5-16様

 魔王(ボク)という存在は、成るべくにして成ったと言う他にない。
――そう。僕の人生はいつだって、「自分」ではない『誰か』の流れの中に居る。
 血統の家系に生まれ、その中で帝王学を学び、そして導かれるままに僕は当主の座へと着いた。
長じてからようやく、そんな自身の生き方に疑問のひとつも持てるようになったものの、その頃には毎日の公務に忙殺されるがあまり、ただ無為に繰り返される日々へ己が人生を投げやりに生きるばかりとなっていた。
 だからこそ、三度目に彼女と出会った時の感動を僕は忘れられない。
 いわゆる『僕』は世間一般では『魔王』と呼ばれる存在だ。
 外界の人間達とは違う半獣の巨大な体躯や、はたまた万象の法則に干渉する魔力といった過ぎたる力は、それは彼らにとってさぞ脅威であるのだろう。
 事実、同類にはその力を使い人間達の世界に浸食している者も多くいると聞く。しかしながらそんなこと、今の僕にはどうでもいいことなのだ。
 日々僕は領民の生活を案ずることと、そしてそれに適えるべき適切な処置と管理をつつがなく行うことで頭がいっぱいだ。
 代を遡れば、祖先には大きな戦争で戦功あげた者もいると聞くが、そんなこと今の僕には関係のない話。
そんなこと考えたところで、今のこの風に任せたままの旗のような僕の人生が変わることなどあり得はしないのだから。ただ流されるがままに、その威風堂々たる「領主様」の姿を見せることしか今の僕には許されないのだ。

 閑話休題、だからこそ彼女の出現とそれ以降の存在は僕に様々な驚きと感動を与えてくれた。
 かくいう『彼女』とは、その名をシュー・シュヴァルツァーという人間の女性だ。人間界において『勇者』の家系として誉れ高き彼女は、そのデビューに僕の成敗へ名乗りを上げたのであった。
 聞くだに僕の家系というものは、人間達の世界においてもかなりの高位におかれるものであるらしい。
先にも述べた先祖の武勲も、こと人間社会においては宗教の教えの中にそのエピソードを登場させるほどに有名なものであるらしいのだ。
 故にそんな『由緒正しき僕(家系)』を成敗してその名をとどろかせようとする自称・勇者は、彼女に限らず数多く僕のもとを訪れてくる。しかしながら訪れては来るものの、たいていは一度やられてしまうともう二度と僕の前に現れることはない。
 こんな僕であってもそこは血統の魔族。自分の好まざるを問わずに、この僕には屈強な肉体とそして恐ろしい容姿とが備わっていた。だから大抵の勇者は僕のそんな容姿を目に焼き付けてそして敗北を喫すると、二度と僕の前には立たなくなる。否、立てなくなる。
 僕自身は意識しないことだがこの『僕』の容姿というものは、敗北者へ呪いにも似た恐怖心に刷り込んでしまうようなのだ。
 そしてそんな僕に対して、初めて二度目の挑戦をしてきたのが彼女シューであった。

 二度目に挑戦してきた彼女の両足が、一度目の時よりも強く震えていたことを僕はよく覚えている。その内面でよほどの恐怖と闘っているであろうことは、その様子からもよく窺えた。
 しかしながらその時の彼女に対する僕の感想は、「女の子なのに勇気があるなぁ」程度のものであった。
 結局赤子の手をひねるよう彼女を払いのけると、僕は「三度目はないだろう」と心のどこかで思ったものだった。
 しかしそれでも、彼女は三度僕の前に立った。
 前回の戦いにおける対策か、大業な鎧兜に身を包み彼女はまたしても僕の前に立ったのだ。
 この時、すでに彼女の心から恐怖心は消えていた。否、そんな『恐怖』それ以上に何か彼女の目からは鬼気迫った気配が感じられた。
 そしてその後も、幾度となく彼女は僕の前に立った。
 何度やられようともシューは決して諦めることなく僕への挑戦を続けた。
 挑戦を続けるうちに彼女の実力もまた比例して上がっていく。以前は肉眼でとらえることすら適わなかった僕の攻撃に対しても対応できるようになったし、苦手であろうと思われた魔術もよほどの鍛錬を積んだのであろう、実に効果的に使用してくるのだ。
 そんな彼女の姿に、いつしか僕は強い感動を覚えるようになった。
 一度目よりも二度目、そして三度目よりも四度目――彼女は戦うたびに強くなる。影ながら努力しているだろうそんな彼女の『強さ』に触れるたび、敗北とはいえ僕は彼女を抱きしめて「無駄な努力などはないのだ」と労わってやりたくなった。

 そしていつしかそんなシューとの邂逅は、今の僕にとっては何よりもの楽しみとなったのだ。
 そんな密かな蜜月と化した何度目かの挑戦の時であった。
 いつになく、彼女の装備がみすぼらしいことに僕は気付く。
 いつも通りなら、対魔術のタスマリンをふんだんに散りばめたアンクレットや、最新・最軽量の鎧に袖を通しているであろう彼女が、その日は前回の戦いのものよりも遥かに劣る鋼の鎧に身を包んでいた。
 彼女なりに思うところがあったのだろうとその日も蹴散らしたが、さらに次の挑戦においては、その変化は武具だけに留まらず彼女自身、大いにやつれ荒立った様子であった。
 そんなシューの変化は、肉体的なダメージ以上に僕を動揺させた。
 いったい彼女に何があったものか? 尋ねようにも、「勇者と魔王」というお互いの立場からではそんな込み入った内容の会話など望めるべくもない。
 そして計三十回目となる今回、シューは裸同然の装備で僕の前に立った。
 すす切れた皮の鎧と縫い目のほころびたブーツ、そして所々に錆と刃こぼれとが生じた銅の剣を重そうに引きずる姿は、初見の時に見た絢爛豪華で、そして自信に満ち溢れた彼女からは想像もできない落ちぶれた姿であった。
 その時になりようやく僕は、
『何があった、シューよ?』
 初めて、感情のこもった言葉を彼女に投げかけた。

 それを受け、緩慢とした動きで僕を見上げるシュー。そして互いの視線が合うと、彼女は自嘲気にその口元を緩め、
「これより滅するお前には関係のないことだ。もはや、私も疲れた……これで終わりにしよう。今日こそ、お前を殺す」
 僕の質問に答えることなく、ただ剣の切っ先を向けてくるのだった。
 しかしそんなシューの力無い言葉からは、僕の攻略に挑む意気込みよりもむしろ、「僕に殺してほしい」と願うかのような悲壮さが漂っていた。
 かくして地を蹴り、叫(こえ)とともに迫りくるシュー。
 しかしながら芸もなくただ直進するばかりの彼女の一撃は、難なく僕の人差し指に弾かれて、その剣を根元からへし折られた。
 柄ばかりが残された剣それを目の前にかざし茫然と見つめると、やがてシューは尻からへたり込み小さく笑いを洩らすのであった。
 くぐもった笑い声であったそれは徐々に大きくなっていく。そして大きく頭を振り上げ天を仰いだかと思うと、彼女は声の限りに泣き出すのであった。
 これには驚いた。
 今まで戦いの終わりに己の無力を涙する勇者は何人かいた。しかしながら今のシューのように、生の感情をここまで露わに泣き出した者は彼女が初めてであった。
 そんな彼女にただうろたえるばかりの僕は、とりあえずシューを連れて城へと戻った。

 召使いに彼女の治療と、そして風呂と簡単な食事の用意をさせてやると数刻後――僕は改めて彼女を訪ねた。
 僕の私室の中央で人間には大きすぎる調度に腰掛ける彼女はタオル一枚を纏うだけの姿であった。部屋の家具同様に彼女に見合う服がない以上仕方のないことではあるが、妙齢の女性のその姿に、僕は年甲斐もなく照れてしまう。
 それでもなんとか魔王としての威厳を保つと、彼女の前に座り咳払いをひとつして、僕は事の顛末を彼女から聞いていった。
 入浴と食事を済ませ気分の落ち着いたシューには、先ほどまでの自暴自棄とした様子はうかがえなかった。ただすっかり覇気の消えた背中からは、ひどく疲れている様子が今は如実に窺えた。
「お風呂とお食事、ありがとうございました。……こんなに心落ち着けたのも久しぶりでした」
 意外な礼の言葉から始まった彼女の身の上話は、それは辛いものであった。
 勇者として僕に挑んだ彼女は、その敗戦のたびに周囲から口さがない罵倒を浴びせられたのだという。なまじ血統の家に生まれてしまったが故、彼女に失敗は許されなかったのだ。
 それでもそんな家名を背負い続ける限り、そして生ある限りシューは戦い続けねばならない。
 恐怖と闘い、敗戦を重ね、周囲からも蔑まれ続け、やがてはそんな彼女を身内であるはずの一族すらもが「始まって以来の家辱」と切り捨てた。それにより家からの支援が途絶えた彼女はそれでも、それでも戦い続ける以外に道の無い彼女は高価な自分の装備を売り、さらには娼婦まがいの行為で今日までの命を繋いできたのだという。
 そんな彼女の言葉に、僕は今までにない怒りを覚えていた。

 人間達が世に言う僕ら『魔族』は、「非道なる者達」であるのだという。しかしながら自分達はどうだというのだ? このシューを、この年端もいかない少女をここまで追い込んだお前たち人間は、どれほどに高潔なのだという?
 魔族はどちらだ?
 行き場の無い怒りは、やがて僕の中で沈静して言いようのない倦怠に変わった。
 そしてそのすべてを話し終え、
「――願わくば、あなたの手で殺してほしく思います」
 そう彼女は話の最後に僕へ懇願をしたのだった。
「戦いの始まりもあなたなら、その終わりもあなたにしてもらいたいのです。それこそがこんなちっぽけな私の生きた証になるのです」
 そう言って椅子から降りると、彼女は僕の前に膝まづいて両手を合わせた。
 そんなシューを前に僕も立ち上がる。
『ぼく……ワシに、「終らせてほしい」といったな』
 語りかける僕の言葉に彼女が答えることはなかった。沈黙こそが全ての答えであった。
 屈みこみ、彼女に鼻先を近づけるとその小さな背が震えているのがわかった。さらには彼女たち人間の神の名を呟きながら涙するシューの小さな姿に、僕は大きく息を吸い込んでそれを胸に留める。
 やがて僕は立てた爪の右掌を振り上げると、それにて彼女を打ち払った。

「あぐぅ! う、うぅ……神様ぁ」
 鮮血が舞い彼女の左腕がその肩口からもげて絨毯の上に転がる。
 そんなシューを前に僕はすぐさま、自分自身の左手から薬指を噛みちぎった。そして噛みちぎったそれの断面を彼女の傷口へ触れさせた瞬間、僕の薬指は彼女の新たな左腕としてそこに再生を果たしたのだった。
「くぅ……え? こ、これは?」
 剛毛に覆われ刃のように研ぎ澄まされた爪と、岩のように強(こわ)い肉球のついた新しい腕――そんな異形の塊と化した新たな自分の左腕を前に、何が起こったのか分からない様子の彼女。
 そんなシューの目の前に顔を近づけると、
『これで、「終わり」だ。君の……お前の「人間」であった業はすべて振り払われた』
「終わり? 人間の、業?」
『そうだ。もはや君……お前は人間ではない。その新しき腕こそが誓いの証だ。これからは僕の――ワシの眷属として生きよ』
 告げられる僕の言葉とそして今の状況に、ただただ彼女は茫然とするばかりであった。
 彼女を殺す気は僕にはなかった。しかしこれ以上、彼女を「人間ごとき」の業に縛らせているのも癪だった。
 だからこそ僕は、シューに『人間を辞めさせて』やろうと思ったのだ。

『ずっとここに居ろ。この場所こそがお前の居場所だ』
 囚われ続けていた血統の流れの中から解放し、そして自由に生きられる道を、
『遠慮はいらない。これからは好きに生きるといい』
 奇しくも今の自分と『同じ運命』を辿っていたシューに、僕は用意してやりたかったのだ。

『だから、もういいんだよ。お疲れ様、シュー。今までよく頑張ったね』

 そしてそんな僕の言葉とともに全てを理解した瞬間、再び彼女は泣きだしていた。
 僕の鼻頭に抱きついて声の限りに泣く彼女を、僕もいつまでも泣かせてあげるのだった。
 かくして勇者シューの生涯はここに終わりを迎える。これからは魔王の眷属シューとしての、新たな人生が始まるのだ。
 僕はこれからも、出来る限りのことを彼女にしてあげようと思った。


 そしてその四年後――恥ずかしながら僕とシューは結婚した。

 もちろんここに至るまでにはさらに一騒動あるわけだが、それは主題から外れるので割愛。
 しかしながら愛すべき家族の出現と、そして彼女と共に過ごす蜜月のおかげで僕自身も解放されていた。
 もう自分の人生に疑問を持つことはなくなった。今では『領主』としての自分があるということに、強い意志と気高い誇りとを持てるようになっていた。
 故に以前以上に精力的に仕事に打ち込む僕の毎日は、まるでその瞬間瞬間が生まれたてのように新鮮で、そして充実しているのだった。
 今だって、もうとっくに日は落ちというのに僕は書類の整理と確認に余念がない。そしてそんな僕の傍らには、ふと巡らす視線の先にはお腹を大きくした妻が編み物をしている。
 四年前まではその左腕だけが魔族化していた彼女も、今では全身に金色の毛並みが美しく映える立派な魔族となっていた。
 そしてどこか微笑んですらいるかのようなシューの穏やかな横顔に、ふと僕は考えてしまう。
 生まれてくる子供たちも、やはりかつての僕や妻と同じように、自身の生き方に疑問をもつ時が来るのだろうか?
 僕のように生きることへ意味を見失ってしまったり、はたまた妻のように傷ついて自暴自棄になってしまったりするのだろうか。
 でもその時は教えてやるつもりだ。

 全ては『途中である』のだよ、と。
 辛い日々も無為と感じる毎日も、すべてはいつか辿りつく幸せの『途中』――いつしか、今までの日々を笑顔で振り返れる時が来るのだということを、僕は言ってあげるつもりだ。
 やがて見つめる僕の視線に気づくと、妻は小さく微笑んで僕のもとに歩んでくる。
『おなか、さすってもいい?』
「えぇ、たくさん触れてあげてくださいな。あなたと私の、幸せの形ですよ」
 月のように奇麗な丸みを帯びたシューのお腹をなぞると、まるでそれに返事をするかのよう、その内側から蹴り返してくる感触が感じられた。
 そんな妻のお腹に横顔を付けながら、
『はやく生まれておいでー……』
 僕はこの子達も含めたこれからに、新たな夢(おもい)を馳せるのだった。


おしまい


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