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著者:別2-497氏


ピンポーンとチャイムの音が響く。
それを聞いた憂が皿洗いを中断して玄関へと小走りしていくのを、唯は床にへばりついて眺めていた。
夏休みに入ってから一週間も経っていない。
けれど唯の体はすっかりと夏休みに順応して、ひんやりとした床から離れるのを拒む。
点けっぱなしにしているテレビからは、今日も猛暑日になるだろうというニュースが流れていて、
唯はそれだけで暑さにまいってしまいそうだった。
今日で何日連続だったか…思い返してみようとするが、少し数えただけで嫌気がさした。

憂に聞けば多分知っているのだろうけれど、
そこまでして知りたい気にもなれず、団扇を扇ぐことに無心となった。
引き続きテレビからは、ダムの貯水率が40%を切っていて、断水の必要がある、
と水不足を懸念するニュースが流れていたが、唯の耳にはもう届かない。
唯にはそんなニュースよりも、なかなか戻ってこない憂の方が気がかりだった。
玄関からはなにか楽しそうな笑い声が聞こえてきて、唯は尺取虫のように這って
いき、部屋から顔だけをだしてそれを窺う。
そこでは妹と、よく知った黄色のカチューシャが談笑をしていて、唯は不満げに唸り声を漏らした。

「憂とりっちゃんが私を仲間外れにしたぁ〜!!」


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アスファルトをじりじりと照らす太陽は、一週間以上も働き詰めだった。
律は最後に雨が降ったのはいつだったかと記憶を探る。
それは2週間近く前のことで、タイミング悪く水泳の授業と被ってしまい、体育館
でバレーボールをやらされたことを思い出した。
それだけでなんとなく憂鬱な気分になった律は、ほっぺたを叩いて気を取り直す。
自分は今夏休みの真っ只中にいるのだから、と自らを励ます。そして単純にもそれは成功した。
夏休みはまだたっぷり1ヶ月以上も残っていて、それは律を上機嫌にさせるには十分すぎた。
それに今日も唯の家に宿題という「名目」で遊びにいくのだ。
それなのに低いテンションを連れ続けているのはなんだか損なように思えたし、第一、唯と一緒にいれば騒がしくならないはずもない。
気分のノってきた律は、アスファルトの蓄えた熱の上をぴょんぴょんと駆け抜けて、唯の家へと急いだ。

約十分の道程を経ると、律の瞳にはよく知った唯の家が飛び込んできた。
見栄えのいい二階建てで、相変わらず玄関前も清潔に保たれている。
憂ちゃん頑張ってるんだなぁ、と思いながら律はチャイムを鳴らした。
ドアの向こうからとたとたとスリッパの音がして、カチャリと開いた扉の隙間から憂の顔がのぞいた。



「あっ、律さん!!いらっしゃい。どうぞ入ってください」

「こんちわー。今日も暑いね…憂ちゃん家事とか大変じゃない?」

律の言葉に憂は少しだけ躊躇った笑みをみせる。

「少しだけ大変ですけど…好きですから」

憂の笑顔はキラキラと輝いて見えて、きっと唯のこと考えてるんだろうなぁと律は思い、クスクスと笑った。
憂もつられたようにクスクスと笑い始めて、二人はまるで姉妹のようにも見える。

「憂とりっちゃんが私を仲間外れにしたぁ〜!!」

突然に唯の言葉が二人の間に飛びこんできて、律と憂は目を丸くした。
視線を家の奥のほうに向けると、居間から唯が顔だけをだして不満そうな顔をしている。
憂が少しだけ慌てて年相応の表情を見せるのが律には可愛らしく思えた。

「怒るなよ〜唯。ほら来いよ」

律の呼びかけに唯はゴロゴロと転がって玄関までやってくる。
律は呆れながらも、それが唯らしく思えてやはりクスクスと笑った。
くしゃくしゃと律が唯の頭を撫でる。ふにゃりと唯の表情が柔らかく崩れて、気持ちよさそうに目を閉じた。

「も少しうえ〜」

「美容院じゃねぇよ!!」

唯と律のじゃれあいを眺めて笑っていた憂が「冷たいお茶持ってきますね」と言いながらキッチンへと歩いていく。
律がその後姿と転がっている唯を交互に見てニヤリと笑った。

「よくできた妹だなぁ」

「でしょ?」

自慢げに応じる唯のおでこを、律は人差し指で突っつく。
ほんと憂ちゃんはできた子だ…律はあらためてそう思うと、唯の瞳を見つめた。

「りっちゃんも早くあがってきなよぉ」

唯はやっとこさ起き上がると、律の手を引っ張ってリビングへと連れていく。
外気の暑さは嫌になってしまうぐらいなのに、唯の暖かさはなんだか心地よくて、律にはなんとなく気恥ずかしく思えた。

「ゲームしよゲーム!!」

唯は楽しそうにハードを準備しているが、コードをどこに挿せばいいのかよく分かっていないらしい。
見かねた律が配線を終えると、唯はキラキラ瞳を輝かせてカセットに息を吹きかけている。
そんなことやったなぁ、と律は唯の行動を懐かしみながら見ていた。


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コップに氷と麦茶を注ぐ。
カラカラと清涼感溢れる音を氷が奏で、憂の耳に心地よく響く。

「そうだ…そろそろ風鈴でも飾ろうかな?」

憂は一人そうごちると、棚に入れてあった菓子を探る。
首尾よくクッキーを見つけて皿にあけると、飲み物とまとめてトレイに乗せる。
後でかき氷でも作って持っていってあげようかな…憂がそんなことを考えているとリビングからは唯と律の騒ぐ声が聞こえてくる。

「お姉ちゃん楽しそうだな」

憂はそれだけで嬉しくて、自然と笑みが零れた。
夏休みの午後は平和すぎるぐらい平和に流れていく。
トレイを運ぶ憂の足取りは真綿のように軽かった。

「飲み物とお菓子ここに置いておきますね〜」

憂の言葉に唯たちも作業を中断してテーブルへと集まってくる。
手癖悪く唯が早速一枚クッキーをさらって口へと放り込んだ。
特に高級なものであるとかそういうことはなかったが、気分が良ければそれだけで幸せだ。
甘いものがあればさらに幸せに決まっている。
律も律で、灼熱の道を歩いてきたばかりで、キンと冷えすぎるほどに冷えた麦茶は悪魔の味だった。

「あっ、おかわりもってきますね」

憂がそう言って麦茶のピッチャーを取りにいく。
律は内心悪いなぁと思いつつも、嬉しくないはずもなくて大きく頷いた。

「ありがとね憂ちゃん」

「いえいえ。気にしないでください」

丁寧な物腰でよく気の利く憂が唯の妹だと思うと、律はやはりなんとなく腑に落ちないものを感じるのだった。

「憂ちゃんくれ!!」

「だめだよぅ…大事な妹だもん」

憂が聞いたら狂喜しそうな言葉を唯は平気で言う。
憂が唯にべったりなのもなんとなくここらへんに原因があるのじゃないかと律は一人思案に耽るが、
どんな唯だろうが憂なら変わらず大好きになるようにも思えて、それがどうしようもないほどに微笑ましく感じた。


「お待たせしました」

「ありがと〜」

感謝の印か、律がふざけて憂に抱きつく。
真面目な憂は姉以外からのそういったスキンシップには慣れていなくて顔を真っ赤にする。
憂の反応に律の方までなぜか恥ずかしくなってしまって同じように顔を桜色に染めた。
恥ずかしさを紛らわそうと「暑いね〜」なんて言いながら律はパタパタと頬を手で扇いだ。

「憂もゲームしようよ〜」

唯だけはマイペースを貫いていて、ふにゃりとした笑みを見せている。
それがなんとなくおかしくて、憂と律はくしゃくしゃと笑った。

「う〜ん…でもお姉ちゃんたちの邪魔しちゃ悪いし」

「邪魔じゃないよねぇ、りっちゃん?」

「そんなわけないだろ〜。私憂ちゃん大好きだもん」

あっけらかんとそう言う律に、憂はまた頬を赤く染める。

「りっちゃん浮気〜?」

唯が唇を突き出してぶーぶーと文句を言う。
ニヤリとしながら「そうかもなぁ」なんて律が言ってのけるものだから、唯は臍を曲げて憂に泣きついている。

「およよ〜ういぃ。りっちゃんが浮気したぁ!!」

シクシクと演技なのか本気なのか区別のつかない涙を見せる唯の頭を、憂はまるで母親のように撫でた。

「盗ったりしないからないちゃダメだよお姉ちゃん。律さんもメッですよメッ!!」

ごめんごめんと頭をかきながら、律は照れくさそうにはにかむ。
開け放された窓から風が吹き込んで、火照った律の頬を撫でた。


--------

七月の日は長い。けれど楽しい時間はあっという間だ。
3人で有名なパズルゲームに没頭していたせいか、とうに日は傾いている。
短波長の青は遮られ、空は朱に染まった。ジージーとよく分からない虫の鳴き声があちこちから響いていた。

食事用のテーブルを律が軽く濡らした布巾で拭いている。
キッチンではエプロンに身を包んだ憂が素麺を茹でていて、めんつゆに使った鰹節の香りがリビングまで溢れ出していた。
平沢家の長女であるところの唯も、少しはゴロゴロしていることに罪悪感を覚えたのか、ぴょんぴょんと憂の後ろで飛び跳ねている。
唯はなにかをしたいとは思っていても、結局思い至ることが見つからなくて、つまるところ憂の応援係に従事したのだ。
それはなにもしていないことと同義ではあったけれど、憂にとっては後ろで姉が眺めているということが重要で、自然とやる気が満ち溢れた。

「できましたよ〜」

キッチンから憂の言葉が響く。律が配膳を手伝おうと、キッチンへと顔を出した。
氷水で間接的に冷やされた大皿にはたっぷりと素麺が盛られている。
ピンクや緑のものがいくらか交じっているものが唯のお気に入りで、憂はそういったものを選んでいた。

「それ持ってくよ憂ちゃん」

「重いですけど大丈夫ですか?」

「私結構力には自信あるんだ〜」

律は憂から皿を受けとると、テーブルまで運ぶ。
今度はしっかりと唯もめんつゆを注いだ小鉢を運んでいて、少しだけ得意顔だ。
憂が麺を茹でた鍋を水に浸していると、リビングからは待ちきれないといった様子の唯の呼び声が聞こえた。
憂はエプロンをはずして、人数分の箸と冷やした緑茶を用意する。
夜になっても気温はほとんど変わらず、いやに蒸し蒸しとしていて、カランと氷の音を響かせるお茶が見目にも涼しかった。

「いやぁ、ほんと悪いね憂ちゃん…晩御飯まで御馳走になっちゃって」

憂がリビングに着くと、律が申し訳なさそうに律が言葉を漏らした。
本当は日が暮れる前に帰る予定だったのだが、唯がくっつき虫みたいに律にひっついて放さなかったのだ。
夏休みだということも手伝ってあれよあれよと泊まることまで決定してしまったのだが、
意外に気を使うところのある律にはそれがなんとなく憂に悪く思えて、普段より縮こまっているみたいだった。


「いえいえ。お姉ちゃんも律さんがいてくれると嬉しそうですし」

「りっちゃん!!私は嬉しいよっ!!」

憂の言葉に唯が力強く賛同すると、律は照れたように笑う。
唯がそれをものめずらしそうにジッと見つめると、律の頬はさらに朱色に染まった。

「あ…ありがと。あー、私お腹減っちゃったぜ!!」

唯の顔が近い。律は耳まで赤くして、ごまかすように声を強めた。

「そうですね。伸びる前に食べちゃいましょう」

顔を真っ赤にしている律を可哀想に思ったのか、憂が助け舟を出すと、唯の意識もすっかり食事モードへと切り替わった。
3人は声を揃えていただきますの挨拶を済ますと、素麺を啜る。
市販品のめんつゆを薄めたものではなく、しっかりと鰹節で出汁をとったものだから香りが強い。
暑い時期に合わせてか、つゆには小さく刻んだナスやピーマンなどの夏野菜が煮込まれているのは唯の健康に気を使う憂の気遣いだ。
3人は思い思いに話をし、そしてクスクスと笑った。
明日もまた晴れそうだ。憂はなんとなくそう思った。


--------

「りっちゃん起きてる?」

「起きてるよ」

会話の途中、不意に唯が言葉を漏らした。
今の今まで話していたのだ、律は寝付きの良い方ではあったが寝入っているはずもないし、そしてそれは唯も知っていた。
唯が会話の途中に名前を呼ぶ行為は、ある種の覚悟の表明みたいなもので、その後ろに繋がるのが「起きてる?」だろうが「元気?」だろうが些細な問題なのだ。

今までにも何度かそういうことがあったので、律はすっかりそれに慣れていて、大人しく唯の言葉を待った。
しかし、しばらく待ってみても唯はだんまりでついには俯いてしまっている。
なにかまずいことをしただろうかと律は思い返すが、これといった心当たりはない。
なんとか唯を引きだそうと律は頭を捻る。
しかしなにも思い浮かばない。
緊張とちょっとした恐怖が混ざり合って、律の胸を満たす。
トクンと心臓がひとつ大きな音をたてて、律の頬を汗がつたう。
ふぅ、と大きく息を吐いて呼吸を調える。
なにも考えはでてこない。しかし律の手はそんなことは関係なしに動いていた。

「なぁに、りっちゃん?」

「こうすると気持ちいいだろ?」

唯と律の手が繋がれている。
今夜も熱帯夜と言っていいほどに気温は高くて、二人でかぶったタオルケットからすら這いだしたいぐらいだったけれど、お互いの体温は妙に心地よかった。
唯の頬がカッと熱をもつ。
カーテンの隙間から漏れる月明かりが、薄桃色の唯の頬を浮かび上がらせている。
綺麗だ。律は自然とそう思った。
律の背中をむずむずするような感覚がはしる。
手汗をかいているかも、とかそんなことばかりが気にかかって、どうしようもなかった。

「もっと…」

「ん?」

唯の言葉に、律は指先に込める力を強める。
指の股までぴっちりと絡み合って、なんだか一つの生き物になったみたいだ。


「むぅ」

けれど唯はなんだか不満げに唇を尖らせた。
じわりと汗が手に滲むのを律は感じた。

「りっちゃんのばかぁ」

ぺしぺしと、唯の手が律の脇腹を叩く間の抜けた音が響く。
これは本格的に機嫌を損ねてしまったと律は焦るが、なんの解決にもならない。
女の子の気持ちは…とりわけこういうときの唯の気持ちは分かりにくい。
普段は分かりやすいぐらいなのに、目の前の唯は靄がかかったみたいに曖昧だ。
しかし、だからといってなにもしないわけにはいかず、律は恐る恐る口を動かした。

「ごめんな…唯。なんで怒ってるか分かってやれなくて…」

「りっちゃんって変なとこ律儀だよね。りっちゃんの律は律儀の律だ」

唯がじとりとした視線を律の双眸へと向けた。

「はぁ…?」

唯の言葉をうまくのみこめず、律は疑問符のつまった吐息を漏らす。

「だってほら、そんなこと言わなくてもいいじゃん。黙って頭撫でたりしてればなんとかなっちゃうもん」

唯がにへらと笑みを見せている。
なんだか知らないけれど機嫌はなおってしまったみたいだ。
けれどなにか腑に落ちなくて、今度は律の方が難しい顔をした。

「そういうもんか?」

「そういうものだよ」

唯がもぞりと動いて、上半身だけ体を起こす。
視線がカーテンの隙間からのぞく月を捕まえていた。


「なんだかバカらしくなっちゃった」

「なにが?」

吹っ切れたように漏らした唯の言葉に、律が問いかける。
今日の唯は分からないことだらけで、律は頭がこんがらがってしまいそうだった。

「怒ってたこと。りっちゃん天然なんだもん」

唯は呆れ顔でそう言って律の頬をつついた。
律の表情がムッとしたものに変わっていく。

「唯には言われたくないぞ」

ぷいとそっぽを向いてしまった律が可愛らしくて、唯はくすりと微笑んでその頭を撫でた。
会話は繋がらない。沈黙が二人の隙間を埋める。
ただ隣にいるだけ。けれどそれが妙に心地良い。

「りっちゃん…も少しそっち寄っていい?」

静寂を破ったのは唯の言葉だった。
さして広くないベッドだ。二人の距離はもう十分に近くて、その『も少し』は肌を触れ合わせるのと同義であった。

「…いいよ」

唯の体がゆっくりと律の方へ寄る。
唯のもぞもぞと動く様子を背中で感じた律が身体を強ばらせる。
なに緊張してんだ私は…。律の身体は沸騰して、そのまま蒸発してしまいそうだった。

「りっちゃん。こっち向いてよ」

キュッと身を強ばらせて縮こまる律の腰に唯の腕がまわる。
熱すぎる胸の鼓動に身を焦がされてしまいそうだ。
ついに観念した律は、唯の腕の中でもぞりと身を返した。

「なんだよ…」

怪訝そうに律のライトブラウンが唯を窺う。
それを見て、唯は満足そうに鼻をならした。

「怒ってる?」

「なんで?」

「少しだけ怒ってほしかったから…かな?」

あっけらかんとそんなことを言ってのける唯に、律はぽかりと口をあけている。

「唯は変だな」

「そんなふうに言われると私でも傷つくよ!?」

「だって変だもん」

むぐぅ、と唯が不満げな唸り声を漏らす。


「変じゃないもん!!だって…だってさぁ……」

「だって?」

「怒られるってことは、ちゃんと私のこと見てくれてるってことだもん」

言葉を吐き出しながら、頬が強い熱をもつのを感じた。
唯は気恥ずかしさで腕をほどくと、身体ごとそっぽを向いて膝を抱えてしまう。
なんでそんなこと言ってしまったのだろう。もう怒るのはやめたって言ったのに…。
唯の胸の中を粘着質の灰色が渦巻く。
背中からは汗が噴き出して、パチパチと瞳の奥で電気信号が明滅した。

「あのさ…」

律が鉛のように重い口を開く。しかしそれ以上は遅々として進まない。
だって気づいてしまったのだ。『それ』に気づいてしまったのだもの。
どうしようもない情けなさが身体を包んだ。
唯をなんだと思っていたのだろう。
唯をどこか『特別』な女の子だと誤解していたんじゃないか。
律は胸の中に重いなにかがのしかかる痛みに苛まされ始めた。

「ごめんな…唯」

「謝られても、私…困るよぅ」

さらに身体を丸めて唯が縮こまる。
律の後悔とは別に、唯の方もそれに悩まされていたのだ。
だってみっともない。情けない。そんなのりっちゃんの好きになってくれた私じゃない。
唯の中でそんなことばかりが木霊したように響いていた。

「可愛い…」

「へっ?」

聞き間違いかと、唯が間の抜けた声をあげた。
だってそれは今の状況にはあまりにも似つかわしくない。
状況が状況なら甘酸っぱい桜色が胸を埋めるような言葉だ。
けれど唯の頭の中に生まれたのは、ぐるぐると渦巻く靄だけだった。



「変な話かもしれないけどさ、私は嬉しかったんだ」

言葉を漏らす律の頬は朱色に染まっていた。
しかしそれは小さく固まった唯には見えない。
だが、それでも唯にも分かることはあった。
律の声が緊張に侵されていることだ。

「だって『それ』は…嫉妬だろ?」

唯の全身がびくりと震える。
律の持て余し気味な両腕が柔らかく唯を包んだ。
腕の中でカチカチになった唯がたまらなく愛おしい。

「なにを怖がっているのか分かんないけどさ。好きな相手に求められて嬉しくないやつなんて多分いないよ」

少なくとも私は嬉しい。
はにかんだ笑顔で律はそう付け足すと、腕にこめる力をゆるりと強めた。
唯の氷が溶けていく。律の腕の中で、唯がのそのそと身体を回した。
ぽすりと律の胸におさまる。柔らかくて心地いい。
柑橘系のシャンプー。今日は自分と同じものを使ったはずなのに、どうしてこんなに優しい匂いなのか。
唯には分からない。けれど、それは紛れもない律の香りだった。

「だから私には今の唯がすごく可愛い」

寝る前にとかした髪が乱れるのも気にせずに、律は唯の頭をくしゃくしゃと撫でた。
そうしなければいけないような気がした。
そして自らもそうしたかった。
気持ちよさそうに唯が律の胸でふるふると震える。

「でも…そういうの私らしくないでしょ?りっちゃんが好きになってくれた私じゃないよ?」

唯が恐る恐るといった様子で言葉を漏らす。
そんな風にびくびくしてるのだって律の中の唯らしくはない。
しかしそれはあくまで律の中の唯だ。
律がくすりと笑ってもう一度大雑把に頭を撫でる。

「ばかだなぁ。私は『私の中の唯』が好きなわけじゃない。唯が唯だから好きなんだ」

それにこんな可愛い一面なら私は大歓迎だよ。
律が少しだけ茶化すようにそう付け加えると、唯は唇を尖らせて不満そうな表情を作って見せた。
唯の胸に熱い感情の渦がゆっくりと描かれる。
律の背中に回した腕に込める力を少しだけ強めた。

「私…りっちゃんを好きになってよかった」

唯の笑顔は蕩けてしまいそうで、律の胸を高鳴らせるには十分だ。
律の頬が尋常じゃないくらいに赤くなると、それだけで唯も熱いなにかに満たされる。
律は黙って唯の頭を抱きしめる。持て余し気味の熱が唯を動かした。
もぞもぞと律の腕の中から顔を出して、ジッと瞳を見つめる。いつもとは上下が逆だ。

「りっちゃん?」

唯の呼びかけに律はすっとその瞳をとじた。
唯はもう一度だけまわした腕に力を込めると、そのまま律の桜色した唇に口づけを落とした。
今夜も暑そうだ。唯はどこか頭の片隅でそんなことを思った。

Fin.

このページへのコメント

凄く良かったです。
やっぱり唯律が1番。

0
Posted by 唯律大好き 2012年07月11日(水) 08:54:14 返信

とても良かった。

0
Posted by A 2010年10月05日(火) 03:54:57 返信

文章がとっても綺麗でした..。

0
Posted by M 2010年09月15日(水) 17:27:39 返信



あらぁ とても素敵ね(*^ω^*)

0
Posted by みぃしゃん 2010年09月06日(月) 21:07:01 返信

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