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戦争

概略

新史暦150年に始まり、151年に終結した戦争。
バキスタ地方において、リクシャマー帝国を中心とした西方六カ国連合軍と、ハルバンデフ率いる草の民が軍事衝突した事件。
戦いは草の民の勝利に終り、西方六カ国はその殆どが多大な被害を出し、その後の混迷の時代へと繋がっていく。

戦いの流れ

世にバキスタの戦いと言われる戦いは、草の民の勢力圏と西方諸国との間に南北に広く横たわる土地、バキスタ地方のクフォルク平原?にて西方六カ国による連合軍とハルバンデフ率いる草の民との間に起きた戦いとして知られている。
しかし、学術的にはハルバンデフが、昔から「互いにこの地方には兵を進めない」という不文律のあるバキスタ地方北東部に兵を進めてから、両軍が激突するまでの数ヶ月のことを指す。

ハルバンデフが最初に兵を進めたのは交易都市のゾルガ?だった。
ゾルガ?には治安維持の為に組織された私兵集団と、防衛の為に雇った傭兵部隊がいたが、かれらは戦わずして降伏した。
ゾルガ攻略後、ハルバンデフはこの都市を焼き払い、住人を虐殺した。

なぜゾルガ?ハルバンデフの来襲を予期できなかったかについては様々な説があるが、「互いにこの地方には兵を進めない」という不文律があったので、ハルバンデフの軍隊が来ても、それが自分達の都市を攻略するためのものだと思わなかった、という説が有力である。

ゾルガ?陥落の知らせを受け、バキスタ卿の代官はあわてて兵を集めて、ゾルガ?に一番近い都市フォルガ?に進軍した。
しかし、ハルバンデフが次に攻略したのはフォルガ?の後背の都市ボルス?だった。
このため、慌てて代官はフォルガ?を出てボルス?の救援に出るが、待ち伏せしていたハルバンデフの兵に不意打ちにあい、壊滅的な被害を受けてフォルガ?へと引き返すことになった。
この被害により、バキスタ卿であるゼダ家より援軍が来るまで、代官の軍はフォルガ?を動くことが出来なかったのである。

ゾルガ?ボルス?の陥落の報を受け、バキスタ卿であるゼダ家は、まず傭兵を集めてこれを援軍に向かわせたわけだが、その時の当主の命令は、「絶対にまともに戦おうとするな」だった。
まずは、ハルバンデフの強さを測ろうとしたのである。
フォルガ?の代官の部隊との合流を計る傭兵部隊は、ソミニアの平原地帯にてハルバンデフの軍と遭遇することになった。
傭兵部隊を率いるクルーガ・ガゥ・ドレンガ?は当主の命令を守りまともに戦おうとせず防御に徹したが、結局の所、ハルバンデフの戦術の前におびき出され、兵力の半分を失う手痛い被害を受けた。
傭兵部隊は、その後なんとか代官の部隊と合流したが、それから一週間もしないうちに始まった、ハルバンデフによるフォルガ?攻略によって壊滅した。

この敗北を受け、ゼダ家は虎の子の単眼神の群ハルバンデフの侵攻に対して出撃させることを決意するのである。

単眼神の群バキスタ地方の戦場に辿りついた時、既にイゾル?トリスタ?といった周辺の都市も落とされていた。
そのため単眼神の群の軍団長、ルスタン・ヴュ・ダムーシュは、ハルバンデフの進行路にあるバレリア?ワレリア?という説もある)とマグーシュ?の二都市を防衛ラインとしてハルバンデフの侵攻に対抗した。
ルスタンの単眼神の群は兵力の上ではハルバンデフの兵数の半数に満たなかったが、ハルバンデフの攻撃をよくしのぎ、一時的であるがハルバンデフの侵攻を食い止めることに成功した。

この間、単眼神の群の拠点防衛戦の報を聞きながら、ゼダ家当主は一つの疑問を抱くことになった。
すなわち、騎馬民族である彼らがなぜ拠点攻略に拘るか?である。
遊牧民である彼らは進軍に際して、家畜等は軍と共に連れて行く場合が多い。
一見すると、進軍速度が遅くなるように見えるこの行動は、実は補給ラインの確保のための拠点攻略に拘らなくても良い、自由な進軍を可能とする利点があるのである。
しかし、ハルバンデフの軍の拠点を攻略していくという軍事行動は、自らその利点を捨てていた。

ある日、リクシャマー帝国の皇宮を訪れ、戦術練習所での調練を見たゼダ家当主は、ハルバンデフの意図に気付き、慌てて皇帝に「この戦争は我々で解決するので、兵など出さないよう」に上申した。
彼は帝国の軍がもし参戦すれば負ける、と気付いてしまったのである。

ゼダ家の上申は、普段対立していたとはいえこの時は帝国を考えての意見だったのだが、皇帝はその意見を却下した。
これは帝国の中央集権化(いままで地方領主によってバラバラに行われていた徴税や工事等の公共事業を中央政府の管轄化に置こうとした。また常備軍を持つという先進的な考えもあったようである)を狙う皇帝が、これを機にゼダ家の実権を奪おうとしたため、また皇帝が今回の戦争を自らの肝煎りで薦めていた戦術研究の実践の好期だと考えたためである。
皇帝は早速諸国に檄を飛ばし、兵を集めた。
最大の仮想敵である北方帝国に対してリクシャマー帝国の威光を見せようとしたのである。
しかし、諸国は蛮族制圧等の内政問題を抱えていたため、実際に兵を出したのは六カ国に留まった。
これを西方六カ国と言う。

皇帝が兵を集めるのを見てゼダ家当主は、せめてハルバンデフの戦いを見知った単眼神の群を中核にするか皇帝の側に置くことを嘆願したが、皇帝はこれを却下した。
それどころか「余の帝国に老いたる臆病者はいらぬ」と、ゼダ家当主の隠居と、バキスタ卿の地位の返還を勧告するに至った。
バキスタ卿は諸王の会議により決められる地位であり、ゼダ家の当主問題は「介入しない」という建国以来の約束(ただし口約束である)があったため、皇帝のこの行動は暴挙に他ならぬことであったが、なぜか敢えてこの二つをゼダ家当主は受け入れた。
皇帝はまた、「単眼神の群を今回の戦いに使わない」ことを宣言し、単眼神の群バキスタ地方からの撤収を命じた。
ゼダ家当主は皇帝の命に従い、その日のうちに単眼神の群バキスタより引き上げた。
このことにより、バレリア?マグーシュ?は程なくして陥落した。

バレリア?マグーシュ?二都市の攻略により北バキスタを制圧したハルバンデフは、南バキスタの制圧を目指して軍を進める。
これに対し、バキスタ入りした諸国の軍隊は南バキスタ中央のクフォルク平原?を戦場と設定、ここにハルバンデフをおびき寄せるべく作戦を決行する。
そして、その策にかかったのか、それとも知った上での行動か、ハルバンデフの軍はクフォルク平原?に現れ、そこに陣を構えた。

クフォル平原?に現れたハルバンデフの軍は1万弱であったと伝えられる。
それに対して、西方六カ国連合軍の軍勢は総勢3万であったとも、5〜6万であったとも言われる。
確かなことは、西方六カ国連合軍は数の上ではハルバンデフの兵力を遙かに凌駕していたということである。
また、西方六カ国連合軍は革新的な戦術を用意していた。
西方六カ国連合軍の戦術、それは軍隊を三つに分けることで、そのうちハルバンデフと正面から対峙する一軍を重装騎士団および重装歩兵団によって構成させるということだった。
つまり人馬による城塞を作ろうというのだ。
この人馬の城塞により足止めを喰らっている間に、ウィリア騎士団を中核とした第二軍が後背を突き、遅れて到着するロズゴール王国を中核とした第三軍がハルバンデフの軍に止めを刺すというものである。

クフォル平原?における戦い、世に言うバキスタの戦いは朝靄立ち込める早朝に始まったと言われている。
重装騎兵と重装歩兵により人馬の城壁を展開するリクシャマー帝国軍を中核とした第一軍に対し、ハルバンデフが行ったのは隠していた投石器をはじめとした攻城兵器による一斉攻撃だった。
そう、この「革新的な」戦術は既に研究段階でハルバンデフの軍に漏れており、ハルバンデフが拠点制圧、こと攻城戦に拘ったのは、兵たちを攻城兵器および攻城戦術に熟練させるためだったのである。
伝説によれば、第一軍が陣営を崩し、崩壊するまでに2時間を要さなかったという。
この戦闘でリクシャマー帝国皇帝以下、多くの要人が草の民の人質となった。

リクシャマー帝国を中核とした第一軍を倒した後、ハルバンデフは軍を反転して後背を狙うウィリア騎士団を中核とした第二軍と戦闘を行うわけである。
しかし軍勢の方向反転というのは少数の兵力でも非常に難しいものであり時間を要する。一万を超える軍勢ならばなおさらである。
しかし、実際にはハルバンデフは短時間で軍を反転させ急襲してくる第二軍とぶつかり、これを壊滅させている。
なぜ、そのようなことが可能であったかと言えば、ハルバンデフは第一軍の戦闘の間に、普通は最後まで投入しないであろう部隊(予備役や親衛隊)を反転させ、これを第二軍との先陣とさせたのである。
当日の天候があまりよくなかったこともあり、クフォルへ?と向かうウィリア騎士団を中核とした第二陣は既に第一軍が崩壊したことを知らなかった。そのため彼らはまだクフォル平原?で戦闘が行われているものと信じて疑わず、そのような最中でハルバンデフの部隊と、第二軍との戦闘が行われた。
朝霧の中から現れた草の民の軍勢という予想外の事態に第二軍は慌て、そして、そのことがハルバンデフの下した命令の実行を容易にした。
ハルバンデフは、この先陣部隊に、敵の陣営中央を突破し、その際に馬上弓で百人長や十人長と言った前線指揮官を重点的に狙うように命じたのである。事前の情報収集で、ハルバンデフウィリア騎士団の地上戦における強さの秘密を、前線指揮官達の臨機応変さと見抜いていたのだ。
彼らは、突入してすれ違いざまに敵の百人長や十人長を次々に討ち取っていき、その後に訪れた草の民の本陣の前に、ウィリア騎士団を中核とする第二軍は実力を発揮できないまま壊滅するのである。
第三軍はロズゴール王国軍を中核とした部隊であるが、この部隊は被害を殆ど受けなかった。
というのも、草の民との事前の密約により、ロズゴール王国は戦闘に参加しないことになっていたからである。
ロズゴール王国軍はクフォル平原?での第一軍、第二軍の壊滅を知ると、そのまま軍を引き上げ、そのまま自国へと帰ってしまった。
かくしてバキスタの戦いの最大の戦闘、クフォル平原の戦い?は終わった。

戦闘の終了後、ハルバンデフが下した命令は「殺せ」だった。
戦闘で捕虜にしたものは身代金を要求し、身代金が支払われなかった場合には奴隷にして売り払うか、処刑(しかし、これはまずない)するのがこの時代の不文律のルールだったので、これは暴挙とも言える行動だったが、ハルバンデフはそれを相手が誰であろうと実行した。
その為、この戦いで各国の多くの要人が命を落とし、その後の長い混乱へと繋がることとなる。
リクシャマー帝国皇帝もこの際に処刑されかけたが、処刑の寸前に戦いが終わったとおもって安心しきっているハルバンデフの軍隊に突入してきたのは、皇帝が戦争への参加を拒んだはずの単眼神の群だった。
彼らは、戦いの最初から別の場所に待機してこの時を待っていたのである。
今度は、予想外の事態に草の民が慌てる番だった。
この混乱の最中、皇帝は一命を取りとめ、捕らわれていた要人の中の何名かも命を救われた。

戦後の西方諸国における混乱と変動

西方六カ国連合軍は、ハルバンデフのさらなる進軍に備えるべく、ありったけの残存兵力を集めて守りを固めたが、結局ハルバンデフは軍を草原地方?に引き返した。
これには色々な説があるが、もともとのハルバンデフの目的は北方帝国東のオアシス国家群?トゥルサであり、それらの侵攻の際に西方諸国が横槍を出してこないようにするためであったからというのが一番有力な説である。
また、西方諸国との貿易は草の民にとって多大な利益を生むので、ハルバンデフがもともとこれらを滅ぼす気はなかったのは想像に難くない。

戦後、皇帝は引退させたゼダ家当主のバキスタ卿への再推薦(これは殆ど無傷に終わったロズゴール王国の後押しもありすんなりと決まった)および、当主への復帰の許可、そしてゼダ家内政への不介入の成文化を余儀なくされる。
このことはリクシャマー帝国の中央集権国家化への遅れを意味した。

バキスタ地方には幾つもの城砦都市の建造が行われ、国境防衛のために多数の傭兵団が雇われた。そしてハルバンデフの再侵攻を防ぐために宿敵である北方帝国への多額の軍費を支払ってのハルバンデフ討伐依頼が行われる。このことはリクシャマー帝国を初めとする西方六カ国の財政を圧迫し、また、傭兵団の長期雇用はバキスタ地方を中心に治安の悪化に拍車をかけた。

また、バキスタの戦いにおいて多数の各国要人の命が失われており、このことはその後の各国における政治的混乱へと繋がった。
皇帝が一命を取り留めたリクシャマー帝国でもそれは例外ではなく、皇太子ロズゴール契による政治クーデターや、バキスタの戦いにおいて勢力を温存したロズゴール王国との紛争による領土喪失という事件が起きている。

戦術研究

後の世までバキスタの戦いの、特にクフォル平原の戦い?はリクシャマー帝国の失策、皇帝による「愚かな行動」として伝えられてきた。
しかし、近年の研究により、北方帝国のパトゥーサ皇帝パトゥーサの遠征において同じ戦術を使い、同じ陣列でハルバンデフが率いる草の民に勝利したことが判明しており、決して戦術自体に瑕疵があったわけではないという見方で一致している。

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