2019年7月4日放映のアメトーークを見た。今回は久しぶりの「パクりたい-1グランプリ」だった。
<過去のパクりたい-1グランプリ>
→2017.7.16アメトーーク
→2017.3.26アメトーーク
→2016.12.30アメトーーク
→2016.7.1アメトーーク
先週と同じく宮迫は消されており、若干の違和感はあったものの、先週放映回よりは少なかった。ひとえに、パクりたい-1グランプリという企画のおかげである。この番組での宮迫の役割は、番組が好んで扱う天然芸人たちへのツッコミなのだが、パクりたい-1グランプリのメインテーマが天然ではないので、ツッコミはそこまで必要ないのである。
パクりたい-1グランプリの笑いは、フリとボケで作られているものである。ここでいう「フリ」とは私の定義した狭義のフリのことであり、「ボケのズレを際立たせるためにボケに先立って行われる基準状態の設定もしくは説明」のことである。パクりたい-1グランプリでフリとなっているのは、言うまでもなくパクられる側の芸人によるネタの披露である。ボケは、ザキヤマとフジモンによるパクリ芸である。パクリ芸では、ザキヤマとフジモンが様々なアレンジを加えてくるので、このアレンジがズレになっている。最初にパクられる前の本物を見せておくと、「普通(=基準状態)はこうなんだな」というのがお客さんに分かるので、パクリ芸が提供しているズレが分かりやすく際立つのである。それゆえ、ツッコミという手法でズレの存在や内容をお客さんに気付かせる必要性が稀薄なのである。
ザキヤマとフジモンのズラシ方は今回も見事であった。ズラシ方それ自体については見る側の好みにかなりの程度左右されるのでこれ以上のことは言えないが、この企画で披露されるパクリ芸のズレは毎回きちんとした大喜利力に支えられている。たまに「パクらない」という変化球の扱い(今回はとろサーモンが「被害」に遭っていた)で笑いをとりにいけるのも大喜利力の賜物である。
また、直近の回と同じく今回もパクる側として千鳥がキャスティングされていた。毎回ザキヤマは千鳥やパクられる側として出てきた芸人に色々な無茶ブリをするのだが、そうやって追い詰められた芸人たちの苦し紛れのボケも見所である。見ている方にも苦し紛れだというのが分かり、ハードルが下がるので、しょうもないものが飛び出してきても「なんやそれ」と自分でツッコんで笑いを見出すことができるのである。
個人的に一番おもしろかったのは最後の新沼謙治(特にザキヤマの無茶ブリで始まった「モチを喉に詰まらせなかった新沼謙治」のシリーズ)であった。なぜおもしろかったのかは全く分からないが、とにかくおもしろかった。
定期的に続けるべき企画であろう。
<過去のパクりたい-1グランプリ>
→2017.7.16アメトーーク
→2017.3.26アメトーーク
→2016.12.30アメトーーク
→2016.7.1アメトーーク
先週と同じく宮迫は消されており、若干の違和感はあったものの、先週放映回よりは少なかった。ひとえに、パクりたい-1グランプリという企画のおかげである。この番組での宮迫の役割は、番組が好んで扱う天然芸人たちへのツッコミなのだが、パクりたい-1グランプリのメインテーマが天然ではないので、ツッコミはそこまで必要ないのである。
パクりたい-1グランプリの笑いは、フリとボケで作られているものである。ここでいう「フリ」とは私の定義した狭義のフリのことであり、「ボケのズレを際立たせるためにボケに先立って行われる基準状態の設定もしくは説明」のことである。パクりたい-1グランプリでフリとなっているのは、言うまでもなくパクられる側の芸人によるネタの披露である。ボケは、ザキヤマとフジモンによるパクリ芸である。パクリ芸では、ザキヤマとフジモンが様々なアレンジを加えてくるので、このアレンジがズレになっている。最初にパクられる前の本物を見せておくと、「普通(=基準状態)はこうなんだな」というのがお客さんに分かるので、パクリ芸が提供しているズレが分かりやすく際立つのである。それゆえ、ツッコミという手法でズレの存在や内容をお客さんに気付かせる必要性が稀薄なのである。
ザキヤマとフジモンのズラシ方は今回も見事であった。ズラシ方それ自体については見る側の好みにかなりの程度左右されるのでこれ以上のことは言えないが、この企画で披露されるパクリ芸のズレは毎回きちんとした大喜利力に支えられている。たまに「パクらない」という変化球の扱い(今回はとろサーモンが「被害」に遭っていた)で笑いをとりにいけるのも大喜利力の賜物である。
また、直近の回と同じく今回もパクる側として千鳥がキャスティングされていた。毎回ザキヤマは千鳥やパクられる側として出てきた芸人に色々な無茶ブリをするのだが、そうやって追い詰められた芸人たちの苦し紛れのボケも見所である。見ている方にも苦し紛れだというのが分かり、ハードルが下がるので、しょうもないものが飛び出してきても「なんやそれ」と自分でツッコんで笑いを見出すことができるのである。
個人的に一番おもしろかったのは最後の新沼謙治(特にザキヤマの無茶ブリで始まった「モチを喉に詰まらせなかった新沼謙治」のシリーズ)であった。なぜおもしろかったのかは全く分からないが、とにかくおもしろかった。
定期的に続けるべき企画であろう。
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