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最初は、ただの知り合い。
唯ちゃんの幼馴染で、生徒会に所属。
「真鍋和」という名前以外に知っていることといえばその程度。
でも、彼女のことを知れば知るほど惹かれていった。
面倒見の良さ、クールな言動、端正な顔立ち、明晰な頭脳。
いずれか一つでも私にあればいいのに、と思わせる彼女。
憧れはいつか恋心へと変わっていった。
自分の気持ちに気がついてからは、それとなく用事を作っては彼女に話しかけた。
簡単な問題をわざわざ教えてもらったり、唯ちゃんと話をしているところに混ざってみたり。
結構、意識してもらえるようになったかな、と思う。
もちろん唯ちゃんには敵わないけれど、でもその次くらいには。
そして今日も、私は彼女に話しかける。
クールだけど優しい彼女の笑顔を求めて。
紬「ねえ和ちゃん、この問題教えてくれないかしら?」
本当に話したいことは、そんなことじゃないのだけれど。
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最近、軽音楽部に足を運ぶ回数が増えている。
ある時は律に生徒会関連の申請書類を渡すために。
またある時は幼馴染である唯の様子を見に行く……という名目で。
でも、私の視線の先は、彼女。
ふわふわとした雰囲気、穏やかな語り口、女の子らしい物腰。
私に欠けているものをこれでもかと兼ね備えている彼女、琴吹紬。
彼女がいるだけで何故か満たされた気持ちになれる。
これが恋というものなのだろうか。私にはよくわからない。
それでも、何かと用事を見つけては、彼女の演奏を聞きに軽音楽部へと向かっていた。
正確には、演奏など上の空で彼女の顔ばかり見つめているのだけれど。
最初の頃と比べると会話も頻繁にするようになったし、軽音楽部の部員達の次には私が一番仲良しじゃないかな、なんて自惚れてみたりする。
もっと彼女のことを知りたい。
こんな感情は初めてで、どう対処していいものかよくわからないけれど、今はただ彼女を見つめていられたらそれで幸せだと思うようにしよう。
案外、私も意気地がないものだ。
臆病と笑われるかもしれない。
でも、今の関係を変えてしまうような一歩は怖くて踏み出せなかった。
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最近、和ちゃんの様子がおかしい。
幼馴染だもん、それくらいは一発でわかる。
授業中どこか違うところを見ていたり、部活によく来るようになった。
そして、視線の先は授業中も部活中も同じ。
――――ムギちゃんのこと、ずっと見てる。
このことを憂に話してみると、何故か顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。
そして、ぼそりと「私にはよくわかんないけど、それは多分、恋じゃない?」と。
和ちゃんとムギちゃん。
どっちも私の大切な人。
二人には幸せになってほしい。
唯(ちょっと寂しい気がするけど、私も和ちゃんの力にならなきゃね!)
唯「……とはいえ、恋の手助けってどうしたらいいの?」
唯(こんなときは和ちゃんに聞いてみよう……)
いけない、ついつい癖で当事者の和ちゃんに頼ろうとしてしまう。
唯(うーん……りっちゃん、は多分私と同レベル、ムギちゃんは当事者……あずにゃんは相手にしてくれなさそう)
澪「そういう消去法で私に電話してきたわけか」
唯「澪ちゃんなら恋愛についての歌詞も書いてるし、乙女って感じかな、と」
澪「私だって正直その手の経験皆無なんだが……うーん、とりあえず、あの二人両想いではあると思うんだよな」
唯「そうかな?」
澪「最近ムギは和としょっちゅう話してるし、そうなんじゃないかな」
唯「じゃあ、私が心配するまでもないね〜」
澪「そうはいかない。二人ともラスト一歩が踏み出せなさそうなんだよな」
唯「ラスト……つまり告白ってことだね!」
澪「まあ簡単に言えばな。つまり、最後に背中を押してあげられたら十分ってことだ」
唯「なるほど……」
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今日も軽音楽部に来てしまった。
演奏中のムギを見たいから。
練習後、一緒に少しだけでも話したいから。
唯「ねえ和ちゃん、今日は一緒に帰ろう?」
でも、その願いは叶いそうになかった。
幼馴染からの誘い。
それは本来とても嬉しいことなんだけれど、この部室に名残惜しさを感じてしまう。
和「え、ええ、そうね」
ちらりとムギの方に目を向けてみる。
悲しそうな、少し妬いているような表情をしていた、ような気がする。
流石にそれは調子に乗りすぎか。
別に私がいなくとも、ムギには部活のみんながいるのだから。
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唯「こうやって一緒に帰るのも久しぶりだよね〜」
和「ええ、そうね」
唯「……ねえ、和ちゃん、私と付き合ってみない?」
和「……え?」
唯「私のこと嫌い?それとも、他に好きな人がいるの?」
和「別に……嫌いじゃないわ。私たち幼馴染じゃない」
唯「ふうん……ねえ、二つ目の質問に答えてないよ」
和「それは……その……なんていうか……」
明確な返事を出せない。
私は、ムギのことをどう思ってるのだろう。
いや、最初からわかっていた。
私は彼女に恋をしている。
認めるのが怖かっただけだ。
それを認めてしまえば、彼女に今までのように接することができず、今までのような関係が崩れてしまいそうで。
唯「……和ちゃんのいくじなし!」
さまざま考え込み黙り込んでしまった所に飛んできた幼馴染の声。
こんな風に唯が声を荒げたことなんて、記憶に無い。
ぷるぷると拳を握り締めながらこちらを見据えるその眼には、薄く涙すら浮かんでいる。
唯「好きなら好きって言えばいいじゃん!何が怖いのさ!」
和「……ずいぶん言ってくれるじゃない」
どこまでも唯の言うことが正しい。
だからこそ腹が立つ。
唯に対してではない、意気地のない自分自身にだ。
和「現在の関係が壊れるのがどんなに怖いか、好きな人に嫌われるのがどんなに怖いか、あなたにわかるの!?」
なのに、出てくる言葉は唯への非難。
どこまでも卑怯で情けない。
唯「わかるもん!」
唯「だって、私だって、こんなこと言って和ちゃんに嫌われたらって……」
そう言いながら、唯はぽろぽろと大粒の涙を流す。
でも、視線は私から外さない。どこまでも真っ直ぐに私を見つめている。
唯「でも、幸せになってほしいから!和ちゃんは、大切な幼馴染なんだもん!」
そうか、唯も覚悟の上だったんだ。
嫌われてしまうかもしれない、関係が壊れてしまうかもしれないと怯えながらも、私の背中を押してくれた。
いい幼馴染をもったものだ、と素直に思う。
和「唯……ありがとう」
涙をぬぐい鼻水をすすりながら、ぱあっと唯が笑顔になる。
思えば、何度この笑顔に救われてきたことだろう。
唯「わかってくれたんだね、よかったぁ」
和「ええ、感謝してもしきれないわ」
唯「えへへ、最初から和ちゃんならわかってくれるって信じてたけどね!」
和「あら、本当かしら」
唯「だって、大好きな人のことなら信じられるよ」
唯「……だから、和ちゃんもムギちゃんのこと信じてあげて、ね?」
和「ええ……にしても、私もまだまだね」
唯「何が?」
和「まさか、私のムギへの気持ちが悟られてるなんて思わなかったってこと。特にあなたにはね」
唯「ふふふ、なんてったって幼馴染だからね!」
唯「ほら、じゃあ善は急げだよ!今からでもムギちゃんに会って気持ちを伝えなきゃ」
和「そうね、急がなきゃ、ムギが帰っちゃう」
そう言って元来たほうへと和ちゃんは走り出した。
これで全てが丸く収まり、二人は幸せ……のはず。
唯(……ちょっとだけ、ムギちゃんにはやきもちだけどね)
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私を置いて、和ちゃんが帰ってしまった。
しかも、唯ちゃんと一緒に。
最初から気が付くべきだったのだ。幼馴染で、お互いのことを誰より知っている二人の間に入り込めるはずがないのだと。
第一最近部活に顔を見せてくれていたのも、唯ちゃんの様子を見に来ているって言ってたじゃない。
演奏中に目が合うってだけですっかり舞い上がっちゃって。本当に馬鹿みたい。
律「じゃあ、私も帰るなー」
梓「すみません、私もお先に失礼します」
部屋には私と澪ちゃんだけになってしまった。
紬(私も、もう帰ろう……)
立ち上がって荷物を取りに向かおうとすると、背中に声が投げかけられた。
澪「なあムギ、少し話をしないか」
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梓「……澪先輩一人で本当に大丈夫なんですか?」
律「大丈夫だよ。首謀者なんだから上手くやるさ」
この計画を唯と澪から告げられた時には驚いた。
一番お芝居だの計画だのから縁遠いであろう二人の言うことであるのだから尚更だ。
つまり、相思相愛でありながらも一歩踏み出せない二人をそれぞれ後押しするというお節介な作戦。
そのために唯は和を連れ出し、私と梓は、澪とムギを置いて先に帰る。
大事な話をするときには一対一と相場が決まっている。私と梓はお邪魔虫ってわけだ。
律「それに、澪は私の幼馴染だからな。私が信じてやらなきゃ」
梓「羨ましいですね、そんなに信頼のおける幼馴染がいるって」
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紬「ごめんなさい、そんな気分じゃないの」
大切な仲間にこんな冷淡な言葉を投げかけてしまう自分自身に嫌悪感を抱く。
これほど自分の心がささくれだっているとは思わなかった。
澪「和のことか?」
紬「……」
でも、澪ちゃんはそんなこと意に介さず話を切り出す。
澪「なんていうか、高校時代って一回しかないわけだろ?もう残された時間も短くない……私は、大切な人とたくさん思い出を作りたい」
少し顔を赤くしながら、それでも必死な様子で言葉を紡いでいる澪ちゃん。
澪「だから、足踏みしてる時間って、すっごく勿体ないって思うんだ。下手したら、そのまま卒業になっちゃうかもしれないんだぞ?」
私のために頑張って背中を押してくれた仲間の言葉が私の胸に深く沁み込む。
澪ちゃんが言わんとしていること、つまりそれは私と和ちゃんのこと。
紬「……そんなのイヤ」
和ちゃんと会えなくなるなんて絶対に嫌だ。
何もしないまま、時間が自然に関係を変えてしまうくらいなら、気持ちを打ち明けて自ら新しい関係を築く方がいい。
澪「じゃあ、さ……言わなくてもわかるよな?」
紬「ええ……私、行かなきゃ」
そう言って、さっきとは違う決意を胸に抱いて席を立つ。
今度は澪ちゃんも引き留めようとはしなかった。
紬(今出て和ちゃんに追いつけるかはわからない、でも、行かなきゃ)
しかし、出鼻をポケットの中での振動によってくじかれてしまう。
携帯に着信。
そこにあった名前は、最愛の人。
ディスプレイに表示された「和ちゃん」の文字。
紬「もしもし、和ちゃん?」
和『ムギ?今どこにいるの?』
ぜえぜえと息が切れている。もしかして走ってでもいるのか。
いまひとつ状況が飲み込めない。
でも、電話の向こうで彼女が私に何か伝えようとしてくれているのだ。
紬「部室よ、それより和ちゃん大丈夫なの?息が荒いけど……」
和『今から行く。待っててほしい』
それだけ言って、電話は切れた。
言いたいことだけ言って待ってろ?
冗談じゃないわ。
――――私も、あなたに会いに行く。
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日ごろの運動不足がたたってか、校門が見える頃には体力の限界に達していた。
あと少しなのに、足が止まりそうになる。
しかし、そんな私に向こうから駆け寄る人影を目視すると、それまで感じていた疲れなんて忘れてしまった。
和「ムギ……部室にいるんじゃなかったの?」
紬「ふふ、来ちゃった」
破壊力抜群の笑顔。
いつもなら癒されるムギの笑顔も、全力疾走で激しく脈打つ心臓には追加攻撃に他ならなかった。さらに速くなる鼓動に、呼吸さえ苦しい。
紬「私、足、速くないから……こんな学校よりのところまで和ちゃんを走らせちゃった」
向こうも向こうでかなり息を切らせている。
顔も真っ赤で、首筋には汗で髪の毛が張り付いていた。
和「あなたに電話した時点でもうそこまで来てたわよ」
まるでデートの待ち合わせカップルのような会話だ。
「待った?」「いや今来たところだよ」なんてありがちなドラマのような。
和「それでね、話があるの」
紬「奇遇ね、私もなの」
なんとなくお互いわかってしまう。
それでもやっぱり、言葉としてはっきりと聞きたいと思う。
和「じゃあ、せーので一緒に言いましょう」
紬「わかったわ」
呼吸を整える。
一世一代の大舞台だ。へまをするわけにはいかない。
紬・和「せーの!」
肺に存分に空気を吸い込み、彼女への気持ちを全て乗せて吐き出す。
「―――――――大好き!」
二人分の声が、綺麗に重なって夕焼け空へと消えていった。
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