5-490様

「ますますお前が欲しくなったよ…アリク」
茂みの奥に隠れるように立つ老婆…金色の魔女。
その人間らしからぬ不気味な顔を上げると、アリクを見つめてにたりと笑った。
「ッ…」
アリクは怯えきった表情で後ずさる。
「へぇ、あれがその金色の魔女って奴か」
クロウクロウは金色の魔女を見下ろし少し楽しげに言った。
「さて…確かランドットの話じゃあ、なにやら嘴に傷のあるオオタカがあの子を邪魔したらしいじゃないか」
金色の魔女はガルスを焦点の合わない目で睨んだ。ガルスも睨み返す。
「…あんたがこいつに呪いをかけた本人か。丁度良い、こいつの呪いを今すぐ解いてやってくれ」
金色の魔女の眉がピクリと動いた。その笑みに苛立ちが含まれる。
「確か…ガルスとか言ったね。馬鹿な事を言ってないで早くここから立ち去りなさい。その娘を置いてね」
「あんたの弟子に言ったはずだぜ、断るってな。後から曲げるつもりはねえ」
互いに睨み合う二人。アリクはガルスと金色の魔女を不安げな表情で見つめ、それをクロウクロウが見守っていた。
その緊迫した空気を、金色の魔女が破る。金色の魔女はひとつ大きな溜め息をついた。
「…馬鹿も休み休み言っておくれよ。だいたいお前がその娘を守ることに何の得があるんだ」
聞かれたガルスは少し黙っていたが、やがて得意気な表情で答えた。
「…あんた知ってるか?人間ってのはな…自分の毛皮を脱ぐことができるんだぜ」
「はぁ?」
と、素っ頓狂な声を上げたのはアリクだった。ガルスは構わず続ける。
「しかも脱皮と違って脱いだらそれで終わりじゃねえんだ。脱いだ毛皮をまた元通りに付けれるんだぜ」
「いや、あの、ガルス」
アリクはなんと言ってよいかわからず狼狽している。
「マ…マジかよ…!人間てすげえな…!」
「クロウもちょっと…普通に驚かないでよ…」

そばで聞いていたクロウクロウも目を丸くして驚いている。
「つまり、コイツには俺の知らんことがまだまだ沢山有るに違いねえ!俺はそれを全部知りたい!だからコイツをお前に渡すつもりはねえし、虫になられても困るんだよ」
ガルスは強い眼差しでそう言った。金色の魔女は目を細めながら聞いていたが、やがて顔を手で押さえて苦笑の笑みを零した。
「…くっ…くくく…はっはは…面白い、ここまでの馬鹿は久しぶりに見たよ」
金色の魔女は再び大きな溜め息をついて、ガルスを睨んだ。
「馬鹿の相手は疲れるね。あまり使いたくないんだが…しょうがないね、力ずくでも連れていくよ」
そう言うと、金色の魔女の黒い眼が赤く染まっていく。やがて風もないのに、木がざわめき始めた。まるで、金色の魔女に怯えるように。
「…な…何だ…?」
異変に気づいたクロウクロウが辺りを見回した。その直後。
「いっ…!?うぁっ…あああああっ!!」
突然耳を押さえてうずくまるアリク。
「なっ…どうした!?」
「聞こえるかい、アリク。それが、私の力だ」
金色の魔女は不敵に微笑んでアリクを見る。
「てめえ…アリクに何しやがった!!」
ガルスはうずくまるアリクを見ると怒鳴った。ガルスとクロウクロウには何も感じられないらしい。
金色の魔女はにたりと笑うと、微かに口を開いた。その瞬間、アリクが何かを察知した。
「…!だめっガルス逃げてぇっ!!」
金色の魔女は、消え入りそうな声で何かを囁いた。ガルスがその事に気づいたと同時に、金色の光が、彼の体を貫いていた。
「ガルスッ…!!」
アリクが叫ぶと、ガルスはその場に力なくくずおれた。いつの間にか現れた金色の光の壁の向こうで、金色の魔女が不気味に笑った。

「おいッ…どうした傷嘴!!」
クロウクロウが呼びかけるもガルスは答えない。
「さあ…お前も私を邪魔するのかい?もしそうなら、お前もそいつの二の舞になるが」
金色の魔女は光の壁をクロウクロウの方へ向ける。
「………!」
クロウクロウはチッ、と舌打ちするとアリクとガルスを交互に見た。その時、
「…ふざっ…けんな…!!」
意識を回復したガルスがよろめきながら立ち上がった。
「そいつは関係ねえ…やるなら…俺にやれッ…!!」
「ガルス…!」
アリクが泣きそうな顔でガルスを見上げる。
「ふん…やはり“虚仮威し”じゃあ、そんなに効かないか。なら、これでどうだい!?」
金色の魔女は光の壁を再びガルスに向けなおすと、何かを囁いた。
金色の光の壁が一瞬で赤黒く変化すると、再びガルスに襲いかかった。
だが、黙って食らうガルスではない。渾身の力を込めて飛び上がりぎりぎりの所でかわした。
「…甘い!」
金色の魔女が壁に手を翳すと、壁はガルスの動きを真似て飛び上がった。
「なッ!?」
予想を外した壁の動きに、ガルスの反応が遅れた。壁はガルスの背中に襲いかかり一気に弾けた。
「ぐぁあッ!!」
そのままぐしゃりと地面に墜落する。
「ぐっ…クソッ…!」
ガルスは再び立ち上がろうとするが、魔法に墜落のダメージが重なって思うようにいかない。
金色の魔女はゆっくりとガルスに近づく。そして、とどめを刺そうと枯れ枝のような腕を伸ばした。
「ガルス…!」
…もう…だめだ。様子を見つめていたアリクは、思わず目を閉じた。ふと、ガルスと初めて出会った瞬間が瞼の裏で蘇った。
…自分を見て、目を丸くして驚いて、それから笑って、それから…自分を守ってくれた。それなのに、今ここにいる自分は…。
助けたい。ガルスを、助けたい。
思ったときには、既に声を発していた。

「…待って」
その枯れ枝の腕が止まった。金色の魔女が振り向く。
「…もう…やめて…私が行くから…そのひとを…殺さないで」
言うことを聞かない膝に鞭を入れ、アリクは精一杯の力で立ち上がると、そのままゆっくりと歩き出した。
「ッ…アリク…!」
「…ほ、ほほ…いい子だ。こいつと違ってお前は賢いね…」
金色の魔女はアリクの方に手を差し出した。だが…。
「ッ…!?」
その手はすぐに引っ込められた。そして、怖じ気づいた表情でそのまま後ずさりを始める。
「あッ…!ああッ…!!」
なんということだろう。あの金色の魔女が、アリクに対して怯えている。先ほどまであれほど欲していたアリクに対して。
「アリクッ!やめろ戻れッ…!」
ガルスは声を振り絞ってアリクを止めようとするが、アリクは歩みを止めようとはしなかった。地面に転がるガルスに向かって、寂しく笑った。
「ごめんね…でも、私が行けば…それでガルスが助かるなら…私」
「いいや、その必要はねえ」
寂しく言い放ったアリクの言葉は遮られた。その言葉を遮ったのは、クロウクロウだった。
「よく言った嬢ちゃん…その言葉、その覚悟…久しぶりに震えちまったぜ…」
クロウクロウはアリクを飛び越えると、金色の魔女に立ちはだかる。
「俺の…心が!」
「…クロウ!?」
「なッ…!?」
驚くアリクとガルス。
「だがな…一度守ると決めた男の決意を、そう易々と蔑ろにするもんじゃねえぜッ!」
そう言うと、クロウクロウは目の前の老婆に飛びかかった。金色の魔女はとっさに何かを唱えようとしたが間に合わず、クロウクロウの爪に押さえつけられた。
「ぐぅッ!!」
金色の魔女はじたばたと抵抗するが、クロウクロウはその巨体で押さえて離さない。

「何ボサッと見てんだガルスッ!!嬢ちゃんを連れてさっさと逃げやがれッ!!」
「だっ…だめだよ!逃げるんなら、クロウも一緒に…!」
「だぁから、言ったろ?男の決意を蔑ろにするなって」
クロウクロウの足の下で、金色の魔女が何かを囁いた。そして腕をクロウクロウに翳す。
「はぁっ!!」
次の瞬間、クロウクロウの体は見えない力で弾き飛ばされた。
「ぐっ!!」
だが、クロウクロウはすぐに立ち直り再び金色の魔女にのしかかった。
「くぁっ…!く…しつっこいねぇコイツッ…!!」
「なに、気にすんなっ…嬢ちゃんに助けられた命だ、どうせなら…あんたの為に使わせてくれ」
「クロウ…」
「くっ…!」
ガルスは全身の力を振り絞って立ち上がると、棒立ちになるアリクのもとへ駆け寄った。
「やだ…クロウも逃げて、一緒に逃げて…!」
アリクはクロウクロウの名を呼ぶが、クロウクロウは答えなかった。ガルスはアリクをくわえて背中に乗せた。
「…恩に着る!」
そして、持てる力をすべてつぎ込み飛び上がる。
「くっ…待てっ…!」
金色の魔女は足から抜け出そうとするが、ガルスはどんどん高く上ってゆく。
「チッ…覚えておきなァ!ガルスよッ!…その娘を守ることがッ…やがては己の首を締めるということをッ!」金色の魔女はそう、空に向かって叫んだ。
ガルスはクロウクロウを一瞥すると、やがて北へ向かって飛び始めた。
「やめて、待って…!」
アリクが止めるも、ガルスは聞こうとしない。クロウクロウの姿が、どんどん小さくなっていき、やがて森に隠れて見えなくなった。
次の瞬間、先ほどまで居た場所が、まばゆい金色の光に包まれた。
「クロッ…!…クロウクロウ―――!!」
アリクはクロウクロウの名を叫んだ。だが…その声は、その名の主へ届くことはなかった。

第三話 キロロの守人

空は、いつの間にかうっすらと曇り始めていた。森の上空を、北へ北へと飛び続けるガルス。
「…大丈夫かなぁ…クロウ…」
アリクはガルスの背中で独り言のように呟く。
「………」
「ねぇ…ガルスはどう思う…?」
アリクはガルスに聞いてみるが、ガルスは答えない。
「…ガルス…?」
尚も呼びかけるも、反応はない。と、その時。
がくん、とガルスの体が大きく揺れた。
「わっ!?ち、ちょっと!?」
そのままガルスの体はどんどん下降していく。アリクは必死でガルスに呼びかけるが、その努力も虚しく二人は森の中へ落ちていった。

「きゃあっ!!」
ガルスの体は柔らかな草の上に落ちた。アリクは着地の衝撃で、地面にどさりと投げ出された。
腰をさすりながらよろよろと立ち上がる。
「いったた…ど、どうしたの…ガル…」
だが、言いかけたアリクの顔が強張った。
「…ス…?」
地面に横たわるガルスの顔が苦悶に歪み、呼吸も荒くなっていた。
「…ぐっ…い、いや…なん…何でもねえ…」
「な…何でもないわけ無いでしょ?流石に…」
ガルスは息を荒くして何とか言う。アリクはガルスのそばに駆け寄り、頬に手を伸ばした。
「…熱い…!?」
そのまま手をずらし、羽毛の中に手を突っ込んだ。じわり、とアリクの掌にガルスの熱が伝わった。灼けるような熱さだ。
「…っ…!す…凄い熱だよ…!これ…!」
「…そん…な、顔すんな…ただのか」
ただの風邪だ。そう言おうとしたが、喉から出たのは言葉ではなかった。
ドロリと、熱いものが嘴の端を伝った。体の中から邪悪な塊がこみ上げた。
「ぐ…がはっ…」
塊はガルスの嘴から吐き出されて、草の上にべしゃりと広がった。
青い草が、真っ赤に染まっていた。
アリクの顔が、凍りついた。

「げほっ…げぇっ…!」
塊は再び溢れ出した。吐き出しても吐き出しても、次々と塊はこみ上げてくる。そのリズムは、まるで心臓の脈拍だった。
「ガッ…ガルスッ…!!ガルスッ!!」
アリクがガルスの名を叫ぶ。ガルスの視界は徐々にゆがんでいく。
「どっ…どうしよっ…どうしようっ…だ…誰かぁっ…!誰か助けてっ…!!」
朦朧とする頭に、アリクの声だけが響きわたる。
だが、その声もやがてガルスの意識から抜けていった。ガルスの視界は、暗闇に飲み込まれた。

気がつくと辺りは真っ暗だった。上下も左右も区別がつかなくなるような、果てしない闇。
「…ここは…?」
世界の終わりに来てしまったような静寂。虚無感がガルスの体を満たしていた。
ふと、遠く離れた所に少女が立っているのに気づいた。肩まで伸びた茶色の毛に、茶色の毛皮。後ろを向いていて顔はわからないが、少女は間違いなくアリクだった。
「アリク」
ガルスは少女の名前を呟くように呼んだ。
気がつくと、いつの間にか先程まで遠く離れた所にいたアリクが、目の前にいた。
「…ガルス…?」
ガルスに気づいたアリクはゆっくりと振り向いた。
だが、振り向いたのは、虫だった。いや、虫の面をしたアリクだった。
アリクのその不気味な顎が、ゆっくりと開いた。
「ガルス」

「ッ!!!」
目覚めると、太陽の光が眩しかった。
「…ゆ…夢…!?」
うなされて居たのか、全身が嫌な気分で一杯だった。だるさの残る体を起こすと、辺りを見回した。
どうやら、大きな木のウロの中に居るらしい。藁や枯れ草で作られた布団に、ウロの入り口から日の光が注がれていた。
ふと、左肩に少しだけ重さを感じた。
左肩を見ると、アリクがガルスの羽に顔をうずめて眠っていた。すやすやと静かな寝息を立てている。

「…ア…」
名前を呼びかけた瞬間、先程の悪夢が蘇った。もし…アリクが、アリクじゃ無くなっていたら。
とその時。
「うぅん…」
アリクが寝返りをうった。その顔は、何てことない、いつも通りのアリクだった。
「………」
安堵の溜め息をついたと同時に、体の力が抜けた。
だが、その安堵も束の間だった。何者かの足音が、こちらに向かって近づいてきていた。
「…!!」
まさか、金色の魔女がもう追いついたというのか。足音は徐々に大きくなり、やがてウロのふもとでピタリと止んだ。
「ッ…」
ガルスはとっさに身構え、ウロの入り口に全部の意識を集中させた。
だが、ウロの入り口にひょっこり現れたのは、金色の魔女ではなくふさふさの毛を持ったイタチだった。
「よいしょっと…おおっ!?」
イタチはガルスを見ると大きな目を丸くして驚いた。
「っとと…やあ、気がついたんだな」
「…だ、誰だ…?」
イタチはガルスの不躾な態度も気にもとめず、ウロの中に入り込んだ。
「ああ、俺かい?俺はテンカクってんだ。別に怪しいもんじゃないぜ」
「そ…そうか。あ、俺は…」
「ガルスってんだろ?そこの人間から聞いたよ」
テンカクと名乗ったイタチはアリクを顎で示した。
「いやあ、それにしても酷い目に遭ったもんだな。偶々近くを通ったら、血ィ吐きまくって倒れてんだもんな。あんた、あのままだったら全身の血を吐いて死ぬところだったぜ」
「あんたが助けてくれたのか…すまねぇ、礼を言う」
「お礼ならそいつに言ってやりなよ。あんたが気を失ってる間、一生懸命看病してあげてたんだ。寝てる間にあんたに何か有ったら嫌だからって、夜も殆ど眠らずにな。あんた、よっぽどそいつに好かれてんだな」
「…え…」

ガルスは思わず、肩にもたれて眠るアリクを見た。
アリクは安心しきった顔で眠っている。寝言だろうか、口元がむにゃむにゃと微かに動いた。
「ま、流石に今は眠っちまってるけどな」
その時。ガルスの心の中で、アリクに対して今までに感じた事のない新しい“何か”が芽生え始めた。
何だろう、これは。いつしかガルスの視線は、アリクの気持ちよさそうな寝顔に釘付けになっていた。
「んん…うん…?」
と、ガルスの視線に気づいたのか、アリクが目を覚ました。
ガルスは、何故かとっさにアリクから目を逸らした。
「おお、起きたか」
テンカクがアリクの顔を覗き込む。
「あれ…ああ、私寝ちゃって…」
アリクは目を擦りながらガルスの様子を確認する。その瞬間、アリクの顔から眠気が吹き飛んでいた。
「…!…ガルス…?目…覚めたの?」
「ん…お、おう」
ガルスはそっぽを向きながら答えた。
アリクは言葉もなくガルスを見つめた。
「そっ…よっ……よか…っ…」
不意に、アリクの大きく見開かれた瞳から、大きな雫がこぼれ落ちた。
ガルスはアリクの予想外の反応にぎょっとして振り向いた。
「うっ…ふぁ…あああっ…」
雫は次々にこぼれ落ちて止まらない。とうとうアリクは自分の顔を手で覆ってしまった。
「あぁっ…うっ…ひくっ…うぅうっ…」
「お…おい…大丈夫か?目…目から水出てるぞ?病気か?」
ガルスはアリクの行動に度肝を抜かれ、どうして良いかわからなくなった。
そばでその様子をニヤニヤしながら見守っていたテンカクに目で助けを求めたが、テンカクは肩をすくめただけだった。
ガルスはただ、呆然とアリクを見守ることしか出来なくなった。

しばらくすると、アリクは落ち着きを取り戻してきた。まだ雫を一杯にためた目でガルスを上目遣いに見つめたが、やがてまた目を伏せた。顔を手で隠し、
「…ちょっと外…出るね」
と呟いて、入口に向かった。
テンカクは尻尾を使ってアリクを外に出してやると、しばらくアリクの行方を見守った。そして、ガルスに振り向いてニッと笑った。
「…いやあ、それにしてもすごいなあの子。あれなら“あの人”がミコの呪いなんかかけるわけだよ」
「…何がだ?」
「何がって…あんた今まで一緒に居て何も感じなかったのか?あの子、魔力を持ってるんだぞ?それもとんでもない量の」
魔力。確か魔力と言えば、魔法を使うのに必要な力だ。それを、アリクが持っている?ガルスはその言葉に思わず耳を疑った。
「…なっ…何だそれ!?そんなっ…聞いてねえぞ!!」
「ほら、例えば、あの子の周りでなんか不思議な事が起こったりしてなかったか?」
「ふ、不思議な事…?そんなん…」
と、言ったが、ガルスには思い当たる節があった。
ガルスは、これまでに二度、不思議な力で危機を救われている。ランドットと戦った時。そして、カラスの大群に襲われそうになった時。
そう言えば、そのどちらもが、背中にアリクを乗せていて、尚且つアリクに危険が迫った時だった。
「じゃあ、本当に…アリクには、魔力が…」
「ああ、間違いない。どうやら、その使い方までは知らな…って、じゃあ今まであの子が呪いをかけられた理由も分からなかったのか?」
「ああ、知らん。あいつの何かを欲しがってるのは知ってたが…まさか魔力とは」
「…呆れたなぁ。何で理由も無いのにそこまで命張る、って…」
テンカクはそこまで言うと、何かに思い立ったのかニヤついてガルスを見た。

「…何だ」
「…いや、何でもね」
ガルスはいまいち腑に落ちなかったが、テンカクは構わず続けた。
「…あんな、ミコの呪いで変身する虫ってのは、ただの虫じゃないんだ。“メレク”っていう、魔力の塊みたいな虫なんだ」
「魔力の塊…?」
「ああ。…そのメレクっていう虫は、普通は死んだ生きものの魂が、長い時間をかけて精錬されて生まれるものなんだ。だが…ミコの呪いは…今生きてるものの魔力を、無理やり抽出して、メレクに変えてしまうんだ」
「…魔力を抽出された奴は…その後、どうなるんだ?」
「…詳しくは俺も知らないんだ。実際にかけられてる奴を見るのも、初めてだからな」
テンカクはそう言うと入口の外を眺めた。
「ただ…そいつにとって大事な部分が根本からごっそり抜かれちまうんだ。普通は…まともじゃいられないだろうな」
「………」
ガルスも入口の外を見つめた。ここからでは、アリクの姿は見えなかった。

ウロのある木から、少し離れた木。
その根本に腰掛けて、アリクは顔を膝にうずめていた。泣きながら、ガルスの事ばかり思っていた。
嬉しかった。とてもとても、嬉しかった。その気持ちばかりが溢れ出て、とても言葉になどならなかった。
でも、きっと誤解させてしまっただろう。あの時の、ガルスの困ったような顔が思い出された。
…ちゃんと言葉で言わなくちゃ。嬉しかったんだよって、言葉で伝えなくちゃ。
アリクは涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げると、涙を拭いて立ち上がった。その時。アリクの背中に、きりりと痛みが走った。
「ッ…!?」
棘でも、刺さったかな。
アリクは背中を気にしたが、特に変わったところは無かった。小首を傾げながら、木のウロに戻った。
中から、ガルスとテンカクの話し声が聞こえた。

「…それにしても、ミコの呪いか。昔はこんな呪いを使う人じゃあ、なかったんだけどな」
「…さっきから気になってたんだが、あんた、何でそんなに魔法の事に詳しいんだ」
「あれ?言わなかったっけか?俺は元々金色の魔女の弟子だったんだよ」
「なっ…!じゃあ、お前もランドットみてえに…!」
「そんなっ…」
突然聞こえたアリクの声に、テンカクは驚いて振り向いた。アリクは泣きはらして真っ赤になった目でテンカクを見上げていた。
「あっ…いやいや、違う違う!元々だ、元々!今は関係ないよ」
「本当か?そう言ってあの魔女に場所を教えたりとか」
「そんな事しないさ!それにランドットなんかと一緒にされちゃ困る。あいつは自分の地位や名誉の為だけに魔法を習ってる最低の奴だ」
「そ、そう…?」
「ああ。とにかく、俺はもう金色の魔女とは関わりないよ、本当だよ」
テンカクは必死に身の潔白を証明しようとガルスに詰め寄った。
「し…信じるよ」
ガルスはその必死な態度に押し負かされるように言った。それに助けられた手前、むやみに疑っては失礼というものだ。
それを聞くと、テンカクはホッと胸をなで下ろした。
「…それより、さっき“昔はこんな呪い使う人じゃなかった”って言ったよな?昔と今じゃ違うのか?金色の魔女は」
ガルスがそう聞くと、テンカクはこっくりと頷いた。
「俺が魔法を教わっていた頃はすごく優しくていい人だったよ。自分の教え子達には、それこそ母親みたいに接してくれたもんだった。悪い事に魔法を使うような奴には容赦なかったけどな」

「ふうん…それが何であんな風に」
「さぁな…俺にはあの人の考えることがよく解らん。…最近じゃあ、この森を破壊して何か企んでるって噂だし」
そう言ってテンカクはウロの外を仰いだ。
「…それって…どういうこと?」
ウロの下で、アリクがテンカクを見上げて問い掛けた。テンカクはアリクに気づくと、おお、すまん、と言って尻尾を差し出した。
尻尾でアリクをウロの中に戻しながら言う。
「うーん…あんたら、最近この森で何かおかしい事とか見たりしなかったか?例えば…森の木が枯れてたり、逆に変に元気になってたり」
ガルスとアリクはしばらく考え込んでいたが、ふとアリクが何かをひらめいた。
「…そういえば、この間、シトラの木が花を付けてた。シトラの花って、確か春に咲くんだったよね?」
それを聞いたテンカクは、思い当たる節があるのか何か考えていたが、やっぱりな、と小声で呟いた。
「何か知ってるのか」
「…いやな、最近この辺りでもそういうことが起こってるんだ。繁殖の季節でも無いのに花粉を飛ばしたり、実をつけたり、枯れたり。まあ色々なんだが、どうもそれら全部…金色の魔女の仕業らしい」
「…!」
ガルスは思わず息をのんだ。
「まあ、この森をめちゃくちゃにしてどうすんのかまでは知らないが、とにかくあの」
「ちょっと待って」
話を続けようとしたテンカクの言葉は不意に遮られた。遮ったのはアリクだった。
「それって…本当なの?証拠はあるの?」
突然不意をつかれたテンカクは戸惑いつつ答える。
「しょっ…証拠って…いやまあ、ただ…噂を聞いただけだけど…」
「噂って…」
アリクは疑いの眼差しでテンカクを見つめた。
「ど…どうしたアリク」
「…ひどい」
ガルスが尋ねると、アリクは俯いて呟いた。その声はまた、先ほどと同じように震えていた。
だが、その震えは先ほどとは違った意味を持っていた。

「…ひどいよ…自分を育ててくれた人の事なのに…そんなっ、自分の師匠よりも…誰が流したかもわからないような噂を信じるの…!?」
そう言ってアリクはテンカクを真っ直ぐに見上げた。アリクの目にはまた、大きな雫が浮かんでいた。
「ッ…」
テンカクはばつが悪そうに目をそらす。
「そんな…自分だけでも、師匠を信じようとは、思わないの…?」
アリクの瞳から雫がこぼれ落ちる。
「…あんたに何が解る」
テンカクはそらした視界の隅でそれを捉えると、ぼそりと呟いた。
「…ごめんなさい、助けてもらったのに、こんな事…」
「………」
三人の間に沈黙が流れる。どこか遠くで小鳥が鳴いた。
痛いほどの静寂を静かに破ったのはテンカクだった。
「…不思議な奴だな」
「…?」
「本当に不思議だよ。自分に呪いをかけた張本人を恨むどころか、まさか庇うなんて」
「…そ…そう…?」
アリクは頬を伝った雫を手の甲で拭った。
「…まあ、確かに師匠の噂をすぐに信じるなんて俺も悪かったかもな。…でもな、俺だって何の確証もなく噂を信じた訳じゃない」
「…それって」
「…あんた達、“キロロの守人”って知ってるか」
「…キロロの守人…?」
アリクはガルスを見上げたがガルスも首を横に振った。
「金色の魔女のもう一つの名前だよ」
「金色の魔女の…?」
「正確には名前っつーより肩書きだな。あの人は…ずっとずっと昔から、その膨大な魔力でもってこの森の秩序を守ってきたんだ」
「…それなら何で…この森を壊す必要がある」
ガルスはテンカクに尋ねたが、テンカクは俯いて首を振った。
「それはわからない…だけど…これだけは言える。俺の知ってる限り、この森に手を出す…いや、破壊できるのは…」
テンカクは真っ直ぐにアリクを見下ろし、
「金色の魔女だけだ」
静かに、だがしっかりとそう言った。


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