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【定義】

「除夜」という言葉は、大晦日の夜に「1年のこよみを除く夜」という意味があるとされる。
除夜の小参〈中略〉且く今夜臘月卅日の如きは、明日大新年頭なり、明日を喚んで臘月卅日と作すこと即ち不可なり、今夜を喚んで大新年頭と作すこと即ち不可なり。 『永平広録』巻8-小参10

曹洞宗では、中国禅宗の影響を受けて、除夜には小参や上堂などを行い、1年の慰労と、「年変わり」という転機を1つの公案として参究するように促していた時代もあった。また、「節分」の前の日に当たる場合もあり、瑩山禅師が次のように仰った記録が残されている。
今夜、節分の除夜に当たり、明朝、歳旦立春。 『洞谷記

【除夜の鐘】

大晦日には、各地にある曹洞宗寺院でも、「除夜の鐘」が撞かれることがある。この除夜の鐘だが、禅宗寺院では元々、毎日夕方に、鐘を108回撞く(音の大小を織り交ぜていた)という決まりがあった(『勅修百丈清規』参照)。それを、年の変わり目に行うことによって、その年1年を反省し、次の年が良いものであるようにお祈りする今の「除夜の鐘」ができたというが、実際のところ、成立理由は諸説ある。108という数字は、我々人間の煩悩の数だともいわれているが、これも諸説ある。とりあえず、煩悩だとすれば、鐘を撞くことで払うように願うものといえよう。
忠曰く、俗説に、仏寺、朝暮に百八鐘し、百八煩悩の睡を醒むるとするは、非なり。天竺の相は、本と一百二十下(事鈔、及び資持記に見ゆ)を作し、未だ百八下を聞かず。其の百八の数、中華の世典に出づ。所謂、十二月・二十四気・七十二候を合成して百八なり。乃ち応に知るべし。百八煩悩の眠を覚むるとするは、燭を挙げよの燕説なり。 『禅林象器箋』巻27「百八鐘(附百二十下)」項

このように、無著道忠は百八煩悩を覚めさせるという説を否定し、インドでは120回撞くものであったという古説を提示している。

ところで、鐘を撞く際の作法は、様々なやり方があるが、一般的には107回を旧年中に撞き、残り1回を新年になってから撞くとされる。また、撞く場合には、「鳴鐘の偈」を唱えると良い。

・三塗八難 息苦停酸 法界衆生 聞声悟道(さんずはーなん、そっくじょうさん、ほっかいしゅじょう、もんしょうごどう)

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