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KYC顧問教官・稲見悦治博士との思い出など−雑感

 KYCの創部当初、昭和30年代の終わりから40年代前半、顧問教官を担ってくださったのは、当時、教養部で地理学担当の稲見悦治教授(1910-1989)だった。KYCの集まりに、そう多くは出席いただけなかったが、KYC誌「心友」の編集に当たっていた私は、専攻実験(小動物/学習/心電図学)の傍ら、度々、教授の研究室やご自宅にまで出入りしていた。そして、研究論文の編纂や作図それに地理学協会の用務などにも携わらせてもらった数少ないKYC部員学徒の一人として、思い出などを少々…。
 教授は、旧制の中学校や女学校で教鞭を執られてから、東京文理科大学(現・筑波大学)を出られ、戦後、神戸市や大阪市の戦災復興計画の懸賞論文にトップで入選されるなどしたが、その間、病気や兵役などを乗り越えて、神戸大学では、助手から教授まで務められ、「神戸市における住宅地の傾斜限界に関する研究」で旧制の理学博士も取られた、都市災害地理学の権威であった。
このような経歴から、学生に対しては、常に柔和穏健で、KYCの活動を優しく見守ってくださっていた。ホステリングに不可欠の健康保持増進をアドバイスされたり、大学紛争で学舎が封鎖された時、研究室に蔵した旧国土だった大陸や半島の貴重な地形図などのことも大変心配されたりしていたことが、思い出される。
 KYCでの活動や研究室での経験は、私がその後、兵庫県で「指導の重点」という教育委員会所掌の全分野に亘る指針づくりを10年以上担った際や、あの阪神淡路大震災後、文部省(現・文部科学省)や自治省(現・総務省)の委員に任ぜられ、全国の防災教育の指針づくりに数年に亘り携った折などに、活きたと思料している。
 半世紀経っても、年々歳々、当時と変わりなく、心友との語らいの集いを楽しんでいる今日この頃の私である。                               
       16回生 寺内 幸治 〔平成24年9月記〕

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三笠 新平

2005年に大阪市立大学商学部(夜間)を卒業、在学中はマジメに勉強しました。
若いときはホンマに勉強しないですごしたのにやる気が出るのが遅かったという次第です。

蔭山 高正

年令相応の年寄になり、
気楽に過ごしています。

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