3-470様

 もう、五分も経ったぜ。
 収納ケースの中でゆらゆらと揺れながら、再び玄関の方へ視線を向けた。
 彼女が入ってくる様子はない。
 溜め息の変わりに、身体の一部をちゃぷんと小さく跳ねさせた。やることもなく、揺れの余韻を感じつつ、静かに彼女の帰宅を待つ。
 やっと気配が動くのを感じると、スライムは人を象りつつ、玄関の方から顔を逸らした。以前一時間も部屋の前で逡巡していた彼女からすると、随分と進歩したものだ。
「帰った」
 玄関の前で随分逡巡していた割には、素っ気ない挨拶である。
 しかし、それは投げ遣りな訳ではないと知っているそれは、やれやれ、と内心で溜め息を吐きつつ、今気付いたかの様に振り返った。
「おう、お帰りユキ。今日は早かったな」
 プラスチック製の大きな収納ケースに入る、アクアブルーの人形【ひとがた】は、いやに上手に口元だけ動かすと、綺麗に笑ってみせる。
 が、透明なそれの顔は凹凸が分かるだけで、正直笑った程度の変化は見つけられない。それはイケメンだと言い張るその顔も、ユキに対して、あまり成果を成していない程だ。
「まあな。早く入った分、早く出させてくれたよ」
 両肘を淵にかけ、ふんぞり返っている姿を見ると、どうしても、収納ケースは実はバスタブではないかと錯覚してしまう時がある。
 何だか溜め息が出て、一先ず台所へ足を向けると、ユキは冷蔵庫の前でしゃがみ込んで、中の物と睨み合う。
 もう一度溜め息を吐くと、サイドポケットのペットボトルを一つ取り出した。
「やっぱり、ないもんはないよなあ」
「なんだ、まだこだわってんのかよ。単なる水じゃん」
 うるさい。
 ユキは小さく威嚇して、ペットボトルを煽って中身を開けると、直ぐに水道から水を入れて冷蔵庫へ戻した。
 ペットボトルにはミネラルウォーターのロゴが張り付いていたが、随分と前から中身は水道水なのである。
 ユキの生活は別段苦しい訳でもないが、毎日お気に入りのミネラルウォーターで生活出来る程、豊かでもない。
 節約してこの状況なのだから、貧乏と言えば貧乏なのだろう。
「おいおい、また溜め息だぜ。こりゃ行き先暗いぞ」
「ミズ! あんた水道に流すぞ」
「いいのかよ。大事だろ? 俺」
 言われてしまえばぐうの音も出ない。
「大事大事。私入るから、さっさと準備ね」
 ミズがにたにたと笑っているのを感じて、ユキはわざと素っ気なく寝室へ消えた。
 このアパートは異種族が共同で使用する為に、共同風呂は徴収制となっている。
 様々な種族が共同するのである。まれに、やむなく浴場を汚す種族がいるのだ。そう言った種族の場合、掃除していく傍から汚れていくため、肉体労働で返還ということは出来ない。
 その為、管理人が掃除の手数料を徴収して行くのである。それも、不平のでない様に、使用者に一律に。
 ユキは節約の為に、共同浴場を利用していなかった。
 しかし、値段に大差ない銭湯にも行っていない。
 だからといって、ユキは風呂に入っていない訳ではなかった。いや、正確には風呂には入っていないが、重要なのは清潔であるかどうかである。
 彼女は、毎晩きちんと清潔にしてから、布団に入るのだ。
「温度加減どうだ?」
「ああ、ちょうどいい。大丈夫だ」
 少々綻んだ顔をミズに向けてやると、ミズは得意げに笑っている様だ。
 褒める様に水面を撫でていると、少々気泡を含んでいる海色の透明なジェルが、一部濁っている様に見えた。
「なあ、なんかミズ濁ってるとこないか?」
「えっちょ、マジで!?」
 驚いた声とあからさまに嫌そうな声が、肌を伝って耳に届く。
 少々のくすぐったさに身をすくませると、集められた気泡が溜め息の様に吐き出された。
「ま、あとで見たげんから、ちゃっちゃと洗ってくれ」
 温かいミズの中で腕を伸ばすと、ミズの一部が肌を這う様に蠢く。
 時折啄まれる様な感触を感じながら、肌から、皮脂の張り付く不快感が消えていくのを感じる。
 ミズはユキの指先から、徐々に這い上がりつつ、皮脂を取り除いていく。
「んん、今日もよく働いたみてえだな。美味い美味い」
 毎度のことながら、皮脂の何が美味いんだ、とユキは苦笑した。
「ま、ユキは皮脂なんかなくても、十分美味いけどな?」
 褒めているのであろうが、ちっとも嬉しくない。どころかむしろ気恥ずかしいばかりである。
「ああもう、あんま嬉しくないからな」
「照れんなって。一皮剥いた後のユキ、めっちゃ甘いんだぜ?」
 デザート食いたくもなんだろ。囁きながら、胸を這う。
 ミズは一気に彼女の皮脂を食い尽くすと、出てきた柔肌に口付ける様に這いつつ、その甘みを楽しんだ。
「っあ、こら!」
 急いで立ち上がろうとするユキの下唇に、先程濁っていると指摘された部分を流し込み、絶妙な硬さへ調整する。
 ミズがそれを先端は丸い筒状に形を整えると、突然中に現れたモノに、ユキは立ち上がりきれない。
 足を滑らせて、浮かしかけた腰をプラスチックケースの底に叩き付けてしまった。
「あ、ぁああッッ!」
 痛みを感じるよりも早く、快楽が駆け抜ける。
 思わず中を収縮させると、ミズの塊は形を失い、どろりと溶けて中から出て行ってしまった。
「ま、ユキも疲れてんだろうからさ。今日は我慢しとくよ」
 ミズの青い波がにっこりと笑顔を浮かべている気がして、ユキはその言葉に甘んじることした。
 何より、少し残念に思っているとはいえ、自分から行為を強請ることなど、出来る筈が無い。
 お腹の奥に残されたミズの濁りが、媚薬であるとは知らずに、ユキは再び腕を差し出した。


おわり



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