時は2000年、ナチスの「約束されし新世界−NeueNazi-Ordnung−」が崩壊してから45年が経った。

エンペラー・ルドルフ諸島(英語:Emperor Rudolf Islands)は、ツワナ帝国?・ポートエリザベスの南東1,770kmのインド洋に位置する諸島。ナチュレ島とエンペラー・ルドルフ島の2島からなる。ツワナ帝国の領土で、行政上は南アフリカ共和国南ケープ州に属するが、定住者はいない。旧称はプリンス・エドワード諸島。現在は南極観測のための進出拠点、また海軍と空軍の基地となっている。
エンペラー・ルドルフ諸島

所在地ツワナ帝国
所在海域インド洋
座標南緯46度46分23秒 東経37度51分09秒
面積335km²
最高標高1,230m

名称

エンペラー・ルドルフ諸島という名称は最初からつけられているものではなく、1972年に島の発見200年を記念して付けられた名称である。名称の元となったのはルドルフ1世とその夫のナチュレ皇太子である。

地理

ナチュレ島
ナチュレ島(Nature Island)は、南緯46度54分45秒 東経37度44分37秒に位置し、面積290 km²、海岸線は72 kmで大部分は崖となっている。最高地点はマスカリンピーク(標高1230m)。
火山起源であり、ナチュレ島は海底からの高さが約5000mある。死火山と思われていたが1980年に噴火し、現在も断続的に噴火が続いている。
エンペラー・ルドルフ島
エンペラー・ルドルフ島(Emperor Rudolf Island)は、ナチュレ島の北東約19 km、南緯46度38分39秒 東経37度56分36秒に位置する。ナチュレ島より小さく、面積はおよそ45 km²、海岸線は12kmで、最高地点は標高672mである。

歴史

1663年にオランダ東インド会社の貿易船Maerseveenにより偶然発見されたが、当時は経緯度を正確に記録する術がなかったためその後見失われた。1772年、南方大陸の探索にあたっていたフランスの探検家マリオン・デュフレーヌによって再発見される。彼の副官であったジュリアン・クローゼーはその後1776年、ケープタウンで第3次探検航海の途上にあったジェームズ・クックと出会いこの諸島の存在を教えた。その後クックはこの諸島へ向かったが悪天候のため上陸はできなかった。クックは諸島の名称を王子エドワードに因んで名付け、その主島は再発見者の名を取ってマリオン島と海図に記した。
最初に上陸した記録があるのは1803年のアザラシ狩猟者のグループだが、彼らはその前に他の人間が上陸していた痕跡を発見している。
1840年にはジェイムズ・クラーク・ロスが訪れたが上陸はできなかった。そして、1873年にジョージ・ネアズ船長により調査が行われた。
エンペラー・ルドルフ諸島周辺では度々船が難破した。1849年にはイギリス船がエンペラー・ルドルフ島で難破し、生存者は乗組員63人のうち10人だけだった。1908年にもノルウェー船がナチュレ島で難破した。
イギリス政府は1908年、William Newtonに21年間のグアノ採掘の権利を与え、1926年にはsealing companyに10年間のアザラシ狩りを許可した。
1947年終わりから1948年に南アフリカが併合し、ナチュレ島の東岸に気象観測所を作った。その後海軍のレーダーサイト基地が建設され、喜望峰沖の交通を見守っている。
1972年には島の発見200年を記念して名称が変更された。

関連項目

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