最終更新:ID:/JuHVGeIAQ 2010年03月30日(火) 22:50:21履歴
「唯はほんとに抱き癖があるなぁ〜。」
りっちゃんがそう言って笑っていた。
くしゃくしゃと髪を撫でられて、私はとろけてしまいそうなのに、そんな私の感情はりっちゃんには毛ほども届かないのだ。
多分私の感じているものは後悔だ。
そんなことしなければよかった。それを「普通」にしてしまわなければよかった。
今更悔やんで舌先を噛んでみても、現実はなにも変わらなくて、鉄の味だけがいやにはっきりとこびりついた。
伝わらない。
いくら想いを込めて腕をまわしても、それはもう「特別」にはなりはしなかった。
ねぇ。私は誰にでも抱きつくように見える?
あなたを抱きしめる私の頭から爪先までが、すっかり無垢な気持ちで埋まっているように思う?
腰にまわした腕に、ギュッと力を込めると、りっちゃんからも同じようにかえってくる。
胸の奥で火柱が暴れまわっているみたいに喉が渇いて、目尻からは絞り出したみたいに雫が零れた。
「へっ?どうしたんだよ唯!?お腹でも痛いのか?」
私の瞳を驚いた顔をしたりっちゃんが満たす。
腰にまわったりっちゃんの腕が、壊れ物でも扱うかのようにふらふらと離れていく。
「はなさないで…」
それだけを紡ぐのが私には精一杯で、必死にりっちゃんへと縋りついた。
子供でもあやすかのように背中を撫でるりっちゃんが、不安げな表情を貼り付けて私の瞳を覗いていた。
--------
放課後の音楽準備室に、バカが突っ立っていた。
どうしようもないバカだった。
そして最悪なことにそれは私だった。
泣いている唯になにもしてやれない。言われたままに身を委ねるだけ。
そう。私はどうしようもない卑怯者だった。
私のした全ては、結局のところどれも逃避であって、一度として「それ」に向き合ったことはなかった。
いくら聡い方ではない私でも、唯の「それ」が段々と「特別」の色を帯びはじめていることに気がつかないはずはなかった。
だってそうだろう?
私に抱き付く唯は、近ごろではいつも泣きそうな顔をしていたのだもの。
なのに私はいつだって鈍感な道化を演じて、なにも知らないふりをしたのだ。
いつかその瞳から、隠していた涙が零れることは分かっていたのに、それでも私は向き合うことから顔を背け続けた。
そしてそのいつかが今目の前に顕れて、私はやっと自分の身勝手さに向き合ったのだった。
「ごめん。ごめん唯…。ごめんね…。」
情けない謝罪が喉の奥から溢れ出す。
ごめんごめんごめん、と私は祈るように言葉を紡いだ。
「なんでさぁ…、りっ、りっちゃんが、あやっ、まるのさ…?」
嗚咽を抑えながら、唯がゆっくりと言葉を刻む。
なんでって、当たり前じゃないか。
私が逃げなければ、唯が痛みに耐える必要なんてなかったし、堪えきれなくなる程に涙を隠し続けることもなかったのだ。
それに、私が向き合うことから逃げたのは、ただひたすらに私の臆病のためだった。
唯が怖かった。私は唯が怖かったのだ。
抜けていて、ぐーたらするのが大好きで、だけどどこまでも柔らかくて優しくて、いつの間にか「特別」になっている。
気がついたら好きになってしまっている。
そんな唯が怖かった。
一年以上を共に過ごした私たちだけでなく、入部まもない梓ですら唯を「特別」に思っている。
軽音部の中心はいつの間にか、部長である私から、唯へと移っていた。
そこから私が唯を奪いさってしまったら、軽音部は砂上の楼閣のごとく瓦解してしまうように思えて、私は逃げ続けたのだ。
私は唯の顎をくいとひくと、涙に濡れるライトブラウンの瞳をじっと見つめる。
私の方が背が低いせいで、それはきまらない絵面になっているのかもしれなくて
、なんとなく恥ずかしい。
けれど、そんなことも忘れてしまうぐらいに唯の瞳は綺麗で、引力でも発してい
るのではないかと疑ってしまうほどに私を惹きつけた。
「ごめん唯。先に謝っとく…ごめんね。」
私は私の我が儘で、唯の薄紅色の唇へと私のそれを重ねた。
部長失格だとは自分でも思うけれど、私は軽音部よりも、泣いている唯の方が大事だった。
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ぷはっ、と軽く息を吸う音が聞こえた。
りっちゃんもずっと息止めてたんだね、なんていうどうでもいいことばかりが頭に浮かんだ。
あぁ。私…今りっちゃんにキスされちゃったんだ。
唇に自分ではない温もりが強くのこっていて、私は自然とそこへと触れた。
実感が湧かない。現実味がない。
けれど、触れたそこには確かに温もりがあって、一呼吸置いて頬から熱が漏れた。
「りっ、りっちゃん…?へへっ。いきなりどうしたの〜?びっくりしちゃったよ〜。」
「無理…するなよ。」
「無理って?変なりっちゃん。」
「無理しないでよ…。私…もう泣いてる唯なんて見たくないよ。」
そう言うりっちゃんだって泣いてるじゃない。
私もりっちゃんも、それ以上言葉は紡げなくて、ただひたすらに零れ落ちる涙を拭っていた。
私は軽く深呼吸をして呼吸を調えると、りっちゃんを見やる。
軽い深呼吸ってなんだかおかしな感じたな、なんてまた関係のないことが頭に浮かんだ。
「りっちゃんはさ…なんでキスしてくれたの?」
私の言葉に、りっちゃんはびくりと肩をふるわせる。ごくりと唾をのむのが分かった。
真剣な瞳だ。普段のキラキラ輝くそれとは違う、貫くような瞳だった。
私が思わず息をのむと、りっちゃんは急にパシリと自分の頬を叩いた。
「やっぱ堅苦しいのは私には合わないや。ストレートにいく!!うん、そう決めた。」
それは私のよく知っているりっちゃんだった。
明るくて、頼りがいがあって、元気いっぱいの可愛い女の子。
そして、私の大好きな人だった。
「私はさ、怖かったんだ。唯がどんどん好きになっていく自分と、みんなの中心を奪うことが。」
「みんなの中心?」
「唯のことだよ。軽音部の中心はさぁ、気付いたら唯になってた。みんな唯が好きで、唯もみんなを好きだった…そうだろ?」
私は軽音部が大好きで、澪ちゃんもムギちゃんもあずにゃんも…それからもちろんりっちゃんも大好きだった。
嫌いなはずがない。私の高校生活のほとんどは、軽音部を中心に回っていた。
「だから唯が私を好きになってくれてすごく嬉しかったけど、同じくらい怖かった。」
てかこれで唯が私のことなんとも思ってなかったらすげー恥ずかしいな、なんて言ってりっちゃんはけたけたと笑った。
「唯の想いを受け入れたら軽音部が軽音部じゃなくなっちゃうような気がしたんだ。だから逃げた。でも…」
「でも…?」
「やっぱり私は唯が好きなんだ。キスもしたいし抱きしめたい。泣かせたくないし、私に笑いかけてほしいんだ。」
頬が信じられないぐらいに熱を持っている。
夢じゃないのかと疑ってしまう。
りっちゃんも私を好きでいてくれたという、たった一つの事実が、私をどこまでも幸せにしてくれる。
「だから…私とさ、その、付き合ってほしい。」
またりっちゃんの瞳に、真剣な色が宿っている。
窓の外ではすっかりと日が落ちて、音楽準備室だけが私の世界であるようにも思えた。
「もちろんです。…ううん、私にも真面目なのは合わないや!!ありがとう、私もりっちゃんが大好きだよ。これからもよろしくね!!」
私の声は狭い室内に反響して、そして細い細い隙間から漏れて消えた。
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上手く言葉に表せない。
こういうとき、澪のやつなら砂糖をまぶしたような甘い言葉で語るのかもしれない。
私には似合わない言葉。けれど私には私の言葉がある。
なっ、そうだろう?
「あったりまえだろ!!私はどんなことがあっても唯と一緒にいるよ。」
子供っぽくたっていい。
だって私は賢くないし、大人でもない。
急がば回れなんて信じない。真っ直ぐ進めば一番近い。
だからほら。私の言葉もきっと唯に届く。
オブラートを使うなんてまだ早すぎる。
ずっと貼り付けていた偽りを引っ剥がして、私は唯の瞳と向き合う。
きょろきょろと忙しなく動く視線が次第におとなしくなって、私のものと交差した。
お互いになにを喋ったらいいか分からなくて、沈黙が私たちを包んだけれど、息苦しくなんてなかった。
「………っ。」
沈黙を切り裂いたのは私の言葉ではなかった。
そして唯の言葉でもなかった。
私たちが言葉をしまって、初めて気がついた。
部屋から細い細い一筋の光が漏れている。
私は唯と顔を見合わせると、ぽりぽりと頭をかく。
「ムギ…かな?」
「奇遇だねりっちゃん。私もなんとなくムギちゃんを思い浮かべたよ…。」
どちらからともなく自然と笑いを零した。
「ムギ?」
私が声をかけると、漏れた光が太く、そして短くなっていく。
果たしてそこにいたのはムギだった。そして澪だった。
正確に言うのならばそして梓だった。
「どうしたのみんな?」
唯がまるで他人事のような声をあげる。
お前は悲しいぐらいに当事者だ…けれど、そのなんとなく抜けた姿に惹かれていないかと言えば嘘になる。
どうしようもないぐらい悲しいことに、惚れた弱みであった。
「いつから?」
随分と足りない言葉だったが、それだけで事足りる。
「えーと、あのね…最初から。」
開き直ったかのようにムギがにこやかにそう告げた。
「だって、りっちゃんったら危なっかしいんだもん。」
「律がバカなのが悪いんだ。」
二人とも散々なことを言ってくれる。
言われなくたって、自分が駄目なのは今日だけで何度も痛感しているのだ。
「バカなのに気をつかいすぎるんだ。」
「私たちを信じてくれないんだもの。」
「お前が気をまわさなくても、私たちはそう簡単に壊れたりしないっていうのに。」
「りっちゃんって意外と繊細だから…。」
澪とムギが交互に私を責め立ててくる。
あぁそうだ。私が悪いよ。勝手に不安がって、軽音部が壊れてしまうと思い込んだ。
それは、澪のこともムギのことも梓のことも信じていなかったってことだ。
私たちが築き上げたものを信じきれなかった。結局の所やはり私がバカだったって話だ。
「唯先輩…?」
「なぁに、あずにゃん?」
「なんでもないです。」
淡々と受け答えをする二人を、私はただ見ていることしかできなかった。
梓が泣いているのじゃないかと思ったけれど、そんなことはなかった。
梓の瞳には芯の強い輝きがいつも通りに宿っていて、それが私を捉えたので、思わず息を飲み込んだ。
「律先輩?」
「なんだ梓?」
「幸せになっちゃえばいいです。」
「ありがとう。」
「お礼を言われることなんてしてません。」
「でもありがとう、梓。」
梓の目が一瞬見開いて、そして顔を赤くしながら私から視線を逸らした。
優しくて、強がりで、本当に強いやつだ。
ごめん梓。お前も本当のことは口にしないから、私も心の中でだけ謝るよ。
唯の方を見やると、唯のふわりとした笑顔が私へと注がれる。
「どうしたのりっちゃん?」
「私は唯のことが大好きだよ。」
「私もだよりっちゃん。」
世界が、急に開けたように思えた。
Fin.
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あずにゃん…
唯律は至高!
いいぞ、もっとやれ!
萌えすぎて頭が爆発しそうになった
唯律はキュンキュンする!
逆にこっちの世界が開けた。
なんだか正統派カプに見える凄まじさ。
唯律は真理