のと第一部第四話

第四話


帝国が安定した国家として生き残る為に、検討された結論が大英帝国との強固な同盟であった。
「のと」資料が示すように、大英帝国は、第二次世界大戦後、権力の座からすべり落ち、そしてその座はアメリカ合衆国が占めるようになる。
ところが、ヨーロッパ選手権を苦労しながら戦い続けた英国と違い、米国は単に力が強いだけの国家であり、経験不足は歪めない。
そのため、余計な苦労を背負い込み、それがそのまま世界中に迷惑を撒き散らす。
19世紀の大英帝国が決して良い国家とは言える訳ではないが、少なくともその植民地からストレートに激しい恨みを買うような国家ではなかった。
となれば、大英帝国の覇権をなるべく長く続かせる事が、帝国にとって最も望ましい世界であろう。
少なくとも英国ならば、海の向こうから攻め寄せてこよう等と言うことは、起こりようもなかった。
英国の覇権を第二次大戦後、最低でも50年代後半辺りまで継続させれば、30年程度の時間が稼げる。
その間に、帝国の国力そのものを対米比率6割程度、そう、「のと」資料の示す、90年代前後のレベルまで引き上げれば、海の向こうの国家も紛争を起こそうという考えは持たないであろう。
現状のように、国力に大きな開きがある限り、単に戦争と言うレベルで相手を打ち負かしても、リターンマッチの可能性は存在する。
軍事面だけ、立派な防衛艦隊や陸戦兵器を作り上げても、パートナーとしては扱って貰えない。
そう言う事だった。

そして、奇妙に聞こえるかもしれないが、帝国の安寧を得る為に、英国の覇権を維持させると言う戦略が採用される事となり、その戦術の第一弾が、フリー・トレード・ゾーンだった。


幣原外相が、渡英して最初に行ったのは、対中国問題の解決に向けての英国への仲介の依頼だった。
英国による帝国債権の引き受け保証は、実はこの見返りの意味が込められていた。
債務保証の実際は、密かに皇室財産の内、5億円相当が、英国王室にその運用を委託される。
運用期間は、20年が設定されており、しかも運用委託費として予め、20%先払いである。即ち、英国政府の債務保証は、皇室信託財産にて帝国国債を購入すると言うものだった。これを行うだけで、1億円相当の資金が手に入る構造である。
これに対して、断る理由はどこにも無い。
こんな有利な条件を提供してくる以上、裏がある筈と言うのは、英国政府も理解しており、そしてその裏の理由として、中国問題の解決に向けての協力要請であれば、非常に納得出来る内容だった。
建前上は、ロンドン軍縮会議の事前打ち合わせと言う事で、英国に滞在しながら、英国政府に対して、中国問題の仲介を依頼しに来ている訳である。


幣原外相は、英国の外交の専門家に相談すると言う形態を取りながら、徐々に帝国の新方針をリークして行く。
帝国が中国に対する対応で困りこんでおり、対中国進出政策の放棄も視野に入れている。
しかしながら、市場の確保と米国の進出と言う問題もあり、その対応に頭を抱えている姿は英国政府にも伝わっていった。
同時に、経済の専門家も訪問しながら、幣原は高畑を紹介して行く。
帝国の来年度予算は、海外進出よりも当面の内需拡大政策に変更されている。
それは、経済学者であるジョン・メイナード・ケインズが考えている理論にほぼ一致している内容であった。
「のと」資料から高畑達は、需要拡大策についての理論を既に入手しており、それに基づいての内需拡大政策の実施である。
そして、古典経済学に則る英国銀行の方策が、不況を拡大して行く事も知識として理解していた。
その為、高畑達は、機会があるごとに、ケインズを応援するような言動を繰り返した。
勿論、高畑も鈴木商店時代からの知人も大勢おり、そこで同様の問題提起を行っていた。
そして、様々な専門家との話し合いの中で、二人は、あたかもその専門家のアドバイスで出てきたように誘導し、「フリー・トレード・ゾーン」と言う考えを取りまとめて言った。
勿論、これらの話の内容が、英国政府に筒抜けである事は折込ずみである。
否、同時に検討して貰わねば困る訳である。

 最終的に纏まった案は、関東州の扱いだった。

帝国が有する中国最大の租借地の中国政府への返還を行う。
但し、それには条件がある。
現在の中国全土の紛争状況を鑑み、帝国はこの地域を非戦闘地域として維持する為に必要な軍事力は駐留させる。
租税公課も含む行政権及び警察権は中国政府に返還し、治外法権等も撤廃する。
また、旅順、大連等の軍事施設に関しては、今後も継続して帝国陸海軍が使用する。勿論それに関しては、中国政府に対して、改めて設定する租借料を年度ベースで支払う。
そして、関東省内の特定商業集積地域に関しては、輸出入において徴税は行わない事を中国政府、帝国政府が同意し、フリー・トレード・ゾーンとして、各国に開放する。そして、フリー・トレード・ゾーン内での各国交易の決済は、時価評価の為替レートによるものとする。
 尚、これらの条件、特に帝国軍による違法な軍事行動や中国政府の軍事行動の監視の為、第三国である英国政府が、必要と見なす監視委員会を設立し、これを監督するものとする。尚、監視委員会は、時価交換レートも維持管理するものとする。そして、英国監視団の費用に関しては、帝国及び中国政府がこれを支払うものとする。

英国にとっても、これは決して悪い話ではない。
なぜなら、これはモデルケースとして活用出来るからである。
英国が中国本土に抱えている租借地、租界は日本より遥かに大きい。
これら地域の返還も始まっており、その扱いに苦慮しているのは英国政府も同様だった。
しかも、幣原外相は、更に英国に対して、満州地域の権益の開放すら内々に打診していた。
即ち、英国の協力が得られるならば、満州地域のフリー・トレード・ゾーン化も考慮すると言うものだった。
まあ、これは関東州でのモデルケースが上手く行った場合のオプションであるが、少なくとも英国にとって、悪い話ではない筈だった。

1月22日、ロンドン軍縮会議が開始される。
その時点で幣原は、既に帰国の途についていた。
そう、ロンドン軍縮会議の事前交渉と言う形を取りながら幣原は、英国との交渉を纏め上げたのだった。


昭和5年2月20日、第17回衆議院選挙が実施され、方針の大変換にも係わらず、浜口首相率いる民政党は、300議席以上の議席を確保し、大勝利を納めた。
これは、金本位体勢復帰を延期させた浜口内閣の大英断を褒め称える報道関係者に対する情報操作、そして政友会関連の各種醜聞の暴露等が合わさった結果であったが、ここにも「のと」情報が多く活用されていた。
 そして、開催された国会で、浜口首相は新たな活動方針として、省庁改革をぶち上げ、その第一弾としての陸軍省、海軍省の統合による国防総省の設立を発表した。
しかも、同時に帝国憲法の一部改正が上程され、陛下の承諾の下、参謀本部、軍令部の廃止と、統合作戦本部の設置が決定された。
 軍に対する統帥は、陛下が統合作戦本部を通じて行う事が改めて確認され、しかも統合作戦本部長は総理大臣がその任につく事が明記されたのである。
 ここに、ロンドン軍縮条約締結後に発生する可能性のあった、統帥権干犯の問題は完全に打ち消されたのである。
 事情を知らされていない政治家、報道関係者、財界人、一部の軍人等は、その急激な変化に戸惑いの色を隠せなかった。
 しかしながら、政府関係者は、強気の答弁を行うだけであり、不満を抱いている、であろう軍部は陸海軍とも、一切口を挟まなかった。
 既に、陸軍内部での粛軍は終了しており、所謂皇道派と呼ばれる将官以下の将校は軍から叩き出されていた。血気に逸る青年将校らも、あまりにも急激な変革に、様子を見るしか出来ないというのが、現実だった。
 財界関連では、瞬く間に復活し、以前よりも活発な活動を開始した、旧鈴木商店、いわゆる日商グループの動きにパニックが広がっており、疑心暗鬼の中で、政治的な活動が出来る状況ではなかった。
 日商グループの動きに、政府が絡んでいる事は間違いないのはどの財閥も掴んでいた。しかしその資金が、皇室運用資産であるため、どの政府ルートを当っても、実態は把握しようがなかった。その上、高畑が、ニューヨーク株式市場の暴落を利用し、昨年中に、元本を通常運用に戻してしまっている為、資金流用の流れは把握できなくなっていた。
 ちなみに、高畑は残りの資金を更に増やし続けていた。年初のロンドン行きは、親英政策と言う総研の目的もあったが、「のと」情報から得たロンドン銀相場の暴落を活用するために、彼自身がロンドンに行く必要もあったのである。


「英国の方は何とかなりそうですか。」
帝国総力研究所の、増設された大会議室に所長の声が響く。
「はい、幣原外相の協力のおかげで、何とか交渉はまとまりそうです。中華民国の方も何とか話を聞いてくれる所まで交渉が進められていますので、軍縮会議締結後の発表は問題ないと思われます。」
高畑が答える。一応、陛下の前という事で、丁寧な口調だった。
「そりゃ、良かった。これで少しは前進しそうだな。」
こちらは逆に砕けた言い方で、井上が答えた。
「しかし、蒋介石もまだまだ磐石の態勢を整えている訳ではないからな。果たして上手く行くか。」
「梅津さん、今から悲観しても始まらないでしょう。とにかく、蒋介石が内戦に突入する前に話を纏め上げないと、佐分利貞夫駐華大使の交渉が上手く行く事を期待しましょう。」
昨年11月以来、佐分利大使には護衛がついている。
それはそうだろう、「のと」資料で、昨年の11月29日に箱根の富士屋ホテルで自殺すると記載されている以上、当然の措置だった。一応、陛下より直々に声を掛け、詳細を説明してあるので、本当に自殺ならばそれは避けられると思われるが、謀殺ならば護衛は必要だった。
「相手が支那だから、交渉は中々難しい。」
「まあ、支那がどう言おうと、4月には発表してしまいますからね。後は帝国が勝手に動き出すしかないでしょう。」
高畑が気楽そうに言う。彼は中国相手にまともな交渉が可能とは考えてはいなかった。
「帝国が対支政策を大きく変換させた事は、伝わると思うから、蒋介石は反対しないだろう。問題は張学良だな。なんと言っても、父親が謀殺されているのだから。」
梅津は尚も心配そうに答える。
あくまでも総研は献策機関であり、実務は政府・官僚が行う訳である。それだけに、自らではないので、不安が付きまとう。
「今回の粛軍の一環で、河本大作大佐を罷免していますから、後はどれだけ張学良が支えられるかですね。」
 支那に対する租借地の返還と言っても、その警備の為の軍事行動の禁止、言わば「のと」資料で出てくる国連停戦監視団的な役割を帝国は果たそうとしている。これを独善と見られないように、英国の協力を仰いでいる訳である。
 しかしながら、現在の支那情勢を見るならば、停戦監視団は、蒋介石の北伐を阻止する事に繋がる可能性もあった。
 張学良がその可能性に気が付けばそれはそれでかまわない。どの道、帝国にとって、正念場となるのは、満州の扱いだった。要は、支那の一部地域である満州を認め、「のと」資料で言うところの満州事変を如何に防ぐかが重要なのであった。
「のと」資料では、今年の五月前後から、中国では、蒋介石とそれに対抗する一派の内戦が勃発する事になっていた。
「帝国の国防方針の変更が、支那での内戦にどのような影響を及ぼすかが、今後の動向の鍵となるな。」
井上は改めて、会議室に集まった全員を見回した。

「今後、「のと」情報は、歴史に関してはあくまでも参考意見となるから、外れる事もある。いや、外れて貰わないと、何をしているのか判らない。」
井上は、ちらりと陛下を見る。
陛下も同意しているようなので、話を続ける。
「それに伴い、我々の活動もこれまでのような独断的な動きは出来なくなる。まあ、いつまでも君側の奸として活動するよりは良いだろうが。」
「別に間違った事をしている訳じゃないぞ。」
「そりゃ、そうですよ。間違っていたらえらい事です。だが、これからは間違う事もある。」
「基本としては、親英政策ですが、それにつなげて行く過程で読み間違いが生じると言う事ですか。」
高畑が、考えながら答えた。
他のメンバーも納得するように頷いた。
「そうだ、それだけに、政策面への反映は非常に慎重にならざるを得ない。またその為に、情報収集に更に力を入れる必要がある。」
「その為の統合作戦本部情報部だろう。」
「ああ、しかしこれはあくまでも軍事関連情報の収集に限定される。問題となるのは外務省だ。」
「吉田茂・・・だな・・・」
「その通り、後、高畑君への支援として岸信介、この2名を引っこ抜く時期だろう。」
勿論、全員が「のと」資料には目を通しており、この2名が何ものか良く知っていた。
吉田茂は戦後の道筋をつけた外相であり、総理大臣、岸伸介は若手官僚として五カ年計画等の推進を図り、戦後は首相を務めた人物である。
陛下が再び口を開く。
「判った、両名の総研への取り込みは許可する。しかし、岸の情報閲覧には少し問題が無いか。」
それはそうである。岸伸介は戦後の首相としての名声よりも、満州国での内務官僚としての影の部分が有名だった。
「それは、東条と同様に、今後の話でしょう。今の時点ではまだ気鋭の官僚と考えます。それに、情報閲覧に関してはBランクで対応します。」
「そうか、それなら良い。」
井上は再度、陛下に頭を下げ、話を続ける。
「それじゃ、八木さん調査状況はどうですか・・・」

 「のと」情報、特に800台以上のノートパソコンの蓄積情報は、調査すればする程様々な分野での知識の宝庫であった。確かにこの知識を独占すれば、権力の掌握も不可能ではない。
 しかしながら、彼らは誰一人それを望んでいなかった。陛下は元々そのような野望を抱く必要すら感じない立場であり、八木、高野ら技術者は自分達が歴史に名を残しているのを既に知ってしまっていた。鈴木商店の崩壊を現実に経験していた高畑にすれば、権力の掌握が決して楽しいものとは思ってもいないし、将来日商が大商社に発展すると言う事で既に十分だった。
 梅津にしても、参謀総長まで上り詰めた上で、獄中死と言う結末を知らされてしまえば、興味も失せる。井上自身も、戦後教師になると言う事実を突きつけられて、いかにも自分らしいと思ってしまう所で、そのような資格を持たないと納得してしまっていた。
 かと言って、この知識を他人が管理すると言うのは誰もが望んでいない。第一、誰に任せれば莫迦な事を考えずに、上手く活用出来るのか。
 既に、彼らは核兵器の存在を発見していた。しかも、理論上ながらその設計方法すら、情報の中にはありそうだった。そんな危険な情報を誰に任せれば良いのか。
 結論として考え出されたのが、閲覧ランクだった。総研内外での地位に関係なく、情報閲覧者のランクを付ける。陛下以下、井上、梅津、高畑、八木、高柳までは制限の無い特A、Aランクはその中での関連分野情報のみの閲覧、Bランクは、特A ランクが非公開と決めた情報の閲覧は不可、逆にCランクは、指定情報のみの閲覧可と言うランク付けだった。
 従って、パソコンを直接検索して情報を取得出来るのは、Aランクまでであり、それ以下のランクでは、情報はあくまでも紙ベースで渡される形となっている。
 これを守る限りにおいては、それぞれの地位に関係なく情報の制限が掛けられる事となり、権力の乱用を防ぐ事に繋がる。最も、陛下を後ろ盾にしている以上、体制の崩壊無くして、それがありえるとは誰も考えてはいなかったが。とにかく、そういう事だった。
 「のと」が発見されてから、半年が過ぎていた。政治・経済に関しては、得られた分析資料を基に大規模な活用が開始されていた。これに対して、科学技術関連に関しては、そうもいかないのが現状だった。
 第一、基礎インフラが違いすぎる。いや、そもそも帝国の産業構造そのものが、重工業に対応出来る体制にはなっていなかった。
 その中で、比較的解析が進んでいるのは、電子技術関連であった。当然の事ながら、調査班の班長、副班長両名がその分野の専門家である点が大きかったが、殆ど新規分野が中心である事も解析が進む理由でもあった。
 特にトランジスタに関する基礎知識が記載されているホームページがそのまま見つかった事が大きかった。どうやら、21世紀の基盤企業のホームページがそのまま取り込まれていたようだが、そこではトランジスタの理論的説明から各種基盤図まで掲載されていた。
 今年に入って総研では、高畑が得た運用資金を使い、大村湾に面した一帯の用地買収を開始していた。「のと」そのものを何時までも佐世保鎮守府内に置いておく訳にも行かず、かと言って呉や横須賀に運んでくるのも防諜上好ましくなかった。また、大量の陸戦兵器等も含まれている為、それらを極秘にて調査する場所的な広がりも要求されていた。
このため表向きは、長崎県に新たな産業集積地域を作ると言う政府の発表の下、総研がその指定地域から適度に離れた土地を買収しているのである。
そう、表向きは政府の新経済政策の一環としての立場で、そしてその影で、秘匿研究施設の設立が行われていたのである。
 選ばれたのは、長崎県の東彼杵郡川棚村から、早岐村周辺地域であり、この中で、既にトランジスタの実験施設としての研究所の建設が川棚村にて、開始されていた。

 他の分野に関しては、はかばかしい成果は上がっていなかった。金属加工、石油化学工業、飛躍的な性能を与えるエンジンや機器の設計図面や論理説明資料的なものは見つかるのだが、基礎インフラが無いため、追試が行える状況ではなかった。特に、問題となるのが電装系であり、そのため、理屈は理解できても、電子制御によるエンジン着火の最適化などと言うと、夢のまたゆめであった。
 このため、総研では今回の世界恐慌を利用して、欧米の最新設備を格安で手に入れ、そこに「のと」知識を生かした実験設備を組み込んで行く事を計画していた。
 既に、資金繰りの行き詰まりで倒産に追い込まれた米国企業の買収は開始されており、早い工場では解体まで始められていた。今年度中にも、幾つかの工場を国内に建設する目処が立っていた。
 また、総研は日商グループの事業の一環と言う名目で、米国の中古自動車、中古建設機器の大量買付けを実施していた。これは内需喚起型の財政計画を見込んだ動きと説明されていたが、実際には将来的な国内での専門工の養成に繋がる方策だった。

 最後に、総研の運用資金に関して改めて、高畑から現状が報告されると、メンバー全員からうめき声が漏れた。既に総研の総資産は、皇室運用資金を全て返却し、勿論過分の利息を付けて、国債発行分として5億拠出しても、既に帝国の国家予算の2年分、約40億円相当にまで膨れ上がっていたのだった。
 この豊富な資金を利用して、長崎県大村湾一帯の買収や、米国工場の国内移植等の方策が実施される訳であるが、政府関係者を唖然とさせるものであるのは間違いなかった。
 しかしながら、これに関しては、「ひかえめ」な数字でしかすぎなかった。純粋な皇室運用資金以外では、日商グループとしての運用資産や、親英活動の為に、密かに英国ロイド社に預けられた資金があり、それらはまた別途膨らみ続けていた。

「兵器関係の分析が問題だな。」
一通り報告が終わると、梅津が尋ねる。
「ええ、一応「のと」に積み込まれていた戦闘車両、航空機に関しては基礎資料の作成は終了しています。操縦と整備のマニュアルは見つかっていますので、最低限の運用は可能です。しかしながら、実際に運用実験を行う為には、それ相応の広さが必要ですので、後2ヶ月程度は準備に必要です。」
高柳が答える。
「電波誘導利用の砲塔は、やはり電装関係の技術革新が行われない限り、利用は困難か。」
井上がため息を吐いた。
「タービンエンジンのコンセプトは理解できたが、複製には鋳金技術の革新が必要。唯一利用可能な、軽機の類は、既に図面を起こしているが、生産設備の問題が解決しない限り、実際には戦力化は不可能。」
「結局は技術水準の問題か。」
梅津も頭を抱える。
目の前に、豪華な食べ物があるのに、一切食べさせてもらえないようなものだった。

「ええ、その問題もありますが、機銃等の生産では、それよりも工廠の問題が大きいですね。」
皆が怪訝そうな顔を八木に向けた。
「結局、日露戦以降、誰も近代化を推進していないんですよ。」
八木が腹をくくったように答えた。
陸軍工廠、海軍工廠伴、製造設備の近代化が追いついてないと言う問題があった。
陸軍では、予算上の制約から、工作機器の購入は、安い機器の購入のみに、官僚の目が行き、生産量や、精度の問題は二の次の扱いを受けていた。海軍では予算的には陸軍よりも潤沢であったが、ここでは逆に、精度は高いが生産性が低すぎると言う問題が生じていた。
「今回の省庁再編により、陸軍工廠、海軍工廠の一本化が図られますが、それに併せて生産機器の近代化、いわば設備投資が必要となります。要は、未来兵器を生産するに足る工廠を作り上げないと、兵器の量産は不可能です。」
みんなが一斉に、高畑の顔を見る。
高畑が、あせったように助けを求めるが、誰も味方はいない。
「判った、判った、その資金と設備を用意しろと言うんだろ。全く、日商は打ち出の小槌じゃないんだから。」
「おや、違うのか。朕はそう認識しているが。」
陛下にそう言われ、高畑は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる。
総研会議室に久しぶりに笑いが広がった。

3月3日、「のと」資料では、生糸相場が暴落する筈であったが、現実には暴落まで行かず、下げ止まった。
 これは、政府が国内需要喚起の政策への変更により、金解禁を放棄した事、これにより円安が進行しており、その結果として、国際的な生糸価格の低下に対して逆ザヤに働いた事等の理由による。
総研メンバーにとって、それは一つの衝撃だった。理屈で理解していても、現実に大きく歴史が変わりだしている事を示す指針であり、「のと」資料の内、歴史関連の資料が最早参考資料にしかならない事を示しているのだから。
 総研メンバー、特に井上、梅津ら軍人のメンバーは、これ以降、情報収集の組織作りに本格的にのめり込んで行く。僅かな未来情報ですら、これほど価値がある。その情報があてにならないとなれば、現実の情報を丹念に集めて回るしかない。軍人であるから、情報の重要性は、知識としては把握していた。しかし、たった半年程の体験ではあるが、実際に、他の知らない情報を用いての活動経験は二人の中で何かを大きく変えていた。

「人材が問題なんだよなあ。参本はどうだった。」
井上がため息をつきながら、梅津に水を向ける。
「酷いもんだ、これほど視野が狭いとは思っても見なかったよ。」
梅津もため息を付く。
彼らは、新たな情報収集の仕組みとして、統合作戦本部内に情報部の設置を目論んだ。
陛下の内諾も取り付け、堀少将の部長就任も決まった。
 国防総省の加藤寛治長官や、統合作戦本部の作戦部部長永田鉄山、末次運用部部長等の人事は、陛下が指名されたが、情報部部長だけは、梅津や井上の強い要望が通った形であった。
 陸軍の高官が、陛下の粛軍によって、予備役に編入された事に伴い、国防総省の人事は総じて海軍主導で行われており、統合作戦本部は、作戦部は陸軍主導、兵量配備を受け持つ運用部は海軍と言う区分で、人事が進められていた。これに対して情報部だけは、ほぼ新設の部門なので、陸海に係わらず、必要な人員を指名する必要があった。
 情報部は、全世界を7つのエリアに区分し、それぞれに専任の課を設ける事を予定しているのだが、問題は課の課長の人選だった。
 適当な人材がいないのである。勿論陸海軍には、駐在武官や留学等の制度を利用して、それぞれの地域に詳しい人間はいる。ところが、情報管理の部門と考えた場合の適材が余りにも払底していた。
 外務省との連携も考えられており、吉田茂イタリア大使の招聘が認められ帰国の途についているが、彼は部門の長と言うより、情報部の外務省担当と見なされていた。

「部長、駄目ですね。やっぱり一から作り上げて行くしか方法はなさそうです。」
「うーむ、そうなるか・・・」
堀少将も頭を抱える。
「こうなったら、逆転の発想しかないでしょう。陸海のはみ出し者を集めちゃいましょう。」
「石原中佐、牟田口少佐、辻少尉、橋本欣五郎中佐・・・」
梅津が予想されるメンバーをつぶやく。
「これじゃ、危なくて仕方ないぞ、ここでクーデターの計画を策定されてしまう。」
「まあ、今は落ち着いているが、その可能性はあるな。」
陛下の粛軍と、統制派といわれる永田大佐が作戦部長に就任が決まっているため、国家改造を試みようとする連中の行動は一旦止まっている。
 また、桜会の主要メンバーやそのシンパと思われる軍人達は、次の異動で配置換えも予定されていた。板垣征四郎大佐や石原莞爾中佐は関東軍から戻ってくる予定だった。
「彼らも馬鹿じゃないですからね。ただ、思い込みも激しいでしょう。」
「一人ひとり君ら二人で面接して決めるしかないな。」
「あっ部長、逃げるのですか。」
「人聞きの悪いことを、権限の委譲と言うのだよ。」

3月も中旬を過ぎ、ロンドン軍縮会議の詳細が国内に伝わりだすと、朝野は騒然となった。
「のと」資料分析から、政府の活動における広報の必要性が強調され、濱口内閣は、以前より国際情勢や政策の説明を丁寧に行うようになっていた。この結果、ロンドン軍縮会議でどのような議論が行われているかと言う内容は、交渉に差しさわりの無い範囲で、新聞に報道されていた。
 そんな所に、帝国からの提案として主力艦の更なる削減も視野に入れた交渉が行われているとの話が伝わってきたのである。
 当然ながら、国会は荒れにあれた。濱口首相は帝国を英米に売り渡すのかとの怒声が飛び交い、国会審議は止まり、閣僚クラスに対しての警備が強化された。
 しかしながら、国防総省、特に海軍関係者から一切反対の声が挙がらない事に、不振を覚える報道関係者もいたが、それがどのような意味を持つのか理解できたものはいなかった。

 4月15日、ロンドン軍縮会議が調印される。そして、その内容が国会を通じて、国民に発表されると、国民は言葉を失った。
 すなわち、主力艦は、英米15艦に対して帝国はこれまでの9艦が6艦まで削減。その代わり、航空母艦が2艦追加されている。
 補助艦は、対英米では総トン数で6割、但し駆逐艦以下の補助艦に対しては、対米英8割となっていた。重巡洋艦の比率が抑えられ、小型の艦艇が増えているのである。
 具体的な数字を示されても、国民には理解出来がたかった。それはそうであろう、6割なら駄目で、7割なら大丈夫と言う理由がある訳では無いのだから。しかしそれよりも、国民が驚いたのは、軍縮の条件が、第三次日英同盟の締結が条件であるとの内容だった。
 正式には日英安全保障条約で、あくまでも防衛主体の同盟である。すなわち、お互いの国家が他国より侵略された場合、同盟国は全力を持ってこれに対処すると言うものである。
 要は、軍縮に同意する代わりに、それに対しての安全保障上の対価としての保証条約の締結だった。元々帝国は、日英米三国の安全保障条約の提案を行ったが、米国は国内の孤立主義の立場と、昨年の大恐慌の影響から締結に踏み切れなかった。

結果として、英国がその保証を提供する代わりに、帝国が軍縮に同意すると言う内容だった。
そう、幣原外相の裏工作、若槻全権大使以下の交渉により、英国がこの案に乗った事により、軍縮会議は帝国側に有利に交渉が進められたのである。
勿論、「のと」情報分析の中で、軍縮会議の詳細な資料が発見され、幣原外相がそれを直接若槻らに提示できた事も大きかった。明確な指針を本国から与えられ、交渉の枠組みを提示されれば、帝国の外交関係者は非常に有能である事が、ここでも証明された訳である。
勿論、帝国内でも日英同盟の復活を喜ぶ勢力と、独自外交を行うべきとの勢力間での議論が巻き起こったが、海軍の重鎮東郷元帥による、「戦争が起こらんなら、それに越した事は無い。」と言うコメントや、陛下の大使団に対するねぎらいの言葉が広がるにつれ、それも沈静化して行った。
 これは、列強に対する帝国外交の勝利であるとの、情報操作も行われ、結局は景気が上向きに向かっているとの意識がある限り、国民は文句を言わないと言う事もあり、大きな騒動にならずに、収拾に向かうのだった。

4月27日、ロンドンにて軍縮条約が締結されると同時に、日英安全保障条約も締結される。そして、同時に安全保障条約の一環として、陸海軍軍人の交流計画も発表された。
陸海問わずに、大量の士官が英国に渡るのである。元々以前の日英同盟でも、軍令レベルでの作戦計画のすり合わせ等が行われた実績があるが、今回は将官未満の各佐官、尉官を各々20名前後、全体で100名以上の軍人を派遣するのである。そして、この交流にあたり、現地での宿泊施設の手当て、現地までの交通手段も含め、重巡洋艦の妙高、足利がこれに充てられると発表された。
同時に、この重巡「妙高」「足利」が英国海軍に譲渡されると発表され、各国は更に驚く事となる。勿論、たった半年程度の交渉で、英国がこれを承諾したのには裏がある。今回の軍縮交渉に当たり、幣原は、対象となる補助艦艇の英国への一括譲渡を申し出ていたのである。
重巡2艦と、駆逐艦12隻による戦隊クラスでの指揮権の委譲を含めた艦艇及び要員の英国海軍への提供、しかも要員はあくまでも帝国海軍の訓練の一環としての各艦艇への派遣と言う条件での譲渡に、英国が断る理由は無かった。当然である。これはあくまでも支那問題への英国の援助へのみかえりとしての提案だった。
英国としても、この提案により、アジア方面での艦隊のプレゼンスをある程度抑えられると言うメリットは大きく、一時的に米国の体面を損なうリスクを勘案しても、十分なものとの判断が下され、日英協調路線は再び軌道に乗り始めたのであった。

5月に入ると、帝国は支那政府に対して一方的な租借地の返還と、フリー・トレード・ゾーンの設立を通知した。結局、蒋介石政府や華北張学良政府等との折り合いは付かず、佐分利大使は帰国し、総研のメンバーとして吉田茂の下に入っていた。
 これに伴い、関東軍の廃止と、代わって停戦監視団の派遣が宣言され、その規模はこれまでの関東軍の1/4程度に縮小される。
 英国は、帝国の動きと呼応するように、米国との交渉を進め、停戦監視団への米国の参加を纏め上げ、フリー・トレード・ゾーンは他の列強の賛同も得て、稼動し始めた。帝国は北部支那地域の確保を諦め、大連や奉天等の拠点確保のみに限定した軍事活動へとシフトして行く。
 軍部の反発は、今の所新たな国防総省と統合作戦本部内の組織対応が主となり、殆ど表には出てこなかった。勿論、梅津、井上らを中心とした総研のメンバーが、永田、小畑、岡村ら陸軍出身者、豊田、小澤、山口ら海軍出身者も含めて現状分析を行い、彼らの意見を吸い上げている点も大きかった。

 現実問題として、これらのメンバーを集めた検討会議は、常に怒声が飛び交い、つかみ合いの喧嘩も起こるほどの勢いであったが、井上、梅津らにありえた未来を突きつけられると、改めて問題解決を考えざるを得ない点では全員が一致していた。
 少なくとも、陸軍軍人は、ソ連が如何に巨大なものかを改めて認識し、海軍軍人は米国との海戦の無意味さを突きつけられており、その為に何をしなければならないかを真剣に検討しなければいけないと言う状況は、全員が認識しており、そこに空疎な為にする理論が入る余地は無かった。


「米国で、スムート・ホーレー法に大統領が署名したそうだ。」
「やはり、来たか。」
「ああ、ブロック経済が始まる・・・」
井上が憂鬱そうに、梅津に答えた。
30年6月に、米国で成立したこの法案は、国内の農作物の価格低下を防ぐ為、海外からの輸入品に関して、平均50%近い関税を掛けると言うものだった。
これにより、対米向け貿易は縮小スパイラルに突入し、世界経済は確実に不況へ突入して行く事が判っていた。
総研の会議室だった。
「しかし、これでまた儲けられますよ。その為のフリー・トレード・ゾーンじゃないですか。」
高畑が怪訝そうに二人を見つめる。
「いや、国内は何とか不況に陥らずに済みそうだが、世界情勢を見ると、そうも、言っておられない。独逸はそろそろヒトラーの名前が響きだしたし、フーバー大統領の後にはルーズベルトが出てくるからなあ。」
梅津が呻くように言う。

「のと」情報を活用しながら、全体としては、舵取りを間違っていないと言う自信はある。しかしながら、判っていても世界の情勢は余りにも不安要因をかき立ててくる。間に合うのか、何とか破局を避けられるのか、そう思うと矢張り落ち着いてはいられない。
「そんな事で、どうするのですか。今更投げ出す訳にはいかんでしょう。」
「ああ、そうだな、もう走り続けるしかないからな。」
井上が自分に言い聞かすように答えた。
気が付けば彼らに押し付けられた役割は非常に重たいものとなっていた。
それでも、逃げる訳には行かない。
まだまだ、問題が山積みであるのは判っている。
一つ一つ対応策を検討して、進めて行くしかない、のであった。

のと第一部第五話
2007年04月05日(木) 17:31:32 Modified by ID:o8tgfTSd2g




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