- 染伊芳乃:マスター
キャンサーとしてのみしゃぐちが拾い上げた、願いの源。そして、今のみしゃぐちにとってのマスター。
芳乃が目覚め、夜を迎えた当初、みしゃぐちの復元人格はまだ未完成の状態であり、端的に言って、サーヴァントらしからぬまるっきり子供のような精神性しか有していなかった。
そんな彼女を、それでも自らのサーヴァントとして認め、切り捨てることなく戦い続けた。自分の願いの為であると言いつつも、その実、自身の信じる“正しさ”を求めて。
魔術師らしからぬその甘さと共に、みしゃぐちは人格を取り戻していった。
やがて、真実を取り戻したみしゃぐちも、真実を告げられた芳乃も、未来へ踏み出すことを拒もうとした。
永遠に終わらない今が、如何に心地よい幻影か。例えどこにも辿り着けないのだとしても、この安寧は不変だと知ったことで、共に堕落しかけすらした。
――――それに歯止めをかけたのも、また、芳乃だった。
「私は“私”じゃなくてもいい」、思わずみしゃぐちの口から漏れ出たその言葉を、芳乃は“正しくない”と思ったのだ。
その姿に、みしゃぐちは悟る。誰でもない誰かを求める彼女を、縛り続けることは、きっと“正しくない”のだと。
そして――――。
揺れる鏡の先。水底の“月”にて。
「思えば、私はたくさん貴方に迷惑をかけましたね。戦う力もなく、身を削って貴方を助けることしかできないサーヴァントだった」
「でも、貴方は私に文句をつけることはあっても、決して見捨てませんでした。それは、きっと貴方にとっての正しさだったのでしょう」
「不器用で、生真面目で、どうしようもなく未熟。そんな貴方を、私は、愛おしいと思います」
そして、少女は光に溶ける。これまでその身に受けてきた、無数の色を脱ぎ捨てて。自分だけの無色に、還っていく。
走って、走り抜けて、泡沫の向こうまで。1秒後に無に還るのだとしても、2秒先にあったはずの未来を願いながら。
- ゼロ師匠:天敵
「ええ。私、あの人が嫌いです」
「積み上がったものは、どうあれそれまでの人間の在り方の結果です。良いも悪いもなく全部ぱあにするのはどうかと思います」
「……。…………。………………………」
「まあ。ゼロに戻したから、始まるものがある。それは……身を持って理解してますから」
「あの人の性癖も所業も知ったことじゃないですけど。感謝は、してますよ」
「変なところだけ真面目なんですから……全く」
どの可能性を辿っても聖杯戦争終結時には必ず死ぬ、
凍巳紗澄徒という変数に代入された項。
芳乃が望む第五次聖杯戦争を、みしゃぐちが経験した第三次聖杯戦争で再演する。幻影世界の夜に繰り広げられたその戦いにおいて、本来いるべき主要人物の欠落を埋める為に取り込まれた人間の情報体。
積み上げられたものをゼロに還すことを是とする彼は、それ故に、繰り返しを積み上げ続けた芳乃とみしゃぐちの前に現れて、度々警句を発する。
復元人格が未完成な頃のみしゃぐちはそれを理解できず、逆に完成に近づいたタイミングでは、心地の良い繰り返しの終了を迫ることに対する反発から、彼を嫌悪すらしていた。
――――まるで、これまでの自分を、漸く芽生えた“自分”という存在を、全て否定されてしまうような気がして。
しかし、真実に気づいた芳乃との対話によって、これまで積み上げてきた「願望の器としての自分」を捨て、「誰でもない誰かとしての自分」を願ったことで、その意図に気がつく。
ゼロに至れば全てを捨てることになる。しかし、それと同時に、ゼロは何かを新しく始める「始まり」でもあるのだ、と。
『
全て唯一つ』が生み出した極彩色の泥が迫る中、みしゃぐちは彼の声を聞いて、それから、一言だけ言い捨ててから駆け出した。
「私も、ゼロに還ります」、と。
実は、日中
十影典河の模倣人格を動かしている間、やたらめったら女装に関するイベントがあったのは、彼の差し金。
女性から男性に肉体を改造されたみしゃぐちが、“本来あるべき性を損なった”という形でマイナスを抱えていると看破した彼は、本来の性を取り戻させることで、彼女の人格回復を手助けしようとした。
その手法こそは、肉体的には男性である昼間のみしゃぐちに“女装”という形で女性性を被せ、本来の性質を想起させる、というもの。
女装した自分の姿を、模倣人格が「悪くないかも」「寧ろこっちの方が本当の自分……?」などと思い始めればしめたもの。後は雪崩式に女性としての記憶も取り戻すだろう、という目算だった。
他に方法がなかったかと言われれば多分あったのだろうが、恐らく、趣味と実益を兼ねる、というものであろう。
- 十影典河:宿主
「実を言えば、こうして今になって思うと、私は、彼が苦手です」
「私という自分は、彼から作られました。でも、あんな風に自分を追い詰める在り方は、きっと芳乃以上に息苦しい」
「ですが――――そうですね。彼の花を、私は綺麗だと思いました」
「微かに見えるんです。どの可能性でも、彼は、綺麗な花を咲かせた。時には自分自身を犠牲にしてまで、
聖杯の泥を糧に、綺麗な花を」
「あんな花を咲かせられるというのなら。あんな人が、世界に一人くらいいたっていいんじゃないでしょうか」
「勿論、私は同じように生きるなんて御免ですけどね」
日中に被っていた「皮」、即ちは模倣人格の元。第五次聖杯戦争、そして芳乃にとっての“願い”を象る偶像。
他の人物は本物のデータをそのまま幻影世界に投影しただけだが、偶像だけはみしゃぐちとの接続を確保する必要がある為、彼女自身が彼に成り代わる形で幻影世界で活動していた。
彼が抱いていた“愛されていない”という不安、そして不信が醸成してきたその歪な人格は、模倣を行ったみしゃぐちの復元人格にまで影響を及ぼしている。
即ち、誰かに迷惑をかけてはならず、誰かを助けなければならない、という強迫観念であり、自分には価値がないのだという思い込み。
しかし、復元人格が真実を取り戻すにつれて、変質した『
この世全ての願』が多くの可能性に触れた事実を思い出し、それを通じてみしゃぐちは、彼の物語を見た。
そして、一際目を惹いたのは、彼が固有結界を暴走させ、聖杯の泥に蝕まれた自らを草花に還元しながらも、
ただ一人の少女の為に進み続けたこと。
みしゃぐちに、その心理はわからない。ただ嫌いだと言うためだけに、自死も同然の手段で進み続けたその心は。
ただ。その場面の最後で、みしゃぐちは、彼が自身を染めていた無数の願望を呪いとして草花に変えたからこそ、自分という本来の人格が浮かび上がってきたことを知る。
触れたものを巨きな力の塊へと回帰させる聖杯の泥。それを、誰でもない誰かとして昇華した果てに咲いた、人の形を為す花の姿を。
それを美しいと思ったことを、みしゃぐちは思い出した。
理解できるとは思わない。もし自身に生があったとして、そんな生き方を真似しようとも思わない。
しかし、その美しさに触れたことで、何かが変わる生命があるというのなら。それはそれでアリだと、彼女は思っている。
- ロエサ・ディー・アンドリュズ:嘗てのマスター
「思えば、貴方が全ての元凶でしたね。土夏の伝承を調べ上げ、その土地に根付いた神を降ろそうとした」
「それが生み出したモノこそが、今私が相対する全て。……ある意味では、自業自得とも言えますか」
「だからといって、止まってやる道理はない。嘗てのマスターよ。私は、もう器であることを辞めるのだ」
「――――我が鉄鈎は武威を防ぎ、我が藤鈎は武威を失す! 道を開けろ、願いの骸ども!」
『
全て唯一つ』が生み出した軍勢との決戦時、願いから復活してきた彼とも対峙する機会を得る。
土夏に根付いた外来の旧御三家。それらの内、自身を呼び出したことでその後に様々な悲劇を引き起こした、その張本人。
現在の状況を利用してなおも自身の目的の為に足掻く彼に対し、明確に決別を告げる。
此処にあるのは、願いを受ける器に非ず。如何なるものにも未だ染まらぬ、透徹の色なるがゆえに。