のと第一部第二話

第二話

10月30日、帝国総力研究所会議室
「それでは、汝らはこの方策が一番だと言うのだな。」
梅津、井上、高畑、八木、そして高柳の五人はお互い顔を見合わせる。
誰も口火を切りたがらず、仕方なく、梅津が威儀を正して、話し始める。
「はっ、最良とは言えませんが、今は本方策が次善の策と心得ます。」
「何か最良の策があるのか?」
「親政です。」
井上が、ぼそりと答える。
「既にご説明させて頂いたように、問題は軍部の統括です。経済問題はある程度制御可能でしょうが、陸軍、海軍共に問題を抱えています。本方策では、直接的な政策、軍事行動への関与は行わない事がその基本ですが、現実問題としてそれは非常に不確実な方法とならざるを得ません。現状でしたら、憲法の停止、陛下自らの直接統治による帝国の進路変更が可能でしょう。」
「朕はそれを望まん。第一、その後が続かんではないか。もし朕に間違いがあれば、誰がそれを制止できる。」
「はっ、確かに仰る事は我々も承知しております。しかしながら、回避可能かどうかの可能性を考慮しますと、本方策はやはり次善としか言いようがありません。」
梅津は顔を真っ赤にしながら、そこまで話をする。陛下に対して否定的な見解を述べる事など、総研に来なければ一生経験する事は無かったであろう。
「朕はこの方策を了承する。汝らはその実現に向けて全力を傾けてくれるであろう。宜しく頼む。」
五人は一斉に威厳を正した。
これまで手に入れた資料を基に、五人が検討した方策がここに了承された訳である。
まだ、方針レベルであるが、それは余りにも帝国の行く末を大きく変えて行くものだった。

「英国側での第二次世界大戦への参戦」これが、当面の目標だった。
中華大陸への軍の投入は、着実に帝国の国力をそぎ落として行く事は、資料からも明らかである。また、その結果としての英米との対立は、なんとしても避けねばならない。
大陸での無用の消耗を行わずに、欧州大陸で、大戦が始まれば、帝国の国力が更に増すのは先の大戦からも明らかである。
ヨーロッパの列強が国力を疲弊させ、また製品の供給基地となれば、帝国の産業発展は更に加速される。当然、手に入った各種未来技術を内製化して行けば、他の先進国よりも更に差を広げられる。
しかしながら、五人の検討結果はそのような単純な分析では終らなかった。いや、「のと」から発見された多量の論文、文献、私見を検討すればするほど、それだけでは終わらせられなかった。
 第二次世界大戦後は、ソ連と米国の二大超大国同士のにらみ合いが始まり、それは50年近く続く事になっていた。そこに、帝国が連合国側として残った場合、何が起きるか。それが問題だった。
 ソ連、米国との外交上の軋轢が発生するであろう。朝鮮半島は、分裂する事は無いであろうが、中華大陸はどうなるか判らない。帝国が進出する事により、外敵と戦う事で一体化した国体が成立したが、それがどのような国家になるのか。ソビエト、米国、そして帝国もそれぞれが支援する政府に対して援助を行う事となろう。
そこに軋轢が発生しないと考えられるのは、よほどのお人よしと言えよう。
 第二次大戦を乗り越えたとしても、その後には何らかの形で太平洋戦争が発生する可能性は高い。今のままで、帝国だけが変わるのでは、強大になった米国とソ連の間に位置する以上、どちらかと戦陣を交えざるを得ない状況に追い込まれて行く可能性は否定できない。
  更に、アジアの問題があった。欧米諸国による植民地が戦後独立し、米国はベトナム戦争と言う名の独立戦争に手を焼くことになっていた。結果として帝国の参戦により、独立を勝ち得た国々を国益の為に無視する事は容易い。しかしながら、植民地支配が何らかの形で終わりを告げる事を考慮すれば、未来技術をベースに超大国化した帝国がそれらの対応を行う必要はどうしても発生する。しかも、その時には、ベトナム戦争におけるソ連と米国の対立と言う二極化に日本が入った三極構造の中での紛争が発生するであろう。
 要はバラ色の未来など構築しようが無いのである。
 しかしながら、資料通りの歴史を歩む訳には行かない。いかに経済的に繁栄しようとも、国家としての尊厳を踏みにじられ、隷属的な国として帝国が、いや日本国となって反映している将来は、決して五人の好む未来ではないし、陛下も望まれていない。
 そう、「英国側としての参戦」は必要最低条件であり、帝国が民主国家として存続して行く為には、考慮すべき事項が他にも様々に存在していたのである。


「も一度、方針の確認をお願いする。」
陛下が退席され、梅津が最初に発言した。
「我々の目的は、帝国の存続。それも今後最低100年は独立国家として存続できる環境の構築である。これは、問題は無いな。」
四人が頷く。
「経済は?」
「好景気の維持。まあ、無理だが、それでも少なくとも不況による極端な疲弊は回避する。だな。」
高畑が答える。
「当面は、大きな問題は無い。何しろ先に起こることを知っているのだから。まあ、悪く言えば帝国が繁栄する為に、他国にその分を押し付ける事になるのは仕方ないが。」
「しかし、分析結果を基に、有利に立ち回れるのはそんなに長く無いだろう。いずれずれが生じる。その時が正念場だな。」
「ああ、精々五年程度だな。その先は出来る限りの事をして行くしかないだろう。」
「外交、これが難しいな」
梅津が自分に言い聞かす。
「当面は、親英を基本に置かざるを得ないだろう。要は一強を作らない事、これに尽きる。資料の米国はあまりにも強大な国家すぎる。」
「うむ、しかしそれが難しい。」
「科学技術は?」
「まだ分析が始まったばかりですが、少なくとも理論は追えそうです。簡単なモノなら3年が目処でしょう。集積回路、これを作れれば、展開はかなり速くなるでしょう。判っているだけでも、現状の真空管が、トランジスタ、集積回路、ICと変遷している事は理解できました。我々もこの順番で進んで行くしかありません。」
高柳が答えた。
彼自身にすれば、液晶ディスプレイは何としてでも作ってみたいものだった。
「しかし、生産の問題がある。」
八木がため息をつく。
「未来技術はその製品精度が桁違いだ。資料にあったのだが、欧米の製品は精度管理が徹底しており、同じ部品ならば、互換性がある。しかし帝国のものにはそれが無い。一品ずつの手作りに近い。そして、その欧米製の製品ですら、「のと」の製品精度とは一桁、否、三桁精度が違う。」
八木は本当に残念そうに首を振る。
「そのための、高畑君の日商グループじゃないか。既に米国の大暴落でかなり利益を叩き出したのだろ。」
井上が珍しく笑みを浮かべて話を向けた。
それはそうである。この一ヶ月の間に、日商は運用を任されている皇室運用資産を何と3倍に増やしていた。米国証券市場での株の空売り、各国の為替レートによる運用、金交換等、考えられるあらゆる手段と、新たに資料から得た知識を駆使して、高畑は資金を運用していた。
「そりゃ、経済を知っているものなら、誰でもこれくらいは出来ますよ。ですが、皆さん、これは本当に1回限りの荒業ですよ。こんな形でのぼろ儲けが何回も出来ると思わないで下さい。」
高畑は謙遜するが、それでも実際にここまで出来る男はいない。
「それよりも、この運用資金益を使い、産業の形成に向けて準備は進めています。」
「大村での用地買収か?」
梅津が問いかける。
「それだけではありません。これは皆さんに相談しなければいけない事ですが、米国の企業を買収しようと思います。」
「米国の企業」
「そうです。米国の恐慌はこれから本格化します。この結果、多くの企業が吸収合併されて行きます。その前に、買収するのです。」
「しかし、買収しても戦争になったら海外資産は凍結されてしまうだろう。」
「いえ、そうではなく、買収した企業はその場で解体して行くのです。そして工場等の資産を廃材扱いとして、帝国に輸入するのです。」
「そうか、工場ごと帝国に持ってくるのか。」
高畑は井上の返事に嬉しそうに答える。
「ええ、そうです。生産設備は建設に時間が掛かりますが、この方法ならば短期間で移設が可能です。それに、スクラップですから・・・」
「米国も文句も言えない。」
五人はお互い顔を見合わせて、笑う。

「それと、調査班にお願いしたいのですが、「のと」艦内には様々な日用品が山とあるでしょう。」
「ええ、それはもう。何せ800名以上の要員を運ぶ輸送艦ですから、様々なものがありましたよ。」
「その中で、非常に単純なモノで、我々が使っていないようなもの、そんなものがありませんかね。」
「さあ、色々あるからなあ・・・高野君は何か、気が付いたか?」
「そうですね、あっ、塵紙の箱、テッシュボックスなんかどうです。」
「ああ、あれか、単に紙の箱にちり紙を並べて入れてあるだけなのだが、一枚一枚取れるように工夫されている。まあ、紙の質も我々が使うものよりも遥かに高級だが、あれは感心するな。」
「やっぱり、それ、それですよ。」
高畑が一人嬉しそうに言うのを、四人が怪訝そうに顔を見合わせる。
「特許、特許ですよ。パテントが取れます。生産して販売が短期間で出来るのですよ!」
「あっ、そうか、そりゃそうだな。」
梅津だけが、まだ判らない顔で、少し悔しそうである。
「我々が調査している「のと」は、21世紀の船であり、その先端技術の応用ばかり考えていました。しかし、あそこにあるのは、それだけじゃなく、各種の発明品が山ほどある筈です。しかも、それらの多くはこれから90年の間に発明されるものばかりですから、まだ世界中のどこにも特許が無いのですよ。技術的に高度なモノはこれからでしょうが、ひらめきから出来たものなら我々でも特許がとれるし、作れるのですよ。」
「あっ、なるほど。テッシュの箱ならば、作り方さえ説明すれば、今すぐでも作れるな。」
「早速、調査班で手分けして、日用品をあたりましょう。」
「ええっ、ぜひお願いします。」


それぞれが、問題点を確認しあう会議は終った。
八木、高柳は、再び佐世保に、高畑は神戸へと向かう。
残った二人の軍人は、再び会議室に戻る。
「次は、ロンドン軍縮会議か。」
梅津が水を向ける。
「ああ、後2ヶ月を切っている。基本的にはそのまま、英米六割での締結で問題は無い。しかし、その結果発生するしこりがね・・・」
既に海軍内部では、条約派と艦隊派の確執が存在する。
先のワシントン会議以来の流れが、本会議後、先鋭化するのである。
条約は締結されるが、堀軍務局長も含め数名の条約派が予備役に編入される。
また、政治的には統帥権の干犯問題、軍は陛下のものでありそれに陛下の代理の政府が口を出す、当たり前の事なのだが、それすら反対の材料にするやからがいるのも事実だった。
問題なのは、その情報を基に、首謀者を一概に無能と決め付ける訳には行かない点だった。
陸軍を見ても、先年の張作霖爆破事件、この先、31年に発生する満州事変の首謀者が無能と言う訳ではない。
しかし結果から見れば、彼らは帝国を戦争に導いた大悪人と言えよう。
陛下は、いち早く、この事に気付かれ、それ故二人のような、言わばある程度は有能で、かつ、政治的側面で問題を抱えていない人材を選ばれている。
このことを二人は理解していた。
それで無ければ、将官を飛び越して、大佐風情に特命が下る訳は無い。
もっとも、今後10年、15年先を考えるならば、自分たちのような大佐、中佐クラスから変えて行かなければならないという側面もある。
とにかく、そう言う事だった。
艦隊派を、有無を言わさず、予備役編入と言う荒業も出来ない事は無い。
だが、そのような荒業を使えば、当然反感は強くなる。
陛下の宸襟を惑わす君賊の奸として、二人は叩かれるであろう。
別に二人が、自らの汚名を被る事、別に好んで被る気はないが、を嫌がっている訳ではない。
元々、陛下の御意思で総研そのものが、45年解散となっている。
それ故、最低でも今後16年間はこの組織を維持して行かなければならないのに、最初から問題を抱えるわけには行かない点が問題なのだった。

「やはり、未来情報と陛下の御意思での説得しかないか。」
井上が、ため息と共にポツリと呟く。
それでなくても、自分は口が達者な方ではない。
そりゃ、30を過ぎれば、早々けんか腰での会話はするわけも無いが。
くそっ、なんで俺が・・・
梅津が同情するようにこちらを見ていた。
しかしまあ、梅津大佐よりましか・・・
陸さんはうちと違い、一筋縄で行かないやつがゴロゴロしている。

11月5日、海軍省某大会議室
小さめの窓には、分厚いカーテンで覆われている。
壁も厚く、外には声が漏れないように留意された、幹部用の特設会議室だった。
凄いな、こう言う部屋もあるのだ・・・
井上は、落ち着かなかった。
一応、本日の会議は山梨海軍次官主催の、対ロンドン軍縮会議意見交換会と言う形式を取っている。
しかし、主要参加者には、「のと」に関する報告会との連絡が行っており、それ故総研から井上が参加しているのである。
海軍大臣 財部 彪、海軍次官 山梨勝之進 中将、海軍軍務局長 堀悌吉少将、軍務局第一課長沢本頼雄大佐、軍務局第二課長 星埜守一中佐、教育局長大湊直太郎少将、人事局長 松下元少将、艦政本部長 塩沢幸一中将、航空本部長 安東昌喬中将、海軍軍令部総長 加藤寛治中将 海軍軍令部次長 末次信正少将、軍令部第一部長 百武源吾少将、軍令部第三部長 河野董吾少将、連合艦隊司令長官 山本英輔少将・・・
名前と顔を確認するだけでも、ぞっとするほどの綺羅星の集まりだった。
しかも殆どの参加者が自分より階級が上と来れば、緊張しない訳は無い。
今ここで、爆弾でも破裂すれば、海軍は崩壊かな・・・
一瞬不謹慎な事まで考えてしまう。しかも、ひょっとしたら、その方が楽かも知れないと思ってしまい、井上は慌ててそんな考えを打ち消す。

「それじゃ、始めようか。」
財部海軍大臣が、促す。
「軍務局長堀です。本日の会議は、来年初頭開かれるロンドン軍縮会議に対する意見交換会がその議題ですが、その前に、先日の「のと」事件についての報告会も兼ねております。」
何名かの海軍を代表する将官は、頷くものもいる。しかし、その他のものは、興味を示し話に聞き入る。どうやら、「のと」のうわさは広がっているらしい。何らかの情報を流す必要があろう。無闇にうわさだけ広がるのは好ましく無い。
井上は、頭の中のメモ帖に記入する。ふと、あのパソコンをこう言うメモ代わりに使えないのかなとの考えも浮かぶ。
「それでは、まず、「のと」事件の経緯を報告いたします。尚、ここで話される内容は一切他言無用です。この話を漏らされた方は、直ちに解任するとの、陛下からの通達です。」
流石に、一同にどよめきが走る。
確かに、直任官である以上、陛下にその権限は属している。しかし、実際にそれが行われる事はありえなかった。それはそうであろう、指揮系統も何もあったものではない。
だが、それが「陛下の通達」と言う堀の言い方に、皆は陛下のご意思を感じざるを得なかった。通常は「お上のご意思」、「溯上の意向」等と婉曲な言い方が用いられるもので、それは陛下に責任問題を発生させないための独特の言い回しである。しかし、堀の言い方は逆に、責任の所在を明らかにしていた。

一通り、全員が意味する事を咀嚼したのを確認すると、堀は話し続ける。
「8月6日、客船浅間丸が行方不明となり、同日大型輸送船「のと」が発見されました。発見場所は長崎県野母岬東南10キロ沖合です。発見者は、同地在住の元海兵、山田太一、兵曹長にて退役です。その通報で、直ちに佐世保鎮守府所属駆逐艦「帆風」が急行、「のと」の存在を確認。不審船としての臨検を行うが、艦内には一名も乗組員がおらず、また艦内の異様な様子も含め、警戒態勢にて待機。佐世保鎮守府に曳航を決定。同8日、佐世保鎮守府係留、6号ドッグに係留。連絡を受けた、田中鎮守府長官は、自ら調査の為乗船、直ちに、「のと」の警備体制を整え、軍令部へ連絡、軍令部末次次長は、軍令部加藤総長の了承の下、海軍省及び海軍大臣に通達。この時点で、「のと」の出現は海軍内での機密事項に指定されました。大田少佐率いる佐世保特設陸戦隊及び、木村少佐以下帆風は、特命があるまで、現状待機を命じられました。」
堀は、ここで一息入れる。
「勿論、発見された「のと」があまりにも常識から逸脱したものであり、その秘匿が最重要と考えられたためです。
8月12日、海軍大臣、軍務局、軍令部は、直ちに極秘会議を開催し、私こと堀軍務局長管轄による、調査部門の設立を指示、要員の選任を開始致しました。しかしながら、この時点で、鈴木侍従長より、陛下のご意向が伝えられ、問題は海軍内部だけではなく、国家機密としての扱いに変更されました。改めて、海軍、陸軍、濱口首相、井上大蔵大臣、幣原外相、侍従長を含めた、調査委員会が設立され、発見された各種書籍等の調査資料の宮城への移設が決定。「のと」そのものの調査に関しては、移設資料の分析が済むまで凍結されました。」
「8月25日、調査委員会が御前会議にて開催され、「のと」は、皇室預かりとの決定がなされました。このため、「のと」の調査分析及びその結果の関係各位への通達機関として、新たに「帝国総力研究所」が設立されました。帝国総力研究所は陛下を所長とする皇室の私設諮問機関であり、その運営費は皇室財産より拠出されます。研究所所長自ら、陸、海軍の代表として、陸軍は梅津美治郎大佐、海軍は井上成美大佐を指名、「のと」調査班としては、主任教授に八木東北大学工学部教授が指名されました。」
まくし立てるような、堀の口調に、参加者は唖然と聞き入る。
堀は再び、全員がこの情報を咀嚼するまで、間を空けた。
「これほど、早期にこのような体勢が構築された理由は、当然ながら陛下が入手された「のと」そのものの情報のためでした。既にご存知の方も多いでしょうが、「のと」は、西暦2015年、今から86年未来の国軍の輸送艦であったからです。」
「ま、まさか・・・」
初めてこの事実を知らされた一部出席者から驚愕の声が漏れる。
ここで、堀が井上を促す。
「理解するのは困難だと思われます。しかし、これは事実なのです。今のところどういう理由でこのような荒唐無稽の現象が発生したのかは、判っておりません。しかしながら、今佐世保にある「のと」の存在は、帝国の未来を大きく変えようとしております。」
井上が話し始める。
「帝国総力研究所、海軍代表井上成美です。僭越ですが、ここからは総研代表として小管がお話させていただきます。」
井上は立ち上がり、堀少将に頷く。
「帝国は、「のと」を手に入れた事で、列強に対して非常に優位に立つ事が可能となります。我々が使いこなせればですが、21世紀までの最新の科学技術を手に入れる事が出来る訳です。
「のと」は、未来の海軍の輸送艦であり、その当時の武装もある程度施してあります。また、先の欧州大戦で登場した航空機、戦車、それらの更に発展したものも同時に入手できました。」
「しかしながら、同時に帝国が手に入れたのは、帝国がこの先滅亡すると言う予言書でした。」
「な、なんだ、それは!」
思わず、山本連合艦隊司令長官が叫ぶ。
この一連の動きから全く蚊帳の外に置かれていた、山本英輔少将は、今までの話を、驚きを持って聞いていた。
眉唾の話であるのは事実だが、それでも海軍首脳陣ほぼ全員を集めて法螺を吹く事も考えられない。
まあ、何か知らないが、最新鋭の兵装が手に入るのは間違いなさそうだと、単純に興味本位で聞いていたに過ぎない。
しかしながら、帝国が滅亡する、予言書等と言うものはその埒外だった。
「どうして、帝国が滅亡しなければならないのだ。」
掛かった・・・
井上は、心の中でニヤリと笑う。
誰かが、怒らなければ話は盛り上がらない。
そりゃそうである。
これから、更に悪い話をして、反感を持った人間を叩き潰さなければならないのだから。
「「のと」が現れなければ、それは歴史書でした。」
訳がわからず、山本少将の口が止まる。
「1939年、欧州にて二度目の世界大戦が開始されます。英国を中心とする連合軍、独逸を中心とする、枢軸国の戦いです。帝国は、既に軍縮条約での軋轢、陸軍による中華への進出から、英米との関係を悪化させており、途中から、枢軸国として参戦します。そして、連合軍には米国が加わります。」
「1941年12月8日、帝国軍はフィリピン侵攻、ハワイ真珠湾奇襲攻撃により、戦争を開始致します。42年5月、連合艦隊は、ミッドウェー攻略作戦を発動し、迎撃に現れた米国機動艦隊により、空母4隻を喪失します。航空機の発展により、戦艦の撃沈が可能となり、残念ながら、艦隊決戦は行われません。42年後半から帝国は既に守勢に回ります。
45年5月、独逸が連合軍に降伏、帝国は同年8月16日に降伏し、それから5年間、連合軍に占領されます。その後、独立は回復しますが、最早帝国ではなく、日本国として、です。しかも米国の属国に近い状態が21世紀まで継続します。」
辺りがしんと静まる。
ただ、堀少将だけは、必死に真面目な顔を維持しようと努力していた。
井上のやつ、俺が貴様にやった事を海軍首脳陣相手にやってやがる・・・
「これは、あくまでも我々が「のと」を知らず、今までの延長で国家を運営した場合に起こりうる未来です。」
「しかし、今は「のと」がある。」
流石に、軍令部総長は違う。
上手く、話を繋いでくれる。
井上は、微かに頭を下げ、話を続ける。
「そうです。我々は「のと」を手に入れました。そして、その内容をいち早く理解された陛下は、恐れ多くも自ら動かれる事を宣言されたのです。」
「「のと」より得られる技術情報、今後の国内外の動向に関する情報は、あまりにも影響が大きすぎます。各自がその情報をバラバラに活用し始めたら、何が起こるでしょうか。経済は大混乱に陥り、軍は暴走するでしょう。
 既に、先月米国ニューヨーク株式市場で発生した株価暴落が、この先世界的な大恐慌に繋がる事を、「のと」の未来情報は教えてくれました。そして、来年締結されるロンドン軍縮会議の結果すら、我々は知っているのです。」
「な、なに・・・それは本当なのか?」
驚愕の声を上げたのは、末次軍令部次長だった。
勿論、他の参加者たちの間にもどよめきが走る。
誰もが、話の内容を理解していても、そこから導き出される結論を推論出来るとは限らない。
やはり具体的な例えがあるのと無いのでは、理解は大きく違う。
「そうです。我々は1月に開催される軍縮会議での英米の手の内を知っているのです。」
どうしても軍人は兵器ばかりに目が行く。しかし、それはあくまでも付随的な情報である事を認識させねばならない。
さあ、これからが正念場だ。
井上は気を引き締める。

「しかし、それをどう生かして行けると言うのですか。本当に我が海軍はそれを生かせると皆さんはお考えですか?」
「井上大佐! 貴官は何様のつもりだ!」
末次軍令部次長が怒声を荒げる。
ほぼ全員が、こいつ何様のつもりだと言うように、井上を睨み付けていた。
おいおい、ここまでやっちゃったら、こいつどう納めるつもりなのだ・・・
ある程度、井上から話を聞かされている堀にしても、心配にならざるを得ない。
「1月から開催されるロンドン軍縮会議は、5月に、対英米六割と言う比率で、締結されます。」
「なに?」、「うーむ・・・」、「なんと・・・」
殆どのものが、その数字に悲鳴を上げる。
「今、このまま何もせずに推移すれば、ロンドン軍縮会議が対英米六割で締結されると言う情報が手に入りました。それでは、海軍はどのような行動を取られますか?」
知ったからと言って、直ぐに答えられる筈も無い。
「それは、これからこのメンバーで検討すべき課題であって、直ぐにどうこう言えるものではない。」
末次次長が吐き捨てるようにつぶやく。
「おっしゃる通りです。事実我々が知りえた情報でも、ロンドンからこの比率を連絡されると、海軍内部では二つの派閥が発生します。即ち、条約締結を推進すべきと言う「条約派」と、英米7割を固守すべきと言う「艦隊派」です。
条約そのものは、条約派により、締結されますが、この結果に不満を持つ艦隊派が、その後勢力を強めて行きます。
そして、最終的には条約派と言われる将官の方々は、予備役に編入されてしまいます。
同時に、この条約締結そのものが、統帥権の干犯であるとの意見が出され、野党はその意見を盾に、現政府を解散に追い込み、それが悪い前例となってしまいます。」
「仮に、海軍が知りえた情報を有意義に活用し、この派閥抗争を未然に防ぎえたとしても、残念ながら帝国にはもう一つの軍が存在しております。
 海軍独自で「のと」情報を管理し、海軍内部の無益な抗争を阻止し、海軍の近代化、否未来化に邁進したとしても、帝国陸軍が暴走するのを我々が止める事は出来ません。情報が海軍から流れてくる限り、陸軍は反発するでしょう。勿論、我が海軍も情報を陸軍に握られるのは看過しうる問題ではない筈です。」
井上は会議室を見回す。大抵の者が理解を示しているのが判り、心の中で安堵する。
「更に政府の問題もあります。海軍が「のと」情報を握っている限り、政府そして陸軍は、我々の提示する情報を疑い続けるでしょう。まだ、海軍は何か隠しているのではないかと・・・」
誰もが黙り込む。
「主上は、ここまでの判断を短期間でなされ、そのため「のと」を皇室管理とされました。
そして、情報提示の窓口として、政府へは陛下自ら、海軍へは、不肖井上、陸軍へは梅津大佐とされたのです。
これが、小管の申しました「海軍では「のと」から得られる未来情報を生かせない」と言う理由であります。ご理解頂けたでしょうか。」
必ずしも全員が納得している訳ではなさそうなのは、雰囲気を見れば判る。
それでも、表立った反論が無いだけ、よしとすべきであろう。
ただ、堀少将だけが、笑いそうになるのを堪えているのが判るだけに、気に障る。
どうもあの人はやりにくい・・・
そりゃそうであろう。
建前は大佐の自分は、情報を提供するだけである。
情報を握るものは全てを制する・・・
それが、梅津大佐と二人で見つけた、未来情報の最も重要な部分だった。
井上はチラッと時計に目をやった。
よし、予定通りの時間で話をここまで持ってこられた。
そろそろだな・・・


井上が黙り込むと、全員が怪訝そうに彼を見つめる。
扉かノックされた。
まるで図ったように、ピッタリのタイミングに少し井上も驚いたが、黙って立ち上がる。
扉が開かれ、鈴木侍従長が現れた。
侍従長が素早く脇によると、平服姿の陛下が入室される。
全員が素早く立ち上がり、直立不動の体勢を取る。
これが陸式ならば、敬礼の嵐になるのだろうな。
こっちはまだ楽だったが、彼は大変だろう。
とりあえず、一番難しい部分を終えた井上は、気を楽にして陛下の言葉を待つ。
一番上座と思われる席に陛下が向かわれると、慌てて席が空けられた。
徐に正面を向き、軽く頭を下げ、腰を下ろされる。
「皆、座れ。」
と言われて、そのまま腰を下ろしたのは井上だけだった。
し、しまった・・・
ほんの二ヶ月程の間とは言え、既に常識から離れてしまっていた事に気づき、冷や汗が出る。
「座らねば、朕は話せないではないか。」
「は、」
海軍大臣が慌てて腰を下ろしたのを見て、他の将官も腰を下ろす。
「話は、井上が済ませたものと思う。これは全て朕の意思である。
諸君らにも、協力をお願いする。」
「へ、陛下!」
陛下が頭を下げるなどと言う事は、あってはならない事だと思っている軍人は多い。
しかし、目の前でそれを行われると、それ以上の言葉を発するものはいなかった。
否、全員唖然としていると言って良かった。
「朕は、資料に目を通した。その結果として、帝国が滅びる事も理解したのだ。いや、帝国が滅びるのもそれが運命ならば、甘受しよう。しかしその為に、400万以上の臣民が無くなるのは、看過できる事ではない。その為には、朕、いや私は何でもする。
 井上、説明を。」
「は、」
「それでは、改めて帝国総力研究所からの提案を申し上げます。」
井上が説明を終えるまで、一時間の間、陛下は微動すらしなかった。


「しかし、あんなのありか?」
「良いじゃないですか、全員納得されたのですから。」
会議終了後、井上は、堀軍務局長の執務室に足を運んだ。
ソファに腰を下ろすやいなや、それが堀少将の言葉だった。
「まあ、お前が脚本を書いたのだろうが、陛下も良く引き受けられたものだ。」
陛下が御来席になる事を、井上は堀にだけは知らせていた。
それで無ければ、海軍省の中を誰にも告げずに、会議室まで来られる道理も無い。
「しかし、井上、判っているだろうが、これから大変だぞ。」
「ええ、理解しているつもりです。幸い小管は、腹を切れば責任が取れる等と言う甘い考えは抱いておりませんから。」
井上も堀が言いたい事は、判っていた。
陛下のご意思を伝える立場と言いながら、実際は梅津大佐と二人が国策を決定して行く事になるのを堀は理解している。
それで無ければ、会議の席で堀少将が笑いを堪えていた訳が無い。
そして、言外にその責任が全て二人に掛かってくるし、また権力を握れば腐敗すると言う原則もあるゆえに、堀が自分に対して疑いの目を向けているのも理解していた。
流石に、三号生徒一の切れ者だけはあるな。
井上は自分の事など棚に上げて、堀少将を改めて評価し直した。
「まあ、身辺には留意しろよ、殺されたって可笑しくないのだからな。」
「ええ、それは十分に、明日以降は常に警備が付く予定です。小管には、陸軍から、梅津大佐には陸戦隊からですが。」
流石に堀が目を向く。
一本取った!井上は心の中で叫んだ。

「で、何をするのだ。先ほどのは、あくまでも対ロンドン軍縮会議対応と、行動方針の説明だけだろ。」
「ええ、その通りです。具体的な方法はこれからですが、と言うより陸軍次第ですが、国防総省が設立されます。」
「海、陸の一本化か。」
「ええ、そうです。方針でもありましたように、今後20年間は、帝国の外交方針は親英路線となりました。とは言っても、帝国の仮想的国が、ソ連と米国である点は変わるものでもないでしょう。それを今の形で続けて行くのはどう考えても無理ですし、入手した資料からも明らかです。第一、予算が無い。海、陸別々に兵器生産を続けるだけでも、そこで発生するロスは計り知れません。」
「言う事は判る。しかし、現実には軋轢が凄いぞ。」
「ええ、そうでしょうね。まあそれでも組織として統合して頂かないと、第二次大戦には間に合いませんから、そのつもりで覚悟を決めて下さい。」
「軍令部と参謀本部は?」
「ああ、こちらのほうが簡単です。総研も含め、独立組織とします。名称は統合作戦部です。」
「陸さんと海軍の対立と言う軸から、国防総省と、統合作戦部との対立へと軸を切り替えます。」
堀が感心したように、井上を見つめる。
「しかし、そんな事出来るのか。」
「出来るのかではなく、やるのです。明日、陸軍では陛下の手による粛軍が行われます。」
堀は、井上がいとも簡単に語る言葉に、言葉を失ってしまうのだった。

のと第一部第三話
2007年02月22日(木) 22:39:10 Modified by spacefinalfrontia




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