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【定義】

同じものでも、見る者によって見方が異なること譬えに使ったもの。たとえば、同じ水を、天人は瑠璃、人間は水、餓鬼は膿血、魚は住処と見る。
譬えば、一江を約して四衆生分別して、則ち四境を成ずるが如し。餓鬼は膿血と為すと謂い、魚等畜生は住処と為すと謂い、人は水と為すと謂う。天はこれ地であると謂う。隨所に分別して各、一境を成ず。 『摂大乗論釈』第12

なお、道元禅師もこの見解を『正法眼蔵』で用いている。
おほよそ山水をみること種類にしたがひて不同あり。いはゆる水をみるに瓔珞とみるものあり。しかあれども瓔珞を水とみるにはあらず、われらがなにとみるかたちをかれが水とすらん。かれが瓔珞はわれ水とみる、水を妙華とみるあり。しかあれども華を水ともちいるにあらず。鬼は水をもて猛火とみる、濃血とみる、龍魚は宮殿とみる、楼台とみる。あるひは七宝摩尼珠?とみる、あるひは樹林牆壁とみる、あるひは清浄解脱法性とみる、あるひは真実人体?とみる、あるひは身相心性とみる、人間これを水とみる、殺活の因縁なり。すでに隨類の所見不同なり、しばらくこれを疑著すべし。一境をみるに諸見しなしななりとやせん、諸象を一境なりと誤錯せりとやせん、功夫の頂[寧+頁]にさらに功夫すべし。 「山水経」巻

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