◆IyobC7.QNk様

「博士。これでいいですか」
『そのはずなんだけどね』
私の質問に対して装着したイヤホンから答えが返る。
「はずって何ですか。下手をしたら貴方も消滅するんですよ。絶対安全と確信できるまで軽々しく使用すべきではありません」
自分が実験体だと言うのにその他人事の様な彼の言い方につい声を荒げてしまう。
『絶対って言葉は無いさ。昔の賢人からすれば今の僕だって絶対に存在しないはずだった』
「それはそうですが……」
彼の様に一度は死を経過して体を持たない精神だけの存在、古い言い方をするなら幽霊が科学的に特殊なエネルギー体として証明されてから十数年が経過していた。
どんな理由で彼らの様になるのかは分かっていないが、元々人であった以上、基本的な人権が認められている。
また普通の人間でも特殊な機器を使えば声を聞き、対話をする事は可能となっていた。
特殊な彼らは何が原因で消滅するか分からない、下手をすれば殺人になってしまう。
「この場合、失敗すると私が引き金を引いた事になります」
『大丈夫だよ。君は優秀だから』
「簡単に言いますね」
適当に視線を泳がせながら溜め息を吐いた。
『お褒めに与り光栄です、とか無いのかな』
「おほめにあずかりこうえいです。これでよろしいですかね」
『結構』
その物言いに少々腹が立つ。
「貴方が既存の方法で満足していれば問題無かったんですよ」
物に触れられないのは不便なため、人工の皮を被せたロボットを寄り代とする方法で彼らに実体を持たせるのが普通だった。
『いやいや、せっかく幽霊になったんだから新しい事に挑戦しようかと思う訳だ』
実体を持つと面倒だから逃げているだけな気もする。
「それは結構なポリシーですが、人を使って、ですか」
『じゃあ、君は人間の皮を被った、規則正しい体の僕を受け入れられるかい』
「さあ、分かりません。そうはなりませんでしたから」
実際、疑似心音のする体に触れた事はない。
ちょっと考えて答える。
「でも、充電している貴方の姿を見るのは嫌ですね」
『ま、そんな所だろう』
彼の事だから真面目に話しても無駄だと判断し本題に戻る。
「では特殊エネルギー対象ホログラムの実験に移りましょうか」
限定的に、だがホログラムを利用して、エネルギー体に擬似的な質量を与え物に触れる事を可能にした、筈だ。
「最終確認を願います。データはこれで良いですか」
姿が見えないため、とりあえず後ろに向かって聞く。
『へぇ、さすがに精密だな、君がナニのサイズとかも設定したの?』
「データは過去に御自分でとりましたよね?」
頬を引きつらせながらも何とか笑みを浮かべる。
軽口以外は出ないのかと聞きたくなるが、話がややこしくなるだけなので止めておくことにした。
「問題ないならプログラム起動させます」
モニターに写し出されたパネルを叩き、プログラムを実行させる。
部屋の中心部に人影が形成されたのを認めてイヤホンを外した。
ホログラム形成時独特の共鳴音が響き、徐々にその音が小さくなる。
『ふむ。粗方は予定通り稼働しているが、見栄えは今一つらしいな』
「ですね、予想外にノイズが多過ぎます」
小さいが不定期に響く不快な電子音、それに体の所々に英数字が見え隠れしていた。
『僕のこれ、もう少し大きくなかったかな』
ナニを指し示す彼は全裸である。
テスト中は、できるだけ邪魔な物は少ない方が良いと判断したからだが、スカートでも履かせておけばよかったと後悔した。
「博士、それ以上はセクハラとみなして対エネルギー体用波を放射しますよ」
『それが元婚約者への態度かね』
拗ねた様な彼のセリフに本日何度目かの溜め息が洩れる。
「理解しておられますか、私は貴方の為でなければ、ここまで時間と労力をかけて」
『あー、重力の設定が妙だな』
半ば睨むように見上げた私に彼は誤魔化すように話題を切り替え、軽くジャンプすると宇宙空間のごとく漂う。
輪郭のはっきりしないその姿は正に幽霊と言って差し支えない風情だった。
「やはり、もう少し手直しする必要がありますね。いったん実験を中止しましょう」
自由に空中遊泳を楽しむ彼に背を向けてモニターをみていると頭に軽い違和感と金属音が響く。
何をしたのかは直ぐに知れた。
バレッタで纏めていた髪がさらりと零れる。
「博士。悪戯しないで下さい。一旦プログラムを停止させますから大人しくし」
前に流れた髪の一部を耳に掻き上げ、後ろの博士に向き直ると眼前には彼の顔があった。
一瞬たじろいだ隙に以前と同じ仕草で顎を捕えキスされる。
異なる点は体が浮いている点と、その感触だけだった。
しかし、ざらざらとしていた感触も自分の唾液で普通の舌に近いものへと変わる。
口腔内をたっぷり舐めつくして彼の顔が離れた。
『うん。変わってないね』
「私は乾いた舌とのキスは初めてです」
多分笑ったのだろう彼の顔が少し歪む、表情が上手く出ない様だ。
『色気のない御感想で』
「萎えたのなら、放していただけますか」
『嫌だ』
即答して彼はもう一度唇を重ねた。

触れる仮染めの体はくすぐったい様な違和感があるが、温くも冷たくも無かった。
少し不毛かな、とも思う。
自分は熱を帯び呼吸は荒く汗が浮き流れているのに、相手もそうなって然るべきなのに彼には全てが無かったからかもしれない。
不意に思い立って彼の鎖骨に舌を這わせる。
『何、驚いた』
さして驚いた風も無く言う彼に笑い返した。
当然ながら何の味もしない。
「何でもないです」
『汗腺付きの体にすれば良かったかね』
そっと彼の輪郭を撫でる。
「でも、嫌だったんでしょう」
彼は黙って私の前髪を掻き分け、瞼にキスを落とす。
手癖は変わらないが、やはり妙だった。
仕方が無い事とは言え彼は本当に満足したのだろうか、そんな疑問が残る。
『よし。もうちょっとこのままで様子をみてみようか』
空中を漂う彼を見上げる。明らかに最初よりノイズが酷くなっていた。
「それは不可能です。プログラムを終了させますよ」
モニターに指を走らせ終了作業を進めると彼は首筋に腕を絡めて囁く。
『はいはい。またヤらせ』
言い終える前に姿が消えると、彼に付着していた水分が床に垂れ落ちる。
「相手がエネルギー体だと後処理が問題ですね」
乱れた髪を手櫛で軽く整え平静を装うが、これは恥ずかしかった。
今後の課題になりそうだ、そんなことを考えながらイヤホンを再び装着する。
『酷いなあ、しゃべってる途中で終了させるなんて』
影があった辺りに視線を巡らせるが、薄い水溜まりがあるだけだった。
「なんで貴方は我慢が出来ないんですか。バグでもあったら本当に御陀仏ですよ」
それに乗ってしまった自分はとりあえず棚上げにして彼を非難する。
『君も知っての通り、僕は我慢が苦手なんだ』
「確かに知っていました。それでも」
食い下がる私を博士は飄々とした調子で遮った。
『何かあっても平気だよ、きっと幽霊の次のステップに続くだけさ』
「プラス思考ですね」
特殊な彼らが消滅すると更に特殊なエネルギー体になる、馬鹿らしい考えだった。
しかし、彼ならありえそうな気がして苦笑が洩れてしまう。
「更に特殊なエネルギー体ですか、私も貴方の様になれますかね」
『君は淡白だから僕を残してあっさり消えちゃいそうだ』
いつもの少し刺のある意地悪な言葉に少し首を捻ると私は大真面目な顔で答える。
「そうですね」
『否定はしてくれないのかな』
明らかに不機嫌になった彼の声に、なぜか小さな笑いが芽生えた。
それは抑えようとすればする程に奥から抑えきれない可笑しさが溢れてくる。堪えきれずに声を上げ一頻り笑い終えると薄く滲んでいた涙を指で拭った。
「うそ、うそです」
答たの後にも落ちていた沈黙に少しだけ溜飲が下がる。
「私は嫉妬深いですからね。逆だと、きっと苦労してますよ」


<終>



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