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Sweet Dreams Are Made Of This


A:Alone In the Dark


 電気のついていない音楽室では、三人しか机を囲んでいない。りっちゃんと澪ちゃんは持ってきたお菓子のコンペイトウを食べながら談笑していて、あなたはそれを向かいに机に寝そべったまま目を遊ばせていた。ヘアピンを触りながらりっちゃんのカチューシャを見つめたり、指先でリズムを取りながら机の上に落ちるその薄い影を見つめたり、あなたは二人の会話に参加もしないでぼうっとしていた。あなたはコンペイトウを一個食べたかぎりで、今までほとんど口を開いていない。
 次にあなたの眼は、窓ガラスと格子の交点に溜まった黒い埃を映した。濃霧色のガラスの向こうには、ムラのある灰色の空が這いつくばっている。弱々しい太陽の光りは、薄汚い月面の色をわずかに透かすばかりだった。空一面に広がる疎らな厚さの雲は息絶えたようにうつ伏せで寝転んでいる。その姿がノイズ混じりのガラスに投影されて、あなたは気付かないうちに再び格子に堆積した黒い塊を見つめていた。鈍感な瞳はそのまま動かないで、割れたビー玉のようなわけもない儚さを滲ませている。
 開け放した四方の窓から風が雨の予感を告げた。髪が乱れて視界にいくつもの亀裂が無造作に走る。停滞していた空気は壁に押さえつけられて、わずかに残った淀みが口の端を歪めて笑っている。それに気付かされたようにあなたははっとして髪をかきあげた。開けた先には、澪ちゃんが眉をひそめたまま手ぐしで髪を整えている。
「――そんなこと言って、やめる気ないだろ」
「当たり前じゃん? ほら、澪。あーん」
 りっちゃんが悪戯な笑みで白いコンペイトウを一つ、澪ちゃんに差し出した。澪ちゃんは目を据えて、ようやく落ち着いた髪にまだ左手を滑らせている。彼女は自分で作った冷たさに顔を凍えさせているようだった。なんとなく同じように自分の髪を撫でていたあなたは、誤魔化すようにその手を机の上に戻した。わざとらしく立てた音が湿気に吸い込まれていった。
「するか、バカ」
 糸きりバサミの声であしらう澪ちゃんを見上げて、その視線の方へまた眼を動かすと、それと鉤のように合致するりっちゃんの瞳があった。もう一度澪ちゃんを見ると、相変わらず、奥深い黒を宿したガラス玉にうっすらと白いもやを落としている。あなたは眼を伏せて、つまらなさそうに唇を歪めた。顎を置いている手の甲への重みが増す。
 今のあなたの表情は最近よく見られるようになった。りっちゃんと澪ちゃんが二人で話しているとき、一方が他方の話をしているとき、自然とあなたは口数が少なくなって伏し目がちになる。いつからか気付かないうちに表に出てきたこの感情は、陰鬱な染みをあなたの胸にいくつも落とした。それは酸のようにりっちゃんと澪ちゃんを見守るあなたをゆっくりと溶かしていった。あなたは、二人の間柄に自分が割って入るなんてできない、ただじっと見ているしかない、と思うことが、それの呼び水になっていることを知っている。それでも、止められないこのいけない気持ちに蝕まれていく恐怖に肩を抱く日々が、今日まで続いている。乾燥してぱさぱさになったバゲットの狭間であなたは、自分で濡らした唇に、したこともない口づけを夢見させて自分を紛らわしていた。

 その後の二人の会話を耳にしながら、あなたは顔を上げたり俯いたりを繰り返していた。枕にしている自分の腕に頭をぐりぐりと押し付けたりもして、時折頭の痛みをやわらげたくてしきりに手を当てた。りっちゃんに「どうしたの」と訊かれても、「なんでもないよ」としかあなたは答えなかった。しかし背中に隠したはずの本音がひょっこり頭を出してしまったのを目撃されてしまった気がして、今もあなたの眼はりっちゃんを隔離している。あなたはまたぼうっとして、部屋の一点を見つめるともなく見つめていた。
「あ、そういえば唯。この間貸したCD、聴いた?」
 やがてもう一度りっちゃんがあなたに話しかけたとき、朝顔が咲くようにあなたは急に笑顔になって、いつもの調子で返事をした。
「聴いたよー。すっごく良かった!」
「だろー? それで、どの曲がいちばん良かった?」「えーと、いち、に、さん……五曲目、かな」
「五曲目? ……なんとかレイン、ってやつ?」「そうそう、それ! なんとかレイン」
「やっぱりそうか、名曲だよなあ! なんとかレイン!」「うん! 一発で気に入っちゃった、なんとかレイン!」
「……なんだったっけなあ、曲名」「分かんないや……」
 結局その後も思い出されるのはメロディばかりで、『なんとか』を解明することは叶わなかった。澪ちゃんに尋ねてもみたが、彼女はそのアーティスト自体知らないらしい。妙に口を開きづらい沈黙が流れる中、あなたは指先でコンペイトウを転がしながら先ほどの短い会話を反芻していた。不揃いな突起が不器用に皮膚を撫でる感触を、さっきまでの笑顔が白昼夢かのような顔で受け取っている。やがてりっちゃんが「思い出せないことをいつまで考えてもしょうがない」と音を上げた。
「さて、と。雨が降らないうちに帰ろうか」
 りっちゃんが鞄を持って立ち上がったのを見て、それを合図にあなたはコンペイトウを口の中に放りこんだ。「おい、練習は?」と突っかかる澪ちゃんの声がコンペイトウを噛み砕く音のせいで不鮮明に聞こえる。
「楽器が濡れたら大変だろ?」
 ノイズの渦を抜けた先にはっきりとしたりっちゃんの声が聞こえ、あなたは寝そべったまま「さんせ〜」と眼を細めて言った。りっちゃんのスカートが嬉しそうにふわりと揺れる。素朴な砂糖の甘さがまだ口の中に残っている。
「よっしゃ! じゃあ、ちゃっちゃと帰ろうぜ!」
 お菓子を片付けるりっちゃんを見て渋々腰を上げた澪ちゃんに続いて、あなたも立ち上がった。そのとき突然、眼の前にスプレーで吹き付けられるように黒い影が広がって、あなたは机に手をついてじっと動きを止めた。自然とうなだれた首がそのまま取れそうな感覚とこみ上げてきた嘔吐感を押し殺すようにあなたの顔が険しく歪んでいく。
「どうした、唯」
 髪で表情が見えないあなたを覗きこむようにりっちゃんが身を寄せる。水蒸気に潤んで重たくなったりっちゃんの匂いが鼻を撫でた。顔を見られたくなくて、あなたはふっと反対のほうを向いてしまう。
「なんでもないよ。ちょっと立ちくらみしただけ」
 少しして、白濁した不快さが引っ込んだのを確認し、あなたは色の失せた笑顔を見せる。酸っぱい濁流が舌の隙間に気配を残していた。
「大丈夫か? 朝からずっと調子悪いじゃん」「少し休んで、良くなってから帰ったほうがいいんじゃないか」
「ううん、大丈夫だよ。ほら、早く帰ろ?」
 あなたは努めて明るく装ったが音楽室を出て階段を降り、昇降口に行くまでの間にハリボテは脆く崩れてしまった。自然と俯いて、あなたは自分のつま先ばかりを眺めて歩いた。玄関で靴を履き替えるときにやっと顔を上げて、あなたは外の景色に気付く。
 幽冥からの喝采と斑に錆びた釘のようなにおいが取り巻いていて、やはり雨が降っていた。いつの間にか空は鉛金属の鈍重な姿になっていて、酸化して白く汚れた針をいくつも零している。雨粒が縦に割れて地面を濃く濡らしていた。
「あーあ。私、傘持ってないのに」
「私も持ってなーい。澪は?」「持ってるよ、折りたたみだけど」
「流石! じゃあ三人で帰ろうぜ」
 「まったく。今度からちゃんと持って来いよ」と澪ちゃんが傘を取り出して開いたとき、あなたはなんとなく不安になった。
「私はいいよ。途中から道、違うし。二人で先に帰ってて」
「帰ってて、って……唯はどうするんだ?」「うーん……。止むか、弱まるまで待っておくよ」
 そう言っても二人は渋っていたが、あなたはもう一度「大丈夫だから」と言って半ば無理やり二人に別れを告げた。心配そうな顔のまま、りっちゃんと澪ちゃんは「また明日」と一本の傘に寄り添って歩き出した。二人の避けていった水溜りが飽和して、芋虫が這い出るように雨が流れ出している。
「あ、そうだ。澪、帰りにコンビニ寄ろうぜ」「いいけど、どうして?」
「へへ、お腹すいちゃった」「さっきまでお菓子食べてたくせに」
 歩調に合わせて揺れる黒い傘の下で密着したりっちゃんと澪ちゃんの肩が遠のく。胸に墨色の霜が降りるのを感じて、あなたは頭を振る。湿気た髪がからかうように肌を刺した。
 自分でああ言ったのに、こんなこと思っちゃいけない。どうせ今日みたいな調子で、それもたった一本の傘の下という閉鎖的な空間の中で一緒に帰ったところで、二人に心配かけるだけになってしまう。そう、分かっているけど、りっちゃんと澪ちゃんがあんなふうにしているのを見るのは、辛い。
 自分を非難してもなお整理のつかない気持ちを、なんとかして押さえつけようとして、胸の前で拳を握りしめた。
「『あいあいがさ』ってね、漢字にしたら『愛』って漢字はないのよ」
 突然、あなたの隣に中学生の和ちゃんが現れて、諭すように言った。そのことに大して吃驚する様子もなくあなたは何か言葉を探したが、何も言えなかった。すると今度は、中学生のあなたが隣に佇んで、たいそう素直そうな口調で言った。
「えー、そうなんだあ。でも、変だよね。どう見てもラブラブなのに、『愛』がないって」
 あなたは驚いたような悲しんだような顔になって、もう一人のあなたを見た。幼い瞳が雲で隠されたはずの太陽の光に応えるようにくりくりとしていて、傾げた小首の白さが眩しい。
 ああ、そういえば昔こんな会話をしていたなあ、とあなたは思い出した。雨の日、一本の傘に一緒に入るアベックを見かけて、和ちゃんと交わした他愛ない話だ。それなのに今のあなたの心を見透かして、決断を迫るような棘が生えていることに、あなたは少し怯えている。
「愛は目で見て感じるものじゃない、ってことなのかもね」
「おお〜! なんかロマンチックだね、そう考えると……」
 そこから先の会話は思い出せなかった。雨の雫が地面に落ちるたび頭の痛みが増していき、またそのたびに中学生の和ちゃんとあなたの姿が消えていく。言い様のない空虚さがあなたの胸中を占めて、あなたは何でもいいから言葉を口にしたくなった。
「そうなのかな……」
 跡形も残り香もなく記憶の隅の二人は失せた。

 降りしきる粗目糖が景色を引っ掻いて、りっちゃんと澪ちゃんの姿が見えにくくなっていく。制服の白いブラウスが溶けるように雨と重なって、あなたの眼はいつのまにか二人の背中ではなく落ちていく雨粒の群れを捉えていた。ぼんやりと停止した視覚を脇に置いて、あなたは音楽室での会話を思い出しながら、『なんとか』レインのメロディを口ずさみ始めた。
 ……私が好きになった『五曲目』を、りっちゃんも好いていた。あれはとても素敵な曲だから、みんなが好きになってもおかしくないのに、私はどうしてかりっちゃんと同じ気持ちを共有していることが嬉しかった。澪ちゃんも知らないような『好き』を共有していることが、嬉しかったんだ。家に帰ったら、またあのCDを聴こう。りっちゃんとお話ができるように、ちゃんと曲名も覚えておかないと。
「――あ!」
 メランコリィ・レイン。唐突にあなたは『五曲目』、『なんとか』レインの名前を思い出した。霞みがかっていた眼が光りを取り戻して、急にはっきりし出した意識が口を開かせた。
「りっちゃん――」
 声を出した途端に、激しさを増した雨が活きたあなたの視界を殺して、周波数の合っていないラジオよりも酷い、ざらざらした慟哭を上げた。錆びた刃物で粗く削られていくような感覚が肌に伝わってくる。消失した声のさきに、羽を広げたコウモリの形をした傘が小さく見えていた。
 そそぎ落とされるようにあなたの双眸は再び色彩を失った。寂しさに開いた口はため息さえも漏らさない。いつのまにか振り上げていた右腕を力なく下ろし、切なく縮まる胸に手を当てた。もう消え入りそうな黒い影を、眼を凝らして見つめようとするほど、思い出したように頭が重くなった。あなたはまた俯いて、雨の飛沫がつく靴の先に視線を落とす。哀しそうなあなたの表情に髪が幕を下ろしても、噛みしめた下唇が隠しきれていない。喉元まで込み上げてきた苦しさで下顎が震えた。そのまま口を開くと一気に泣いてしまいそうになり、ぐっとそれをこらえることに必死になって、あなたはそのままじっと動かなかった。
 しばらくして何度かの大きな波を乗り越えてようやく落ち着いたあなたは、大きなため息をついた。安堵なのかやるせなさを吐き出したのか自分でも分からない吐息までも、涙の音色に震えている。あなたは感情を押し込むようにもう一度唇を噛んでから、メランコリィ・レインを口ずさんだ。
 自分にしか聞こえないほどの小さな歌声は全て、黒く濡れそぼった地面へと吸い込まれていった。声が出なくなったり、ぶり返してきた震えに息が詰まったりしてできた空白を、コンクリートを叩く雨の音が埋めた。歌が終わりに近づくにつれて空白が増え、一曲全てを終えるのに一体いくら時間がかかったか分からなかった。
 歌い終わって放心したあなたは、薄目になって地面を見つめた。闇黒を反射する鏡のような水溜りにさえあなたの姿は映らない。沸騰した哀しみの泡沫がいくつも破裂しては波紋を広げていた。いつしかそのあぶくが吐瀉した断末魔を耳にしたあなたは、言い知れない嫌悪感に押されて雨の中へ駆け出した。
 嫌だ。
 という一言だけがあなたの頭を支配していた。洞穴に木霊する絶叫のように、内壁に跳ね返っては質量を増してくる。背中のギターケースが黒い腕を回してあなたの身体を揺さぶった。何か急き立てるようなその手つきに怖くなって肩掛けを掴むと、生きているみたいに生温かく、所々が雨の雫で冷たかった。
 雨が降らなければこんなことにはならなかった。りっちゃんと澪ちゃんと帰ることに臆すること。二人の相合傘を見ること。矛盾した嫉妬心に胸糞が悪くなること。そういうことを考える時間が与えられること。メランコリィ・レインなんて曲名を思い出したのもいけなかったに違いなかった。
 細い針金の先に刺して付けられたように、あなたの頭はぐらぐらと揺れた。零れてきた涙を洗い流したくてあなたは顔を上げた。雨を吸った髪が後ろに流れて、露わになった肌が冷たく濡れる。蒼白い顔を伝っていく雨は、瞳から溢れた涙に触れずに通りすぎて、仲間を見つけたように白いブラウスの襟に浸みこんだ。熱い涙は黒い跡を残して、黒煙を立ちのぼらせている胸へと還っていく。
 やがて嗚咽と頭痛で呼吸が苦しくなって、あなたは校門の辺りで膝に手をついて立ち止まった。肩で息をする姿はむせび泣きを隠すようだった。濡った髪のカーテンの中で、あなたの顔がぐしゃぐしゃになっている。声ならぬ声を吐き出す口がこじ開けられた鉄扉のように歪み、半狂乱で開閉を繰り返す瞼とすすり上げるたびに熱を帯びる鼻が、眉間を捻じ曲げて休ませない。
 ようやく呼吸が落ち着いたときに、腹の底から蛇が飛び出るような嘔吐感を覚えて、あなたは両手を口に当てた。顔中を濡らしている液体が音を立てて手に付着する音が不快だった。今にも吐きそうな、あるいはそれが引っ込みそうな不随意の均衡が、眼を大きく開かせる。油絵みたいに滲んで見えるコンクリートの上の水溜りは両腕を広げて磔刑に処されていた。
 口を押さえる手に顔全体を歪めるほどの力が入り、あなたは怯えている眼を固く瞑った。瞼の裏に白いノイズが飛び散って、死んだようにすぐ消えた。









B:With-you


「なにやってんだ、唯」
 嘘でした、とでも言いたげなほどあっさりと吐き気は消えた。化かされたような顔を上げると、あなたを守るようにビニール傘を差すりっちゃんがいた。柄の部分にコンビニのオレンジ色のテープが貼られている。
「どうしたんだよ。びしょ濡れじゃないか」
 りっちゃんは傘をあなたの肩と首に挟まれるように置いて、雨に当たりながら鞄の中からタオルを取り出した。「ほら、身体起こす」折れ曲がったあなたの腰を軽く叩いて、明るい水色のスポーツタオルであなたの身体を拭く。タオルはすでに半分濡れていて、りっちゃんが使ったあとのものだった。
「りっちゃん、なんで?」ぐっしょり濡れた重い身体をまっすぐに伸ばし、優しい手つきで顔を拭かれながら、ひどく聞き取りにくい濁った声であなたは尋ねた。
「なんでって、なにがだよ」吸水力の落ちたタオルで、りっちゃんはあなたの頭を包むようにして髪を拭う。その手には全然力が入っていなくて、押さえて水分を取るような拭い方だった。あなたは眼の端にちらちらとタオルのスカイブルーが映るのを気にしながら、りっちゃんの濡れていく肩を見た。
「帰ったんじゃなかったの?」りっちゃんは答えずにそのまま腕と制服、次に脚を大雑把に拭いていった。最後に「おっけー」と呟いたとき、りっちゃんのブラウスは下着をすっかり透かしてしまっていた。紺色の紐と淡い色の紐が合計で四筋見えている。
「りっちゃん……」
「知ってるか? この雨、夜まで止まないんだぜ」
 りっちゃんは笑いながらタオルをあなたの首にかけた。
「ギターか鞄、重いほう貸しな」
「え? い、いいよ、そんな」「いいから。じゃあギター持ってやる。ほら」
 ギターケースの腕があなたから剥ぎ取られて、りっちゃんに背負われた。ずいぶん身体が軽くなってもあなたはまだ怪訝そうな眼差しを忘れていない。
「よしっ。じゃあ帰るか」それをよそにりっちゃんはあなたに預けていた傘を取り、あなたのすぐ隣に立つ。あいあいがさの状態だ。
「ほら、つかまれよ」あなたの手首がりっちゃんに掴まれて、そのまま腕がりっちゃんの肩に回された。
「だ、大丈夫だよ、りっちゃん。そこまでしなくても」恥ずかしくなってあなたは空いている手でりっちゃんのわき腹を押して離れようとする。
「気にしない、気にしない」ふふん、と笑ってりっちゃんは歩きだした。自分の右肩に持ってきたあなたの手を優しく握ったままだ。あなたの手に力が入ってないのをちゃんと分かっているらしい。
 拗ねたような、怒ったような顔をしていたあなたは、そのうちに本当に気にしなくなったのか、口元を緩めて笑顔になった。気を遣って離れ気味に歩いていたのも、今ではむしろ寄り添って密着したりっちゃんの肩に頭を預けている。斜めに傾いた今の景色をはっきりと覚えておきたくて、あなたは細めた眼にしっかりとその色彩を映そうとした。
「そういえばさ、なんで今日調子悪そうだったんだ? 風邪でも引いたのか?」
 少し強張った声の問いかけに顔を上げると、りっちゃんはあなたから眼を背けるように首を横に向けていた。その健康的な肌色の首筋が黄色がかっているのを見て、あなたはくすくすと笑った。
「な、なんだよ」
「なーんでもなーい」握られたままの右手を自分のほうに寄せるようにして、縮めようのないりっちゃんとの距離を更に縮めた。
「二日前なんだ」口元の緩みがある程度引いてから、あなたは言った。
「え? ああ、何が?」
「生理前で頭、痛かったんだ」濡れたブラウスに頬がついても気にしない様子で、あなたは顔をりっちゃんの肩に押し付けた。
「そうだったのか。大変だったな」りっちゃんは素直な瞳をあなたに落とす。
「えへへー、女の子だもん」
「なんだそれ。まあ、あんまり無茶するんじゃないぞ。我慢しても得することなんてないし」
「じゃあ、明日もこうしてもらおうかなあ」
「雨が降ったら、な」
「ホント? やったあ」嬉しさに浮いた声であなたは微笑んだ。
 雨水で青くぼけたアスファルトの脇の街路樹が上を向いて、枝葉を広げている。恵みの雨を祝福するように、幸せなひと時を与えられた心を表現するように、緑の蝶がいくつも羽ばたいている。午後六時の仄暗さに宴の夜を感じて、自動車が祝砲のヘッドライトを点灯し始めた。黄白色の流星が幾筋もの尾を引いて雨の道路の上を大行進していく。
「ねえ、りっちゃん」自動車のホイールが光って雨に反射し、銀色のミラーボールの輝きが広がった。自然とわくわくするようなドキドキするような、不思議な鼓動の高鳴りが誘われた。
「ありがとうね」波が引くようにパレードが遠くへ行っても、惜しく思う気持ちはない。
「どういたしまして、なんてな」
 照れたように笑うりっちゃんを見上げて、あなたはもう片方の腕もりっちゃんの身体に回した。ちょうど真横から抱きつく格好になって、お互いの手が重なり合う。ただ傘を持つだけのりっちゃんの左手が愛おしそうに身体のほうへ傾いた。
「おっと。どうした、唯。気分悪くなったのか?」
 りっちゃんの肩に額を押し付けるようにあなたは首を横に振った。
「りっちゃん……」
「なに?」
 息を殺して一台の自動車が通りすぎる。ライトもつけないまま滑るように足早で雨の奥へ溶けていった。
「思い出したよ、なんとかレイン」
「おっ、マジで? なんだった?」
「んー、とね」
 少し間を空けて、あなたは浮かべたままの笑顔をより一層幸せそうにして、なんとかレインを口ずさんだ。
「だから、メロディは分かってるんだって」
「えへへー。やっぱり忘れちゃった」
「おいおい。思い出したんじゃなかったのか?」
 嘆息したりっちゃんにしがみついて、あなたは眼を閉じた。目尻に浮かんだ小さな涙がりっちゃんのブラウスに染みて、十字に白く乾いていった。


(了)

このページへのコメント

タイトルにニヤリとさせてもらいました。

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Posted by vz.63 2010年03月11日(木) 00:10:20 返信

その場の空気感や心情を表す文章もさることながら、不思議な雰囲気を感じるお話でした。
呼称がりっちゃん、澪ちゃんであることから、ここにはいないはずのムギが唯の背後にくっついて、
唯の感情を代弁しながら読者に出来事を淡々と伝えていくような、そんなイメージが。

……なんかよくわからんですね、すみません。

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Posted by 読み専A 2010年01月27日(水) 04:25:49 返信

あまり本や文を読まない自分ですが惹かれました。
あなたの、もっと読んでみたいです。

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Posted by まっ 2010年01月25日(月) 00:47:50 返信

あまり本や文を読まない自分ですが惹かれました。
あなたの、もっと読んでみたいです。

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Posted by まっ 2010年01月25日(月) 00:47:22 返信

生理二日前で頭痛いの私なるので普通だと思います
個人差あるのでそこはこだわらなくて大丈夫なんじゃないでしょうか^^
そして文章すばらしかったです><
切ない話が好きなので増えるといいなあと思います
是非また気が向いたときにでもかいて下さったら嬉しいです

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Posted by . 2009年08月20日(木) 03:13:24 返信

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