ImgCell-Automaton。 ここはimgにおけるいわゆる「僕鯖wiki」です。 オランダ&ネバダの座と並行して数多の泥鯖を、そして泥鱒をも記録し続けます。

「――――あぁ、う」


基本情報

【出典】日本原始信仰
【CLASS】サモナー
【真名】みしゃぐち
【異名・別名・表記揺れ】ミシャグジ、サグジ、ミサクジ、ミサグチ、さんぐうじ、しゃごじ、じょぐさん、しゃごっつぁん、しゃごったん、しゃくじん。
            その他無数の発音と当て字が伝承される。
【性別】男性
【身長・体重】181cm・75kg(両手足健在時)/99cm・32kg(両手足切断時)
【肌色】モンゴロイド系 【髪色】白 【瞳色】金
【スリーサイズ】だぼだぼの服でよく分からない
【外見・容姿】どこか蛇を思わせる、和装の男性。両手脚は切断されており、自力で動くことすら叶わない。
       眼は完全に虚ろであり、意志の光は見えない。
【地域】日本・信濃国一帯
【年代】神代
【属性】秩序・悪
【天地人属性】天
【その他属性】人型・神性・龍・獣
【ステータス】筋力:E 耐久:E 敏捷:E 魔力:EX 幸運:E 宝具:E

【クラス別スキル】

陣地作成(召):A

 サモナーのクラススキル。神霊や精霊、或いは悪魔など、様々な霊体を喚起する為に整えられた“場”を作り上げる。
 Aランクでは、通常の魔術的陣地では“大神殿”にも相当する機能を有する“場”を形成することができる。
 サモナーは、その存在自体が神を降ろす為の“場”として完成されている。
 この為、身を清める程度の簡易な儀式を行うだけで、その身にいつでも霊体を降ろすことができる……筈であった。

召喚術:EX

 サモナーのクラススキル。過去、あるいは未来から霊体を喚起する魔術。
 かんなぎ・・・・……つまり、神降ろしの憑坐よりましであるサモナーは、“取り憑かれる”ことで霊体を現世に召喚する。
 それは、日本最古の信仰を為す一角にして、実相を失いつつある産土なりし神。今日ではみしゃぐちとして知られる神そのものである。
 みしゃぐちは、木石などの自然物、或いは憑坐である男児などに招来される、精霊の如き原始的な神であるとされる。
 しかし、諏訪土着の氏族であった守矢氏が相伝する秘術によってのみ、この神降ろし・神上げは為されたとも伝えられており、実相を知る者は魔術世界においてすら希少。
 唯一予想されることは、仮にも神を宿らせた事物は、途轍もない力を発揮するであろう、という推測だけである。

が。

【保有スキル】

霊斥体質:EX

 霊的、魔的、神性的な存在を自身の体に召喚できない・・・・体質。憑坐として選ばれながら、彼はその行為に対する適性を全く持たなかった。
 半ば呪いじみた霊性遮断体質であり、『召喚術』スキルによってみしゃぐちを招来出来ない原因は、まさしくここにあった。
 それでも彼が「みしゃぐちの憑坐」として英霊の座に刻まれたのは、彼が一種のイコンとしての役割も担っていたから。
 実際にみしゃぐちを降ろせたかどうかは関係なく、彼は其処にいるだけで、みしゃぐちの霊威を示す偶像としての役割を果たしていたのである。

無銘の恩恵:EX

 名を持つことを許されなかったサモナーに付き纏う「呪い」。名付けられざるが故に、彼を魔術的に捉えることは極めて困難……否、事実上不可能である。
 あらゆる呪詛、物理的作用を伴わない魔術、そして概念干渉などの効果は、彼を目標とすることができない。
 これは対粛正防御を必要とするワールドエンドクラスの干渉ですらも該当し、「其処にある肉体を物理的に損じる」攻撃でなければ、その一切が彼をすり抜ける。
 しかし、彼自身ではなく、「彼が存在しえる空間」などに対する干渉などは素通しする上、干渉が物理的作用を伴う場合、一切このスキルは効果を発揮しない。
 そして聖杯戦争において、相手を物理的に攻撃する手段を持たない者はまず絶無と言っても良かろう。
 はっきり言ってしまえば、余程特殊な状況下でもない限り、聖杯戦争という舞台では無意味なスキルである。

生存願望:A

 死を超越する生存本能。霊核の破損をある程度無視して活動できる意志の力。
 全てを棄てて憑坐としての在り方に生命を捧げた自身の願いと、憑坐を少しでも長く在らしめんとした人々の願い呪いの結実。
 戦闘続行、存在続行などとは異なり、肉体的な致命傷を避けたり耐えたりするような効果はない。
 しかし、このスキルの保有者は、単純な精神力だけで、この世からの退去を拒み続ける。
 Aランクともなると、霊基と霊核の9割を失ったとしても、サーヴァントとして足掻くことを可能とするだろう。

【宝具】

輝き造り為す万象あなかしこ、かみのおそれ

ランク:A 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:1人
 定格出力を超えるみしゃぐちの神降ろし。神が持つ莫大なリソースを、肉体的・霊的機能の強化だけに注ぎ込む、一種のオーバーロード。
 神とは擬人化された自然現象であり、その存在自体が既にして人智を越えた霊的リソースである。
 この莫大な魔力を、純粋な強化作用に転化させる為の変性術式こそが、この宝具の本質である。
 その効果は絶大であり、例え生まれたての赤子であろうとも、常識を越えた理外の力を発揮することができるだろう。
 が、その代償……というよりは反動もまた大きく、宝具の効果を受け取る者の肉体や魂の強度いかんでは、効果終了と同時に致命的なダメージを負うことがある。
 神の力を、神ならざる身体で振るうということは、それだけの過大な負荷を肉体に与えてしまう行為ということか。
 更に、この宝具は「みしゃぐち」として召喚され得る全ての英霊が共通で持つものであるが、「このみしゃぐち」について言えば、発動自体が不可能である。
 先述の通り、彼はみしゃぐちを降ろす力を持たず、従ってこの術式だけが使えても、宝の持ち腐れというもの。
 一応、奥の手、最後の足掻きとして、サーヴァントとしての自身の霊基を構成する魔力か、或いはそれに匹敵する魔力源があれば、宝具を発動することはできる。
 みしゃぐちの持つ魔力には全く満たないものの、他から得られた魔力を誰かに注ぎ込むこと自体は可能。
 戦闘能力が皆無であるみしゃぐちであるが、『生存願望』スキルの影響により、彼は自身の霊基を大幅に削り落としてもサーヴァントとして活動・現界を維持できる。
 この為、この霊基におけるこの宝具の運用についていえば、最適解は「みしゃぐちの霊基を贄に誰かを強化する」という極めて特殊なものとなるだろう。

【Weapon】

なし

 みしゃぐちさえ降ろせれば、その出力に物を言わせ、単純な魔力弾を撃ち出すだけでもAランクの対魔力すら貫通する脅威の一撃となっただろう。
 しかし、彼はみしゃぐちを降ろせない。降霊という現象だけに特化している関係上、他の攻撃手段がある訳でもなく。
 つまるところ、彼は無力である。

【史実解説】

 みしゃぐちとは、中部地方から関東・近畿地方にかけて、特に信濃国諏訪郡(現在の長野県諏訪地方)近隣で信仰されている/されていた、体系化される以前の日本土着の神である。
 同じく土着の神であるモレヤノカミにまつろうとされる他、モレヤノカミが外来の侵略神であるタケミナカタに敗北してからは、タケミナカタの祭祀大系に組み込まれたという。
 百日咳などの疾病平癒、安産祈願、子育てなど、幾つかの神徳は伝えられている他、土着氏族の村の境界を守護する巷の神であるという説があるものの、その実相については不明な点も多い。
 しかし、今日でも諏訪地方ではみしゃぐちの祟りを恐れる風習が残るなど、伝統的信仰が絶えつつある現代にありながら、その存在の痕跡は確かに残り続けている。

これだけ読めば取り敢えず分かる簡易史実解説


読めばもうちょっと詳しくなれる追加史実解説

【泥解説】

 さて、此処までみしゃぐちというものがどのようなものであるかについて述べたが、これについて、改めて認識すべき事実がある。
 みしゃぐちとは、神である。擬人化された自然現象の一端であり、人間という生物とは比較にならぬ存在規模を持つ、上位存在の一つである。
 そのようなものを、神秘の薄れきった現代においてそのまま呼び起こせるというのなら、聖杯戦争という魔術儀式など茶番に過ぎない。
 では、みしゃぐちの真名を以て召喚されたサモナーの正体とは何か、ということにもなるが、当然、みしゃぐちそれそのものではない。
 その正体は、みしゃぐちを神降ろしする為に誂えられた、無数の憑坐の成れの果てが一人である。

 みしゃぐちを祀る守矢氏は、祭祀の独占を徹底しており、最も肝要な神降ろしの秘儀などについては、完全な一子相伝で伝えられていた。
 ともあれ、逆に言えば肝要ではない部分の一部は、実際の祭礼の際に人々に見られることもあるし、神事に参加する氏子などから概要が伝わることもあっただろう。
 そうして儀式の大枠が諏訪地方に流出したことで、守矢氏本家、祭祀の後継者ならざる者によって、みしゃぐちを降ろす祭事が独自に発達することがあったのだ。
 守矢氏自身の目の届く範囲の外。例えば、山奥に住む、後の世で山窩と呼ばれるかもしれない異文化の民。諏訪より遠く離れた村。
 そういった場所に伝わったみしゃぐちの神事は、最も重要な秘儀の欠落を、村々の伝統的な信仰で補いつつ行われた。
 斯くて、拡散は続く。本来の祭事から乖離した、しかし本質を絶やさず伝え続けられた、みしゃぐちを祀る祭りが広がる。
 大祝ならずとも、若しくは守矢氏ならずともみしゃぐちを降ろすことができた人々は、絶対数で見れば少なかろうが、確かに存在したのである。
 そんな中に、このような経歴を辿った憑坐が居てもおかしくはあるまい。
 「みしゃぐちを龍蛇神と見なし、その神体に近づける為に肉体を改造し、よりみしゃぐちを招きやすいように『名前のない器』として育てられた」憑坐がいても。

 かかる肉体改造の果て、憑坐となった男は木偶となったのであろう。
 身動ぎし、物を言う機能すら失われたとしても、龍蛇を象るその身自体をみしゃぐちに見立てることで、人々は其処にみしゃぐちを見たのだろう。
 その身が神を寄せ付けぬ特異体質であるが故に神を降ろすことは叶わなかったとしても、偶像としてみしゃぐちに“成る”ことは出来たのだろう。
 無論、想像。彼が口を聞けぬ以上、またモノを思う機能すら曖昧である以上、断定は不可能。
 しかし、少なくとも、彼がみしゃぐち自身ではなく、そして自らの名を持たぬが故に、当てはまり得る唯一の名である「みしゃぐち」を真名としたとすれば、説明がつく。
 無名の神の憑坐が、代わりに神の名を以て召喚される。神そのものを呼べないのだとしても、神に繋がり神を降ろす力を持つものであるならば、英霊としては上等であろう。
 残念ながら、彼を引き当てたものにとっては、最も肝心の「神を降ろす」能力が使えないのだから、全くお気の毒さまと言わざるを得ないが。

【人物・性格】

 不明。両手足がなく、発声機能も失われている上に、どうやら精神活動がほとんど存在していない状態である模様。
 手足の切断を含む過酷な肉体改造の痕跡が認められることなどから、生前の苦痛などを原因として廃人に陥ったものと推定される。
 辛うじてマスター側からの指示は受け付け、宛ら音声操作のリモコンロボットのように、入力された命令を実行しようと足掻く。
 但し、多くの場合、それは尺取り虫のように這いずり回るという形を取る為、機動力については皆無であると言ってもよい。
 それでも指示に従うのは、彼の無意識が「命令通りに動く」ことを刷り込まれているからか、それとも微かな自意識の残滓が反応しているのか。
 そのスキルから精神感応系の魔術にも反応しない為、真相は誰にもわからない。
 ただ彼は、蛇の木偶人形のように、マスターの駒として動くだけだ。

イメージカラー:病的な白
特技:?
好きなもの:?
嫌いなもの:?
天敵:?
願い:?

【一人称】- 【二人称】- 【三人称】-

【第三次土夏市聖杯戦争においては】

 聖杯戦争をまともに遂行するつもりなどさらさらなく、最初から『願いを叶えること』だけを目論んだロエサ・ディー・アンドリュズが、さる地域に伝わるみしゃぐち伝承に眼をつけて彼を召喚した。
 が、上述の通りに「このみしゃぐち」という最低のハズレを引いてしまい、その目論見は破産。サモナーは早々に脱落して聖杯に焚べられ、彼は行方を晦ましてしまった。

因縁キャラ

ロエサ・ディー・アンドリュズ:マスター
 第三次土夏市聖杯戦争に於けるマスター。

【コメント】

 舞台装置。


































「あ……うあ……お……」

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https://www9.atwiki.jp/f_go/pages/1341.html
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http://www.hajimeteno.ne.jp/dhtml/dist/js06.html

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