のと第一部第三話

第三話

堀軍務局長との話が終ると、井上は次の目的地に向かう。
行き先は加藤寛治軍令部総長の執務室である。
さて、こっちはどう出るか。
加藤軍令部総長、末次次長の両名は資料によれば、「艦隊派」の両巨頭である。
艦隊派はこのままにしておけば、統帥権の問題を引き起こし、その後の宮様を中心とする、艦隊巨砲主義と言う戦艦中心の派閥として太平洋戦争まで派閥抗争を引きずる事となる。
まあ、陛下自ら乗り出してきたと言う新たな展開の下では、宮様が総長になることがあっても、派閥としての軋轢はそれ程大きいものとなる事は無いであろう。
しかし、井上にすれば、それでも不十分だった。
なんと言っても、残された時間はたったの10年しかない。
米国との太平洋戦争は、避けられるものなら避けたいが、どうしても戦争になるならば、負けない海軍を作る必要がある。
内部抗争など行っている余裕は帝国には無いのだ。

「失礼します。」
井上は加藤寛治総長の執務室の扉を開けた。
執務室には、加藤総長のみならず、末次次長も待ち受けていた。
これは、都合が良い。
一回の説得で両名ともに納得させればそれにこした事は無い。
井上が、末次次長の向かいのソファに腰を下ろすと、加藤総長も次長の横に腰を下ろす。
加藤総長が、ゆっくりと、煙草に火を付け、一息入れるまで、誰も何も言わない。
ふうっと紫煙を吐きながら、総長は末次に目線で合図を送る。
「今回の件、どう言う事か説明してもらおう。」
話し始めた末次次長の語気は鋭い。
うへっ、かなり怒っているな・・・
頭の中で、首を竦める。勿論、表情には出さない。
「今回の件といいますと?」
「とぼけるんじゃない!どうして陛下を担ぎ出した!」
加藤総長が、怒鳴る。
流石に黙っている事は出来なかったみたいだった。
「お言葉ですが、小職が陛下を担ぎ出した訳ではありません。主上自ら、ご指示されたのです。」
「それは、建前だ!主上が一人であそこまでおやりになる筈が無かろう。」
「主上が目を通された最初の資料が、何であったかご存知ですか?」
「いや、知っている筈も無かろう。」
二人とも、話を逸らされた事には気が付かず、黙り込む。
「「昭和天皇」と言う総天然色の写真集です。山田元兵曹長が送ったんです。「のと」の第一発見者は、海軍に通報する前に、一人で艦内に入り、これを見つけたのですね。表紙に菊のご紋があり、今とは違う陛下のお写真を見て、彼は大変なものを見つけたと思ったのでしょう。これを密かに持ち出し、鈴木侍従長に送った事で、陛下は「のと」の事をお知りになられました。」
初めて明かされた内容に、二人は合点が言ったように頷く。これまで、軍内部でも陛下の迅速な行動に疑問の声が上がっていたのだ。つまりどこからこの話が漏れたのかと。
「資料の一部と言う事で、小職も拝見致しましたが、その内容は考えようによっては凄まじいものでした。昭和20年の敗戦、全国の行脚、海外訪問。見れば判ります。この先起こりうる、敗戦によって、陛下がその罪を償う為に、どれほどの事を成されたのか。半生は、帝国を列強とするべくその人生を捧げられ、そして残りの人生は敗戦と言う、陛下お一人の責任ではない事態に対する償いの為に捧げられているのです。」
二人とも何も言えない。
「それを、自らご覧になり、御思慮された陛下の行動がこれです。重ねて申し上げます。帝国海軍大佐井上成美、帝国陸軍大佐梅津美治郎、我々二人はあくまでも陛下のご指示の下に動いております。決して、君賊の奸ではありません。」
「そうなのか、本当に主上のご意思なのか・・・」
井上が黙って頷くと、加藤総長は頭を抱えてしまう。

「そうすると、お主が説明した、親英第一主義とロンドン軍縮条約対英米6割締結は、本当に陛下のご意思なのだな。」
末次次長が改めて問いかけて来る。
「はい、仰せの通り、主上のご意思です。」
「理屈は判る。対米比率6割の海軍力にて国防を全うしようとするならば、第三次日英同盟締結を目指すのも一つの方法ではある。もしそれが可能ならば、だ。」
「陸軍、ですね。」
「そうだ、英国に再び同盟を結ばせるには、それ相応の見返りが必要となる。帝国が提供できる見返りとして考えられうるのは唯一中国における各種権益であろう。しかしそれを手放すのを果たして、陸軍が飲むとは・・・考えられん。」
末次次長はそこまで話すと、腕を組んで黙り込んでしまう。
それはそうであろう。日清、日露、第一次世界大戦、シベリア出兵と連綿と続いてきた戦略そのものが、帝国の権益拡大の流れであり、それは中国進出の歴史でもあった。
「陸軍は納得しないでしょう。」
「しかし、それでは主上の望むような形での国策遂行は出来ないではないか!」
思わず、末次次長の声が荒げられる。
堀軍務局長のように、事前にある程度井上経由で情報を得ていた訳でもない加藤総長や末次次長にすれば、この話は余りにも突然過ぎた。
「陸軍に対しては、粛軍が行われます。」
驚愕が二人を包む。
「海軍に関しては、今回の会議にて大命が下されました。元々我が海軍は政治に容喙する事は少ないですし、それは「のと」資料でも示されています。しかしながら、陸軍はこの先、政治に対する介入を更に増やして行きます。また、反乱も発生します。あっ、これは海軍軍人も関連しておりますが、あくまでも同調者のレベルに留まります。
 要は、海軍は道理を説けば、理解出来るであろうという陛下の判断です。」
「そ、そうか・・・」
加藤総長が、留めていた息を吐き出すように、言葉を濁す。
そりゃそうだろう、お前たちは朕に逆らうまいと言われているようなものだから。
「しかしながら、我が海軍にも問題が無い訳ではありません。現に悲しむべき事ですが、総長、次長のお立場から、軍縮条約反対の立場を取られるお二人を旗印に、海軍内部でも「艦隊派」と「条約派」と言う二つの派閥が発生し始めています。」
二人がムッとする。
「いえ、決して小職は「艦隊派」が悪いと言っている訳ではございません。ただ、それを利用しようとする勢力があると言う事を留意頂きたいのです。」
「しかし、そうは言っても、現実に対英米六割では帝国の防衛は成り立たんぞ。」
「本当に総長は、そうお考えですか。少なくとも「のと」で発見された資料からでは、総長ご自身は、それでも防衛は可能であろうとお考えであった事が伺えます。我が海軍が、別に米国との戦争を望んでいる訳では無い事は、言うまでもありません。要は、戦争を仕掛ければ、それ相応の被害が生じる。結果、戦争をするのが割に合わないと思わせるだけの戦力を確保すれば良いとお考えであったように見受けられます。そしてこれは、次長も同様のお考えであった事が確認できております。」
二人は我が意を得たり、と頷く。
うそである。
井上はそこまでの資料を見つけた訳では無かった。しかし、こう言えば二人が追い詰められる事は無い。
そして、将来そう考えていると言われれば、実際にそう考えるようになるのも想像出来る。

「しかしながら、問題は12年後の海軍軍令部です。内線防御、否、最悪でも攻勢防御が主体で構成された帝国海軍を使い、全面攻勢に出てしまいます。これでは敗戦も当然の失態といえましょう。軍令部は、この当事の連合艦隊より提案された各種攻勢案を承認してしまうのです。考えられますか、作戦実行部隊である連合艦隊が作戦を提案し、作戦作成部門である軍令部が承認を与えるのですから。」
「そこまで・・・そこまで酷くなるのか?」
「ハイ、その通りです。最もこれは海軍だけの問題ではありません。政府そのものの失策、陸軍の圧力、国民の声、これら全てが戦争を望んでしまったときに、海軍のみ反対は非常に困難であるだろう事は想像できます。しかし、しかしそれでは、帝国の滅亡でしかありません。」
「我々海軍は、あくまでも御国の敵を打ち破る事が望まれております。その為には海軍内部で派閥が生じるのは阻止する必要があります。詳しくは申しませんが、今回のロンドン軍縮会議以降、海軍内部での派閥の亀裂が大きくなり、その結果として軍令部、軍務局、そして実戦部隊である連合艦隊との間での軋轢を拡大して行く事となります。」
「陛下は、陸軍にて考えている粛軍を海軍にも行う事をお考えでした。しかしながら幸いにも小職の意見を取り入れて頂き、自浄努力にて海軍内部の体制の再構築を御許可頂いたのです。僭越ですが、小職からもお願い申し上げます。何卒帝国陸海軍の総力体制の再構築にご協力頂きたい。」
井上は、そこまで言うと、頭をふかぶかと下げた。
まあ、これだけ言って理解して貰えなければ、後は陛下の強権に縋るしかなくなる。
さて、どうでるか。

暫く、誰も何も言わない。
「判った・・・貴様に協力しよう。」
加藤総長が、ため息を吐きながら、つぶやく。
「口ばかり達者な貴様に、俺が説得されたのではないぞ。他に道が無いからだ。それが陛下のご意思であるならば、従うしかない。」
「ありがとうございます。」
「ええい、礼なぞは良い。それより、軍令部は何をすれば良いのだ。」
井上は今後の段取りを説明し始めた。

「それで、海軍は上手く行ったのだな。」
梅津大佐が質問する。
既に夜も遅い時間だが、皇居内に置かれた、総力研究所ではまだ明かりがついている。
明るいのはそこだけではないのだが、いつもの会議室には陛下も含めて三名が集まっていた。
「はい、一応海軍軍令部加藤総長、末次次長、軍務局、堀軍務局長には納得して頂きました。」
陛下は黙って頷く。
「後は、陸軍改革です。予定通りで宜しいですか。」
再び陛下は頷くだけだった。しかし、明らかに何ものかを示す堅い決意が顔面には浮かびあがっていた。

翌日、第一連隊の連隊長と、第三連隊の連隊長は、侍従武官の阿南中佐より、突然の呼び出しを受けた。
 陛下からの召還であるため、両連隊長は当日の予定を全て取りやめ、即日宮城に向かう。
阿南中佐の案内で、二人は普段入ったことの無い一角へと連れて行かれ、小さな会議室に案内された。
「何か聞いているか?」
第一連隊長の東条中佐は、慌てて首を振る。
「そうか・・・」
一体、何があったのだ・・・
第三連隊長の永田大佐は、黙り込む。
突然、陛下に呼ばれる訳が判らない。だいたい何かあるなら、師団長に話があってしかるべきであり、自分らのような大佐、中佐風情に直接陛下が個別にお会いになる等、あまり考えられない。
左手の扉が開かれ、二人は直立不動の体制をとるが、入ってきたのは梅津大佐だった。
お互いに敬礼を交わして、席に座る。
そうか、この件か。
二ヶ月前から、梅津が特命で動いているのは、永田も承知していた。
何かとんでもないものが、長崎で見つかったとのうわさは陸軍省内部でも流れていた。
それに関しての話であろう事は、永田にも想像がついた。
しかし、それにしても何故二人なのかが訳が判らない。

「8月6日に、客船の浅間丸が行方不明になり、代わりに輸送艦「のと」が発見された。理由は聞くな、私も判らない。しかし、この二つの船が入れ替わったのは、調査の結果、ほぼ間違いない。しかも、この「のと」と言う船は、2015年の未来からやってきた船だった。」
二人、いや阿南中佐も含めれば、三人は、あっけに取られて梅津大佐の顔を見る。
「まあ、信じられんだろうが、事実だ。これを見ろ。」
梅津が指し示したのは、彼が持って来た黒い箱のようなものだった。
「未来の世界では、パソコンと呼ばれている。」
梅津はパソコンを開きながら、説明する。
「万能計算機、情報処理装置とでも言うべきもので、このような画面に様々な情報を表示出来る。」
梅津はパソコンを回し、開いた画面を三人に示す。
「な、何だ!こ、これは!」
画面上には宮城の写真が映っていた。
綺麗な総天然色の二重橋の映像である。
三人があっけに取られているとその映像が、代わり、一面の焼け野原が現れる。
「1945年8月、場所は東京日本橋近辺。B29戦略爆撃機、硫黄島、米国の新型爆弾で廃墟とかした広島・・・」
次々に絵が切り替わり、その度に梅津が小さくコメントして行く。
それは、正視できないような大戦による被害映像だった。
「8月15日、ポツダム宣言受諾、戦艦ミズーリーでの降伏文書署名、連合軍進駐軍司令官ダクラス・マッカーサー、戦後発の国会開催、新日本国憲法発布、戦後復員船、経済発展、東京・大阪間を三時間で結ぶ弾丸列車、東京の新しいシンボル東京タワー、レインボーブリッジ」
途中から、綺麗な総天然映像に代わったそれは、明らかに空想の世界のようだった。
「これが、我々の未来だそうだ。最もこの資料ではここにいる四人が四人とも、この未来は見れんがな・・・」
梅津はパソコンを閉じる。
「永田、お前は今から6年後の昭和10年に暗殺されているらしい。阿南、お主は昭和20年8月15日、敗戦の日に自殺、東条、貴様は昭和23年12月23日に絞首刑、私は、翌24年1月8日に獄中で死去だそうだ。」
誰も衝撃で、口を開かない。
「昭和16年12月8日、帝国は米英等の連合軍に宣戦布告、この時の内閣総理大臣が、東条、お前だ。そして、戦争は400万以上の死者を出し、昭和20年8月15日に敗戦を迎える。この時の陸軍大臣が阿南、お主で、参謀総長は私だ。
 そして、二人とも戦争責任を問われ、連合国の裁判で死刑判決、私は無期懲役だそうだが、獄中死とあいなる。何とも楽しい未来だと思わんか。」
「へ、陛下は・・・」
東条が問うた。
「主上は、その後も長生きされる。昭和の御世は63年まで続く。しかし、昭和20年以降は、敗戦の責任を取るだけに、生きられたように思われる。」
梅津は封筒を取り出すと、三人に用意した書類を配る。
先の山東出兵から、満州事変、中華事変、三国同盟、第二次世界大戦まで、敗戦に至るまでを簡単にまとめたものだった。

「こ、こんな・・・信じられん。」
「俺もそう思いたい。だが、こんな黒い箱や、未来の兵器みたいなものが、ごっそり詰まれた船が見つかったんだぞ。信じない訳にはいかん。否、信じろ、そうでないと先に進めん。」
「とにかく、いち早くこれを知られた主上は、陸軍では俺、海軍では井上成美大佐を召喚され、「のと」調査班を主上直轄の組織として編成、名称は、帝国総力研究所。組織としては、軍事担当が、俺と井上、調査そのものは、東北大学八木教授が班長、警備は佐世保鎮守府から引っこ抜いた大田海軍少佐、木村海軍少佐率いる陸戦隊が担当している。」
「それでは、殆ど海軍だけで管理しているのと変わらないではないですか?」
阿南中佐が、初めて知らされたこの組織の構成を聞き、思わず叫ぶ。
「それは仕方ない。何せ船そのものは海軍さんが見つけたのだからな。それに、後16年で帝国が滅ぶかも知れないのに、陸軍、海軍と言っても始まらん。まあ、実際は組織そのものが、海軍からは独立しており、陛下直轄組織となっているし、それも含めてお主らにここに来て貰っている。」
「それで、我々は何をするのだ。」
醒めた目で、永田は資料を見つめながら、返す。
自分が後、6年で暗殺されると言われ、気分の良い人間がいる訳も無い。
「「のと」発見から三ヶ月で、総研が得た一番の収穫は、この黒い箱、パソコンだ。はっきり言って、これは化け物だよ。この箱一つで、国会図書館並みに資料が蓄えられる。仕組みは聞くな、俺にも判らん。しかも、こんなものが、全部で800台以上見つかっており、それぞれのパソコンには、元の持ち主が興味を持った事に関する情報が無造作に蓄えられていた。未来の兵器は、それはそれで凄いが、我々がそれを使えるようになるまでには、まだまだ時間が掛かる。
しかし、手に入った情報は、直ぐに使える。正に情報を制するものは世界を制するだ。」
「凄いのは判った。で、何をさせたい?」
昔からこんなに饒舌な奴だったかな・・・
永田は、ふと奇妙に思った。しかし、これこそ本人が言っている情報とやらの力なのかもしれない。
「ああ、要は戦争回避、この為の方策の作成と実行だ。永田、貴様が選ばれたのは、未来資料によれば、お主が「統制派」と呼ばれる陸軍内部の派閥の長だと目されているからだ。バーデンバーデンで、貴様が東条や岡村らと語った内容が、資料から見つかっている。」
永田の眉がピクリと上がる。
これは益々本当らしい・・・
あの内容を、東条が話したとも考えられない。
永田は更に真剣に梅津の話に耳を傾けた。

 この三ヶ月の調査で、少なくとも帝国の滅亡の原因は、中国進出がその大きな要因を占めている事が明らかになっていた。しかし、かと言って、他にどのような選択肢があるのかと言えば、大した方策が無いのも判って来ていた。この先続く世界的な不況と保護貿易の中で、かろうじて列強の一員に入り込めた帝国にしても、その実力は限りなく小さい。
要は、英国、独逸、ソ連、米国等の主要列強のどの一国を相手にしても、経済で勝てる道理が無いのである。
だから、必然的に弱い所に進出して行き、力を蓄える方策が選択された。
広大な中国と言う幻影に国力の増強を夢見て、帝国は力の限り闘った。
しかし、その中国は痩せても枯れてもやはり巨大だった。
人的、物的資源は大量に存在し、それ故、他の列強を味方に付ける事も日本より遥かに容易である。
実際、「のと」の資料分析からは、笑うしか無い現実が見えてくる。
蒋介石率いる中華民国は、最初は独逸、そして独逸の旗印が悪くなると、米国と言う風に、その支援先を乗り替えながら、帝国と泥沼の戦いを続ける。
第二次世界大戦は、先の大戦での戦後処理の不手際が引き起こしたと言っても間違いなかった。
その流れの中で、帝国は英米に付くか、独逸に付くかの選択を自ら行う。
外交にて英米離れ、独逸との同盟が選択され、その流れが加速されて行く。
中華大陸に進出した陸軍は、泥沼の戦闘の中、全てを解決するために、対米戦を選ぶ。
独逸がソビエトとの戦闘に勝利すると言う前提で、参画した戦争に、勝てる訳も無かった。
大陸では勝ち続けながら、太平洋を越えて押し寄せてくる米国に瞬く間に蹂躙されてしまう。
しかも、米国が進出しようとした中国に関しては、国民政府が毛沢東率いる共産国家、中華人民共和国に国を奪われてしまうと言う何ともあっけない幕切れを迎える。
それは、何ともやりきれない、展開であり、頭を抱えたくなるような未来図だった。

「総研の行動指針は、以上のような分析に基づいて、構築されている訳だ。少なくとも帝国だけでの大陸進出は、するべきではないと言うことは貴官らも判るだろう。」
「しかし、そこまで判っておられるのなら、まだやりようはあるのでは。勿論、更に詳しい情報の分析は必要ですが、例えば蒋介石と組むとか。」
東条が疑問を呈する。
「確かに、貴様の判断は妥当だと言えよう。しかし、残念ながら我が国に支那を見下す風潮があり、支那に、中華思想がある限り、上手く行く筈もない。それに、他の列強の問題が付きまとうのは変わらない。最初は独逸、それから米国が手を出してくるのをどうやって止めるのだ。」
「それは、そのどちらかと、あっ、判りました。」
全員が、帝国単独での行動が不利である事を理解した。
「そう、自ら、同盟を組む相手は見えてこよう。米国との同盟は、戦後の屈辱的な衛星国という立場しかもたらさない。独逸はその米国と覇権争いを行い、敗退する国だ。ソ連、共産中国は論外。仏蘭西は今更列強には戻れない。第一、次の大戦では真っ先に独逸にやられてしまう。そういう事だ。」
「残るは、大英帝国・・・ですか・・・」
「そう、帝国に対して覇権争いを行おうとしない、いやする必要が無い国で、米国へ覇権を委譲して行く国家が、同盟相手となる。事実、陛下が内閣、海軍に下命される、方針では、今後20年は親英国家を国策となされる。」
「その為には、日英同盟の再締結が最重要課題となる。これはこれから3〜5年は続く世界的な不況の中での、市場確保と言う側面もある。」
「梅津、お前に経済が判るのか?」
「言うな、永田、総研に入れば否でもその事を気が付かされるのだ。我々が総力戦をどれほどなめていたかを記載してある資料は山ほど見つかる。」
梅津は気を取り直して続ける。
「この、日英同盟締結に向けて、海軍のロンドン軍縮会議を使う。ただ、問題になるのは同盟が英国にとって、メリットがあるかどうかだ。当然ながら、英国も慈善事業で国家を運営している訳ではない。」
「大陸での利権を使うのか?」
「その通り、支那における我が国の権益は、全て英国に差し出す覚悟が必要となる。」
全員が黙り込む。確かに理屈は理解出来た。
しかし、陸軍がそれを納得するかと言えば、また別の話であろう。
資料に記載されていた、陸軍の大陸進出の次の手段である満州事変を阻止する事は、自分でも出来よう・・・
実際にそれに係わっているのは、板垣、石原らであり、彼らの行動を掣肘するのは不可能ではない。
しかし、支那からの撤退まで行おうとすれば、何が起こるかは想像がつかない。
「無理・・・だな。」
永田は、ぼそりと答える。
「そう、それは陛下も判っておられる。だから、粛軍を行う!」
三人は、顔を硬直させた。


そこまで話すと、梅津は一旦立ち上がり、部屋から出る。
永田は、目を閉じて何も言わない。
東条と阿南はお互い顔を見合わせるが、やはり言葉は発しない。
直ぐに、扉が開き、梅津が戻ってきた。
「陸軍省、参謀本部、海軍省、海軍軍令部の解体と、陸軍の皇道派と言われる将官、佐官の予備役編入を行う。実施は明日だ。貴官らにはその実働をお願いする。」
「そ、そんな事出来るわけない!」
阿南が立ち上がり叫んだ。

「私の命令でも、出来ないか?」
扉が開き、陛下が入ってこられた。
四人が直立不動で行う敬礼に、返礼されると、そのまま正面に腰を下ろす。
「みな、座れ。」
永田と梅津は、そのまま席を下ろすが、東条と阿南は立ったままだった。
「おい、陛下のご命令に逆らうのか。」
慌てて、二人も腰を下ろした。

「とにかく、今のままでは、政策の実行も出来ない。汝らには「釈迦に説法」であろうが、戦争の形態そのものが、変わってきている。予算にしても陸軍、海軍がその枠を巡りにらみ合っていては、効率的な軍の編成すら難しい。
 朕は、国防総省の設立を望んでいる。
梅津」
「ハッ、それでは説明します。
現在の陸軍省、海軍省は廃止し、新たに国防総省を設ける。また同時に統合作戦本部を設立。
国防省は、陸海空の戦備の育成、将兵の鍛錬に責任を持つ。これに伴い、現在の陸軍教育総監は、廃止する。
統合作戦本部は、これまでの陸軍参謀本部、海軍軍令部の機能を集約したものとする。
作戦本部の中には、情報部、作戦部、輸送部を置く。
情報部は、当面は帝国総力研究所が代行、作戦部は、方面制をひく。
方面は、帝国本土防衛、アジア地域を上下にニ分割、中央ユーラシア大陸、ヨーロッパ、中東、アフリカ、インド、大西洋、北米アメリカ、南米アメリカ、中央アメリカ、太平洋は四つの方面に分割。
輸送部は、戦力の維持確保及び、船団護衛、陸上輸送の責任を負う。
国防省は長官、作戦本部は本部長がこれを管理する。
尚、長官の任期は3年にて退任、再任は認めない。任期期間中は、特例として元帥に準ずる待遇、退任後任官に復帰とする。
尚、直任官であり、陛下が罷免なされる事は可能であるが、この場合は内閣の承諾を得るものとする。
作戦本部長は内閣総理大臣がこれを勤める。尚、作戦部部長がこれを補佐するものとする。
まあ、後は細かいところだな、この資料に目を通してくれ。
以上です。」
「朕は、冗談でこのようなものを考えている訳ではないのは汝らも判ろう。
このままでは、帝国は朕の代で滅びる。
私は、国家元首としてそれを見過ごす訳には行かない。
朕に力を貸してくれ、宜しく頼む。」
「へ、陛下!」
流石に、陛下に頭を下げられて、断れる訳も無い。
逆に東条中佐は感激に、肩を震わしていた。
「永田大佐、汝はどうだ?
貴様が、陸軍の体制が今のままで良い筈が無いと考えているのは、「のと」の資料でも明らかだ。しかし、陸海軍の統合までは予期していなかったと思うが。どうだ?」
「はっ、確かに陛下のおっしゃる通りです。ここまでは考えておりませんでした。
陛下に対して、失礼を承知でお伺い致します。本当に、統合が必要なのでしょうか。」
「必要である。その説明は、梅津、井上も呼べ。」

隣で控えていたのか、すぐさま井上が入って来る。
「海軍大佐井上成美です。」
軽く挨拶をすると、梅津の隣に腰を下ろす。
「統合が必要な理由を説明しなさい。」
「ハイ、それでは説明致します。
一番の問題は、我々軍人も官僚であると言う点です・・・」

 航空機の登場で、戦場の規模は格段に拡大していながら、陸軍、海軍の組織は官僚組織そのものでありすぎた。前例を踏襲し、お互いの権益の確保を第一義と考えてしまう。
流石に、帝国も戦争後半にはこの弊害に気がつくが、その時には既に遅すぎたのである。
陸軍に借りを作るのを嫌がる海軍、海軍の勢力範囲拡大を望まない陸軍。これでは、ただでさえ国力の乏しい帝国の資源は有効に活用される処の問題ではなかった。
実際、陸海軍それぞれが、お互いに持つ兵装に関しての情報すら共有されない状況が、同一のエンジン購入に関して、陸軍、海軍それぞれが特許料を海外企業に支払うと言う笑えない状況すら作り出していた。当初、井上や梅津らも、緩やかな統合と言う形、もしくは共通の部門の設立等を考慮していたが、分析が進むにつれ、時間的な余裕のなさも明らかになってきた。
今回のロンドン軍縮会議が多分最後の日英同盟に向けてのチャンスであり、更に2年後の満州事変を許せば、大陸進出の流れを止めるのは難しい。
これらを加味して、陛下に奏上した内容であった。
帝国を変えるには、小手先の業では対応できない所まで既に進んでいたのである。

と言うことです。お判りいただけたでしょうか。」
井上が話し終える。
永田は暫く考え込んでいたが、徐に顔を上げる。
「了解しました。微力ながら全力を尽くさせて頂きます。」
「東条、阿南、二人はどうか。」
「ハッ、仰せのままに。」
二人が同時に答える。
「それでは、明日、10時に陸軍省に、首脳陣を集めてある。その場で朕は、大命を下す。両連隊長は、10時10分に、近衛大隊をそれぞれ引き連れて、陸軍省を囲んで欲しい。東条中佐は、外部からの入庁を阻止、永田大佐は、省内での移動を封鎖願いたい。宜しく頼む。」
それだけ告げると、陛下は席を立たれる。
全員が、深く頭を下げ見送る。

扉が閉まり、暫くは誰も何も言わない。
「本当に、やるのだな?」
永田大佐が、ためていた息を吐きながら言った。
「ああ、冗談じゃない。」
「早速で悪いんだが、戻る前に後一つ、仕事が残っている。
これを見てくれ。」
永田は手渡された紙を見て、眉をひそめる。
「これは・・・」
隣の東条に手渡しながらも、永田の声は震えていた。
「ああ、粛清リストだ。予備役編入者だ。陛下が決められた。」
「そして、こっちが、どうすべきか判らん連中のリスト。この中で、予備役に回すものがいるかどうか確認して欲しい。」
「しかし、貴様これは、俺らは大佐だぞ。」
「ああ、大丈夫、心配はいらん。ここで推挙しても陛下が許可しなければ、予備役編入はない。あのな、信じられんかもしれんが、陛下は本当に本気なのだ。このリスト作りにしても、陛下も参加されて作られているのだよ。」
「それでも、梅津さんと小職は、間違いなく「君臣の奸」と叩かれるでしょうね。」
「そうだな、俺はそれでも獄死よりはましだが、井上の場合は、英語の先生になれないかもしれないのは辛いかな。」
「そうでもないですよ。少なくともこの先の戦争で、大勢が無駄死にするのを見ないで済むかもしれませんからね。」
永田以下三人は、二人の会話にあきれたように見つめるしかなかった。

11月9日、政府は、来年度予算案の閣議決定が二週間遅れると発表したが、新聞はそれを小さく扱っただけだった。
 それよりも、7日に何があったのか、それに対する発表を、固唾を呑んで見守っていた。
7日の午前中、赤坂と六本木に置かれた近衛連隊の部隊が出動し、陸軍省を取り囲んだ。交通規制が引かれ、それはその日夜まで続いたのだった。
翌日の朝には何事もなかったように解除されたが、何かあったのは、誰の目にも明らかだった。
首相公邸、宮城、国会議事堂から大臣や議員が頻繁に出入りし、新聞記者が知り合いの役人に声を掛けても、誰も何も言わない。
 報道関係者は漠然とした不安に包まれながら、政府発表を待つしかなかった。
11月15日、開催中の国会にて、首相の特別会見の時間が組まれた。
代議士、報道関係の見守る中、浜口首相は、先の10大政治要綱の撤回を発表する。
 10月24日のニューヨーク株式市場の暴落から、三週間経った今も、ニューヨーク株が低迷している状況を危険サインと見なし、金解禁、緊縮財政の実施を当面見送ると言う内容だった。
同時に、国内での需要喚起の為の特別予算の編成、各種産業育成基金の設立、そして、軍事費の更なる削減だった。
 当然ながら、国会は大荒れに荒れるものと思っていた報道関係者だが、実際には万丈の拍手でその方策が承認された事が余計に不信を増幅する。
更に、幣原喜重郎外務大臣のロンドン軍縮会議への突然の参加まで事後報告されるに及び、報道関係者はあっけに取られるしかなかった。
 裏がある。報道関係者は全員がそれを感じた。
しかし、議員、政府関係者をどのようにつついても、誰からもコメントを得る事は出来なかった。

11月21日、来年度予算案が発表されると、報道陣関係者は更に、驚く事となった。何と予算は対前年比140%、21億円と膨れ上がり、増加分の4億が外積で賄われると言うものだった。
これに対して、国会は予算案の審議で大きく揉めた。
会期が延長され、一ヶ月以上に渡り、審議が継続されたが、12月10日、外積の全額引き受けを英国政府が保証した事で、決着を見る。
幣原外務大臣が渡英したのはこの為だったのかと、報道関係者は納得するのだった。
しかし、大臣の渡英には更に裏があった。
4億の外積は、日商高畑が運用している皇室運用資産から購入されているのである。
それを表に出さない為、旧鈴木商店の人脈から、ロイド、そして英国政府と言うルートにて、保証が行われたのだった。
 全ては、日英同盟復活の為の布石の一つであった。

12月も中旬を過ぎると、次々と内需拡大策が発表されて行く。
弾丸鉄道建設計画の実施。産業特別振興区の設立、自由貿易港の建設に向けた新たな港湾整備等、それはこれまで聞いた事のないような言葉の羅列による経済振興策だった。
人々は、実際に予算もついている事から、そこに明るい響きを感じ、失業率の増加に歯止めが掛かる。
 事実、政府の打ち出す施策は適切でもあった。例えば大阪で、日本GM工場がレイオフを発表する前日には、その近隣エリアでの産業特区整備工事が急遽発表される等、少ない予算を出来うる限り効率的につぎ込むべく、「のと」から得られた歴史情報が、政府に流されていたのだった。
 1月6日、ロンドン銀相場が暴落する。いよいよ、米国で始まった恐慌が、世界不況へと突進しはじめていた。しかしながら、その中で、帝国臣民だけが、明るい先行きに希望を浮かべ、経済状況が上昇へと転じようとしていた。


「それで、君はこの案で英国政府が乗ってくると思うのかね。」
重厚な内装が、少し暗いくらいのイメージが付きまとう、歴史を感じさせるホテルの部屋の中で、初老の男が問いかけた。どちらかと言えば、和服の方がさまになりそうだが、その眼差しは厳しい。
 幣原喜重郎外務大臣である。この時代、帝国が彼のような外交官は、自分なりの信念を持って、外交を実施していた。しかし残念な事に、彼らの基準は帝国と言うよりも、外務省の省益が中心だった。しかし、「のと」の登場が、この状況を変えた。
 ワシントン会議で見せた彼の、交渉術、粘り強さ、そして培われた人脈が再び、必要とされているのである。
「ええ、間違いないと思います。少なくとも、今日の銀相場の暴落によって、彼らも真剣に考えざるを得ませんから。まあ、私の方からもロイド社等を通じて、話は伝えました。彼らも非常に興味を示しています。」
「フリー・トレード・ゾーンと言うのか、これもやはりあれからの情報だろうな。」
「ええ、まあ、そうです。 ただ、原案にかなり手は加えてあります。なんと言っても、目的が目的ですから。」
「しかし、臣民が納得するかが問題となるだろうな。また内閣が吹っ飛ぶぞ。」
「いや、それは大丈夫でしょう。その為の内需拡大ですから。予算もありますしね。」
「私には経済は判らん。そりゃ、普通以上の知識は持っているつもりだ。しかし、君らのやっている事はとてもついていけないな。」
「そんな、人を化け物みたいに言わないでください。私もこの前まではこんな事が出来るなんて、思っても見なかったのですから。とにかく、明日の会議は宜しくお願い致します。なんと言っても総研は、建策は行いますが、決断は行いません。それはあなた方政府の役割ですから。」
「それも、上の方針かな。」
「ええ、それも確かにありますが、内部での同意でもあります。官僚が力を持ったら、何時の時代でもろくなことはないでしょう。歴史が証明していますよ。」
「そうだな、その通りだよ、全く・・・」
二人とも、盗聴されている可能性も考慮して具体的な事は何も話さないように注意をしていた。
幣原外相と話をしているのは、日商の高畑だった。
既に、主要閣僚には陛下自ら、総研にて行われている内容についての話がなされていた。
最初は幣原も含め、殆どの閣僚が疑いの目で見ていたが、ニューヨークの株式市場の暴落を目の辺りにして信じないわけにはいかなった。
政策の変更に関しては、井上蔵相が、一番の反対論者だったが、厳しい現実と、その対応策を高畑と何時間も話し合った後、彼はその方向を180度変えていた。
それはそうだろう、陛下が拠出するとおっしゃった資金は、全て彼がたった二ヶ月で捻出したと知らされては、よほどの頑固者でなければ間違いに気がつく。
 ただ、井上蔵相は、頑固者で通っていただけに、幣原自身も、高畑とはゆっくり話をしてみたいと思っていた。
 いくら、未来情報を知っているとは言え、一旦崩壊した鈴木商店をたった三ヶ月で以前よりも巨大な商社として蘇らせた男、同時に、皇室運用資金を今も増やし続けている男に興味を持たない訳は無い。
 会ってみると、そこにいるのはまだ30代の若造としか思えなかった。しかし、実際に話をすれば、幣原もこの男の凄さが、良く分かってきた。
20年程にしか過ぎない社会生活の中で、本当に修羅場を生き延びてきたのだ。
その経験に、誰も得ることも出来ない知識が加われば、このように大化けするものなのか。
幣原は、高畑が羨ましくも思いながら、外交ではまだまだ自分も負けないと新たな闘志をもやすのだった。
 一方の高畑は、幣原がそんな事を考えているなんて想像すらしていない。
彼はただただ、現役の政治家は化け物だと驚嘆しているだけだった。
一流といわれる政治家は、凄いな・・・
視点か違う。
それが彼の感想だった。
井上蔵相も凄いとは思ったが、この人は更に凄い、いや恐ろしいもんだ・・・


 帝国側の提案は、大陸市場の取り扱いだった。これまで眠りっぱなしの大国として列強に食い散らかされていた中国も、清朝が倒れてから大きく変わろうとしていた。
 まだ、内部での勢力争いは続いていたが、それも蒋介石の下で一本化されつつあり、国家としての反撃を開始しだしていた。
これに対して、既得利権の確保とその拡大を狙い、帝国が武力による勢力拡大に踏み込んだのは、先の田中首相の時である。

第一次大戦後、長期化する不況の打開の窓口として新市場の確保が求められていた事も事実であった。しかし、「のと」資料から、その結果が帝国経済の崩壊と、それによる第二次大戦への参戦に繋がって行くことを帝国は知ってしまった。
 大陸進出は自殺行為である。だから、それを止めれば良い。
口で言うのは簡単だが、現実問題としては、問題が多すぎた。
確かに、実働部隊としての軍に対する対応は、陛下の大権により、一時的には沈静が可能であろう。
しかし、それもあくまでも一時しのぎの手法でしか過ぎない。
臣民の間に広がった、「勢い」と言う問題もある。
閉塞する社会環境が、外部へのはけ口を求めるのを押さえ込む事は出来ない。
今は良い。
分析資料から、大きな歴史の流れが判っている間は、良い。
だが、資料を基に修正を加えて行けば、五年もすれば、歴史は全く新しい方向に、変化して行く。
その先は、歴史資料は最早参考程度の役割しか果たさなくなる。
そして、逆に技術情報が実用化されてくるであろう。
このまま、「のと」情報を活用しながら、帝国を伸張させて行けば、強大な列強としての帝国が成立する可能性は高い。
「パックスジャパニカ」
それは、大日本帝国が世界帝国として君臨する世界かも知れない。
ところが、困ったことに「陛下」自身がそれを望まれていない。
勿論、総研に参画を強要された、梅津大佐、井上大佐、日商高畑、八木教授、高野助教授ら、全員もそれを望んでいないと言う事実があった。
それはそうであろう。
これまでの日本と言う国の歴史そのものが、それを望まない風土であると言う事実がある。
天智天皇の昔から、豊臣秀吉の朝鮮出兵まで、海外雄飛を望む人物は幾人か歴史に登場するが、残念ながらその個人レベルの夢は、常に潰されてしまう。
そもそも、狭い島国といいながら、その中で何とか大多数の人間が餓えることなく暮らせる世界がそこにあったのである。
世界中を見ても、これほど恵まれた環境に位置する国は無い。
周りと喧嘩せず、そこそこ豊かに暮らせる環境があり、その結果、二千年近い期間の間、まともな軍隊を持った時間は非常に短い。
江戸時代の300年の鎖国が示すように、「明日も今日と同じ一日」と言うのが、自国内で実際に可能な稀有な地域だったのである。
そんな民族の中で、世界帝国と言う考え方が根付く道理も無かった。
「のと」資料を分析しても、そこから出てくる世界は、精々「大東亜」でしかなく、「世界に冠たる独逸帝国」と言う発想は存在しない。
結局、明治維新以降、帝国が行ってきたことは、その国家を守ると言う一言に尽きた。
臣民を餓えさせない。
列強に侵略されない。
ただ、それだけを考え、ひたすら頑張ってきた国が、突然突きつけられた現実がそこにあった。
今のやり方だと、20年も経たないうちに、国が滅びる。
滅びたくないため、必死に画策はする。
その事が、誰も望んでいない世界帝国を作ることになるなら、どうすれば良いのか。
今でさえ、帝国に編入された台湾、朝鮮半島の問題で頭を抱えているのに、世界全体の問題を解決しろと言われれば、どうすれば良いのか。
それが、総研の悩みだった。
世界の列強として誰からも踏み潰されない国家、一目置かれる国家にはなりたい。
だが、そこにある富を求めて、喧嘩を吹っかけられるような国にはなりたくないのである。

のと第一部第四話
2007年02月22日(木) 23:11:10 Modified by spacefinalfrontia




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