時は2000年、ナチスの「約束されし新世界−NeueNazi-Ordnung−」が崩壊してから45年が経った。

レストラン最後の晩餐へようこそ

レストラン最後の晩餐は、お客様に人類の最後の味を提供するレストランでございます。
入荷については不定期の為、大変心苦しいのですが再現した料理や一般的な料理を提供していますがきっとご満足頂けるでしょう。

概要

レストラン最後の晩餐(ソマリ語:Makhaayad Cashadii u Dambaysay)は、ソマリア国に存在するソマリア公安警備庁が指定した広域指定犯罪組織(刑法違反)である。
警察等の取締を避ける為に不定期に転移しているので客は店に行く為だけに国の端から端まで移動する様な行動と資金力を持っていない限り居住地の付近に転移した際に利用するという形をとっている。
紹介制レストランだから看板を掲げなくても客は入る為、今まで存在したどの店舗でも看板が掲げられておらず一見一軒家にしか見えない。
史実の八仙飯店や福岡の某ラーメン屋台といった一般的な人肉提供店と違う所として一般的な人肉提供店は死体を隠す事を目的に食品を提供していたり、それを行った結果商売に好影響が出た為死体を提供し始めたりしているがこのレストランでは死体を提供する事を目的としているという点も特徴。
また、製造直販式を採用している点は他の人肉提供店と同様だがこのレストランでは傘下医療機関から一部の刺殺や呼吸傷害等の厳選された死因による死体を使用している。

歴史

初代会長で創業者のアミーラ・ムブタズはハルゲイサ大学在学中の1965年にアルバイトをしていたホダアン工業?の食堂で当時の料理長、アズィーザ・ウルードが「君レストランの才能あるよ。」と言われた事が原因で卒業後料理人の道を選ぶ事を決意した。
1969年にモハメド・シアド・バーレ少将がソマリア国でクーデターを行い社会主義国家を目指し始めた。
その後10年以上の間、ソマリア国は社会主義国家になったがその際、レストランは資本的だという事で弾圧を受ける事になった。
その後反バーレ派組織による反政府武装闘争に巻き込まれ店が3回全焼。
内戦によって親を失ったりした少年少女を集め、防衛組織として晩餐会を設立するきっかけとなった。
1982年に勃発したソマリア内戦でも店舗の防衛という任務を遂行した。
現在は内戦もほぼ終了しており、晩餐会の任務は武装勢力からの店舗の防衛から警察等の捜査からの店舗の防衛に変わってきている。
人肉を提供する理由は、ソマリア国で行われていた食人行為に由来する物ではなく、アズィーザ家にアダル・スルタン国の存在した頃から
「人肉には悪いものを祓う。」
という迷信が伝えられていたからだと考えられている。

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