人外アパートのキャラの話ですが、連中の住むアパートは一切出てきません。
ちょっとダウナーで流血描写もありますが、昆虫人間×人間の和姦です。
859 ◆93FwBoL6s.様

 吸いたくもないタバコを吸い、体液を濁らせる。
 昆虫人間は呼吸器官が上半身には備わっていないのだから、顎にタバコを挟んで吸ったところで何の意味もない。本当にタバコを吸いたいのなら、腹部の両脇に並ぶ気門のどれかにタバコを差し込んで吸い込み、体内に回すべきだろう。だが、それをしたことは一度もない。人間の真似事のように口で吸い、味覚器官で味だけを吸い尽くし、残りは吐き捨てる。我ながら無意味だとは思うが、どうにも止められなかった。タバコの灰を落としてから、曲がったフィルターを顎に挟んだ。
 ヘルは、人型のヘラクレスオオカブトである。頭と胸から太いツノが生え、外骨格は黒と金、全長は三メートル近くある。乗用車など軽く持ち上げられ、爪を振るえば鉄板をも叩き潰せ、至近距離から鉛玉を撃たれても掠り傷しか付かない。昆虫人間の中でも並外れたパワーとタフさを誇るが、有り余る力を真っ当な方向に生かせているとは思っていなかった。というより、ヘル自身が生かす術を見出そうとしていない。長らくヤクザの用心棒に落ち着いているのも、そのためだった。
 夜更けの歓楽街は、猥雑だが居心地が良い。ヘルのような、収まりどころを見出せない人外も多く歩いているからだ。己の知性や理性を否定した文句で春を売る獣人の娘達。従順さを売りにしている機械の娘達。そんな娘達を買う男達。呼び込みの男が通り掛かった男を捕まえては格安の値段を持ち掛けるが、それが嘘であることは誰もが知っている。どこもかしこも金と性が入り乱れ、卑猥な言葉が並ぶ看板が淫靡に輝き、酒と女の生臭い空気が雑居ビルから流れていた。
 その雑居ビルの間から垣間見えた路地裏に、ヘルは触覚を向けてから複眼を向けた。甲高く引きつった声がしたからだ。頭上で瞬く赤と青のネオンサインを上右足で遮ってから闇に目を凝らすと、何人もの男達が固まって何かを蹴っていた。それが蹴られるたびに呻きが上がり、肉が叩かれる鈍い音が繰り返されているが、ヘルの他は誰も目を留めなかった。歓楽街では見慣れた光景であり、日常の一部だからだ。下手に助けて面倒事に巻き込まれるのは、誰だって嫌だ。ヘルはそう思い、二本目のタバコを吸おうとしたが、風体の悪い男達が揃って上げた下品な笑い声がビルに反響した。それが外骨格の表面に生えた体毛をくすぐり、音として伝わってきたが、全身の神経が逆立つような不快感が募った。

「…ああ、くそ」

 別に助ける気はない。ただ、鬱陶しいのだ。ヘルはぎちぎちと顎を軋ませて苛立ちを吐き出しながら、大股に歩いた。ビルとビルの間に転がっていた空き缶を蹴散らしながら近付いていくと、人間の男の匂いが触覚をごってりとなぞった。それが更に不快感を呷り、ヘルは本格的に苛立った。それでなくても、今日はヤクザの若頭に顎で使われて機嫌が悪い。若頭が囲っている女に組の力量を見せつけるためだけに呼び出され、荷物持ちもさせられ、一日中連れ回されてしまった。だから、今日は酒も飲まずにさっさとアパートに帰るつもりでいたのだが、このまま放っておくのは何か後味が良くなかった。
 わざとらしく足音を立ててヘルが近付くと、男達が振り返った。路地裏に押し込められていたのは、薄物を着た女だった。衣服としての意味を成さないキャミソールを一枚着て紐同然のパンツを履いているだけで、裸足の足の裏は汚れていた。仕事を終えて間もない淫売の女だろう。ヘルは吸いかけのタバコを顎で噛み潰し、ツノを見せつけるように頭をもたげた。

「おい」
「ヘルさん!」

 男達の中の一人が歩み出し、ヘルに近付いた。ヘルが雇われている組の下っ端だった。

「今、お帰りっすか」
「おう。んで、そいつはなんだ」

 ヘルが顎をしゃくると、ぐったりしている女は近くの男に腕を掴まれて引き摺り上げられた。

「ぅ、あ…」
「こいつ、借金も返しちゃいねぇのに逃げようとしたんですよ。んで、締めておこうかと」

 下っ端はヘルに擦り寄り、いやらしく笑った。

「バラす気か?」
「すぐにはバラしませんよ、マワしてからじゃねぇと勿体ないじゃねぇっすか」
「どういう女だ?」
「大した女じゃないですよ。顔はそこそこだけど体はショボいし、客を取るのも下手で、本番始めるようになっても稼ぎが悪くって」
「大体解った」

 ヘルは下右足の爪先を女の顎に引っ掛け、その顔を上げさせた。


「あ…」

 反射的に唇を開いた女は、頬や額にいくつも痣の出来た顔を向けてきた。辺りの暗さも手伝って、その表情は窺えない。助けを求めるようなこともせず、震えることもせず、己を諦観しているようだった。言葉も発さず、逃げ出すような気配もない。ヘルの背後からどぎついネオンの光が差し込み、女の顔を縁取っていた。しばらく眺めて、ふと、誰かに似ていると思った。
 若い頃に好きだった人間の女に、面影が似ていた。その女はこちら側の人間ではなく、明るい日差しが似合う女性だった。用心棒としてヘルが出入りしていた、バーを装った違法賭博場の近所にある花屋の店員で、見かけるたびに挨拶してくれた。それがただの社交辞令だと解っていても嬉しくて、ヘルも挨拶を返していたら、顔見知りになって言葉も交わすようになった。彼女は、ヘルが知る女達に比べれば純粋で清潔で、立ち上る匂いも化粧や酒のそれではなく、心地良い花の匂いだった。だが、知り合って半年も経たないうちに、彼女は幼馴染みと結婚してその街を去ってしまい、ヘルとの接点も完全に失った。顔を合わせている時はなんとも思わなかったが、彼女がいなくなってから、ヘルは少しだけ彼女が好きだったことを知った。
 この女は、その女性に似ている。だが、彼女ではない。彼女は目元に愛嬌のあるホクロがあり、この女よりも背が低かった。別人だと認識しても、尚、ヘルの胸中はざわめいた。決して爪の届かぬ、穏やかな世界への羨望が振り払えていないからだ。

「俺が飼う」

 ヘルはタバコを吐き捨てて踏み躙ると、上右足で女の腕を掴んだ。

「飼う? 飼うって、そいつをですか?」

 男達がざわめいたが、ヘルは抵抗すらしない女を担ぎ、一笑した。

「お前ら人間は、俺の同族をカゴに入れて飼うだろう。だから、その逆をしてやるだけだ」

 ただ、それだけのことだ。ヘルは生温い体温を滲ませる女を肩に載せると、繁華街から程近い自宅アパートに向かった。その間も、女は黙り込んでいた。それが少しばかり物足りなかったが、暴れられて泣き喚かれるよりも余程楽だと思った。
 部屋に戻ったら、まず何をしよう。酒を浴びるか、適当な物を胃に詰め込むか、気晴らしに拾ってきた女を犯してみるか。そういえば、人間の女を抱くのは久し振りだ。だが、体格に相応の逸物が備わっているヘルが相手では壊してしまうだろう。昔に囲った女も、慣らして慣らしてようやく挿入出来たほどだ。すぐに出来ないのが残念だが、それもまた面白いかもしれない。
 どうせ飼うなら、慣らしてやらねば。



 女の名は、葉月と言った。
 だが、女は自分の名前以外のことを話さなかった。ヘルも知りたいとも思わなかったので、問い詰めることもなかった。ヘルは葉月を飼い始めたが、普通に囲っているのとなんら変わらず、接し方も飼い主と愛玩動物というわけではなかった。服を欲しがればいくらでも買わせ、外に出たければ連れ出し、物を食べたければ食べさせるが、ただ一つ制限を与えていた。
 いついかなる時も、ヘルが求めてきたら拒むなと。月経を迎えていようが、空腹だろうが、眠かろうが、疲れていようが、お構いなしに組み伏せて服を引き剥がす。その中で葉月の体を慣らし、ヘルの逸物を受け入れられるように仕立て上げた。人間の体は、外骨格に覆われた昆虫人間に比べれば融通が利く。皮も伸びれば肉も広がるので、回数を重ねて拡張させた。
 ヘルにとって、女とは暖かな袋だ。血と脂肪がたっぷりと詰まった肉の固まりでしかなく、執着を抱くほどの存在ではない。花屋の店員のような例外は彼女一人だけで、後は皆、同じだ。相手にしてきたのが水商売や淫売だからかもしれないが。
 その日も、ヘルは朝方に帰宅した。用心棒の仕事は夜の仕事なので、夜行性であるカブトムシにとっては好都合だった。他の組から目を付けられているキャバクラに入り浸り、いい加減な味の酒を飲み、店で起きる些細なトラブルをねじ伏せる。そんなことを繰り返しているうちに夜が明け、判で押したように同じ化粧をした娘達が退勤したので、ヘルも帰ることにした。
 アパートに戻ると、葉月は寝室である和室で大人しく眠っていた。水を求めて冷蔵庫を開けると、夕飯が作られていた。腹は減っていなかったので皿を手に取ることもなく、ミネラルウォーターのボトルを取ってキャップをねじ切り、流し込んだ。酒で膨張した胃袋に水が馴染み、染み渡ると、夜の間に煮詰まった体液も薄まったので、ヘルは腰を下ろして胡座を掻いた。

「落ち着かねぇな」


 葉月を飼い始めたのはヘル自身だが、部屋に誰かが居るということに未だ慣れない。

「ああ、くそ」

 冷蔵庫の中の夕食。他人の体温で僅かに暖まった空気。かすかな気配。それが、狂おしいほど息苦しい。

「おい」

 空のペットボトルを投げ捨てたヘルは立ち上がり、乱暴に襖を開けた。

「あ…」

 葉月は物音で目を覚まし、布団から身を起こしてヘルを見上げた。

「お帰りなさい、ヘルさん。ご飯、あるけど」
「いらん」
「そう、じゃあ…やっぱり、アレ?」

 葉月は布団の上に座り、寝乱れた髪を指で整えた。ヘルが買い与えたパジャマを着ているが、大きすぎて袖が余っている。連れ込んだ当初は痩せぎすだった体も、まともに食べて寝させたおかげで肉付きが良くなり、顔付きもふっくらと優しくなった。人目を引くほどの美人ではないが、穏やかで愛想のある顔をしている。雰囲気も表情も、薄汚い淫売には似合っていない。日中の明るい公園で我が子の手を引いて歩いていたり、夕方の商店街で買い物をしていたりする方が、余程しっくり来る顔だ。

「そのままでいい」

 ヘルは葉月を引き倒し、葉月の体温が強く残る布団に押し付けた。

「うん」

 葉月は抗うこともなく、ヘルに覆い被さられた。大きすぎる襟元から覗く白い首筋に顔を埋め、舌を伸ばしてざらりとなぞる。カブトムシの舌は、元々は樹液を吸うための口が発達したものである。だから、舐めることよりも吸い取ることに長けている。葉月自身も意識していないほど薄く滲んだ汗を吸い、首筋から耳を舐め、髪に隠れた襟足をまさぐりながら、パジャマをめくる。肌着も着けずに寝ていたのか、すぐに乳房が現れた。乳房にも腹部にも、ヘルの顎によるいびつな噛み痕が付いている。たっぷりと丸い乳房には赤黒い線があり、まだカサブタが剥げていない。首筋から顔を上げたヘルは、その噛み痕を舐めた。

「ひうっ」

 ざらり、ざらり、と硬い毛のような味覚器官が生えた舌をなぞり、ずりゅりとカサブタを引き剥がす。

「んぎっ」

 古い血の下から新しい血が膨らみ、細く抉れた傷口が開いて肉の切れ目が露わになる。

「あ、ぁあ、いぁ、あっ…んっあぁっ」

 少しずつ滲み出る血を吸うと同時に乳房の傷口を擦り取るように舐められ、葉月は両手足を突っ張ってシーツを歪めた。白い肌は痛みが生じた脂汗が伝い、葉月はきつく目を閉じていたので、ヘルはツノを上げて上左足で葉月の顎を掴んだ。

「俺を見ろ」
「ご、ごめんな、さいぃ…」

 唇を歪めながら葉月が謝ると、ヘルはその頬に爪先を食い込ませてから、口元に一本の爪を差し出した。

「ん…」

 葉月は素直に口を開き、ヘルの爪を口に含んだ。鋭利な部分に触れると舌を切ってしまうので、側面を丁寧に舐めた。葉月の唾液が滴るほど潤ったことを確かめてから、ヘルはその爪を下げ、既に脱がしておいた葉月の下半身に添えた。爪の先端で抉ってしまうと陰部もろとも肉が裂けてしまうので、べとべとに濡れた爪の背を葉月の性器に擦り付けてやった。乳房を舐め回している際に分泌された愛液が唾液に混じり、ぢゅぶぢゅぶと粘ついた泡を立て、葉月は甘い声を殺した。

「ん…ぁ…」
「どら」

 ヘルは葉月の性器から爪を外すと、足を広げさせ、その太股に噛み付いた。

「ぐぇあっ!」

 唐突に訪れた激痛に葉月は仰け反り、目を見開いた。ヘルは脂肪の付いた内股を噛み締める顎に、更に力を込めた。葉月は声にならない声を上げて自由の利く片足を撥ねたが、ヘルはその足を難なく押さえ付け、骨と筋の存在を感じた。このまま思い切り力を込めれば、筋肉も骨も噛み千切れるだろう。ヘルにはそれだけの力があり、葉月には防ぐ術はない。

「あ、ぅああああっ」

 ヘルの顎を伝い、血が落ちる。赤黒い飛沫がぼたぼたとシーツに散り、汗の匂いに蛋白質と鉄の匂いが重なる。

「へぇ、へるさぁん、痛い、痛いよ、痛いよおおおっ!」

 悲鳴にも似た愉悦を上げ、葉月は乳房を揺らして胸を上下させた。

「この辺はまだ噛んでなかったからな。痛覚が傷んでねぇんだろ」

 楽しくなってきたヘルが笑みを交えて零すと、葉月は自由の利く左足を曲げ、ヘルの下右足に絡めてきた。

「ヘルさん、お願い…」
「言われるまでもねぇよ」

 ヘルは葉月の内股から顎を外して血をぞんざいに拭ってから、陰毛の下でひくついている膣と赤く充血した肉芽を認めた。血と等しい温度の澄んだ体液がとろりと一筋溢れていて、血の飛沫がいくつも出来たシーツに無色の染みを新たに作った。恥じらいすらなく、葉月はヘルを見つめた。ヘルは食欲を呼び起こさせる血を飲み下してから、生殖器官を体内から出した。

「ああ、痛いんだ、痛いんだぁ…」

 これから訪れる苦痛を期待し、葉月は弛緩した。妙な性癖だとは思うが、ヘルにとっては都合が良いので文句はなかった。色も形も大きさもビール瓶のようだと称された生殖器官を見せつけると、葉月は目を輝かせ、ヘルの下腹部に顔を埋めた。外骨格そのものを円筒形にしただけの生殖器官に何度もキスをし、舌を這わせながら、葉月は自身を淫らに慰めていた。だが、その方法は荒っぽい。三本の指を突っ込んでは引き摺り出し、を繰り返しているだけで、ヘルの方が余程丁寧だった。

「んふ」

 顔や顎までべとべとに汚しながら口淫した葉月は、赤く濡れた唇を舐めた。

「足、開け」

 ヘルが命じると、葉月は横たわり、真新しい傷口から血が溢れる太股を躊躇いもなく広げた。そこに、生殖器官を添える。

「ぅがあああぁっ!」

 ずぶり、と一息で押し込むと葉月は汗ばんだ喉を反らし、目尻に涙を滲ませた。だが、まだ半分ほどしか入っていない。ヘルの生殖器官は、葉月の二の腕よりも一回りも太いからだ。全部収めたとしたら、葉月の腹は容易く割けてしまうだろう。現に、半分入れただけで葉月の下腹部には縦長の膨らみが出来ている。葉月はその膨らみを見、だらしなく頬を緩めた。

「あは…」
「そら、行くぞ」

 ヘルは粘液の絡み付いた生殖器官を前後させると、葉月の上げる声が甲高くなり、涙と汗に涎を混ぜるようになった。シーツに縋っていた手をヘルに回し、物理的に奥まで入らない生殖器官を最深部に導くように、腰に足を巻き付けてきた。

「ヘルさぁん、ああ、ヘルさぁんっ!」
「お前は物好きだ」

 呼吸も乱さずに葉月を責めながら、ヘルはその頬の汗と涙と舐め取った。

「痛いのがそんなにいいなら、いずれ手足を喰い千切りながら犯してやろうじゃねぇか」
「それ、きっと凄く気持ちいい…」

 うっとりとした葉月は、ヘルの首に腕を回してしがみついた。

「だが、手も足もなくなっちまったら、誰がこの部屋を片付ける?」
「ひいんっ!」

 ヘルが中両足で葉月の腰を掴んで捻ると、葉月は体を強張らせた。陰部から異音がし、拡張された入り口が少し裂けた。

「あ、あぐぁっうっ」

 裂けても尚、ヘルが腰を捻り続けると、上半身を横に曲げた葉月は息を荒げた。

「そういうの、嬉しいの?」
「解らん」

 捻った腰を元に戻したヘルは、葉月の体の上に這い蹲った。

「私も、解らない」

 葉月は目を上げ、間近に迫ったヘルの漆黒の複眼を見つめた。

「そうか」

 ヘルは触覚を揺らして汗の匂いを存分に味わってから、上両足で葉月を抱き寄せた。こうしなければ、深く入らないからだ。葉月はヘルの背に汗でぬるついた手を回し、苦痛を待ち受けた。中両足で腰も抱き寄せてから、ヘルは下半身をぐっと曲げた。足の中から上がる葉月の悲鳴が高ぶり、強烈な快楽に掠れていく。幾度も幾度も前後させると、葉月はヘルに噛み付いてきた。人間の顎では昆虫人間の外骨格に傷も付けられないので、いつも放っておく。よがるのは良いが、泣き叫ばれては面倒だからだ。
 葉月は泣きながら、幸せそうに達する。一度だけで終わらせるのは惜しくなってしまったので、それからも何度も責め立てた。葉月の内股の傷から流れる血が止まっても、シーツに付いた体液が乾いても、カーテンから差し込む日差しの色が変わっても。
 事を終えたのは、再び夜が始まりかけた頃だった。布団の上に横たわる葉月は傷だらけで、新たな傷がいくつも出来ていた。ヘルは血も体液も拭い取らずに葉月の傍に胡座を掻き、水の入ったコップを渡すと、葉月は怠慢に起き上がってコップを受け取った。喉を鳴らして水を飲み干した葉月は、涎と涙が乾き切っていない頬を手の甲で擦り、枕元に投げ捨てられたパジャマを取った。

「そういえば、今日、何も食べてなかった」

 パジャマの上だけを着た葉月は、全身の虚脱感に紛れそうになっていた空腹に気付いた。

「俺もだ」

 酒が抜けていなかったせいで、感じなかったのだ。タバコに火を灯しながらヘルが呟くと、葉月は言った。

「でも、お腹一杯」
「何がだ」
「痛いのが」

 葉月はとろりと顔を緩め、真新しい噛み痕が目立つ内股に触れた。

「色んな人に一杯お金をあげて、一杯一杯痛くしてもらったけど、ヘルさんのが一番痛くて大きいから好き」
「お前、どうしてそこまでされたがるんだ? 散々しておいて何だが」
「私、空っぽだから。何も出来ないのに、色んなことが怖いから。だから、痛いと嬉しいの。生きてるって感じるから」
「解らないでもない」

 ヘルは触覚を汚す紫煙を感じながら、平坦に答えた。外骨格が焼け付くような危険に身を晒していれば、生を感じられる。だから、いつまでたっても足を洗えない。ヤクザ同士の抗争や縄張り争いに噛むのは、危うい世界に浸っていたいからだ。この世界には、ヘルの身の置き場はない。元々は観賞用として日本に密輸入された幼虫で、羽化した直後に脱走したのだ。親の顔も知らず、故郷の土の味も知らず、同胞の名も知らない。我が身にあるのは凶暴さと強靱さだけで、他は何もない。争いを求めるのは、せめて痛みは知りたいからだ。共通項が出来たな、と、ヘルは妙なところで喜んだが、腹の内に止めた。

「立てるか」

 ヘルが葉月を見やると、葉月は腰をさすった。

「まだ、だるい」
「だったら、しばらく休んでろ。昨日の夕飯でも温めてやる」
「え、でも…」

 葉月が意外そうに目を丸めると、ヘルは襖を開けた。

「俺はお前を飼ってるんだ」

 襖を閉め、ヘルは一人恥じ入った。酒は抜けたはずなんだが、と自嘲したが、きっと性交の高揚感が抜けていないのだ。これまで、葉月を慣らすために何度か抱いたが、時間が経つのも忘れて犯したのは初めてだ。だから、それだけのことだ。

「ヘルさん」

 襖が細く開き、葉月が顔を覗かせた。疲れ、汚れてはいたが、葉月は嬉しそうだった。

「んだよ」

 照れ隠しにヘルが語気を荒げると、葉月は襟元を直して肌を隠した。

「ご飯、一緒に食べよう?」
「…仕方ねぇな」

 ヘルが苦々しげに吐き捨てると、着替えるね、と葉月は襖を閉めた。ヘルはタバコを噛み潰し、灰皿にぐりぐりと埋めた。余計なことを言うんじゃなかった、と後悔したがもう手遅れだ。仕方なく、一日遅れの夕食を準備しようと冷蔵庫を開けた。二人とは裏腹に一日中冷え切っていた料理を取り出し、電子レンジで温め返しながら、ヘルは葉月が出てくるのを待った。
 葉月の体温によって暖められたヘルの体温が入り混じった生温い空気を、火を消し損ねたタバコから上る紫煙が汚した。温まりつつある夕食。葉月の体温で緩やかに温まった空気。確かで甘ったるい気配。そのどれもが、狂おしいほど悩ましい。
 飼い慣らされたのは、葉月だけではなさそうだ。


コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

管理人/副管理人のみ編集できます