「澪ちゃん、りっちゃん、ばいばーい。」
「また明日ぁ。」
校門で手を振って、唯とムギにさよなら。 澪と並んで、帰り道を歩く。
夏がじわじわ近付いてきてるね。 6時になっても、まだ明るい。 ててて・ててて。 ててて・ててて。
「おーい、なんだその変な歩き方。 速いって。 こっちは楽器持ってるんだから、気を遣えよ。」
「私もスティック持ってるよ。 おあいこ!」
「ちっともおあいこじゃない! そんなもんが重いなんて何処のお嬢様だ、あんた。」
赤信号で待ちぼうけ。 追いついてきた澪に小突かれる。 右折信号が終わるのを待つ、このちょっとした時間が私はきらい。
黄色に切り替わるのを、ずっと見張ってる群集。 一様にむずむずした他人たちが、同じ場所に佇んでいる。
どかんと爆発させてしまいたいよね、そういうの。 信号が青に変わって、平和なメロディが流れる。 ててて・ててて。
「さっきの曲だけどさー、ちょっとサビ弱くない?」
「やっぱりそう思う? でも、バランスとしてはこれくらいが落とし所なんだよね。 詞の詰め方いじってみるかなぁ。」
「あーあ。 澪が投げキッス嫌がらなかったら、こんなにインパクトで悩まなくていいのに。」
「投げキッスは関係ないだろ!! 音の話をしてるんだ、音の!」
真っ赤になって澪が怒る。 曲が終わった時に、唯と一緒に投げキッスしろって言っただけでこの通り。
ガールズバンドなんだから、それくらい。 唯なんて、自然にしてるだけですっごくガーリーだぞ。 澪も頑張んないと!
「私の事はどうでもいいだろ。 律こそ、間奏バラついてる。 綺麗に間隔取らないとかえって息苦しいよ、連符は。」
「だって、連符ってキライなんだもん。 お洒落なリズムで生きてます、って主張してる感じで。
すかしてるよ。 やっぱ、だだだだだ、って感情の赴くままに連打してこそのドラムだと思うわけですよ!」
「こら、律。 連符はね、恋の符とも書くんだぞ。 そう。 恋のリズムは、いつだって三連符なの……って。 あれぇーー!?」
タイ焼き屋で立ち止まって、クリームとつぶあんを購入。
モグモグ口を動かしながら、一人で歩き去る澪を眺める。 気付くの遅っ。 猛ダッシュで戻ってきた澪は、ちょっぴり涙目だった。
「ひひひ酷いじゃないか律! 一人でブツブツあんな……物凄く恥かいちゃったじゃないかぁーー!!!」
「安心して、澪。 私が隣にいたって恥ずかしい奴なのは変わらなかったよ?」
「だまれ!!」
ごふっ。 八つ当たりパンチがおへそにヒット。 口からモロッと食いかけのタイ焼きがこぼれる。 は、腹が……。
「わわっ! ご、ごめん律。 大丈夫か?」
「は、はみでた……お腹のあんこ……。」
こぼれたタイ焼きを指し示す私。 目を丸くして、ちょっぴり止まって。 澪がぷふっと噴き出した。 あはは、と二人で笑う。
五月の、とても優しげな黄昏。 足元の影が長く伸びる。 見慣れたこの街の景色が好き。
子供の時から変わらない夕焼け。 隣にはいつも澪。 だから、言わなきゃ。 この景色を。 もう見る事は無くなるんだ、って。
「……大学行かないってどういう事だよ。 私てっきり、律も進学するんだと思ってた。」
もう子供はみんな家に帰ったのか、誰もいない公園を横切りながら、不機嫌そうな澪の声を聞く。
小高い丘になってて、街を一望できるこの道が、私は大のお気に入り。 こんなに素敵なのに、いつも人通りが少ないのを不思議に思う。
「もともと頭の出来違うし、どうせ進学しても大学は別だったよ。 私ね、アメリカ行くんだ。 って言うかさ。 結婚する。」
「アメリカ!? けっっ。 けっこんーーーーー!!??」
思いのほかデカイ声にビクリとする。 やっぱり、こういう反応だったか。 分かりすぎるってのもつまらないね!
なんて。 本当は、つまらなく、ないけど。 飽きないけど。 嬉しいけれど、さ。
「けっ、結婚って。 何だよそれ。 何も聞いてないぞ。 いつ決めたわけ? 決める前に、一言くらい言ってよ!」
「だってこうなるの分かってたし。 なに、澪? 私がいなくなるから、寂しい?」
「茶化すなよ!!! ……律が決めたんなら、尊重する、けど。 一言。 相談してくれてもよかったじゃないか……。」
「でもさー、私くらいになると格好良い男の人、よりどりみどりじゃん? 恋人とか作る時、いちいち相談する?」
「恋人と旦那じゃ重さが違うだろ!! 結婚なんだぞ。 一生、その人と添い遂げるんだぞ……。」
いまどき、一生も無いよね、とか。 言えなかった。 私だって、そう思う。
恋は幸せであってほしい。 愛なら、なおさら。 切なくて、身を切られるような恋は、まっぴら。 なのに。
「……尊重、か。 あたしは。 いま澪が結婚するなんて言ったら。 ……泣いちゃうな。」
ひょいっと段差ブロックの上に飛び乗る。 子供っぽいかな? ま、いいんです。 高校生。 全然子供だもん。
背の低いあたしでも、こうすれば澪と同じ景色が見える。 今は澪と同じ目線で、いたかった。
「うん。 泣くだろうな。 誰だよお前、って。 勝手に澪を取っていくなよ、って。 腹が立って。 悲しくて。
いつでも隣にいた人が、私の事なんか忘れて、幸せそうにしてるんだ。 うん。 泣いちゃうな。 そんなの、辛い。」
「……なんだよ、それ。 自分はそうした癖に。 もう勝手にしてよ。 どこへでも行っちゃえ!!」
本気で怒っている。 これまで見た事が無いくらい、本気で。 澪の目が赤いのは。 夕暮れの、光の加減のせいなのかな。
段差が終わって、下り坂。 ててて・ててて。 小走りにならないようペースを抑え込む。
あーあ、癪だなあ。 気付いちった。 この歩き方、三連符だ。 澪の言葉を思い出す。 あーあ。 知りたくなかった。
「嘘だよ。」
「え?」
「結婚するなんて、嘘。 澪の反応見てみたかったからさぁ。 あっはは! すっかり騙されてやんの!」
けん、けん、ぱっ。 踊るように坂道を下る。 平衡感覚が狂う。 でもいいや、それで。 やってらんない。
振り返れば、これまで見た事が無い記録、更新。 怒りにうち震える澪が、掴みかかってきた。 殴られるかな。 それでもいいな。
「律!! ふざけるな!!! 言っていい冗談と悪い冗談……が……。」
急速に勢いを失っていって、黙り込んだ澪。 あれ。 ちょっとちょっと。 そこでやめないでよね。 拍子抜けしちゃう。
そこは、思いっきり引っ叩いてくれないとさ。 もう。 これ、さ。 誤魔化せないよ。
「り……つ……。」
ぽろぽろ。 ぽろぽろぽろ。 ぼろぼろ。 だめだ。 もうだめだ。 必死の抵抗も虚しく、涙の粒を零しだした私の瞳。
だめだよ。 明るく言わなくちゃ。 恋は、幸せでなくちゃ。 こんなの。 まっぴらだよ。
「……本当なの? 本当に結婚しちゃうのか、律? ううん、そんな事より。 ねぇ。 なんで、泣くの。
ひょっとして……幸せじゃない、の? なんで? どうしてそんな奴と! どういう事なんだよ、律!!」
人も。 自転車も。 車だって通らない。 近くの家は、今ごろ家族団欒でもしているのだろうか。
誰も私たちに気を留めない。 私を見てるのは、澪だけ。 誰に憚る事も無い。 だから私は、思いっきり泣いた。
「……お、お父さんが電話してるの、偶然聞いちゃって。 借金とか、なんとか。 アメリカで、心機一転、とか。
電話の向こうに何べんも頭下げるんだ。 こんなの。 シリアスすぎて笑い話にできない。 できないよ、澪。
それ以上聞きたくなくて、そこから逃げようとしたら、聞こえたんだ。 お、お父さん。 相手に。 律を、どうぞ、って……。」
ぶちまけた。 いつまでも隠せない。 ずっと一緒にいた澪だから。 一緒にいられないって、言わなきゃいけないから。
それもやっぱり、私、お父さんが大事なんだ。 背中を、優しく撫でてくれる手。 背、高い。 こいつ、本当に大きくなったなぁ。
「ね、澪。 一個だけ。 わがまま言っていいかな?」
「一個でも、何個でも。 私にできる事なら何でもする。」
「……。 一個だけ。 ちょっと、かがんで。」
こういう所、本当に澪はいい奴だ。 もう、一緒にはいられないけれど。 頼むよ、神様。
あなた、ちょっと意地悪だけど、これだけは本当に頼むから。 澪だけは。 どうか、幸せな恋をしますように。
少しだけ、膝をかがめた澪。 少しだけ、爪先を伸ばした私。 私は自分の唇を、ほんの僅かの間だけ、澪のそれに重ねた。
「……忘れるなよ、私のこと。 ずっと。」
友達だから、と言おうとして。 その言葉を飲み込んだ。 本当に言いたい言葉と、違うから。
呆けたような表情の、澪。 瞳を逸らさないで、私の事を見つめている。 さっきも、目を閉じていなかったのかな。
急に気恥ずかしくなって、背を向けて歩き出そうとしたら、がくんと止まった。 手。 いつの間にか、手を握っていたみたい。
「……おじさん、何時ごろ帰ってくる?」
「え。 たぶん、夜遅くだけど。 ……あのさ。 何考えてるの、澪。 お父さんに、何の用?」
「殴るのに決まってるでしょ!!! 許せないよ!! 絶対に!! 律を何だと思ってるのよ!!!」
唐突に噴出した激情に、こちらの方が驚かされた。 澪。 怒ってるなんてもんじゃない。
ベースを下げる手に力が込もっているのを見て、やばい、と思った。 こんな物で殴られたら、お父さんが死んでしまう。
「み、澪。 そりゃあ、私だって悲しいけれど。 暴力はよしてよ!」
「……じゃあ携帯。 携帯出して。」
「え、あ、うん。 はい。」
剣幕に押されて、思わず携帯電話を渡してしまって、あっと気付く。 しまった。 こいつ、まさか。
「……あ、もしもし。 律のお父さんですか? ご無沙汰しています。 律の友人の、秋山です……。」
「ちょ、ちょっとちょっと澪! 何してるんだよぉーーー!!!」
本当に、追い詰められたこいつは突拍子も無い行動を取る。 こいつ。 お父さんに直談判する気だ!
取り返そうとすると、澪が突然走って逃げた。 おっ、おい! やめてよ! 移動しながら、そんな話。 晒し者じゃんかよー!
オレンジ色の光の中、おっかけっこ。 背の高い奴は、ずるい。 一歩が、微妙に大きいよ。
何も無かった場所を抜けて、段々と商店街へと近付く。 流石に人も増えてきて、走る私たちを何事かと振り返る。
流れる黒髪が、陽光に晒されて綺麗。 こいつ、アドレナリン出すぎ。 怒鳴りながら走ってる癖に、ちっとも追いつけやしない。
あっ。 角、曲がるなって。 見失っちゃうだろ。 右、左、右。 ジグザクに商店街を走り抜ける。
こら、やめろ澪! これは目立つ! 目立ち過ぎる! 何度目の角だろう。 ぐるっと曲がった所で、私は人にぶつかった。
「あたっ! すっ、すひっ、ません!」
「いえ、こちらこそ……って。 ……律……。」
へっ。 ぶつかった相手は、澪だった。 え、何? どうしちゃったんだ? 今までの勢いはどこへやら。
息を切らした澪は、その場に茫洋と立ち尽くしていた。 私も息が切れて上手く喋れないけど、それでも何とか澪に詰め寄る。
「ちょ、ちょっと、澪。 あのさ。 とりあえず、携帯……返せ……。」
「勘違い……だって。」
「はぁ?」
「律じゃなくて、州立。 借金じゃなくて、シェーキーズ。 アメリカに行った同僚と、学校の話をしてただけ……だって……。」
「…………は?」
なに。 なに、それ。 ひょっとして、私。 そこは丁度、誰もいないバス停で。 私たちは二人揃ってベンチにへたりこんだ。
「どうしてくれるのよ! あんな物凄い剣幕で詰め寄って! 今度から、どんな顔しておじさんに会えばいいのよ!」
「悪かったってばぁ……。」
並んで力無く歩きながらも、澪の口撃は衰えない。 ここまでもの凄く長く感じたけれど、太陽はまだ沈んでいなかった。
赤い、赤い、夕焼け。 それを綺麗と感じる心に、さっきまでのような余計な感傷は消えていた。 あぁ。 本当に、よかった。
「そもそも普通に考えて、律なんか売り渡しても、相手は全然得しないわよね。 なんで気付かなかったんだろう、私……。」
「おい!」
ぽこっと、やっぱり力無く突っ込む。 かんかんかん。 踏切。 家までもう少し。 そう言えば、私。 まだお礼言ってなかった。
「ごめん、澪。 ……ありがとう。」
「……い、いや。 別に、いいけど。 律にビックリさせられるの、慣れてるし。 勘違いで、よかったよ。」
「うん。 よかった。 あ、澪。 くちびる、餡子ついてるよ。」
「え? 餡子なんて食べたっけなぁ……。」
そこまで言って、澪が突然赤面する。 私もハッと気付いて、赤くなる。 この餡子。 多分、さっき。
「そ、そう言えばさ、律さ。 その……さっきの、あれ、なんだけど。」
指で拭った餡子を舐め取る澪。 グロスもつけてないのに、艶やかな唇。 柔らかいのも、知ってる。
赤くなって言いよどんでるのは、多分。 ……うっ。 うぁ。 あああぁぁ!!! 急に恥ずかしさが込み上げて、走る。
「あ! お、おい律! 一人だけそっち行ってどーすんだよー! ここ、しばらく開かないんだぞー!」
踏切が閉まる前に、ダッシュで渡る。 踏み切りの音に掻き消されないように、大声で叫ぶ澪。
朝夕はここの踏み切りはちっとも開かない。 だからこの時間は、誰もこの踏切を使わない。 私も大声で叫び返した。
「みっ、澪、あのさ。 私、頭冷やすから! 今まで通り相手してよ! 忘れて! これまでみたいに、したいから!!」
「え!? ちょっと、律!!!」
叫んだ後で、声に思いのほか切迫した調子が篭ってしまったのを、恥じる。 考えるヒマが無かったけれど。
澪はアレをどう思うだろうか。 嫌悪、しないだろうか。 逃げ出そうとした瞬間、背中に投げつけられた声に、思わず立ち止まった。
「律! こっち向け!!」
怒ったような、声。 振り返れば、腰に手を当てて仁王立ちしてる澪。 電車が、近付いてくる音。
やっぱり怒った感じの顔は、夕日に照らされて真っ赤なほおずきのよう。 何だよ。 電車、来ちゃうよ。 早く言えよっ。
その時。 むぐぐ、としかめ面をしていた澪の左手が、唇に当てられて。 ちゅっ。 確かに聞こえた。
私に向けて、放り投げるように突き出される白い腕。 え。 これ。 これ、って。 がたんごとん。 がたんごとん。
電車が通り過ぎても、まだ私を睨み付けている澪の顔。 所在無げにしていた指先を、私に向かって突きつける。
「こら律! 勝手に、決めるな! 私は、やったよ。 恥ずかしくても、投げキッス! バッチリやったから!
今の私以上に恥ずかしい奴なんて、いなぁーい! だから。 あんたも逃げるな、律! 戻って、こぉーーい!!」
ぽかんと、する。 あの澪が。 接客さえできない、恥ずかしがり屋の澪が。 こんな大声出して。
私に、投げキッス、した。 ぷああああ。 がたんごとん。 二台めの電車が行き過ぎる。 はは。 あはははは。
「……おーい、澪ーーー!!!」
「何よ!!!」
「この踏切、当分開かないよー! ……でも。 踏切上がったら、言いたい事、あるから。 待ってて、くれるーー??」
「……待ってるから。 間奏でも、練習、してなさーい! 遮断機のリズム。 三連符でしょーー!!」
かんかんかん。 電車が通り過ぎるたび、合わさる視線。 待ってる。 待っててくれてる。 まだかな。 まだ開かないかな。
間奏、ね。 もう練習しなくたってばっちり。 自分で言ってた癖にさ。 理由、分からないかなぁ?
言いたい事、いっぱいある。 でも、まずは一つ、ちゃんと言おう。 よく考えたら、それ。 一番最初に言う事だった。
湿り気を含んだ風。 あぁ。 そろそろ夏が来るんだ。 私の世界も、少しばかり眩しくなりそうな気がしてる。
かんかんかん。 邪魔っけな踏切。 でも、いいや。 この踏切が上がる時。 何か素敵なこと、始まるような気、してるんだ。
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