当wikiは、高橋維新がこれまでに書いた/描いたものを格納する場です。

 何度も言ったことだが、これを最後にもう言わないかもしれないのでもう一回だけ言っておく。

※過去記事
2016.6.11IPPONグランプリ
2016.11.19IPPONグランプリ

 大喜利力がお笑いの基礎体力に当たることは間違いがない。「このシチュエーションでどういう風にボケるか」というのを質・量ともに高いレベルで出せるのが一流の芸人でいるための一つの条件である。こうやって考えたボケを適切に組み合わせれば漫才やコントの台本ができ上がる。プロの芸人がテレビに出るときは、番組や企画趣旨や共演者に合わせて本番中に繰り出すボケを事前に何個も何個も考えておくもんだろう。

 だから、芸人の基礎技能の一つである大喜利力を競うコンテストがあるのはいいことなのかもしれない。でもそれはあくまでコンテストであって、ショウではない。ショウとしておもしろくするには、そこにもう一つも二つも工夫を加えてやる必要がある。
 大喜利は、前述のようにお笑いの基礎である。ただ逆の見方をすれば、あくまで基礎でしかない。与えられたシチュエーションに対してボケを一つ答えるという極めてプリミティブな笑いの形態でなのある。大喜利を漫然とやれば一つ一つのボケがぶつ切りで出てくるだけなので、漫才やコントの台本を練った際に設置される伏線や天丼みたいなものはない。じゃあどうすれば大喜利がおもしろくなるかといえばというと、たまにスベって笑いをとるとか、敢えて無茶苦茶なことを言うとか、人の答えに乗っかるとか、前にスベったやつを敢えてもう一回やってみるとか、前にウケたやつを敢えてもう一回やるとか、そういうアクセントが必要になってくるのである。それが伏線であって、天丼である。これをやるなら、きちんとしたツッコミ役も必要である。敢えてウケたやつをもう一回やった奴がいたら、「それはさっきやったやろ」ときちんとツッコめる奴が必要である。ただただ進行をするだけのアナウンサーではダメなのである。
 IPPONグランプリでは、この手の大喜利をショウとして面白くする演出はわずかしか見られない。おそらく今回の出場メンバーの中では、サンシャイン池崎がスベリ枠で、くっきーがムチャクチャ枠だったが、二人とも基本的には真面目に大喜利をしようとしてしまうし、周りの芸人もただただ真面目に大喜利をするだけで池崎やくっきーに本意気でツッコミを入れたりはしようとしないため、笑いがワンパターンになる。ただただプリミティブなボケの積み重ねを延々見せられるだけなのである。笑点のように、大喜利をショウとして演出しようという心意気が感じられない。笑点に劣る番組だと言っていい。

 ではなんなんだろうか。あくまでスポーツ的な大喜利力のコンテストとして番組を見せたいのだろうか。一番早いのが誰かを決める100m走のように、興行的な演出を足したりせず、ただただ一番大喜利に優れた芸人が誰なのかを決めたいのだろうか。でもそれをやるなら、松本は下で大喜利に参加しなきゃダメだろう。もっと大物の芸人も広くあの場に呼ぶべきである。参加している10人も(IPPONスカウトから勝ち上がった川西を除けば)なぜあの人選になったのかは定かではない。本当に公正にコンテストをやるなら、予選の段階からきちんとルールを作ってやるべきだろう。結局、そういうことをやっていない以上、おそらく番組側もコンテストではなくショウがやりたいのである。
 筆者も、あくまで笑いの番組なのだから、コンテストの方向で番組を仕上げるのは間違っていると思う。ゴールデンにショウとしてこの番組をやる以上、コンテストとしての公正さなど犬に食わせておけばいい。あくまで見ておもしろくなるような演出に傾注すべきである。100m走も世界大会レベルになればテレビ中継がされるので、単なる大喜利力のコンテストであってもテレビ中継するのはありなのかもしれないが、それだと前述のようにおもしろくはなくなるので、ゴールデンではなく昼間や深夜にひっそりとやるべきだろう。筆者は、M-1もあくまでコンテストであれば昼間や深夜にひっそりとやるべきだと言っている。

 なんでまたこんなことを書いたかと言えば、やっぱり今回のIPPONグランプリが特におもしろくなかったからである。過去のIPPONグランプリに関しては割とあっさりめの感想を書いたこともあるが、ここに書いたことは筆者がずっと思っていることである。今回突然思ったわけではない。

 あと、筆者は個々のボケの論評はしないことにしている。ボケを評価する尺度というものについてはずっと考えているが、まだ理論立てて説明できるようなものができていないからである。だから今の段階であのボケがおもしろかっただなんだと言っても、その理由については「私が好きだから」という以上の説明ができないのである。
 芸人に罪はない。彼らが今回出したボケの中には、筆者が笑えたものもあるし、笑えなかったものもあるが、それは前述のとおり筆者の好き嫌いでしかないので、筆者が笑えなかったからと言って落ち込む必要はない。松本も自分の好き嫌いでしかボケの一つ一つは評価できないだろう。できるだけ多くの人に好かれるボケが優れたボケなのは間違いないだろうが、どうすれば多くの人に好かれるようになるのかは筆者にもまだ分からない。言語化して説明できるような基準は、未だないのである(筆者は、基準の言語化はもしかしたら不可能なのではないかとすら思っている)。

 ただまあ、芸人が番組から言われたことを忠実に守ってコンテストとしての大喜利をやってしまうから、この番組のおもしろさが頭打ちになってしまっているのも確かなのである。それ(=番組の作り手から依頼された通りの動きをすること)が演者である芸人の仕事なのは確かなのだが、その頭打ち状態を打破できるのも演者である芸人だけなので、もっと笑点みたいにふざけあいながら大喜利をやって欲しいものである。それこそが、アドリブ大喜利コントという笑いの最高の形なのである。
 そろそろ、この番組を壊していい頃じゃないだろうか。さんまがプレイヤーの10人の中に混じっていたら、絶対そうすると思うけどなあ。

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