最終更新:ID:xNdoYlD0HQ 2009年12月23日(水) 13:22:08履歴
自分が特別な存在だと、無意識に思っていた。
この状況が当たり前すぎて、そんなことには微塵も気が付かなかったのだけれど。
ああ、やだな。こんな感情知りたくなんてなかった。
自分の中の嫌なところを知りたくなんてなかった。
1
この部活に入って思うこと。
――とにかくスキンシップが多い。
そりゃ女子高だし、クラスでも多少のスキンシップはある。
別にそれが嫌というわけではないし、あからさまに拒否したりはしないのだけれど……。
「あーずさっ」
「……はい、なんですか」
放課後の部活中。突然肩に手を回された私は、胸元のギターから目を離さずに答える。
ちなみにその手の正体は見なくとも分かる。部長の律先輩だ。
「…………」
「……? 律先輩?」
肩を組んだまま何も言ってこない律先輩をちらりと見て、あれ、と思う。
「先輩……なんでそんな顔してるんですか?」
はて、と首を捻る。
私の視線のすぐ先。
律先輩の顔はなんだか妙に不満気で、わきわきと左手を無意味に動かしている。
「なんか最近の梓はリアクションに新鮮味がないなー。つまらん!」
……またこの人は。勝手なことをさらりと言ってのけるんだから……。
私はやれやれとため息をつくと、
「そりゃ、これだけしょっちゅう抱きつかれてたら慣れますよ」
「抱きついてくるのは唯の方だろー。あたしはそこまでしてないぞ」
「……まあどっちでもいいですけど、そんなことよりそろそろ練習を――」
と、そこまで言ったとき、
「あーりっちゃん、ずるーい!」
ぺたぺたと上履きが床を蹴る音、そしていつものぽわぽわボイス。
気が付いたときには、こちらも今となってはすっかり慣れてしまった体温に包み込まれた。
「私もぎゅーってしたい! あずにゃん、いい?」
「そ、そういうのは抱きつく前に言ってください、唯先輩!」
「分かった。次から!」
……絶対うそだ。そうは思うけれど、もはやツッコむだけ無駄な気がしたので口を開くのは諦める。
ふたりの先輩に両サイドからぎゅうっと抱きしめられ、私の口からは大きなため息がこぼれるばかりだった。
「あのー、前から思ってたんですけど」
絡み付いてくるふたりに交互に視線を向けて私は言う。
「おふたりとも誰彼構わずこんなことしてるんですか」
「そんなことないよ! 私はあずにゃん一筋だよ!!」
「そーそー。あたしもあずにゃん一筋ですわよん」
……なんだか調子の良いことを言われてる気がしてならないです。
まあ、先輩達らしいと言えばらしいだけど……。
と、そんなことを考えながら先輩方にされるがままでいると、
「こら、ふたりとも! 梓が困ってるだろ。いいから準備しろ、練習するぞ!」
「えー」
「えー、じゃない」
「澪ちゃんのけちんぼ〜」
「な、なんで私がケチになるんだ! ほら唯もギター持って」
「ちぇー。あずにゃん、また後でね〜」
こうして、澪先輩の助け舟でようやく私は解放された。
……くっついていた場所がほんのり熱くて、思わず苦笑する。
2
一年生の教室がある廊下には、当然のことながら一年生と先生くらいしか歩いていない。
けれどその日。休み時間にトイレに行こうと廊下を歩いていた私は、少しだけ珍しい人物を廊下で見かけた。
――りっちゃん先輩!
そんな声が聞こえて、あれ、と足を止める。
一体どこから、と辺りを見回して、私はすぐに見覚えのある後ろ姿を見つけた。
……律先輩だ。
ふたつ隣のクラスの教室の前。一緒にいる女生徒は……知らない子だ。
けれど制服のリボンは私と同じ深い赤色をしていて、同じ学年の子だということだけは分かった。
(……どうしようかな)
先輩にこうして廊下で会うことなんて滅多にないことだ。
近寄って挨拶するべきなのか、しないべきなのか。
その答えを出すことが出来ずにその場で足を止めていると、彼女たちの会話が耳に入ってくる。
「りっちゃん先輩、なんで一年の教室にいるんですか? もしかして留年?」
「あのなぁ……失礼なこと言うなっつーの! 原田先生に用事があって来たんだよ」
「あー、怒られにきたんですか」
「……相変わらず先輩に対する態度がなってないな」
律先輩はぴくりと眉を上げて苦笑すると、そのまま女生徒の肩をがしりと抱いてぐりぐりとこめかみにゲンコツを当てた。
はしゃいだようにきゃあきゃあと声をあげる女の子と、けらけらと笑う先輩。
「…………」
そんなの、軽音部では見慣れた光景だ。
それなのに、こうやって客観的にそれを見ると、酷く違和感があった。
目の前でじゃれあうふたり。先輩と後輩。誰が見たって仲がいいんだと分かる。
「……あれ」
ちく、と。妙な感じ。
心の奥の……もっと奥。妙な気持ちが膨れ上がってくる。
それはぐるぐると渦を巻いて、ぎゅうと胸を締め付けた。
――あの場所にいるのは、私じゃないの?
そんなことを思って、はっとする。
い、いや、なにそれ。わけが分からないって。
自分で自分の思考にツッコミを入れる。
と、正体の分からない感情に襲われてその場で呆然と立ち尽くしていると、
「……梓ちゃん?」
振り返ると、不思議そうな顔をした憂が立っていた。
3
お昼休み。手作りのお弁当を広げ、これまた美味しそうなおかずを口に運びながらも、憂の視線はじいっとこちらに向けられていた。
「……なに、さっきから」
「そんなの決まってるよ。さっき、なんか様子おかしかったから」
憂は持っていたお弁当箱を机の上に置くと、わずかに身を乗り出した。
「なんでもないってば」
「でもなんか真剣な顔してたし……律さんがあそこにいたのと何か関係あるの?」
ぎく、とする。唯先輩と違って憂はやたらに鋭い……それとも唯先輩がにぶちんなだけなのかな。
しかし姉妹と言うのはやはり似ているもので、
「しんぱいだなー」
「…………」
「言って欲しいなー」
「…………」
「やっぱり私なんかじゃ梓ちゃんの相談相手にはなれないのかなー」
「……うぐぐぐ」
あーもう。憂には敵わないな、と思う。
というか平沢姉妹には敵わない、の間違いか。
どうやら私はこの視線に弱いらしい。
「あのさ、憂」
「うん」
「……私、もしかしたらものすっごく性格悪いのかも」
「え、な、なんで」
さすがに唐突だったらしい。憂は驚いたように瞬きを繰り返している。
そんな憂の様子に私は小さく苦笑してしまった。
(……でも)
憂に相談するにしたって、何をどう言えばいいというのだろう。
さっきの、急速にこみあげてきた何か。あれをどう説明しろというのか。
律先輩が他の後輩と仲良くしているのを見て、なんだか嫌な気持ちになった。
口にするにはあまりに独りよがりだ。
……それに、例えば、だけど。
もしも唯先輩が、さっきの律先輩みたいに他の後輩をあんな風に可愛がっていたら。
そんなことを想像して、うわ、と思う。
だって、頭の中で想像しただけなのに、またさっきと同じような気持ちが湧き上がってくる。
「だー、もう!」
「あ、梓ちゃん!?」
思わず妙な声を上げてその場に突っ伏す。
なに、これ。私……ものすごく嫌なやつだ。普段は先輩たちにあんな態度を取っているくせに。
「……梓ちゃん、結局なにも言ってくれてないよ?」
突っ伏した私を見ながら苦笑する憂に、私は顔を上げずに言う。
「ねー、憂」
「なに?」
「もし、だけどさ」
「うん」
「もし、唯先輩が他の後輩をすっごい可愛がってたら、嫉妬とかする?」
私のその問いかけに、憂はなにやら考えていたようだったけれど、
「えっと……それ、梓ちゃんのこと?」
「…………ごもっとも」
質問の仕方が悪かった。
4
結局憂には何の相談も出来ないままに放課後になってしまった。
今週は掃除当番なので部活に行くのは少し遅れてしまうけれど……こんな気持ちを引きずったまま部室に行くよりはマシか。
こんなんじゃきっとろくな音なんて出せやしない。
「……はあ」
ため息をつきながら窓を拭く雑巾をぼんやりと眺める。
掃除場所は職員室前の廊下。憂と並んで砂埃で汚れた窓を拭く。
「ねえ、梓ちゃん」
「なに」
「お昼のときの話だけど」
うぐ、と言葉に詰まる。
憂のことだ。きっとずっと中途半端に話が終わってしまったことを気にしてくれていたのだろう。
けど、その話はもういいって。
そう言おうとしたその時、
「嫉妬とか、するよ」
ぽつりと呟いた憂の言葉に、私は目を丸くした。
「…………意外」
「え、なんでー?」
クスクスと笑う憂。話しながらも順調に窓が輝きを取り戻してくるあたりは、さすが憂と言ったところだ。
「憂ってそういうのないかと思ってたから」
そこまで言って、私ははっとする。
「…………あのー、もしかして、私のこと怒ってる?」
恐る恐るそう尋ねてみると、憂はぱちくりと一度瞬きをして、すぐに笑い出す。
「あはは、なんでそんな怯えた顔してるの」
「いや、憂みたいなタイプって怒らせたら怖そうだし」
「ど、どういう意味、もう」
憂はぷいっと頬を膨らませて、やがて優しい笑みを浮かべた。
「怒ったりなんかしないよ。嫉妬って言ってもそんなに大袈裟なものじゃなくて、
ちょっと寂しいなって思うことがたまにあるくらいで」
にこにこと笑いながら憂は「それに」と続ける。
「梓ちゃんは私の大事な友達だもん。大好きな人と大好きな人が仲良しなのは嬉しいよ?」
「……憂ってよく出来た子って言われない?」
「あー……あはは……そ、そだね」
困ったように答える憂と顔を見合わせて、ふたりでくすくすと笑いあう。
「あのね、憂」
話し始めると、なんとなく憂の顔が見れなくなって、私は窓に視線を移す。
「今日、律先輩が一年の廊下にいてね」
そこまで言って、私は言葉を止めた。
窓に映った人影……あの時、律先輩と話していた子だ。
思わず振り返って、そしてその女生徒と思いっきり目が合ってしまう。
「……?」
その子はいきなり自分を見つめてきた私に戸惑っていたようだったけれど、ややあって、ああ、と手を叩いた。
「えーっと……そう、軽音部の!」
「え……」
中野さんだ、と名前を呼ばれてキョトンとする。
なんで私の名前……ってそりゃ知っててもおかしくないか。
律先輩の知り合いならば、軽音部のほかのメンツを知っていても何も不自然じゃない。
女生徒はにこりと笑ってこちらに歩み寄ってくると、
「軽音部すごいよね。文化祭のライブ見たよ」
「あ、ありがと……」
その子はなかなかに人懐っこくて、思わず身じろいでしまう。
「私もね、中学のときに学校でバンドやってたんだ。今は外バンだけど」
「あ、そうなんだ」
私はそう答えて、思い切って引っかかっていることを訊いてみることにした。
「あの……律先輩とは知り合いなの?」
「あ、うん。中学の時に組んでたバンドで、律先輩がドラムやってたから」
その子はさらりとそう答えて笑う。
「私、律先輩のドラム好きだったなー。あ、もちろん今も好きだよ」
あ、また。
もやってした。
「律先輩って優しいよね」
「そうかな」
気が付いた時には、そう言っていた。
隣の憂がほんの少し驚いたように私を見る。
思った以上に大きな声が出たのかもしれない。
「律先輩ってドラムは走り気味だし、練習だって全然してくれないし。もっと部長としての自覚を持って欲しい」
あれ、なんで。
こんなこと、いつも本人にだって言ってるくらいなのに。
どうしてこんなにもトゲトゲしくなってしまうんだろう。
そう思ったその時、
「……ほう」
「あ、律さん」
憂の言葉に振り返ると、そこには律先輩が立っていた。
まさか聞かれて……うん、この顔は明らかに聞いていた顔だ。
律先輩は、ふ、と口の端を持ち上げると、
「……悪かったな」
「え……」
てっきり、そんなこと言うのはこの口か、といつもみたいに肩を抱かれると思ったのに。
このこの、って頭をぐりぐりとされると思ったのに。
律先輩は、ただ小さく笑うだけだった。
その静かな笑みは初めて見る律先輩の表情で、いつもに比べてどこか大人びて見えた気がした。
「いやーダメダメな部長ですまんね」
律先輩はおどけた風にそう言って、私に触れることなく目の前の女の子に話しかけた。
「先輩、こんにちは」
「おーちょうど探してたんだ。ほら、今日言ってたあれだけどさ、今度譜面持ってきてもらってもいい?」
「いいですよ、どの曲にします?」
「そうだなぁ……」
律先輩の背中ごしに、ふたりの会話を聞く。
ふたりの間に飛び交うのは、私の知らない曲名たち。
ぐるぐると、頭が回る。
見えない何かに押しつぶされそうになって、思わずその場にしゃがみこみそうになったその時、
「梓ちゃん!」
右手を握られた。憂が心配そうに私を覗きこんでいる。
5
今日梓ちゃん部活遅れるって。憂から唯先輩にメールが送られた。
送信完了の文字を見て、憂はぱたんと携帯電話を閉じる。
「はい、梓ちゃん」
「ありがと……」
憂から渡された紙パックの紅茶。ストローを指して一口ごくり。
80円のジュースは甘ったるくて安い味。それでも、どうしてなのか美味しいと思った。
「……大丈夫?」
教室のある棟から少し離れたところにある階段。並んで腰かける。
騒がしい教室と違ってここは酷く静かで、それが今は有難いと思った。
人の多いところでは話しにくいだろう、と連れてきてくれた憂には感謝……だね。
「ごめんね、憂」
「なんで謝るの?」
「なんか、気遣わせちゃって」
ストローを口に咥えたまま自分の上履きを見つめていると、
「梓ちゃん……あのね、私で良かったらなんでも聞くからね」
憂がにっこりと笑う。
「あ、でも言いたくないんだったら、こうやって紅茶飲んでるだけでもいいから」
「…………」
ほんと憂って。どこまでも人に気を遣う子なんだ。
憂がいて良かった。本当にそう思う。
「ごめん」
「だから謝らなくていいよー」
苦笑する憂。その姿を見て、全部話そう、と思った。
私が話をする間、憂はうんうん、と何度も優しく相槌を打ってくれた。
自分でもよく分からない感情で、それを上手くまとめられないままに口にする。
途中何度も自分で何を言っているのか分からなくなってしまうこともあったけれど、憂はただただ私の話を受け入れてくれた。
全てを話すことで、自分がどれだけ嫌な人間なのかを思い知らされて辛い。
それでも、思いを吐き出すことで気持ちはずいぶんと楽になっていった。
そして最後の言葉まで全てを吐き出した私に憂が言った言葉は、
「嫉妬……だよね」
「ん……嫉妬だね」
まあ、結論は分かってる。そう、ただの嫉妬。
私はただ嫉妬しただけ。私の今の居場所に、私じゃない誰かがいる。
それが、私は嫌だった。
「あー……私、ほんっと子供だ」
思わず自分の膝に顔を埋める。
いつも律先輩に子供だ、なんてからかわれて。子供なのは律先輩や唯先輩の方じゃないですか、なんて言って。
けれど、子供なのは間違いなく私。私の方だったんだ。
(律先輩、多分怒ってた……)
譜面ってなんですか、先輩。私、その曲知らないです。
……放課後ティータイムをやめたり、しないですよね?
ごちゃごちゃといろんな思いや不安がこみあげてきて、そのまま視界が滲む。
ダメだ、泣くな。泣いちゃダメ。
私は慌てて目元を擦って顔を上げた。
「えと……なんか、いろいろ話聞いてもらっちゃってごめんね、憂」
そう言って笑うと、きゅ、と抱きしめられる感覚。
ああ、これ。まるで唯先輩に抱きしめられたときのような……。
「う、憂?」
唯先輩と同じ香りに包まれながら、私は困惑する。
けれど、それと同時に妙な安心感を覚えているのも確かだった。
「梓ちゃんは、もっと甘えていいんだよ」
「……憂」
「私もね、寂しいときはお姉ちゃんにいっぱい甘えてるんだよ?」
「憂が? 先輩が憂に甘えてるんじゃなくて?」
「ちがうよー」
憂は苦笑する。
「だって、お姉ちゃんはやっぱりお姉ちゃんだから」
憂が唯先輩に甘える姿は正直なところ全く想像出来なかったけれど、でも、姉妹ってそういうものなのかもしれない。
一人っ子の私にはあまり実感が湧かないけれど。
と、そのとき、
「……あ」
憂がふいに立ち上がる。
「憂?」
「梓ちゃん、がんばれ」
「へ?」
一体なにを?
そう尋ねる間もなく憂は私を置いて去っていってしまった。
なに、急に――
「おーっす、梓」
「…………」
聞き覚えのある声。
私は立ち上がり……そして思い切り地面を蹴って走り出した。
6
頑張れと言われても、何を頑張ればいいのか分からない。
大体まだ気持ちの整理だってついていないのに。
はあはあと息がうるさい。私の呼吸音だ。
「くぉーらぁー!! 待て、待たんかい、あずさーっ!」
背後ではそんな叫び声。
「つーかなんで逃げるんだよー! わけ分かんないって!」
「じゃあ追いかけて来ないでください!!」
「お断りしますーッ!」
妙に丁寧な口調でそう言って、律先輩はスピードを上げる。
律先輩は運動神経が良い。
私もそこまで足の遅い方ではなかったけれど、それでも徐々にふたりの距離は縮まっていく。
無我夢中。結んだ髪が宙を舞って、スカートが翻って、それでも止まらない。
止まれない。
けれど限界がやってくるのはすぐだった。
「ほい、捕まえた!」
ぱし、と律先輩の手が私の手首を捉えた。
引き寄せられる反動でバランスを崩し、私はそのまま律先輩の腕の中に収まってしまう。
「はぁ、はぁ……ふう……」
「律せんぱ……はあ、はっ……」
体を寄せたままふたりで肩を揺らし、そして顔を見合わせる。
「律先輩……なんであそこに?」
「いや、憂ちゃんからメール来てさ」
「…………」
ああ、もう。
ほんっと、準備の良い……よく出来た子です、はい。
そして、律先輩に抱きとめられたまま身動きが取れずにいる私。
……一体、何を言えばいいんだろう。
そんなことを思って、ふとさっきの憂の言葉を思い出した。
(そっか……甘えても、いいんだ)
どうせ子供なら。子供らしく、ぶつかればいい。
こんな風にもやもやした気持ちを抱えて、距離が出来てしまうよりも、ずっと良い。
「あの、律せんぱ――」
「なー、梓ってさ」
ほぼ同時に口を開いて、お見合い状態。
律先輩お先にどうぞ、と私が言うと、先輩はそのまま続けた。
「梓って、あたしのこと嫌い?」
「は、はい?」
「……と、今日そんなことを思ったわけだけど」
なんでそんなこと、と考えてすぐに納得する。
そりゃあんなところを聞いてしまえば、そう思っても仕方がない。
それくらいにトゲのある言い方だったから。
私は慌てて首を振る。
「そんなことないです!」
「そっか。よかったー」
にこっと笑う律先輩。そのまま会話が途切れる。
わずかな沈黙。腕越しに、先輩の呼吸が伝わってくる。
「あの……律先輩」
「うん?」
「先輩、軽音部やめたりしないですよね……?」
「へ?」
「しませんよね?」
「いや、ていうか、そんなこと一回も考えたことないんですけど……」
困惑した様子の律先輩はぽりぽりと頬を掻く。
「今日、一年生の子と譜面の話とかしてたから」
「あー……それは」
律先輩はほんの少しだけ気まずそうに言いよどんで、
「その……ドラムの練習に良い感じの曲があってさ。あたし昔の譜面なくしちゃったから」
照れくさそうにそう続けた。
「でも軽音部やめたりはしないって。だってあたし、部長だしな!」
と、律先輩は、ふと何かに気が付いたように私を見た。
「え、もしかして、今日なんか怒ってたのって、それが原因?」
そう訊かれて、思わず言葉に詰まる。
気が立ってしまった本当の原因は、そこじゃなくて……そのもうちょっと手前の話。
けれど、それを本人に言うのはあまりに勇気の要ることだった。
(……でも)
言おう。せっかく憂がくれたきっかけだ。
私は息を吸って、事の経緯を全て話した。
7
「…………」
話し終えた私を、律先輩はぱちくりと丸い目で見つめてくる。
「……あの、何かリアクションがないと、なんだかものすごく居た堪れないんですけど……」
「いや、なんていうか……」
律先輩はぽりぽりと頬を掻いて、そしてすうっと息を大きく吸った。
「まったく梓は――」
「可愛いんだからもー!!」
「へ!?」
突然の乱入者。背後からぎゅうっと力いっぱい抱きしめられて、私は面食らった。
「……って、唯先輩、なんでここに!?」
「なんでって……だってそこ、部室だもん」
「え?」
唯先輩の言葉で私は顔を上げた。
音楽準備室……って、え、あれ、いつの間に。
「梓……もしかして無意識でここまで走ってきたのか?」
呆れたように言うのは律先輩。
唯先輩に抱きしめられた拍子に律先輩の腕はすっかり私を解放している。
「ぜ、全然気が付きませんでした……」
「きゅうにバタバタバタって足音がしたからびっくりしちゃったよ」
「と、ということは……もしかして、全部聞いて?」
「……えへへ、ごめんね、あずにゃん?」
「〜〜〜っ!」
かあっと顔が熱くなる。
ということはおそらくあの扉の向こうには澪先輩やムギ先輩もいるわけで……。
私はみんなの前で、律先輩や唯先輩を独り占めしたい、とそんなことを告白してしまったわけで……。
し、死にたい……。
「にしても」
と、律先輩が言う。
「梓は生真面目すぎるんだよ。別に嫉妬するのだって全然おかしいことじゃないんだし、不安だったら言えばいいんだよ」
「そーだよ、あずにゃん。えへへ、そしたらいつだって抱きしめてあげるからね」
「……うう」
返す言葉もない。
私が顔を赤くして黙り込んでいると、
「でもりっちゃんがなんか様子変だったのはそういうことだったんだねー。納得なっとく」
「え? どういうことですか?」
「今日のりっちゃんね、部室に来たらすぐにドラム叩き始めて、澪ちゃんにドラムが走ってないか見てくれってお願いして……」
「こ、こら、唯!」
「あずにゃんに嫌われたかもって不安そうに――わ、わ、りっちゃん!?」
「後で覚えてろよ、唯……」
ぐぐ、と赤い頬で拳を握る律先輩。
「り、りっちゃん、ほら、あずにゃん抱きしめよう! そしたら落ち着くから!」
「って、唯先輩、人を巻き込まないでください!」
そうツッコんだところで時すでに遅し。
律先輩は握った拳を下ろすと、やれやれと苦笑して、
「よし、ふたりまとめて抱いてやる!」
「おわ、りっちゃん隊員おっとこまえー!」
そんなわけの分からない(ある意味いつも通りの)寸劇を挟んで、律先輩が私と唯先輩にまとめて抱きついた。
「うぎゅ……く、苦しい」
唯先輩と律先輩。
ふたりに挟まれて息苦しくて、でも思わず笑ってしまった。
ああ、なるほど。
今さら気が付くなんて、我ながら遅すぎるとは思うけど……。
確かに困った先輩方だけど……私は、確かにいま幸せだ。うん、間違いなく。
このページへのコメント
素晴らしい物を見せてもらった、いや本当に素晴らしい
真面目な梓と不真面目な律。
そんな正反対の二人だからこそ
分かち合える物ってのもあるかもしれないね。
とっても良い物を見せて貰いましたb
律梓は至高!梓は律に対して素っ気ない態度とるくせに、
律とのスキンシップの時はほぼ例外なく嬉しそうだよね。