けいちつ【啓▼蟄】
二十四節気の一。太陽の黄経が三四五度になったときをいい、現行の太陽暦で三月六日頃。二月節気。また、このころ冬ごもりをしていた虫が穴から出てくることをいう。
[季]春。《―の土くれ躍り掃かれけり/吉岡禅寺洞》 goo辞書より
859 ◆93FwBoL6s.様

 季節は移ろいつつある。
 一気に暖かくなり、寒さがぶり返し、を繰り返していくうちに気候が安定し、強張った冬の空気に身を縮めていた草花が息吹を取り戻していく。春一番が吹き抜けると、二番、三番、と続き、南風によって撒き散らされる花粉と埃には辟易するが、
水と土の温む匂いも同時に運ばれてくる。道端に咲く菜の花や、堅いつぼみを膨らませかけている桜の木を見ると、訳もなく心が弾んでくる。そして、気温の上昇に伴って体液の温度も上がり、循環も良くなり、触角や外骨格を舐める刺激も増え、
凍えていた地中から這い出せと言わんばかりに脳が活性化し、余計なものも活性化してくる。

「あー…」

 体液の過度な循環によって脳が茹だった気分になり、人型オニヤンマの青年、鬼塚ヤンマは頭を抱えて呻いた。

「ほづみん襲いてぇ」

 ヤンマの隣でヤンキー座りをする人型シオカラトンボの少年、水沢シオカラは呆れるほど実直に欲望を吐き出した。

「言うな、情けなくなる」

 ヤンマが黒く鋭い爪の生えた上右足でエメラルドグリーンの複眼を覆うと、シオカラはびいいんと羽を震わせた。

「でも、兄貴もそうじゃないっすか。だーからアパートに居づらくなって、俺っちと逃避行なんつーマジダッセェことを」
「それも言うな。もっと情けなくなる」

 ヤンマは短い触角をぐにゃりと下げ、複眼を伏せた。二人が座っている場所は、どこともつかない山中に張り巡らされた鉄塔だった。周囲には芽吹き始めた木々が生い茂っていて、都市部にアレルゲンを撒き散らす元凶である植林された杉が風を受けるたびに雄しべから無数の花粉を飛ばしていた。
 昔々に天文学の粋を集めて作られた単位、暦は感嘆するほど正しい。だから、啓蟄も正しすぎだ。三月に入ったばかりの頃はなんともなかったのだが、啓蟄を過ぎた途端に気候に応じて色々なものが活性化し、冬の間はそれなりに大人しくなっていた性欲やら何やらに歯止めが利かなくなってきた。体が気候に慣れてしまえば、体液もホルモンも落ち着いてきてそちらの方も落ち着くのだが、春になりかけた頃はそうもいかない。そんな時に限って茜は高校の春休みに入り、アルバイトと友達付き合いと買い物以外はアパートもえぎのの自室に入り浸り、ここぞとばかりにヤンマに甘えてくる。それが我慢出来るわけがない。

「基本的に絶倫っすからねー、俺っち達みたいなのって」

 シオカラが欲望が突き抜けすぎて不自然なほど冷静な口調で言うと、ヤンマはぎちぎちと顎を擦った。

「下手に出ない分、終わりってものがねぇしなぁー…」
「ほづみん喰いたい」
「俺だって茜を喰いたい。そりゃあもうどこまでも喰いたい」
「でも、やりすぎたら怒られちまうっす。かなり嫌われるっす、それマジヤベェっす、マジ切ないっす」
「それなんだよ。かといって、他で発散するわけにもいかねぇしなぁ」
「最終手段は木の股とかっすかね。でなきゃなんすか、そこら辺に穴でも掘ってズッポズッポと」
「それはどこの世界の拷問だ」
「サーセン」
「俺、自己嫌悪で死ねそうだ」

 ヤンマは上両足をだらりと下げ、長い腹部を丸めた。シオカラは藍色の複眼に春の空を映していたが、がっくりと項垂れた。
性欲自体はある程度は備えておくべきで、悪いものではないのだが、限度がある。これが単なる昆虫なら問題はないのだが、
人型に進化して文明と知性に染まった昆虫人間だから、大いに問題なのだ。人間でないにせよ、世間一般では人間とほぼ同等に扱われている以上は節度を守らなければ暮らしていけない。それは、二人の恋人である人間の女性に対しても同じことが言えるわけで、本能に任せて襲い狂ったら、それはもうひどい結末が。
 恋人が好きすぎるのも、時には困り者だ。


 何がいけなかったのだろう。
 稲田ほづみは仕事用の髪型に整えた自分を睨み付けながら、化粧を施していた。気が逸れているものだから、普段よりも雑になりがちだった。それもこれも、近頃、シオカラと会っていないからだ。ケンカをした覚えもなければ、彼の機嫌を損ねるような言動を取った覚えは今のところはない。性格が違いすぎるので噛み合わなかったことは多いが、仲違いをするほどではなかったはずだ。バレンタインデーだって、かなり苦労した上に物凄く恥ずかしかったが、アビゲイルに教えてもらって手作りチョコを渡した。ホワイトデーには、シオカラがバイト代を工面して、ほづみが欲しいと思っていた香水を買ってくれた。
もちろん嬉しかったし、恐ろしく照れ臭かったが御礼も言ったつもりだ。それなのに、シオカラは電話はおろかメールすら寄越さなくなってしまった。シオカラと交際する以前の経験を踏まえても、良くない兆候だ。こうなってしまったら、大抵はもう他の女がいる。或いは、ほづみから興味を失っている。そう思ってしまったら、化粧をしたばかりなのに泣きたくなった。

「なんて女々しい」

 ほづみは自分自身に毒突いてから、ストッキングを履いた太股を叩いた。

「好きだ好きだって言ってくるのはシオの方じゃない」

 畳の六畳間には馴染まない洒落たデザインのドレッサーの前から立ち上がったほづみは、タイトスカートを整えた。

「それなのに、なんでこんなことするのよ。訳解らない」

 出勤用のバッグを肩に掛けたほづみは、悪態を吐きながら窓の鍵を閉めてカーテンを閉ざした。

「私の気を引きたいっての?」

 だが、シオカラは駆け引きをするタイプではない。シオカラはほづみに心酔しているし、ほづみもシオカラに浸り切っている。
年下だから、というのもあるのだが、いちいち危なっかしくて放っておけないのだ。そのくせ、ほづみを甘えさせてくれるような余裕もあり、兄貴分のヤンマの影響なのだろうが筋の通った男らしい面もある。それらを思い出してしまうと、ほづみはカーテンを握り締めて赤面し、内心で悶えた。会いたくて会いたくてたまらなくなってしまったからだ。
 思い出してみれば、ホワイトデーに会った時もシオカラは素っ気なかった。バレンタインデーの時はその場でほづみを抱き締めて空に飛び出しそうなほど喜んでくれたのに、落差が激しすぎる。三月に入ったことで、進級試験や何やらで忙しいのだろうと自分に言い聞かせたが、その時から不自然だった。もしかしたら、シオカラはほづみと別れるつもりでは。
今まで付き合ってきた男に別れを告げられた時は、ひたすら腹立たしいだけだったが、シオカラが相手となると別だった。
 目眩がするほど、寂しくなった。


 気もそぞろだったせいで、仕事に身が入らなかった。
 おかげで、普段なら絶対にしないような凡ミスを繰り返してしまった。人間関係にうんざりして前の会社を辞め、以前から興味のあった業界の会社に再就職し、ようやく仕事にも慣れてきたのに、この体たらくでは。情けないほど、シオカラに依存している。恋愛に不慣れな中高生でもあるまいに、とほづみは自嘲するが、帰宅する電車の中でも意味もなく携帯電話を開いてはメールが届いていないかを確かめた。だが、やはり、シオカラからのメールは届いていなかった。フリップを閉じてバッグに突っ込んでから、ほづみは歩調を速めた。こうなったら、夕飯の材料と一緒に酒でも買って気を紛らわすしかない。

「……あ」

 人間と人外が入り乱れている駅前商店街の雑踏の先に、忘れもしない水色の外骨格の主が立っていた。彼もほづみに気付いたようだったが、藍色の複眼はすぐに逸らされた。ほづみは嬉しいやら腹が立つやらやるせないやらで、雑踏を掻き分けてヒールを鳴らしながら大股に歩き、シオカラに追い付いた。

「ちょっとあんた!」
「うおっ!」

 ほづみに上左足を引っ張られ、シオカラはよろけた。

「何するんすか、もう」
「それは私が言うべき言葉よ、とにかく来てもらうわよ!」

 ほづみはシオカラを強く引っ張り、ヒールを折らんばかりの強さでアスファルトを踏み締めながら突き進んだ。背後のシオカラは抵抗らしき言葉を漏らすものの、ほづみの手を振り払おうとしなかった。その態度の曖昧さが、訳もなく苛立ちを煽ってきて、ほづみは唇を噛んだ。言いたいことが次から次へと出てくるのだが、いざ口から出したら恨み言になりそうな気がしたので懸命に堪えた。とにかく今はアパートに帰り、自室に戻り、その上でシオカラを問い詰めてやる。
 寄り道もせずに真っ直ぐ帰路を辿ったほづみは、アパートもえぎのの自室にシオカラを放り込み、ドアを閉めて施錠し、
退路を塞ぐために立ちはだかった。重たい荷物が詰まったバッグを靴箱に置いてからシオカラに向き直り、藍色の複眼を見据えたはいいが、言いたいことが喉の奥で詰まってしまった。怒りたいのも山々だったのだが、それ以上に会えたことが嬉しくて感極まってしまった。ほづみはシオカラに飛び掛かるように抱き付き、固く閉ざされた顎に思い切り唇を押し付けた。

「…香水」

 胸郭を震わせて発声したシオカラは、短い触角を上げ下げし、ほづみの首筋から立ち上る匂いの粒子を絡め取った。

「そうよ、あんたが買ってくれたやつよ」

 ようやく唇を離したほづみが照れ臭くなって目を逸らすと、シオカラはいきなりほづみを抱き竦めた。勢い余ってドアにぶつかり、
安普請の薄い壁までもが揺れた気がした。一回りも年下ではあるが昆虫人間故に大柄なシオカラの胸にすっぽりと収められ、
ほづみは年甲斐もなくどきどきした。シオカラは上中両足でほづみを押さえ付けると、派手に口紅が塗り付けられた顎を開いて細長い舌を伸ばしてきたので、ほづみも口を開いた。冷ややかな舌がほづみの舌に絡められていたが、引き抜かれて首筋を這い回った。香水を落とした箇所を探しているかのようだったが、そのまま舌先はブラウスの襟元に滑り込み、カーラーと肌の隙間をぬるりと動いて、早足で歩いたせいで少しばかり滲んだ汗も舐め取られた。

「ふ…うぁっ」

 それだけのことなのに、ほづみは身震いした。興奮していたせいだろうか、触られた部分が少ないのにやたらと感じてしまう。
シオカラはほづみを抱き寄せてドアから離すと身を反転し、狭い廊下にほづみを押し付けた。スーツが埃で汚れる、とほづみは頭の隅で考えたが、それを口に出来る余裕はなかった。シオカラの頭を抱えて向き直り、乾いた唇を一度舐めてから、夜明けの空に似た藍色の複眼を見つめた。光沢のある表面には、僅かな愛撫ですっかり頬を上気させた化粧の乱れた女が映っていた。

「ひゃっ」

 前触れもなくタイトスカートの中に差し込まれた腹部に気付き、ほづみは息を飲んだ。尻尾のように長く、器用に折れ曲がる腹部の先がほづみの股間に触れ、既に露出している生殖器が抉ってきた。ストッキングとショーツ越しとはいえ、刺激は充分すぎるほどだった。シオカラの頭を抱えたまま、ほづみは息を荒げ始めた。

「ね、ねぇ、もういいでしょ? 上がってからの方がやりやすいってぇ、あぅっ!」

 外骨格で出来た硬い生殖器の先端でクロッチに染みるほど濡れた陰部をなぞられ、ほづみは声を上擦らせた。

「よくないっすよ、なんにもよくないっす」

 シオカラは脱力したほづみを俯せにさせると、タイトスカートの裾をずり上げて丸い尻を露わにさせた。

「いや、恥ずかしいぃ…」

 ほづみはパンプスが脱げかけた足を閉ざそうとするが、シオカラの下右足がすかさず阻んできた。それらしい雰囲気になり、
それらしい流れであれば羞恥心など感じないのだが、ここは玄関だ。扉一枚隔てれば外界で、住宅街なのでそれなりに人通りもある。増して、安普請なのだ。下手に声など上げようものなら。頬が押し当てられた廊下の板が冷たかったが、体は隅々まで熱していた。羞恥心と戦う一方で、早く事を収めなくては、とも思っていた。ほづみはストッキングとショーツに手を掛けると、
太股の付け根まで下げたが、陰部に貼り付いていた布が剥がれていく際に小さな水音が聞こえ、ますます恥ずかしくなった。
ダークグレーの透けた薄布とそれよりも濃い黒のレース地のショーツが取り除かれると、丸く形の良い尻とその中心で熱く濡れている陰部が冬の冷たさを残す外気に触れた。ほづみは精一杯の意地を張り、ストッキングから手を離した。

「するなら、早くしなさいよ」

 間を置かずして太い針に似た生殖器が突き立てられ、ほづみの内に責め入ってきた。

「あ、あぁっ、あうん!」

 一息に奥まで至り、ほづみはぞくぞくした。シオカラはほづみを後ろから抱き締めると、言葉もなく律動を始めた。その冷淡さもまたシオカラらしくなかったが、充足感が疑念を誤魔化した。上両足でジャケットをはだけられ、ブラウスの上から乳房を握り締められ、
中両足に腰を支えられていたが、ほづみの足は玄関に出たままだった。パンプスだって脱いでいないし、バッグも下駄箱の上に置いたままだ。それなのに、こんなにも荒々しく貫かれている。ほづみは訳もなく背徳感に駆られたが、今となっては劣情を煽る材料にしかならなかった。

「もう、もうダメぇっ、イッちゃいそぉっ!」

 上り詰めてきた快感にほづみが切なく喘ぐと、シオカラは上中両足でほづみをきつく抱いた。

「そんなにいいんすか?」
「だ、だってぇ、どんだけ寂しかったと思ってんのよぉ」

 快感に煽られるあまりに自制心も緩んだほづみは、涙混じりに本心を吐露した。

「バレンタインの時にはあんなに喜んでくれたのに、ホワイトデーになったら素っ気ないし、メールもちっとも返してくれないし、電話もしてくれないし、会いに来ないし…。私、何か悪いことした? 怒らせるようなことした? ねえ?」

 いつになく気弱なほづみは、振り返り、今にも泣き出しそうな顔でシオカラを見上げた。

「ぐわあ可愛いっ!」

 シオカラは途端にテンションが上がり、生殖器の根本までほづみの奥に押し込んできた。

「くぁああっ!」

 ほづみは一気に訪れた強い快感に震えると、シオカラはぼやきながらも責め続けた。

「なんすかもー、そんなん言われたらマジヤバいじゃないっすか、俺っちの頑張りとか全部無駄じゃないっすかー、あーもう」
「な、何言ってんのよぉ」
「もういいっす、我慢出来るわけねぇっす、こうなったらもう徹底的に!」

 シオカラの鋭い一撃に、高ぶりに高ぶったほづみの体が跳ねた。背筋から手足の先まで走った甘い電流に、ほづみは弛緩したが、それでも尚、シオカラは生殖器を抜こうとしなかった。律動が繰り返されるたびに、粘り気のあるほづみの体液がシオカラの生殖器を伝ってストッキングや床に散らばった。シオカラの宣言通り、それからほづみはかなり時間を掛けて蹂躙された。体位を変えることはあったが、場所だけは変わらず、最初から最後まで狭苦しく埃っぽい玄関で事が行われた。
 お互い、夢中になりすぎたからだ。


 腰だけでなく、腕や足もだるかった。
 硬い床に俯せになったり、変な姿勢になったりしたからだろう。ほづみは濡れた髪を首に掛けたバスタオルで拭いながら、
夕食である宅配ピザを囓った。だが、受け取った場所は玄関ではなくアパートの前で、シャワーを浴びているほづみの代わりにシオカラが受け取ってくれた。さすがに、あんなことをした直後の空間に他人を招き入れられるほど剛胆ではないからだ。
ビールでも飲みたい気分だったが、生憎冷蔵庫には缶チューハイしか入っていなかったので、ほづみはピザを食べながらライム味の薄い酒を流し込んだ。シオカラはといえば、テーブルの向かい側で黙々とピザを囓っていた。

「やりすぎたわね」
「そうっすね…」

 冷静になると後悔が襲ってきたのか、シオカラは項垂れた。


「スーツはスペアがあるからいいけど、玄関がねぇ…」

 一応消臭剤吹いておいたけど、と、ほづみは玄関を見やると、シオカラも複眼の端を向けた。

「せめて換気出来ればいいんすけど、時間も時間っすからねぇ…」
「で、なんだっけ? あんたが発情した原因は」

 ピザの耳まで食べ終えたほづみが問うと、シオカラはトマトソースがべったり付いた顎を紙ナプキンで拭いながら答えた。

「春になったからっす」
「裸にコート羽織って下半身露出しに来る変態みたいなこと言うんじゃないわよ」
「でもマジなんすから、いやホント! マジリアルな話なんすから!」
「解りやすいと言えば解りやすいんだろうけど、短絡的すぎて逆に面白味がないわね」
「面白がられても困るんすけど」
「で、その春の陽気に誘われた変態じみた発情と、私に素っ気なくした理由には何か関係があるわけ?」
「言うまでもないと思うっすけど、いやホント。てか、変態からマジ離れてくれないっすか?」
「つまり、あんたは私に無闇に襲い掛からないために離れていたってこと?」
「そうっすそうっす」
「だったら、事前に説明しなさいよ。おかげでこっちは」

 言いたくもないことを、とほづみが口の中で呟くと、シオカラは顎を開いてにやにやした。

「毎度毎度思うんすけど、ほづみんってヤられてないとデレられないんすか?」
「そういうわけじゃないわよ。ただ、タイミングってものがあって」
「だったら、俺っちが襲う前に言ってくれりゃ、俺っちとしてもやりようがあったんすけど。なのに、いきなりがばーって来られちゃ、誰だってヤりたくなっちまうっすよ、マジでマジで」
「私だってそのつもりじゃなかったわよ、でも、なんかこう、堪えられなくなって」

 ほづみは語気の弱まりを紛らわすために缶チューハイを傾けるが、シオカラはにやけたままだった。

「ああもう可愛いなぁー、そんなに俺っちが好きっすかー?」
「それはシオの方でしょうが、私は引き摺られてるみたいなもんよ!」
「可愛い可愛い可愛い!」
「うるさいうるさいうるさいっ! とにかく、もう黙れ!」

 ほづみはシオカラに言い返してから、背を向けた。可愛いと言われれば言われるほどに嬉しいのだが、嬉しすぎるせいで恥ずかしくてどうしようもなくなる。シオカラもそれを知っていて、可愛いと連呼してくる。居たたまれなくなったほづみは台所に向かい、冷蔵庫を開けて二本目の缶チューハイを出して呷った。アルコールによる高揚で気恥ずかしさをいくらか打ち消してから、
ほづみはシオカラに振り返った。

「で、ヤンマ君の方はどうなってるわけ? あっちもシオと同じ状態なんでしょ? あれじゃ茜ちゃんの身が持たないわ」
「ああ、兄貴の方はっすね、変なところで真面目なもんだから律儀に山籠もっちゃってるっすよ。せっかくだからってことで、その山の麓で出稼ぎもしてくるらしいっすけど」
「あんた達も苦労するわね」
「どれだけガタイが立派になったって、俺っち達はどこまでも虫っすからね」

 シオカラがしみじみと頷いたので、ほづみは冷蔵庫に寄り掛かって足を組んだ。

「まあ、そればっかりはどうしようもないわよね」
「てぇことでほづみん、次回の玄関プレイは!」

 シオカラが腰を浮かせたので、ほづみは一缶目である空き缶を投げ付けた。

「二度とあるかぁっ!」

 軽快な音を立て、シオカラの頭頂部に空き缶が命中した。ほづみはバスタオルで生乾きの髪を掻き乱し、なんでこんなのが好きなんだ、と思ってしまったが、好きなのだから仕方ない。シオカラは外界と扉一枚隔てただけの痴態に味を占めたらしく、
いかに今回の蛮行が良かったかを説いてきたが、ほづみはそれらを全て聞き流して酒に没頭した。そうでもしないと、気が紛れなかったからだ。確かに気持ち良かったのだが、それはそれだ。玄関は所詮玄関であって、性欲を満たす場所ではない。
まかり間違ってアブノーマルな性癖に目覚めてしまったら、それこそ取り返しが付かなくなってしまうだろう。
 己の過ちを春のせいにしては、春に対して失礼だ。


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