26 無題 Name としあき 18/06/28(木)23:49:06 No.10588476
「キュキュイキュキューキューキューキュッキュキュイキュキュッー!」

街角の竜だかり、その中心には調子のいい既存の楽曲を巧みに混ぜ合わせた音楽が流れ曲の間を縫うように鳴き声を即座に絞り出す

首には絢爛な飾り物、耳には鈍い銀色を光らせる装飾

所謂、ラップトルだ
差し詰めこいつは街角から成り上がろうという野心家だろう

今ではごくありふれた表現竜であるラップトル
文化的に見れば若いものではあるが、その歴史は非常に波乱に満ちていた



27 無題 Name としあき 18/06/28(木)23:49:31 No.10588480
…ジュラシック地区に蔓延るトプスの食い逃げが原因ともいわれる食料事情に適応すべく、安価で腹を満たす手段としてサランラップを捕食したラプトル
ラップを食べたその結果リズムが宿ってラッパーが覚醒

1966年、幻想郷にて初のラップトルの誕生であった

その身の不幸も身から溢れる激情の全ても材料として鳴き声に乗せ、めちゃくちゃな雑音に乗せて掻き鳴らすそれは粗削りながらも力があった

トプス被害に心を暗くするジュラシック地区のラプトルらはその姿をはじめは特異だと思い見守りつつ、気づけば皆サランラップを食べていた
その後、街角にてはしゃぐ草の根的な活動者としてラップトルは数年に渡って増えて行ったとされている



28 無題 Name としあき 18/06/28(木)23:50:22 No.10588490
1970年、世界が月面着陸に揺れるその裏
竜知れずラップトルによるパフォーマンスを主題とする団体「RAPTOP」が発足
協調性の不足から運営体制の杜撰、幼すぎたラップトル文化の制御は困難を極め、翌年には既に崩壊したものの、ここに変竜集団としてのラップトルから文化としてのラップトルの起こりがあったとされる

崩壊こそ早かったものの、極めて小規模ながら楽曲としてのラップトルの売り出しやラップトルを中心に捉えたイベント開催を初めて行ったことなどラップトルの歴史的には非常に重要な存在であったと言える

また、この団体の参加者には後に名を上げるドクター・ドレミーなどが居たという証言が少数ながら存在するが、詳細は不明



29 無題 Name としあき 18/06/28(木)23:51:08 No.10588496
1974年、RAPTOP中心人物であり看板ラッパーでもあった玉兎のRinGOはラップの納められたテープ専門の店を営みつつ経営と運営の手法を独自に学習
満を持してかつての反省を踏まえつつラップトル文化の更なる拡大を視野に入れ新団体「BlueLingo」を発足

以前からテープを販売してもらう事でRinGOと懇意になっていた著名ラップトルが数多く参加し、団体は発足から数か月にしてラップトル界最大手の存在感を得るに至った

その後もRinGOは活躍を続けた
ラップトル史上最高とも言われるSayRunの才能をまだ十代の前半であった頃から見抜きそれを見事開花させる、ラップ文化の中心となるライブハウスルナティックエンパイアを設立、後進の育成と経営のノウハウの周知、とにかく素晴らしい仕事の数々だった

八面六臂の活躍はラップトル文化の発展と拡大に寄与し続けた、全てはラップを愛せばこそだった



30 無題 Name としあき 18/06/28(木)23:52:22 No.10588505
1978年、そんなラップトル文化の立役者の死は呆気ないものだった
「巨万の富を得たRinGOは玉兎だし飢えるラプトルの文化であるラップトルの敵キプ」

にわか仕込みの知識と成功者への嫉みに駆られ見当違いの危機感を燃え滾らせた新人ラップトルのラプスは、風呂に入っていたRinGOを銃撃
ウサギでありながら竜の文化を心に宿して愛した者は、帰らぬ者となった

『報いだ』
ラプスの残された身体の一部、背中の皮に刻み付けられていた文字だ
たった六日後だった、ラプスは殺された



31 無題 Name としあき 18/06/28(木)23:53:32 No.10588509
指導者とまではいわれぬまでも中心であり台風の目であったRinGOの死はあまりにも唐突すぎた

慟哭と怒りと焦り
ラップトル界は船頭をなくした船のようなありさまになり果てる
跡目を狙う者、後継者を名乗る者、失意の中でラップトル界から去る者、最悪なものでは自らの命すらも絶ってしまう者すらも居た

ラプスの死体は顔面を完全に潰され、そのほかも辛うじて名残が見える程度と徹底的に攻撃を受けたことを証明していた
誰がどのようにやったのか、それは今を持ってもわからない

とにかくラップトルという一つの文化からの怒りを買ってしまったのは確かだった



32 無題 Name としあき 18/06/28(木)23:54:52 No.10588515
1983年、未だに続くラップトル界隈の迷走は文化そのものに勢いの萎縮と衰退を齎していた
停滞の中でかつての躍進を思い返しつつ、動きがついに舞い戻る

二年間の熟成を経て、RinGoの置き土産を自称するSayRunは新アルバムを世に向けて解き放つとこれが再びの火付けとなった
以前の数分の一ほどだが、界隈は静かに盛り返しまたの繁栄を歩み始め、その勢いに乗ったラプトルてゐ、TWIのデビューが全てを変えた

古きラップトルの粗削りに立ち返りつつ過激に攻める計算されつくしたその実力は比類なき存在としての地位を約束するにふさわしく、新時代のラップトルとしてSayRunと両輪で文化の盛り上げを担った

ここにきて遂に、界隈はRinGoの死から立ち直るに至ったのだ



33 無題 Name としあき 18/06/28(木)23:55:30 No.10588517
1987年、RinGo存命時に勝るとも劣らぬ繁栄がやってくる

知名度こそなかったものの独自の存在感で一定の人気を得ていたドクター・ドレミーはついに脚光を浴び、速さで勝負の新たな技巧派であるニックス・モミジーは日夜チャートを騒がせた

人気者が続々と登場し、ラップトル文化は広い世界でも知られるようになって行った
中でもロックバンド、エアロ・トプスとのコラボレーションなどは双方の界隈に衝撃を与えつつ、おおむね好意的に受け入れられた



34 無題 Name としあき 18/06/28(木)23:55:53 No.10588519
1994年、不穏さが漂い始める
SayRunからなる派手さを重視したラップとTWIの過去を重んじつつ骨太に開拓していくラップは路線の違いから分けて語られる事も多かった、それを材料に界隈はお互いの対立を演出する事で業界の過熱を煽ったのだ
結果として、界隈は盛り上がりを見せたが、何かがズレはじめている

それにいち早く気づいたのはドクター・ドレミーだった
後に界隈きっての過激だった時代の生き証人として世に語られるこのラップトルは自身の著作や露出機会などには決まって対立は飽くまで芝居であり本気ではないから加熱しすぎるなと警告を繰り返した

だがその警告もむなしく、運命の歯車は噛み合いを悪くして行った



35 無題 Name としあき 18/06/28(木)23:57:59 No.10588527
翌年、二月、SayRunが何者かに銃撃を受け、痛ましい姿で報道される

SayRunは満身創痍のまま絞り出すようにこれはTWIの仕業ではないかと疑いを口にするとそれは界隈に広がって行く
対立はもはや演出ではなくなった、路線を違える両陣営の関係は険悪を極め、リスナー同士の衝突が激増する

そして、半年後、悪しき方向に転がった界隈を象徴するが如く、TWIが射殺されるに至った
何者かの襲撃もまともに掴めぬまま混乱とどよめきが水底に巻き上げられた泥のように界隈を包み、閉塞感を加速させる

疑心暗鬼の中でSayRunもまた正体不明の誰かによって射殺されるに至った



36 無題 Name としあき 18/06/29(金)00:01:09 No.10588544
1996年
ドクター・ドレミーは事態の収拾を走りきった、かねてからの警告と懸念が全て悪い方向で収まった事に未だ心を痛めながら

有能な二人の財産を失った界隈の方向転換の機運の高まりを利用
ドクター・ドレミーはその名前の大きさを活用し、路線の違う者らを四苦八苦しつつも上手にまとめ上げた

調整や小規模な活動を挟みつつなんとかラップトル文化に一応の落ち着きを齎されると今度は次なる才能、後進の発掘に力を入れ始めた
そして原石を見つけるに至る



37 無題 Name としあき 18/06/29(金)00:02:05 No.10588550
1999年
ドクター・ドレミーはその類稀な音楽への感覚を買ってラプトル正邪のセージャをプロデュース

繊細かつ完成度の高いそのラップは瞬く間に世界を席巻し、現在のラップトル文化の雛形を形作った
それから次々とヒットを連発、新たな時代の幕が開け、そして、現代

ラップトルの文化は一応の秩序と安定、そして地位を得るに至ったのだ
――
―――
…あの街角のラプトルはパフォーマンスを終え、拍手とともに竜衆を抜けた

次なるスターが路上に躍る、スポットライトは侘びし気な街灯。

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