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【定義】

行雲流水(または「月、流水に随い、雨、行雲を逐う」『宏智禅師広録』巻6)の略で、一所にとどまることなき雲や水の様子を譬えた言葉、自由な様子を意味する。
一所にとどまることなく、様々な師を尋ね仏道を訪ねる修行僧を示した言葉。
衲子は雲のごとく定れる住処もなく、水のごとく流れゆきてよる所もなきを、僧とは云なり。 『正法眼蔵随聞記』巻6-22

道元禅師はこのように、雲水という用語を解説されている。更に、以下の用例がある。
しかあれば参学の雲水かならず勤学なるべし。容易にせしは不是なり、勤学なりしは仏祖なり。 『正法眼蔵』「心不可得」巻

なお、更に瑩山禅師が、行脚僧を雲水と称する意義を解説されている。
何ぞ、行脚僧を雲水と称するや、尋師訪道の事の為に、梯山航海し、或いは東、或いは西に、南に向かい北に向うて、居所定まらず、逶迤として行脚し、騰騰として登り往き、漸漸として下り去る、雲の如く水に似たり、山を尽くし海を窮め、草鞋を著け、拄杖に肩し、若し機縁の善知識を覓め得て、直に行脚の正法眼を開明すれば、即ち草鞋銭を還し、拄杖を拗折する処と為す、是れ衲子の通規なり。 『洞谷記

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