最終更新:ID:kOSrzjgK0g 2009年12月18日(金) 18:01:10履歴
1
酷く怖い夢を見た。
体がじっとりと嫌な空気に包み込まれて、生暖かい汗が首筋を伝う。
今までにないほどの恐怖感に、あたしはただただ怯えることしか出来なかった。
……とはいえ。どんな夢だったかと言われると、正直なところ全然覚えてなかったりする。
でもまあ夢なんてそんなもんだと思うし、そんなことはどうでもいいんだ。
そう、どうでも。
そんなことよりも、今のこの状況について誰か説明してくれ、とあたしは声を大にして言いたい。
「……あの……ゆ、唯……?」
「うん?」
「いや、うん、じゃなくて」
いつものほんわかボイス。それがあたしの右耳のすぐそばで響く。
吐息が耳に降りかかり、くすぐったさに思わず身じろいで……そしてあたしは思う。
(……身動きが取れない)
理由は簡単だ。
唯の両腕が、しっかりとあたしの体を抱きしめているのだ。
はて?
なんでまた、こんな状況になっちゃってるわけ?
そんなことを考えながらあたしは唯の腕の中で首を捻る。
澪とムギが掃除当番で、唯もなにやら職員室に用事があるとかで、珍しく一番乗りで部室にやってきた放課後。
ひとりきりの部室で、なんだかやたらに眠くなってしまって、ちょっとだけ寝よっかな、なんてそんなことを思って。
……目を覚ましたらこんな状況だ。
こんなの状況を理解しろと言う方が無理って話だ。
「あのー唯? よく分かんないけどとりあえず離してくれるか?」
「いやです!」
「即答か!」
「だって」
唯は相変わらずあたしの耳元に顔を寄せたままそう言うと、
「りっちゃん、泣いてるもん」
唯のその言葉で、あたしは自分の頬が涙に濡れていることを知った。
2
音楽準備室にやってきて最初に目に入ったのは、長椅子に横たわりすやすやと寝息を立てるりっちゃんだった。
「わ、りっちゃん爆睡してる」
背中でギー太を揺らしながら、椅子の肘置きに両足を投げ出して眠るりっちゃんに歩み寄り、
「パンツ見えてます! りっちゃん隊員!」
そんな独り言を呟きながら、椅子の傍らにしゃがみこんだ。
自分のカバンを枕にして眠るりっちゃん。その胸元が規則的に上下している。
「んー……もしかして、りっちゃんお疲れ……?」
つん、と頬を軽くつついてみる。うわ、柔らかい。
そう言えばいつも澪ちゃんがにゅいっと引っ張ってる姿は見ていたけど、こうやって自分の手で触れることってあんまりないことかもしれない。
へへ、なんか楽しいな。
ぷに、ぷに、ぷに。
私の指先の動きに合わせて形を変えるりっちゃんほっぺ。
触れば触るほどに、なんだか妙にりっちゃんが愛しくなってくるから不思議。
「……起こしたくないなぁ」
ふたりきりの部室。
私とりっちゃんっていう面子が揃っているとは思えないほどに部屋は静かだ。
でも、全然嫌じゃないな。
こうやってりっちゃんに触れているのは、なんだか妙に居心地が良かった。
――澪ちゃんとムギちゃん、もうちょっとだけ遅れてこないかな。
そんなことを、頭の奥の奥で思った自分に、びっくりしてしまった。
と、そのとき。
「……っん」
りっちゃんの顔がなんだか苦しそうに歪んで、軽く開いた口からは搾り出すような声。
「……う、やだ……」
「り、りっちゃん?」
「っく……」
声をかけてみても、りっちゃんはひとりで辛そうな声を漏らすばかり。
もしかして、何か怖い夢でも見てるのかな……?
「りっちゃん……りっちゃん、平気?」
ゆさゆさと、りっちゃんの体を揺さぶる。
小さな体は私の腕力でも簡単に揺れて、その拍子に瞳にたまった涙がぽろりと零れ落ちた。
「う……んあ……?」
ようやく目を覚ましたりっちゃんは、小さく声をあげて、ゆっくりと目を開ける。
「りっちゃん、だいじょうぶ?」
「え……あれ……あたし……」
未だ頭の中は眠ったままなのか、りっちゃんは半開きの目でこちらを見ると、
「ゆい……?」
かすれた声で私の名前を呼んだ。
不安そうに下がる眉と、潤んだ瞳。
まるで赤ちゃんのように無防備な顔は普段のりっちゃんからは全く想像できなくて、思わず息を飲んだ。
「りっちゃ――」
気が付いたときには、体が動いていた。
もはや私のクセ。きゅう、とりっちゃんを抱きしめる。
憂ともあずにゃんとも違う感触に、どうしてなのか心臓が大きく跳ねた。
「……あの……ゆ、唯……?」
「うん?」
「いや、うん、じゃなくて」
りっちゃんは戸惑ったような声で言いながら私の腕をタシタシと叩く。
それでも私が腕の力を緩めないでいると、
「あのー唯? よく分かんないけどとりあえず離してくれるか?」
「いやです!」
「即答か!」
「……だって、りっちゃん、泣いてるもん」
「へ……?」
キョトンとした顔で自分の頬を触るりっちゃん。
どうやら涙を流していることにまったく気が付いてなかったようで、自分の指先が濡れていることに酷く驚いているようだった。
「あたし、もしかして泣いてた……?」
「うん。りっちゃん、なにか怖い夢でも見たの?」
「あーどうだろ、見てたような、見てなかったような」
「でもすごい辛そうだったよ」
「いや、夢だし大したことないって。実際なんも覚えてないんだから。あーでも起こしてくれてありがとな」
へへ、と照れたように笑って、りっちゃんは目元を擦る。
そんな動作ですら、なんだか可愛くて……なんか、私さっきからおかしいよ。
りっちゃんが可愛くて、可愛くて、なんだかどうしようもない。
と、そんなことを考えていると、知らないうちに腕の力が緩んでしまったらしい。
りっちゃんは隙あり、と笑って、私からほんの少しだけ距離を取る。
「脱出成功!」
「…………」
にっと笑うりっちゃんの顔がすぐそばにある。
ほんの少しだけ赤い瞳。
私がさっきまでつついていたほっぺ。
「……あ、あれ……?」
「……お、おい、唯?」
かあっと、それはもう急速に顔が熱くなってくるのが自分でもはっきり分かった。
りっちゃんは不思議そうに首を捻っている。
3
状況はなんとなく分かった。
それでも、唯の顔がここまで赤く染まる理由はあたしには分からない。
「だ、だ、大丈夫か? なんか尋常じゃないくらい顔赤いぞ」
「う、うん、あれ、へへ、おかしいな」
「落ち着けって、ほら、よーしよしよし」
酷く慌てた様子の唯を今度はあたしから抱き寄せて、優しく頭を撫でてやる。
「りっちゃん……多分それ、逆効果かも」
「え、なんで?」
「なんでも」
言いながらも、唯もあたしをぎゅうと抱き返してくる。
って、離れたいのかくっつきたいのかどっちなんだよ。
そうつっこみかけて止める。だって今日の唯、明らかにおかしいんだもん。
「唯……なんかおかしいぞ? もしかして体調でも悪い?」
「ううん、そうじゃないけど……でも」
もぞりと腕の中の唯が動く。
「なんか、ね」
「うん」
「りっちゃんとくっついてると、すごいドキドキするの」
またいつもの冗談で寸劇でも始めたのかと、思った。
それでもあたしの腕の中の唯の顔は、冗談だろと茶化してしまうにはあまりに真剣で。
けらけらと笑い飛ばしてしまうには、切なさの色が強すぎる。
「なんだろ、これ……おかしいね、わたし」
「唯……?」
覗きこんだ唯の表情。
赤く染まった頬と、熱っぽい吐息。
いつもの唯からは想像も出来ないほどに……そう、色っぽいという表現が一番しっくりくる。
……まさか、唯に対してそんな表現を使う日が来るなんて。
そして、あたしは。
不覚にも、そんな唯に、ドキリとしてしまったんだ。
「……って、ゆ、唯、顔近いって!」
「り、り、りっちゃんこしょ」
「言えてねーし!」
いつも通りのふたりに戻ろうと口を開くのに、どうにもこうにも上手くいかない。
なんだ、これ。なんだよこの空気。
甘ったるい香り。まだ放課後のティータイムは始まっていないはずなのに。
そしてそんな空気の中で、唐突に唯がこんなことを言う。
「ねー、りっちゃん」
「なに?」
「ちゅーしてもいい? ……って言ったら怒る?」
紅茶を口に含んでいたのなら、まず間違いなく目の前の唯の顔をびしょびしょにしていたと断言できる。
「な、なに言ってんだ、ほんと熱でもあるんじゃないのか!?」
「熱あるんだったら、ちゅーしてもいいの?」
「い、いや、そういう問題じゃなくて」
「…………」
じいっとこちらを見つめてくる唯。
ず、ずるい。そんな子犬のような目で見つめてくるのは反則だ。
自然と鼓動が速まっていくのが自分でもはっきりと分かった。
「じゃ、じゃあ」
嫌だって言うのは簡単なことのはずなのに。
「ほっぺ……だったら」
そんなことを言ってしまったのは、どうしてなのだろう。
……寝起きだから、頭が働いていなかった?
まさか。頭の中ではぐるぐると血がめぐる音がしてる。
――どこかで期待している自分がいた、なんて。
そんなことには、絶対に気が付かない。気が付いたりしないぞ、あたしは。
「……りっちゃん」
「あ……」
ごちゃごちゃと混乱する思考をストップさせたのは、唯の囁くような声と柔らかい感触。
触れていたのはほんの数秒。だけど、この静寂の中ではそれは果てしなく長い時間に感じた。
「……ぷはっ」
まるで長時間水の中で息を止めていたかのような唯の声。
思わず小さく笑って、そして唯と再び向き合う。
「……えへへ、りっちゃんにちゅーしちゃった」
「……唯にちゅーされちゃった」
「ふふ、ふふふ」
「な、なに笑ってんだ、こら!」
ぷるぷると肩を震わせて笑う唯の頬を、みょいーんと引っ張ってやる。
唯はふぎゅ、となんだか妙な声を発しながらも堪えきれない笑いを漏らしている。
4
唇で触れたりっちゃんのほっぺはやっぱりあったか柔らかで。
思わずぱくりといってしまいそうになったけれど、なんとかこらえた……というよりは、緊張で体が動かなかった。
「りっちゃん、どおしよ」
「な、なにがだよ」
「わたし、ものすっごくりっちゃん好きかも」
「いや改めて、んなこと言われると……その、照れるって」
照れ隠しなのか、拗ねたような口調のりっちゃん。
耳まで真っ赤に染めてそっぽを向く姿が、たまらなく愛しかった。
こんなりっちゃんの顔、初めて見たな。
澪ちゃんは、見たことあるのかな……りっちゃんのこんな表情。
私だけが見たことのある顔だったら、すっごく嬉しい。
「あー、そっか」
「ん、なに、どしたの」
ぽん、と手を打つ私を見て、りっちゃんは首を捻る。
「んーん、なんでもない」
「なんだそりゃ」
「えへへ」
笑って誤魔化したけれど、りっちゃんは納得がいかなさそうに口を尖らせている。
ね、りっちゃん。私、気が付いちゃった。
私ね、りっちゃんに恋してるんだ。他の誰でもないりっちゃんに。
いつからそんな気持ちを抱いていたのかなんて分からないけれど。
「ねーりっちゃん」
「なんだよ?」
「もっかい、ちゅー。しかも次は口でお願いします!」
「な、ばっ……キ、キリっとした顔でとんでもないこと言うな!」
ひっくり返った声でツッコミを入れてくるりっちゃん。
そのまま私から逃げようと体をよじるりっちゃんを、私はするりと腕の中に収めた。
りっちゃん、知ってた?
逃げる子を捕まえるのは、私の得意中の得意技だって。
「こ、こら、やめ――」
私を押しのけることなんて、りっちゃんなら簡単にできるはずなのに。
そうしないでくれたのは、ちょっとは自惚れてもいいってこと、なのかな。
「むちゅー」
そんな間抜けな声と共に触れた感触は、一度目とは比べ物にならないほどに柔らかで、私はますますりっちゃんの虜になってしまったのだった。
酷く怖い夢を見た。
体がじっとりと嫌な空気に包み込まれて、生暖かい汗が首筋を伝う。
今までにないほどの恐怖感に、あたしはただただ怯えることしか出来なかった。
……とはいえ。どんな夢だったかと言われると、正直なところ全然覚えてなかったりする。
でもまあ夢なんてそんなもんだと思うし、そんなことはどうでもいいんだ。
そう、どうでも。
そんなことよりも、今のこの状況について誰か説明してくれ、とあたしは声を大にして言いたい。
「……あの……ゆ、唯……?」
「うん?」
「いや、うん、じゃなくて」
いつものほんわかボイス。それがあたしの右耳のすぐそばで響く。
吐息が耳に降りかかり、くすぐったさに思わず身じろいで……そしてあたしは思う。
(……身動きが取れない)
理由は簡単だ。
唯の両腕が、しっかりとあたしの体を抱きしめているのだ。
はて?
なんでまた、こんな状況になっちゃってるわけ?
そんなことを考えながらあたしは唯の腕の中で首を捻る。
澪とムギが掃除当番で、唯もなにやら職員室に用事があるとかで、珍しく一番乗りで部室にやってきた放課後。
ひとりきりの部室で、なんだかやたらに眠くなってしまって、ちょっとだけ寝よっかな、なんてそんなことを思って。
……目を覚ましたらこんな状況だ。
こんなの状況を理解しろと言う方が無理って話だ。
「あのー唯? よく分かんないけどとりあえず離してくれるか?」
「いやです!」
「即答か!」
「だって」
唯は相変わらずあたしの耳元に顔を寄せたままそう言うと、
「りっちゃん、泣いてるもん」
唯のその言葉で、あたしは自分の頬が涙に濡れていることを知った。
2
音楽準備室にやってきて最初に目に入ったのは、長椅子に横たわりすやすやと寝息を立てるりっちゃんだった。
「わ、りっちゃん爆睡してる」
背中でギー太を揺らしながら、椅子の肘置きに両足を投げ出して眠るりっちゃんに歩み寄り、
「パンツ見えてます! りっちゃん隊員!」
そんな独り言を呟きながら、椅子の傍らにしゃがみこんだ。
自分のカバンを枕にして眠るりっちゃん。その胸元が規則的に上下している。
「んー……もしかして、りっちゃんお疲れ……?」
つん、と頬を軽くつついてみる。うわ、柔らかい。
そう言えばいつも澪ちゃんがにゅいっと引っ張ってる姿は見ていたけど、こうやって自分の手で触れることってあんまりないことかもしれない。
へへ、なんか楽しいな。
ぷに、ぷに、ぷに。
私の指先の動きに合わせて形を変えるりっちゃんほっぺ。
触れば触るほどに、なんだか妙にりっちゃんが愛しくなってくるから不思議。
「……起こしたくないなぁ」
ふたりきりの部室。
私とりっちゃんっていう面子が揃っているとは思えないほどに部屋は静かだ。
でも、全然嫌じゃないな。
こうやってりっちゃんに触れているのは、なんだか妙に居心地が良かった。
――澪ちゃんとムギちゃん、もうちょっとだけ遅れてこないかな。
そんなことを、頭の奥の奥で思った自分に、びっくりしてしまった。
と、そのとき。
「……っん」
りっちゃんの顔がなんだか苦しそうに歪んで、軽く開いた口からは搾り出すような声。
「……う、やだ……」
「り、りっちゃん?」
「っく……」
声をかけてみても、りっちゃんはひとりで辛そうな声を漏らすばかり。
もしかして、何か怖い夢でも見てるのかな……?
「りっちゃん……りっちゃん、平気?」
ゆさゆさと、りっちゃんの体を揺さぶる。
小さな体は私の腕力でも簡単に揺れて、その拍子に瞳にたまった涙がぽろりと零れ落ちた。
「う……んあ……?」
ようやく目を覚ましたりっちゃんは、小さく声をあげて、ゆっくりと目を開ける。
「りっちゃん、だいじょうぶ?」
「え……あれ……あたし……」
未だ頭の中は眠ったままなのか、りっちゃんは半開きの目でこちらを見ると、
「ゆい……?」
かすれた声で私の名前を呼んだ。
不安そうに下がる眉と、潤んだ瞳。
まるで赤ちゃんのように無防備な顔は普段のりっちゃんからは全く想像できなくて、思わず息を飲んだ。
「りっちゃ――」
気が付いたときには、体が動いていた。
もはや私のクセ。きゅう、とりっちゃんを抱きしめる。
憂ともあずにゃんとも違う感触に、どうしてなのか心臓が大きく跳ねた。
「……あの……ゆ、唯……?」
「うん?」
「いや、うん、じゃなくて」
りっちゃんは戸惑ったような声で言いながら私の腕をタシタシと叩く。
それでも私が腕の力を緩めないでいると、
「あのー唯? よく分かんないけどとりあえず離してくれるか?」
「いやです!」
「即答か!」
「……だって、りっちゃん、泣いてるもん」
「へ……?」
キョトンとした顔で自分の頬を触るりっちゃん。
どうやら涙を流していることにまったく気が付いてなかったようで、自分の指先が濡れていることに酷く驚いているようだった。
「あたし、もしかして泣いてた……?」
「うん。りっちゃん、なにか怖い夢でも見たの?」
「あーどうだろ、見てたような、見てなかったような」
「でもすごい辛そうだったよ」
「いや、夢だし大したことないって。実際なんも覚えてないんだから。あーでも起こしてくれてありがとな」
へへ、と照れたように笑って、りっちゃんは目元を擦る。
そんな動作ですら、なんだか可愛くて……なんか、私さっきからおかしいよ。
りっちゃんが可愛くて、可愛くて、なんだかどうしようもない。
と、そんなことを考えていると、知らないうちに腕の力が緩んでしまったらしい。
りっちゃんは隙あり、と笑って、私からほんの少しだけ距離を取る。
「脱出成功!」
「…………」
にっと笑うりっちゃんの顔がすぐそばにある。
ほんの少しだけ赤い瞳。
私がさっきまでつついていたほっぺ。
「……あ、あれ……?」
「……お、おい、唯?」
かあっと、それはもう急速に顔が熱くなってくるのが自分でもはっきり分かった。
りっちゃんは不思議そうに首を捻っている。
3
状況はなんとなく分かった。
それでも、唯の顔がここまで赤く染まる理由はあたしには分からない。
「だ、だ、大丈夫か? なんか尋常じゃないくらい顔赤いぞ」
「う、うん、あれ、へへ、おかしいな」
「落ち着けって、ほら、よーしよしよし」
酷く慌てた様子の唯を今度はあたしから抱き寄せて、優しく頭を撫でてやる。
「りっちゃん……多分それ、逆効果かも」
「え、なんで?」
「なんでも」
言いながらも、唯もあたしをぎゅうと抱き返してくる。
って、離れたいのかくっつきたいのかどっちなんだよ。
そうつっこみかけて止める。だって今日の唯、明らかにおかしいんだもん。
「唯……なんかおかしいぞ? もしかして体調でも悪い?」
「ううん、そうじゃないけど……でも」
もぞりと腕の中の唯が動く。
「なんか、ね」
「うん」
「りっちゃんとくっついてると、すごいドキドキするの」
またいつもの冗談で寸劇でも始めたのかと、思った。
それでもあたしの腕の中の唯の顔は、冗談だろと茶化してしまうにはあまりに真剣で。
けらけらと笑い飛ばしてしまうには、切なさの色が強すぎる。
「なんだろ、これ……おかしいね、わたし」
「唯……?」
覗きこんだ唯の表情。
赤く染まった頬と、熱っぽい吐息。
いつもの唯からは想像も出来ないほどに……そう、色っぽいという表現が一番しっくりくる。
……まさか、唯に対してそんな表現を使う日が来るなんて。
そして、あたしは。
不覚にも、そんな唯に、ドキリとしてしまったんだ。
「……って、ゆ、唯、顔近いって!」
「り、り、りっちゃんこしょ」
「言えてねーし!」
いつも通りのふたりに戻ろうと口を開くのに、どうにもこうにも上手くいかない。
なんだ、これ。なんだよこの空気。
甘ったるい香り。まだ放課後のティータイムは始まっていないはずなのに。
そしてそんな空気の中で、唐突に唯がこんなことを言う。
「ねー、りっちゃん」
「なに?」
「ちゅーしてもいい? ……って言ったら怒る?」
紅茶を口に含んでいたのなら、まず間違いなく目の前の唯の顔をびしょびしょにしていたと断言できる。
「な、なに言ってんだ、ほんと熱でもあるんじゃないのか!?」
「熱あるんだったら、ちゅーしてもいいの?」
「い、いや、そういう問題じゃなくて」
「…………」
じいっとこちらを見つめてくる唯。
ず、ずるい。そんな子犬のような目で見つめてくるのは反則だ。
自然と鼓動が速まっていくのが自分でもはっきりと分かった。
「じゃ、じゃあ」
嫌だって言うのは簡単なことのはずなのに。
「ほっぺ……だったら」
そんなことを言ってしまったのは、どうしてなのだろう。
……寝起きだから、頭が働いていなかった?
まさか。頭の中ではぐるぐると血がめぐる音がしてる。
――どこかで期待している自分がいた、なんて。
そんなことには、絶対に気が付かない。気が付いたりしないぞ、あたしは。
「……りっちゃん」
「あ……」
ごちゃごちゃと混乱する思考をストップさせたのは、唯の囁くような声と柔らかい感触。
触れていたのはほんの数秒。だけど、この静寂の中ではそれは果てしなく長い時間に感じた。
「……ぷはっ」
まるで長時間水の中で息を止めていたかのような唯の声。
思わず小さく笑って、そして唯と再び向き合う。
「……えへへ、りっちゃんにちゅーしちゃった」
「……唯にちゅーされちゃった」
「ふふ、ふふふ」
「な、なに笑ってんだ、こら!」
ぷるぷると肩を震わせて笑う唯の頬を、みょいーんと引っ張ってやる。
唯はふぎゅ、となんだか妙な声を発しながらも堪えきれない笑いを漏らしている。
4
唇で触れたりっちゃんのほっぺはやっぱりあったか柔らかで。
思わずぱくりといってしまいそうになったけれど、なんとかこらえた……というよりは、緊張で体が動かなかった。
「りっちゃん、どおしよ」
「な、なにがだよ」
「わたし、ものすっごくりっちゃん好きかも」
「いや改めて、んなこと言われると……その、照れるって」
照れ隠しなのか、拗ねたような口調のりっちゃん。
耳まで真っ赤に染めてそっぽを向く姿が、たまらなく愛しかった。
こんなりっちゃんの顔、初めて見たな。
澪ちゃんは、見たことあるのかな……りっちゃんのこんな表情。
私だけが見たことのある顔だったら、すっごく嬉しい。
「あー、そっか」
「ん、なに、どしたの」
ぽん、と手を打つ私を見て、りっちゃんは首を捻る。
「んーん、なんでもない」
「なんだそりゃ」
「えへへ」
笑って誤魔化したけれど、りっちゃんは納得がいかなさそうに口を尖らせている。
ね、りっちゃん。私、気が付いちゃった。
私ね、りっちゃんに恋してるんだ。他の誰でもないりっちゃんに。
いつからそんな気持ちを抱いていたのかなんて分からないけれど。
「ねーりっちゃん」
「なんだよ?」
「もっかい、ちゅー。しかも次は口でお願いします!」
「な、ばっ……キ、キリっとした顔でとんでもないこと言うな!」
ひっくり返った声でツッコミを入れてくるりっちゃん。
そのまま私から逃げようと体をよじるりっちゃんを、私はするりと腕の中に収めた。
りっちゃん、知ってた?
逃げる子を捕まえるのは、私の得意中の得意技だって。
「こ、こら、やめ――」
私を押しのけることなんて、りっちゃんなら簡単にできるはずなのに。
そうしないでくれたのは、ちょっとは自惚れてもいいってこと、なのかな。
「むちゅー」
そんな間抜けな声と共に触れた感触は、一度目とは比べ物にならないほどに柔らかで、私はますますりっちゃんの虜になってしまったのだった。
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この後が気になる
この後が気になる
唯律は世界を救う!!!!
大事な事なので2回言う。
唯律は世界を救う!!!!
新たな正義が・・・!
おいしく読ませていただきました。
唯律サイコ―!