関連 → ヤンマとアカネ
859 ◆93FwBoL6s.様

 世界中のカップルは死ねばいいのに。
 そうすれば、少しは気が晴れるというものだ。憎しみで人が殺せたら、と言う言葉が頭から離れない。普段は気にも留めない光景がいちいち癪に障り、八つ当たりしたくなるが辛うじて理性で押さえ込んだ。
 夜に移り変わった街を行き交う雑踏の一部になりながら、ほづみは顔を強張らせて大股に歩いていた。そうでもしなければ、腹の中で煮え滾っている苛立ちが噴出して、誰彼構わず当たり散らしそうだったからだ。
 あんな女のどこが良い。顔は化粧で塗り固められ、相手を選んで媚を売り、口を開けば悪口しか言わないような女なのに、女子社員全体からの評判も悪いというのに、なぜあんな女に寝取られなければならない。浮気をした挙げ句に易々と乗り換えたのだからその程度の男なのだ、と思おうとしても、悔しくてたまらない。
 ほづみとその男は、社内恋愛だった。よくある話で、飲み会で打ち解けたことを切っ掛けに交際を始めた。ほづみも彼のことは前々から素敵だと思っていたし、趣味も合い、気も合い、将来のことも考え始めていた。彼自身も結婚話を仄めかしていたし、このまま行けば、と思っていた矢先に浮気されて捨てられてしまった。しかも、その相手は、入社直後から手当たり次第に男を食い散らかしていることで知られる女子社員だった。
 今日、社員食堂で浮気相手を伴った彼から別れ話を持ちかけられた瞬間、怒るよりも先に呆れてしまった。ドラマのように彼とその女に水を掛けることも出来ず、文句を言うことも出来ず、気力すらも失ってしまった。それでも午後の仕事はいつも通りにこなし、同僚には明るく振る舞ったが、一人になると怒りが沸いてきた。だが、その鬱憤をぶつける相手もいなければ物もないので、ほづみは苛立ちに煽られて歩調を早めていた。
 人通りの多い駅前商店街を抜け、なるべく明るい道を選びながら歩いていると、緑地公園に差し掛かった。街灯の黄色い光に映し出された公園には、数ヶ月前に突如として灰と化した木々の残骸が降り積もっていた。一見すればただの灰にしか見えないが、魔力由来の毒性があるとの話で、片付けようにも片付けられないらしい。立ち入り禁止を示す黄色いテープが貼られ、灰の飛散を防ぐためにスプリンクラーが水を吐きながら回っていた。
 だが、そんなことはどうでもいい。今はとにかく早々に家に帰って、酒でも喰らって不貞寝したい気分だった。緑地公園から目を外したほづみが歩き出そうとすると、前方から振動音を伴った影がふらふらと飛んできた。びいいいいん、と独特の音を発しながら街灯に近付いてきた物体は、頭から街灯に衝突し、無様に落下した。

「あいだあっ!?」

 素っ頓狂な声を上げた物体は、強かに打ち付けた部分を三本の爪で押さえ、長い腹部を反らした。

「あーもう、マジ最悪…。つか、日没マジヤベェ、方向感覚マジダメだし…」

 若者言葉でぐちぐちと文句を零している物体は、よくよく見てみると、最近頻繁見かける水色のトンボ人間だった。彼はほづみの住まう安普請極まりないアパートの住人と友人なのか、週末に訪れては夕方頃に帰っていくのだ。彼よりも体格が立派で派手な外見のトンボ人間と、ケンカのようなじゃれ合いをしている様子も時折見かけていた。だから、面識はなかったが知っていた。ほづみは彼を眺めていると、視線に気付いたのか、こちらに振り向いた。

「あの、なんすか?」
「君、今いくつよ?」
「高二っすけど、それがどうかしたんすか? つか、お姉さん、俺っちになんか用っすか?」
「高二か…」

 昆虫人間は外見で年齢が計れないから一応尋ねてみたが、それなら充分イケる。

「あんた、私とヤってみない?」

 ほづみが躊躇いもなく言い切ると、トンボ人間は数秒間硬直し、そしてぎちぎちと顎を軋ませた。
「え、てか、なんすか、つか、それってアレっすか!?」
「それ以外に何があるってのよ。んで、するの、しないの、どっちなの?」
「つか、マジヤバくないっすか、てか、そんなん有り得るわけ?」
「大丈夫よ、人間と虫じゃ交尾しても孕まないから。どっちも後腐れなくていいでしょ」
「いや、てか、それって…」

 ぎちぎちぎちと顎を鳴らしながら、トンボ人間は大きな複眼が付いた首を捻った。

「あー、でもなー、てか、そういうの、つかマジヤベェし…」
「するかしないかどっちかを答えりゃいいのよ、あんたは」
「えー…」

 トンボ人間はぐりぐりと頭を捻っていたが、複眼にほづみを映した。

「ぶっちゃけ、したい、ってーか、俺っちマジ童貞だし、つかお姉さんならマジイケるし」
「そう、だったら一緒に来なさい。私の部屋に」
「へあ!?」

 驚いて顎を全開にしたトンボ人間に、ほづみはにじり寄った。

「何よ」
「てか、これ、なんかの罠っすか何なんすか! 俺っち、お姉さんに喰われるんじゃないっすか?」
「そうよ。これから私があんたを喰うのよ」

 ほづみはトンボ人間の上右足を掴んで引っ張り起こし、引き摺るようにして歩き出した。

「てか、お姉さん、どこの誰なんすか? まずはそれから教えてもらいたいっす、つかマジで」

 ほづみに引っ張られるまま歩くトンボ人間は、上体を曲げてほづみの横に顔を出した。

「あ、俺っち、シオカラっすシオカラ」
「ああ、そうなの。私は後で教えてあげるわ」

 口ではそう言ったものの、教える気など更々ない。ほづみは、シオカラと深い関係になるつもりは毛頭ない。アパートの二階に住んでいる高校生の少女や大学生の青年のように、人間以外を愛する嗜好はないからだ。少女の相手はシオカラと同じトンボ人間だから生き物だからまだ解るが、大学生の青年の相手は全身鎧だ。理解出来るわけもなく、するつもりもない。だから、シオカラを部屋に連れ込むのも、気晴らしをするためだ。
 それ以外の理由もなければ意味もない。

 部屋に引っ張り込むと、シオカラは途端に大人しくなった。
 雑然とした六畳間の居間に正座し、四枚の透き通った羽をしゅんと下げ、顎を鳴らすどころか開きもしない。それというのも、この部屋の真上に住んでいるのは、シオカラの先輩であり兄貴分であるヤンマだからである。シオカラは、つい今し方真上の部屋から出てきたばかりであり、天井からヤンマと茜の会話が漏れ聞こえてきた。そして、斜め上からは大学生の青年、祐介とその恋人であるリビングメイルのアビゲイルの甘い会話が聞こえる。シオカラはヤンマだけでなくその隣人達とも親交が深く、特にアビゲイルには世話になりっぱなしなのだという。だから、そんな相手にこんなことを知られてはまずい、と小声で言い終えたきり、シオカラは黙り込んでしまった。
 シャワーで軽く汗を流したほづみは、空きっ腹にビールを流し込みながら、正座するシオカラを睨み付けていた。確かにこのアパートは壁が薄く、二階から異種族カップルの睦み事と思しき声が聞こえることは決して少なくない。だから、別にこちらが音を立てても構わないどころか、せっかくだからやり返してやるべきだとほづみは思っていた。だが、シオカラはとてもじゃないがそうは思えないらしく、昆虫標本のように硬直したまま、微動だにしなかった。

「根性なし」

 ビールを飲み干したほづみが言い捨てると、シオカラはびくっとした。

「いや、その、だって、兄貴がいるんすよ!? ヤンマの兄貴が! てか、マジヤバすぎてパネェっすよ!」
「それぐらいことで、童貞捨てるチャンスをフイにするわけ?」
「そりゃ、マジそうなんすけど…」
「じゃ、私があんたを好きにするわ。でも、出すモノは出してよね」

 ほづみはビールの空き缶をテーブルに置いてから、寝間着にしているTシャツを捲り、一息で脱ぎ捨てた。うお、とシオカラは後退りかけたが踏み止まり、触覚を動かして興味深げにほづみの上半身を凝視していた。シャワーを浴びる際にブラジャーは外したので、かすかに水気を帯びた柔らかな乳房が露わになっていた。一気に脱がないと変な照れが生まれるので、ほづみはハーフパンツごと下着も脱ぎ、Tシャツの傍に投げた。

「あんたってさ、人間にも欲情出来る質?」

 シオカラの前に屈んだほづみが問うと、シオカラは声を裏返した。

「ま、まあそうっすね! てかマジイケるっすよ!」
「じゃ、あんたのチンコはどこ? 私、虫のがどこにあるかなんて知らないのよ」
「ああ、それならこっちに」

 シオカラが長い腹部を曲げてほづみの前に出すと、ほづみはその腹部を掴み、先端を突いた。

「だったら、すぐに出しなさいよ」
「いや、すぐに出せって言われても、つか俺っち、出したことあるようなないような…」
「ふうん」

 面倒だが、これはこれで面白いかもしれない。ほづみはぺろりと唇を舐め、シオカラの硬い顎に触れた。

「キスからしてみる?」
「あ…はい」
 シオカラは戸惑いながらも頷き、ぎち、と顎を開いた。ほづみはシオカラの顎の中を見、少しだけ畏怖した。人間の頭など、簡単に噛み砕けてしまいそうだ。歯は一本も生えていないが、その代わりに顎の縁が鋭い。奥に引っ込められている細長い舌は、ほづみを探るように恐る恐る伸びてきたので、ほづみはそれを銜えた。
 ほづみはシオカラの舌に自身の舌を絡めながら、唇で柔らかく噛み、吸い付き、人のそれのように扱った。何をどうすれば欲情してくれるのか解らないが、何もしないよりは良いだろうと、ほづみはシオカラを愛撫した。
 ちゅぷん、とほづみの口から細長い舌を引き抜くと、シオカラはにゅるりと顎の中に舌を戻し、触覚を揺らした。ほづみは唇から顎に伝った互いの唾液を手の甲でぬぐってから、触覚を忙しなく揺らすシオカラを見上げた。

「んで、どうよ?」
「えーと…」

 シオカラはぎこちなく顔を上げ、細長い腹部の先を挙げてみせると、太い針のような生殖器官が露出していた。

「言うまでもない、っつーか、てか俺っち反応良すぎってーか…」
「あら、結構立派ね。でも、ちょっと濡らした方がいいかもね。このまま突っ込んだら痛いわ、私が」

 ほづみは身を屈めてシオカラの生殖器官に顔を寄せると、落ちてきた髪を掻き上げてから、銜え込んだ。だが、全部口に入るわけがなかった。外骨格なので最初から強張っていて、唾液とは違う体液の味がする。これもまた感じる部分が解らないし、人間ほど潤っていないので、ほづみは丹念に生殖器官を舐め回した。
 溜めた唾液を先端に落として濡らしてから、唾液を広げるために舌で下から上に舐め上げ、穴を指で探る。生殖器官の根元にある分厚い膜に覆われた筋肉にも、唇を当てて吸い付き、感じるかどうか試してみた。

「う、くぉ」

 シオカラは低く呻き、ぎちりと顎を擦り合わせた。

「なあに、感じるの?」

 ほづみがにやけると、シオカラは触覚を立てた。

「感じる、っていうか、なんかこう、ぞわぞわっと変な具合に…」
「それが感じるってことよ。本当に童貞なのね、あんたは」
「じゃ、じゃあ、お姉さんの方はどうなんすか?」
「面識のない男子高校生を連れ込んで銜え込もうとしている女が処女に見える?」
「いえ、全く」
「だから、何も気にすることはないのよ。あんたは、私に乗っかられてりゃいいのよ」

 ほづみは唾液で濡らした指を陰部に差し込み、自分の具合を確かめてから、シオカラの長い腹部に跨った。挿入しやすいように広げた陰部に先端をあてがい、体重を掛けて徐々に腰を下ろすと、胎内に押し入ってきた。

「あ…すご…」

 人間のものとは違った異物感にほづみは身震いし、シオカラの肩を掴んだ。

「く…あ、あぁぁ…」
 いきなり奥深くに至ってしまい、ほづみは背筋を這い上がる痺れを感じ、シオカラの肩を掴む手に力が入った。彼氏だった男に浮気されてからというもの、体を持て余していたからだろう、呆気なく昇り詰めてしまいそうだ。だが、すぐに終わってしまうのは勿体ない気がして、ほづみはシオカラの頭を抱き寄せてゆるゆると腰を回した。

「お、おお?」

 複眼を二つの乳房に覆い尽くされ、シオカラは妙に嬉しくなった。虫とは異なる匂いが、短い触覚をくすぐった。ヤンマの恋人でありシオカラも幼馴染みである茜の匂いとも、クラスメイトの真夜の匂いとも違い、濃密だった。二人の匂いは未成熟な青さが垣間見える匂いだが、ほづみの匂いはどこをどう捉えても強い、女の匂いだった。汗を流したばかりの肌には新たな汗が滲み始めていて、ほづみが腰を振るたびに外骨格に擦り付けられていく。

「あ、はぁ、あぁ、あぁっ」

 ほづみの下半身から聞こえる粘ついた異音に、熱い吐息混じりの喘ぎが重なる。

「悪く、ないわねっ、虫っ、てのも!」

 一心不乱に腰を揺すりながら、ほづみはシオカラの頭部を胸元から外し、見下ろした。

「ねえっ、あんた、私のこと、どう思うっ?」
「ど、どうって、そりゃ…」

 シオカラは目の前で揺れるたわわな乳房と腰を締め付けてくる太股を凝視し、言い切った。

「マジエロくてパネェっす!」
「あ、そっ、でも、まあ、いいわっ!」

 ほづみはじゅぶりと腰を深く下げ、シオカラの外骨格を思い切り握り締めた。

「あ、あ、ああああぁっ!」

 腰を揺する間に高まっていた快感が膨れ上がり、ほづみは仰け反り、自身の陰部が収縮するのを感じた。

「ぁ…はあ…」

 達した余韻を味わいながら、ほづみは乱れた髪を掻き上げ、荒い呼吸を整えた。

「どうする? もう一回ぐらいヤる?」
「マジそうしたいっすけど、でも、もう時間が…」

 門限が、と小声で付け加えたシオカラに、ほづみは変な顔をした。
「あんたはオスでしょうが」
「俺っちもマジそう思うし、親にも意見したんすけど…」
「ま、いいわ」

 んぅっ、と声を漏らしながらシオカラの生殖器官を引き抜いたほづみは、下着を拾って身に付けた。

「私も気が済んだし、もう帰っていいわよ」
「え、あ、はあ」

 シオカラが腰を浮かせかけると、ほづみはティッシュ箱を押し付けた。

「でも、その前にちゃんと拭いてから行きなさいよね。結構溜まってたみたいで、だらだら出ちゃったから」
「あー…そう、っすね」

 シオカラはティッシュ箱を受け取ると、数枚抜き取り、生殖器官とその周辺の外骨格を拭った。

「うわーすげぇ…。マジぬるんぬるんだし」
「みなまで言わないでよ」

 急に恥ずかしくなったほづみはTシャツを被ってハーフパンツを履き、肌を隠した。

「すんません」

 平謝りしたシオカラは、ゴミが溢れ出しそうなゴミ箱にティッシュを押し込んでから、立ち上がった。

「じゃあ、俺っちはこれで帰らせて頂くっす」

 ほづみの前を抜けて玄関に入ったシオカラは、古びたドアに爪を掛けたが、ほづみに振り返った。

「あ、そうだ。お姉さんの名前、まだ聞いてなかったっすよね。なんて言うんすか?」

 シオカラの藍色の複眼に見据えられ、ほづみは言葉に詰まった。一度限りだから、言うつもりなどない。それ以前に、深い関係になりたい相手ではない。けれど、ここで言わなければ、シオカラは動かないだろう。長々とこの部屋にいられては面倒だ、と思ったほづみは、シオカラを見上げて出来る限り素っ気なく名乗った。

「ほづみよ。稲田ほづみ」
「男名前っすね」
「だから何よ、文句ある?」
「いえ、全く。格好良くてお似合いっすよ、お姉さん」

 シオカラは玄関のドアを開けて外に出ると、一礼した。

「あざーっした!」

 そして、シオカラは羽ばたいて飛び去ろうとしたが、完全に日が暮れているのでふらふらと左右に揺れていた。先程のように街灯や民家などの光源に惑いそうになるが、なんとか姿勢を元に戻し、夜空に吸い込まれていった。あんな状態で本当に家に帰れるのだろうか、とほづみは若干不安になりつつ、玄関のドアを閉めて鍵を掛けた。
 狭い居間には、事後の湿っぽい空気が充満していた。窓を開けて空気を入れ換えながら、冷蔵庫を開けた。胃に入れるためのレトルト食品を取り出し、暖めながら、ほづみは二本目のビールを取り出して開け、傾けた。
 一戦交えたおかげで気が晴れた。結婚出来そうだった男を奪われた苛立ちも、振られた悔しさも落ち着いた。シオカラは学生でほづみは社会人だから、顔を合わせる機会も少ないだろうから気まずい思いもしないはずだ。

「ケー番、聞いておけば良かったかな」

 喉を濡らす苦みと刺激を味わいながら、ほづみは呟いたが、すぐに聞かないままで良かったのだと思い直した。そんなことをしたら、シオカラに甘えてしまう。特定の相手がいない寂しさを、高校生などで紛らわすべきではない。しかも、シオカラは昆虫人間なのだ。自分は至ってまともな性癖だ、とほづみは自分に言い聞かせながらビールを煽った。
 他人の性癖を否定する気は全くないが、自分もそっちの世界の仲間入りをしてしまうのは好ましくないと強く思った。だから、これは今夜だけの出来事だ。人間よりも太く、堅く、奥まで至り、久々だったから気持ち良かったのは確かだが。
 嫌なことが続きすぎて、かなり自棄になっていた。だから、シオカラを捕まえて誘い、自分から跨ってしまったのだ。そうでもなければ、あんなことはしない。今になって自分に嫌気が差したが、気を逸らすためにビールを飲み干した。
 いつもより、苦い気がした。

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