ホフマン?のリバティ・フィルムズ( フランク・キャプラ?の『素晴らしき哉、人生!?』をプロデュースした リバティ・フィルムズ?とは別の会社である。ただし、 『素晴らしき哉、人生!』の版権は現在リパブリックにある)からきている。チェスターフィールド・モーション・ピクチャーズとインヴィンシブル・ピクチャーズの経営者は同じ人物で、この2つの姉妹会社は低予算のメロドラマやミステリ映画を作るのに長けていた。これら6つがリパブリック・ピクチャーズとして1つになったとき、リパブリックは経験を積んだスタッフ・B級映画の名わき役たち・将来を約束されたスター・完璧な配給システムそしてちゃんとした映画スタジオを持つ制作会社として、恵まれたスタートを切った。合弁企業の傘下に入る代わりに、6つのスタジオの代表者たちはリパブリックの庇護のもと、独立した活動を続け、映画の質を上げるために予算を増やした。
パートナーになった企業から映画製作と配給に関するコツを学んだイエーツは、だんだんパートナー企業に対して権威をふるうようになり、パートナー企業の間ではイエーツに対する不満が浮かび上がってきた。カーとジョンソンはリパブリックを去り、モノグラムで再び活動を開始し、ダームールはコロンビア映画に移籍して独立した活動を続けた。Levineもリパブリックを去ったが、スタッフもスタジオも俳優もリパブリックとイエーツおよびリパブリックと契約していたため、失ったものを埋め合わせることはできなかった。パートナー企業が次々と去っていったイエーツのもとには、"自分の"映画スタジオと、自由な発想とテーマを持ったベテランの映画スタッフとしてではなくただ単に彼に従って来た古参の製作・配給スタッフだけが残った。
なお、リパブリックは カウボーイ歌手ジーン・オートリー?とロイ・ロジャース?の2人のレコードを出すためにBrunswick Records?を買収し、 サイ・フューアー?を自身の音楽部門のトップに採用した*1。
初期のリパブリックはB級映画や連続活劇に特化していたため、ポヴァティ・ロウの一つに数えられることもあったが、この分野の作品に対する関心、投じる予算といった面では他の独立系はもちろん、大手の映画会社と比較しても劣ってはいなかった。リパブリックの主要製作物は西部劇で、ジョン・ウェインやジーン・オートリー、レックス・アレン、ロイ・ロジャースといった西部劇の俳優が有名スターといえる存在になったのもリパブリックにおいてであった。
しかし1940年代に入ると、イエーツはより品質の高い映画を作るようになり、『静かなる男』、『大砂塵』、『硫黄島の砂』といった作品は大きな予算をかけてつくられたものである。
1947年、リパブリックはジーン・オートリー主演の映画『スー・シティ・スー』(Sioux City Sue)でアニメを使用した。この映画はうまくいき、リパブリックはちょっとアニメ映画をやってみようという気を起こした。同年、アニメーターのボブ・クランペット?が ワーナー・ブラザース?とトラブルを起こしてリパブリックに接近してきた。クランペットはウマのチャーリー・ホースを主人公にした単発のアニメ映画 ''It's a Grand Old Nag''を監督したが、減益傾向の中、リパブリックの経営陣は打ち切りを決めた*2。なお、その時のクランペットは"キルロイ?"名義で監督業を行っていた。
1940年半ばから、イエーツはチェコスロバキア出身の元フィギュアスケート選手 ヴェラ・ラルストン?をたびたび主演に据えた。ラルストンはイエーツのハートをも射止め、1949年、イエーツの2番目の妻となった。リパブリックはソニア・ヘニー?に対抗して、当初はラルストンをミュージカル映画に出演させていたが、イエーツは男性の大物スターの相手役として彼女をドラマ映画へ主演させることに決めた。イエーツに「映画の中で最も見栄えの良い女性」と見込まれたラルストンだったが、彼女の愛らしさは映画ファンには受け入れてもらえず、映画館側からラルストンの主演映画が多すぎるという意見がリパブリック側に寄せられた。いやいやながらラルストンと2回共演したジョン・ウェインは、3本目を撮らされそうになるともうその要求にこたえることができず、1952年にリパブリックを去った。イエーツはラルストンの一番のスポンサーになり、最後まで彼女が出る映画を作り続けた。
リパブリックは山間の田舎?を舞台としたミュージカル映画や、コメディ映画を多く作り、その映画にはBob BurnsやWeaver Brothers, ジュディ・カノーヴァ?といった、全米各地で人気だった俳優が主演をつとめた*3。
製作費の増加に伴い、イエーツはリパブリックの作品全てを製作費別に4つのランクに分けた。"Jubilee"は、5万ドルほどの予算で、1週間かけて作った西部劇で、"Anniversary"は17万5,000ドルから20万ドルの製作費で製作期間は2週間前後である。"Deluxe"は50万ドルほどの予算で、リパブリックのスタッフを動員した大型映画である。さらに、"Premiere"は普段リパブリックでは活動しない有名な監督を呼んで作らせたものであり、製作費も百万単位になる*4。これらの作品の中には、独立系のスタジオが制作を担当し、リパブリックが配給を担当しただけのものもあった。
リパブリックの映画の大半は白黒映画だったが、『赤い子馬?』(1949)や『静かなる男?』(1952)といった莫大な予算をかけてつくられた映画は、テクニカラーが用いられていた。 1940年後半から1950年にかけてイエーツは『大砂塵?』(1954)、『アラモの砦?』(1955)、『楽聖ワグナー?』(Magic Fire,1956)で、トゥルーカラー(Trucolor)というシネカラーを用いて低予算のカラー映画を作った。
1956年、リパブリックは自社のワイドスクリーン映画製作システムナチュラマ(Naturama)を、『烙印なき男』で初めて用いた*5。
しかし1940年代に入ると、イエーツはより品質の高い映画を作るようになり、『静かなる男』、『大砂塵』、『硫黄島の砂』といった作品は大きな予算をかけてつくられたものである。
1947年、リパブリックはジーン・オートリー主演の映画『スー・シティ・スー』(Sioux City Sue)でアニメを使用した。この映画はうまくいき、リパブリックはちょっとアニメ映画をやってみようという気を起こした。同年、アニメーターのボブ・クランペット?が ワーナー・ブラザース?とトラブルを起こしてリパブリックに接近してきた。クランペットはウマのチャーリー・ホースを主人公にした単発のアニメ映画 ''It's a Grand Old Nag''を監督したが、減益傾向の中、リパブリックの経営陣は打ち切りを決めた*2。なお、その時のクランペットは"キルロイ?"名義で監督業を行っていた。
1940年半ばから、イエーツはチェコスロバキア出身の元フィギュアスケート選手 ヴェラ・ラルストン?をたびたび主演に据えた。ラルストンはイエーツのハートをも射止め、1949年、イエーツの2番目の妻となった。リパブリックはソニア・ヘニー?に対抗して、当初はラルストンをミュージカル映画に出演させていたが、イエーツは男性の大物スターの相手役として彼女をドラマ映画へ主演させることに決めた。イエーツに「映画の中で最も見栄えの良い女性」と見込まれたラルストンだったが、彼女の愛らしさは映画ファンには受け入れてもらえず、映画館側からラルストンの主演映画が多すぎるという意見がリパブリック側に寄せられた。いやいやながらラルストンと2回共演したジョン・ウェインは、3本目を撮らされそうになるともうその要求にこたえることができず、1952年にリパブリックを去った。イエーツはラルストンの一番のスポンサーになり、最後まで彼女が出る映画を作り続けた。
リパブリックは山間の田舎?を舞台としたミュージカル映画や、コメディ映画を多く作り、その映画にはBob BurnsやWeaver Brothers, ジュディ・カノーヴァ?といった、全米各地で人気だった俳優が主演をつとめた*3。
製作費の増加に伴い、イエーツはリパブリックの作品全てを製作費別に4つのランクに分けた。"Jubilee"は、5万ドルほどの予算で、1週間かけて作った西部劇で、"Anniversary"は17万5,000ドルから20万ドルの製作費で製作期間は2週間前後である。"Deluxe"は50万ドルほどの予算で、リパブリックのスタッフを動員した大型映画である。さらに、"Premiere"は普段リパブリックでは活動しない有名な監督を呼んで作らせたものであり、製作費も百万単位になる*4。これらの作品の中には、独立系のスタジオが制作を担当し、リパブリックが配給を担当しただけのものもあった。
リパブリックの映画の大半は白黒映画だったが、『赤い子馬?』(1949)や『静かなる男?』(1952)といった莫大な予算をかけてつくられた映画は、テクニカラーが用いられていた。 1940年後半から1950年にかけてイエーツは『大砂塵?』(1954)、『アラモの砦?』(1955)、『楽聖ワグナー?』(Magic Fire,1956)で、トゥルーカラー(Trucolor)というシネカラーを用いて低予算のカラー映画を作った。
1956年、リパブリックは自社のワイドスクリーン映画製作システムナチュラマ(Naturama)を、『烙印なき男』で初めて用いた*5。
リパブリックは、自社のフィルムライブラリをテレビ局に貸したハリウッドの映画スタジオとして知られている。1951年、リパブリックはテレビ部門ハリウッド・テレビジョン・サービスを設立し、自社の西部劇やアクションスリラー作品の上映権を売り出した。西部劇を含むこれらの映画作品は、1時間のテレビスペシャル枠に合わせるべく編集がなされた。この会社は昔の連続活劇のような手法でテレビドラマの制作も行っており、このようなドラマの代表作に『フー・マンチューの冒険?』(1956)がある。また、1952年、リパブリックのスタジオがMCA?の連続テレビドラマの制作部門レビュー・プロダクションズ?の本拠地になった。リパブリックが連続作品の制作に向いていることが証明されたものの、予算があったわけでもそうしようとした気持ちが強かったわけでもなかった。1950年代半ばまで、過去作品の上映・放送と、MCAへのスタジオの貸し出しがあったおかげで、リパブリックはテレビ業界でやっていくことができたのだった。このときリパブリックは連続映画として興行的に失敗した『宇宙戦士コディ?』を全12話のテレビドラマとしてNBCに売った。タレント事務所であるMCAはスタジオで威光を放つようになり、MCAやメトロ・ゴールドウィン・メイヤー|MGM?を追い出されたルイス・B・メイヤー?がリパブリックのスタジオを完全にものにするのではないかと噂されていた。1953年から1954年にかけて、リパブリックはABCのテレビドラマThe Pride of the Family?(主演:パウル・ハルトマン?、フェイ・レイ?、ナタリー・ウッド?)を製作し、 1955年にはジム・デイヴィス?が主演とナレーションを務めた Stories of the Century?を製作した。シンジゲート放送された"Stories of the Century"は、エミー賞?を受賞した西部劇ドラマとなった。
B級映画の人気の低迷と、市場の縮小が起き始め、リパブリックは予算の削減を始めた。1950年代前半には年に40本ほど作られていた長編映画は、1957年には18本程度つくられただけだった。1958年の年次総会の際、イエーツは、株主たちに長編映画の製作を行わないことを発表した。翌年配給部門は閉鎖され、映画のライブラリは、ナショナル・テレフィルム・アソシエーツ?(National Telefilm Associates?, NTA)に売却された。スタジオはCBS?が数年間番組制作に使用した後に買収、CBSスタジオセンター?(CBS Studio Center?)として知られるようになり、2006年このスタジオはCBSネットワークが所有するロサンゼルスの放送局KCBS-TV?とKCAL-TV?の本拠地になった。さらに2008年、CBSネットワークは西海岸の本部をハリウッド・テレビジョン・シティからラドフォードに移転し、ネットワークの重役が現在ここで執務している。
スタジオの親会社リパブリック・コーポレーションは、Consolidated Film Laboratoriesや家庭用品製造部門といったイエーツの他の事業とともに生き残った。1966年、バットマン?の人気にあわせて、"Century 66"という過去の連続活劇26本をそれぞれ100分の長さのテレビ映画に編集したパッケージを制作したのを除き、スタジオ売却とともに、ハリウッドでの役割を終えた。
B級映画の人気の低迷と、市場の縮小が起き始め、リパブリックは予算の削減を始めた。1950年代前半には年に40本ほど作られていた長編映画は、1957年には18本程度つくられただけだった。1958年の年次総会の際、イエーツは、株主たちに長編映画の製作を行わないことを発表した。翌年配給部門は閉鎖され、映画のライブラリは、ナショナル・テレフィルム・アソシエーツ?(National Telefilm Associates?, NTA)に売却された。スタジオはCBS?が数年間番組制作に使用した後に買収、CBSスタジオセンター?(CBS Studio Center?)として知られるようになり、2006年このスタジオはCBSネットワークが所有するロサンゼルスの放送局KCBS-TV?とKCAL-TV?の本拠地になった。さらに2008年、CBSネットワークは西海岸の本部をハリウッド・テレビジョン・シティからラドフォードに移転し、ネットワークの重役が現在ここで執務している。
スタジオの親会社リパブリック・コーポレーションは、Consolidated Film Laboratoriesや家庭用品製造部門といったイエーツの他の事業とともに生き残った。1966年、バットマン?の人気にあわせて、"Century 66"という過去の連続活劇26本をそれぞれ100分の長さのテレビ映画に編集したパッケージを制作したのを除き、スタジオ売却とともに、ハリウッドでの役割を終えた。
1980年代半ばまで、NTAは新興のケーブルテレビ局相手にリパブリックのライブラリの放映権を売り出していた。この事業は好調で、NTAは1986年には「リパブリック・ピクチャーズ」の社名とロゴを買収した。リパブリックのブランドでテレビ制作部門が作られ、CBSのテレビドラマ『美女と野獣?』とクイズ番組『Press Your Luck?』(著作権などはフリーマントルメディア?が持っていた)を制作した。このほかにも『連鎖犯罪 逃げられない女』や、『バウンド』、『ディープ・ジョパディー』、"Dark Horse?"といった長編映画を数本作った。また、このとき新リパブリックは自身のライブラリにある作品のビデオ化も始めていた。
1993年、リパブリックはフランク・キャプラ監督/RKO制作の映画『素晴らしき哉、人生!』の著作権を取得することが法的に認められた(ただし、この映画のネガフィルム自体、映画に使用された音楽、映画のもとになったThe Greatest Giftという作品の映画化に関する権利はNTA時代に既に取得していた)。
1994年4月27日、アーロン・スペリング?率いるスペリング・エンタテインメント?がリパブリックを買収し、すぐに再編成を行ったため、リパブリックにはブランド名しか残らなかった。1995年には、リパブリックのビデオは部門は閉鎖され、リパブリック作品のビデオ化権はArtisan Entertainmentに貸し出された。(ただしリパブリックのライブラリはリパブリックの名のもとにある)
1990年代末、バイアコム?がスペリングを部分的に買収し、リパブリックはパラマウントの実質子会社となった。 Artisan(のちにライオンズゲート・ホームエンタテインメント?へ売却された)は、パラマウントの許可を得た上で、リパブリックの社名とロゴとライブラリを使用した。
なお、このときリパブリックが所有していた3000の作品は以下の通り
1993年、リパブリックはフランク・キャプラ監督/RKO制作の映画『素晴らしき哉、人生!』の著作権を取得することが法的に認められた(ただし、この映画のネガフィルム自体、映画に使用された音楽、映画のもとになったThe Greatest Giftという作品の映画化に関する権利はNTA時代に既に取得していた)。
1994年4月27日、アーロン・スペリング?率いるスペリング・エンタテインメント?がリパブリックを買収し、すぐに再編成を行ったため、リパブリックにはブランド名しか残らなかった。1995年には、リパブリックのビデオは部門は閉鎖され、リパブリック作品のビデオ化権はArtisan Entertainmentに貸し出された。(ただしリパブリックのライブラリはリパブリックの名のもとにある)
1990年代末、バイアコム?がスペリングを部分的に買収し、リパブリックはパラマウントの実質子会社となった。 Artisan(のちにライオンズゲート・ホームエンタテインメント?へ売却された)は、パラマウントの許可を得た上で、リパブリックの社名とロゴとライブラリを使用した。
なお、このときリパブリックが所有していた3000の作品は以下の通り
- 元々のリパブリックのライブラリ(ただし、ロイ・ロジャースとジーン・オートリーの出演作については、それぞれが所有している)
- 『素晴らしき哉、人生!?』
- 『無分別?』、『ペティコート作戦?』、『芝生は緑?』、『ミンクの手ざわり?』、『がちょうのおやじ?』といった、ケーリー・グラント?の出演作のうち、独立系のスタジオが制作し、制作元とは別のスタジオが配給した作品。また、これにはグラントが出演したが出演料を受け取らなかった『愛のアルバム?』も含まれる(なお、この映画自体はパブリックドメインだが、リパブリックが著作権を手に入れる際に着色化*6.
- フライシャー・スタジオ?がプロデュースした『ガリヴァー旅行記?』(Gulliver's Travels (1939 film))および『バッタ君町に行く?』(Mister Bug Goes to Town)
- Puppetoons?およびフライシャー・スタジオとフェイマス・スタジオが制作したカートゥーンを含む1950年10月より前のパラマウントの短編映画
- 『ボナンザ?』、"I Married Joan?",『それ行けスマート?』 (放映権のみ)を含む1973年以前のNBCのテレビ番組
- 『悩まし女王?』、『真昼の決闘?』を含む1952年以前の ユナイテッド・アーティスツの長編作品
- 『聖メリーの鐘?』、『善人サム?』といった、レオ・マッケリー?のレインボー・プロダクションズの作品
- エンタープライズ・スタジオが制作・所有していた作品 (『ボディ・アンド・ソウル?』、『凱旋門?』、『悪の力?』、『魅せられて?』など)
- Budd Rogers Releasing Corporationから著作権を再取得した作品 (『暗い鏡?』、『魔法の町?』、『二重生活?』、『扉の陰の秘密?』、『彼と人魚?』など)
- 1960年以前のUnited States Pictures?のカタログ
- The Lost Moment?(1947年公開、配給:ユニバーサル・ピクチャーズ?)
- エリー・ランドー?が出資した映画(『夜への長い旅路?』、『質屋?』など)一部のみ
- NTAの子会社Commonwealth United Entertainmentの映画の大半
- アーロン・スペリング?所有分
2006年にバイアコム?とCBSが分離して以来、リパブリックの所有物は2つに分かれてしまった。CBSテレビジョンはリパブリックのテレビ番組の副次的な権利の大半を所有した一方、リパブリックの映画作品はすべてバイアコムの傘下にあるパラマウント・ピクチャーズ?が所有している。2009年、パラマウントのライセンス下、Trifecta Entertainment & Media?が、リパブリックの映画作品の放映権を得た。
ライオンズゲートが所有していたリパブリック作品のビデオ化権は2005年に一度切れたものの、ライオンズゲートが再び取得した。(ただし、『素晴らしき哉、人生!』などのビデオ化権と、リパブリックのテレビ作品のライブラリはパラマウント・ホームエンタテインメントが所有している。なお、リパブリックのTV作品はかつてCBS DVD?から出ていた。)
また、パラマウントはリパブリック作品のインターネット配信権を所有しており、iTunes?とEpix?で配信している。
アメリカ国外におけるリパブリック作品のライブラリのビデオ化権の状態は国によって異なる。例えば、ユニバーサル・スタジオ ホームエンタテインメントは、イギリスでの放映権(上映権)を持っている。また、ユニバーサルはスペリング・エンタテインメントの『ツインピークス?』のイギリスにおけるDVD化権を持っているが、他のスペリング作品のDVDリリースはパラマウントが行っている。なお、パラマウントはオーストラリアとニュージーランドでリパブリック作品の配信を行っている。
2011年現在、リパブリックは、名前だけの配給会社として残っており、現在バイアコム傘下のパラマウント・ピクチャーズの子会社である。
- 西部の星空の下で Under Western Stars (1938)
- Melody Ranch (1939)
- 暗黒の命令 Dark Command (1940)
- Ice Capades (1941)
- 炎の街 Flame of Barbary Coast (1945)
- たそがれの恋 The Great Flamarion (1945)
- 拳銃無宿? Angel and the Badman (1947)
- マクベス? Macbeth (1948) オーソン・ウェルズ?監督・主演
- 怒涛の果て Wake of the Red Witch (1948)
- ケンタッキー魂 The Fighting Kentuckian (1949)
- 硫黄島の砂?Sands of Iwo Jima (1949)
- 赤い子馬 The Red Pony (1949)
番号 | サブタイトル | 公開年 | 話数 | ジャンル | 監督 | 主要キャスト | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | Darkest Africa | 1936 | 15 | ジャングル | B・リーヴス・イーソン?とジョセフ・ケイン? | クライド・ビーティー? | マスコットのThe Lost Jungle?と関連性あり |
2 | 海底下の科学戦 Undersea Kingdom | 1936 | 12 | サイエンス・フィクション | B・リーヴス・イーソンとジョセフ・ケイン | レイ・コリガン? | 別題:Underwater kingdom |
3 | The Vigilantes Are Coming | 1936 | 12 | 西部劇 | レイ・テイラー?とMack V. Wright? | ロバート・リビングストンとケイ・ヒューズ | |
4 | Robinson Crusoe of Clipper Island | 1936 | 14 | 海洋映画 | レイ・テイラー?とMack V. Wright | Ray Mala? | |
5 | Dick Tracy | 1937 | 15 | 犯罪映画 | アラン・ジェームズ? | ラルフ・バード? | 原作はコミック・ストリップ? 『ディック・トレイシー?』 |
6 | The Painted Stallion | 1937 | 12 | 西部劇 | アラン・ジェームズ? | レイ・コリガン? | |
7 | S.O.S. Coast Guard? | 1937 | 12 | 海洋, SF | アラン・ジェームズ? | ベラ・ルゴシ?、ラルフ・バード | |
8 | 怪傑ゾロ/ゾロ・ライズ・アゲイン Zorro Rides Again | 1937 | 12 | 西部劇 | ウィリアム・ウィットニー? | ジョン・キャロル | ジョンストン・マッカレーの怪傑ゾロ?が原作 |
9 | The Lone Ranger? | 1938 | 15 | 西部劇 | ウィリアム・ウィットニー?、ジョン・イングリッシュ | リー・パウエル? | 連続ラジオドラマ『ローン・レンジャー?』が原作 |
10 | The Fighting Devil Dogs? | 1938 | 12 | SF | ウィリアム・ウィットニー、ジョン・イングリッシュ | リー・パウエル、ハーマン・ブリックス? | |
11 | Dick Tracy Returns? | 1938 | 15 | 犯罪映画 | ウィリアム・ウィットニー、ジョン・イングリッシュ | ラルフ・バード | 原作はコミック・ストリップ? 『ディック・トレイシー?』 |
12 | Hawk of the Wilderness? | 1938 | 12 | ジャングル | ウィリアム・ウィットニー、ジョン・イングリッシュ | ハーマン・ブリックス?,Ray Mala | ウィリアム・L・チェスター?の小説が原作 |
13 | The Lone Ranger Rides Again? | 1939 | 15 | 西部劇 | ウィリアム・ウィットニー、ジョン・イングリッシュ | Robert Livingston? | 連続ラジオドラマ『ローン・レンジャー?』が原作 |
14 | Daredevils of the Red Circle? | 1939 | 12 | ウィリアム・ウィットニーと ジョン・イングリッシュ | Charles Quigley?, ハーマン・ブリックス?、デヴィッド・シャープ? | ||
15 | Dick Tracy's G-Men? | 1939 | 15 | 犯罪映画 | ウィリアム・ウィットニー、ジョン・イングリッシュ | ラルフ・バード | 原作はコミック・ストリップ? 『ディック・トレイシー?』 |
16 | Zorro's Fighting Legion? | 1939 | 12 | 西部劇 | ウィリアム・ウィットニー、ジョン・イングリッシュ | リード・ハドレー? | ジョンストン・マッカレーの怪傑ゾロ?が原作 |
17 | Drums of Fu Manchu? | 1940 | 15 | イエロー・ペリル | ウィリアム・ウィットニー、ジョン・イングリッシュ | ヘンリー・ブランドン? | サックス・ローマー?の『フー・マンチュー?』が原作 |
18 | Adventures of Red Ryder? | 1940年 | 12 | 西部劇 | ウィリアム・ウィットニー、 ジョン・イングリッシュ? | ドン・バリー? | 原作はコミック・ストリップ? "Red Ryder?" |
19 | King of the Royal Mounted? | 1940 | 12 | Northern | ウィリアム・ウィットニー、ジョン・イングリッシュ? | アラン・レーン? | 原作はコミック・ストリップ?"King of the Royal Mounted?" |
20 | レッド・バロンとサタン博士 Mysterious Doctor Satan | 1940 | 15 | スーパーヒーロー映画 | ウィリアム・ウィットニー、ジョン・イングリッシュ | エドュアルド・シャネリ? 、ロバート・ウィルコックス? | もともとはスーパーマン?の続編として製作されたが、最初の原作なしのスーパーヒーロー映画となった。 |
21 | Adventures of Captain Marvel? | 1941 | 12 | スーパーヒーロー映画 | ウィリアム・ウィットニー、ジョン・イングリッシュ | トム・タイラー? | フォーセット・コミック?のキャラクター『キャプテン・マーベル?』もの。世界初の漫画原作スーパーヒーロー映画。 |
22 | Jungle Girl? | 1941 | 15 | ジャングル | ウィリアム・ウィットニー、ジョン・イングリッシュ | フランセス・ギフォード? | 原作は エドガー・ライス・バローズ?の『Nyoka the Jungle Girl』 |
23 | King of the Texas Rangers? | 1941 | 12 | 西部劇 | ウィリアム・ウィットニー、ジョン・イングリッシュ | Slingin' Sammy Baugh? | |
24 | Dick Tracy vs. Crime? | 1941 | 15 | 犯罪映画 | ウィリアム・ウィットニー、ジョン・イングリッシュ | ラルフ・バード? | 原作はコミック・ストリップ? 『ディック・トレイシー?』 |
25 | Spy Smasher? | 1942 | 12 | スパイ映画, 戦争映画 | ウィリアム・ウィットニー | ケイン・リッチモンド? | フォーセット・コミックのキャラクター"Spy Smasher?"もの |
26 | Perils of Nyoka? | 1942 | 15 | ジャングル | ウィリアム・ウィットニー | ケイ・アルドリッジ?、クレイトン・ムーア | エドガー・ライス・バローズ?の『Nyoka the Jungle Girl』と関連性あり |
27 | King of the Mounties? | 1942 | 12 | Northern? | ウィリアム・ウィットニー | アラン・レーン? | 原作はコミック・ストリップ? "King of the Royal Mounted?" |
28 | G-Men vs The Black Dragon? | 1943 | 15 | スパイ, 戦争映画 | ジョン・イングリッシュ? | ロッド・キャメロン? | |
29 | Daredevils of the West? | 1943 | 12 | 西部劇 | ジョン・イングリッシュ? | アラン・レーン? | フィルム現存せず |
30 | Secret Service in Darkest Africa? | 1943 | 15 | Jungle | スペンサー・ベネット? | ロッド・キャメロン? | |
31 | The Masked Marvel? | 1943 | 12 | スーパーヒーロー映画 | スペンサー・ベネット? | デヴィッド・ベーコン? | |
32 | Captain America? | 1944 | 15 | スーパーヒーロー映画 | エルマー・クリフトン?、 ジョン・イングリッシュ? | Dick Purcell? | タイムリー・コミックス?の"キャプテン・アメリカ?"と関連性あり |
33 | The Tiger Woman? | 1944 | 12 | ジャングル | スペンサー・ベネット? | リンダ・スターリング? | |
34 | Haunted Harbor? | 1944 | 15 | 海洋 | スペンサー・ベネット? | ケイン・リッチモンド?、ケイ・アルドリッジ? | 原作は エワート・アダムソン?の小説 |
35 | Zorro's Black Whip? | 1944 | 12 | 西部劇、スーパーヒーロー映画 | スペンサー・ベネット? | リンダ・スターリング? | ジョンストン・マッカレーの『怪傑ゾロ?』が原作 |
36 | Manhunt of Mystery Island? | 1945 | 15 | 海賊映画、SF | スペンサー・ベネット? | リンダ・スターリング | |
37 | Federal Operator 99? | 1945 | 12 | 犯罪映画 | スペンサー・ベネット?, ヤキマ・カヌート? & Wallace Grissell? | Marten Lamont? | |
38 | The Purple Monster Strikes? | 1945 | 15 | SF | スペンサー・ベネット、フレッド・C・ブラノン | Dennis Moore?、リンダ・スターリング | |
39 | The Phantom Rider? | 1946 | 12 | 西部劇 | スペンサー・ベネット、フレッド・C・ブラノン | ロバート・ケント?、ペギー・スチュワート? | |
40 | King of the Forest Rangers? | 1946 | 12 | スペンサー・ベネット、フレッド・C・ブラノン | |||
41 | Daughter of Don Q? | 1946 | 12 | 犯罪映画 | スペンサー・ベネット、フレッド・C・ブラノン | Kirk Alyn? | |
42 | The Crimson Ghost? | 1946 | 12 | SF | ウィリアム・ウィットニー? 、 フレッド・C・ブラノン | クレイトン・ムーア、リンダ・スターリング | |
43 | 快傑ゾロ/サン・オブ・ゾロ Son of Zorro | 1947 | 13 | 西部劇, スーパーヒーロー映画 | スペンサー・ベネット、フレッド・C・ブラノン | ジョンストン・マッカレーの『怪傑ゾロ?』が原作 | |
44 | Jesse James Rides Again? | 1947 | 13 | 西部劇 | フレッド・C・ブラノン | クレイトン・ムーア、リンダ・スターリング | |
45 | The Black Widow? | 1947 | 13 | SF | スペンサー・ベネット、フレッド・C・ブラノン | ||
46 | G-Men Never Forget? | 1948 | 12 | 犯罪映画 | フレッド・C・ブラノン | クレイトン・ムーア | |
47 | Dangers of the Canadian Mounted? | 1948 | 12 | Northern? | フレッド・C・ブラノン | ||
48 | Adventures of Frank and Jesse James? | 1948 | 13 | 西部劇 | フレッド・C・ブラノン | クレイトン・ムーア | |
49 | Federal Agents vs. Underworld? | 1949 | 12 | 犯罪映画 | フレッド・C・ブラノン | Kirk Alyn? | |
50 | Ghost of Zorro? | 1949 | 12 | 西部劇, スーパーヒーロー映画 | フレッド・C・ブラノン | クレイトン・ムーア | ジョンストン・マッカレーの『怪傑ゾロ?』が原作となっているが、原作にあまり忠実でない。 |
51 | King of the Rocket Men? | 1949 | 12 | SF | フレッド・C・ブラノン | トリストラム・コフィン? | "Rocket Man"シリーズ第1作 |
52 | The James Brothers of Missouri | 1949 | 12 | 西部劇 | フレッド・C・ブラノン | キース・リチャーズ | |
53 | Radar Patrol vs Spy King | 1949 | 12 | スパイ映画 | フレッド・C・ブラノン | Kirk Alyn | |
54 | The Invisible Monster | 1950 | 12 | SF | フレッド・C・ブラノン | リチャード・ウェッブ? | |
55 | Desperadoes of the West | 1950 | 12 | 西部劇 | フレッド・C・ブラノン | トム・キーン? | |
56 | Flying Disc Man from Mars | 1950 | 12 | SF | フレッド・C・ブラノン | ウォルター・リード | |
57 | Don Daredevil Rides Again | 1951 | 12 | 西部劇 | フレッド・C・ブラノン | ケン・カーティス? | ジョンストン・マッカレーの『怪傑ゾロ』と関連性あり |
58 | Government Agents vs. Phantom Legion | 1951 | 12 | スパイ映画 | フレッド・C・ブラノン | ウォルター・リード | |
59 | Radar Men from the Moon? | 1952 | 12 | SF | フレッド・C・ブラノン | George D. Wallace?、クレイトン・ムーア | |
60 | Zombies of the Stratosphere? | 1952 | 12 | SF | フレッド・C・ブラノン | Judd Holdren?、レナード・ニモイ? | |
61 | Jungle Drums of Africa? | 1953 | 12 | ジャングル | フレッド・C・ブラノン | クレイトン・ムーア、フィリス・コーテス? | |
N/A | Commando Cody: Sky Marshal of the Universe | 1953 | 12 | SF | フレッド・C・ブラノン、フランクリン・アドレオン | Judd Holdren?、リチャード・クレイン? | テレビシリーズとして製作されたが、連続映画として公開 |
62 | Canadian Mounties vs. Atomic Invaders | 1953 | 12 | Northern?, スパイ映画 | フランクリン・アドレオン | ビル・ヘンリー | |
63 | Trader Tom of the China Seas? | 1954 | 12 | 海洋 | フランクリン・アドレオン | ハリー・ローター?、Aline Towne? | |
64 | Man with the Steel Whip? | 1954 | 12 | 西部劇 | フランクリン・アドレオン | ディック・シモンズ? | ジョンストン・マッカレーの『怪傑ゾロ』が原作となっているが、原作にあまり忠実でない。 |
65 | Panther Girl of the Kongo | 1955 | 12 | ジャングル,SF | フランクリン・アドレオン? | フィリス・コーテス? | |
66 | King of the Carnival? | 1955 | 12 | 犯罪映画, スパイ映画 | フランクリン・アドレオン | ハリー・ローター? |
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