キプロス共和国 Κυπριακή Δημοκρατία Kıbrıs Cumhuriyeti | |
国旗 国章 | |
国の標語: なし | |
国歌: Ύμνος εις την Ελευθερίαν 自由への賛歌 | |
公用語 | ギリシャ語 トルコ語 |
首都 最大の都市 | ニコシア |
政府 大統領 首相 | |
面積 総計 9,250㎢(アトラントローパ計画以前) | |
人口 総計 人 | |
GDP | |
歴史 | イギリスより独立 1945年 |
キプロス分割 | |
通貨 | リラ |
時間帯 | UTC+2 (DST:+3) |
ISO 3166-1 | CY / CYP |
ccTLD | .cy |
国際電話番号 | 357 |
1945年、第二次世界大戦にイギリスが敗戦するとイギリス領キプロス島は独立した。
そして憲法が制定されると大統領にはトルコ系が、首相にはギリシャ系が務めること等が決まった。
1957年、ギリシャ王国が内戦に勝利すると国内のギリシャ系がギリシャへの帰属をより主張した。そして行われたギリシャへの併合を問う国民投票にて賛成多数で可決するもオスマンとトルコ系が反発。ギリシャ併合派の中心人物 ミハイル・ムスコスがトルコ系に襲撃される事件が起きたことからギリシャ代表団・オスマン代表団・キプロス代表団の三者会談が行われ、ギリシャ案の南部併合・希望者の移住、オスマン案のキプロス連邦
で協議し、最終的にギリシャ案で合意された。
キプロスは南部をギリシャが、北部をオスマンが併合し双方の希望者の移住が完了すると名実ともにキプロス共和国は消滅した。
北部キプロスについては「オスマン帝国」を参照
南部キプロスについては「ギリシャ王国」を参照
そして憲法が制定されると大統領にはトルコ系が、首相にはギリシャ系が務めること等が決まった。
1957年、ギリシャ王国が内戦に勝利すると国内のギリシャ系がギリシャへの帰属をより主張した。そして行われたギリシャへの併合を問う国民投票にて賛成多数で可決するもオスマンとトルコ系が反発。ギリシャ併合派の中心人物 ミハイル・ムスコスがトルコ系に襲撃される事件が起きたことからギリシャ代表団・オスマン代表団・キプロス代表団の三者会談が行われ、ギリシャ案の南部併合・希望者の移住、オスマン案のキプロス連邦
で協議し、最終的にギリシャ案で合意された。
キプロスは南部をギリシャが、北部をオスマンが併合し双方の希望者の移住が完了すると名実ともにキプロス共和国は消滅した。
北部キプロスについては「オスマン帝国」を参照
南部キプロスについては「ギリシャ王国」を参照
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