曹洞禅・仏教に関するwikiです。人名・書名・寺院名・思想・行持等々について管理人が研究した結果を簡潔に示しています。曹洞禅・仏教に関する情報をお求めの方は、まず当wikiからどうぞ。

【定義】

尊宿喪儀法亡僧喪儀法ともに、一連の念誦諷経の中で、実質的な最後の儀礼となるもので、火葬・土葬時に行われる念誦となる。江戸期に開版された『瑩山清規』の「亡僧」項に「山頭念誦」という名称が確認される。一方で、尊宿喪儀法では「壇上念誦」となっているが、名称は異なるものの「山頭念誦」に相当する。

【内容】

当記事では、一例として面山瑞方禅師『洞上僧堂清規行法鈔』巻5「尊宿喪法」項の記載を元に検討してみたい。
山頭念誦 時に山門維那、念誦す。序文に云く、「切に以れば、是の日、新涅槃某大和尚有って、化縁已に畢りて遂に真常に返る、〈火葬には〉火光の三昧に入りて、冥闇を十方に破る、〈掩土には〉忽ち一期の幻影を隠して、乃ち六大の法身を現ず、仰いで大衆を憑んで尊霊を資助して念ず」、十仏名如常、回向〈荼毘・掩土、同じく用う〉、「上来、聖号を称揚し、恭しく化儀を賛ず。体、先宗を極め、峻機、仏祖を容れず、用、後学を開き、悲心、乃ち人天を撫ず。幻化の百骸を変じ、円寂の四徳に入る。茶三奠を傾け、香一炉に爇き、頂戴奉行し、聖衆を和南す」、次に、『大悲呪』了って回向、「上来、念誦諷経する功徳は、某大和尚の為にし奉り、〈荼毘の次で・入塔の次で〉品位を増崇せんことを」十方三世云云…… 『僧堂清規』巻5

以上のようにあって、山頭念誦の場合、いわゆる秉炬仏事に続いて、ご遺体に火が着いている(火葬時である。土葬時は、龕を土中に埋め、掩土)状況に於いて、山門(山頭)から山門維那(寺院に通常に配役されている維那)が、念誦などを唱えるのである。また、荼毘と山頭念誦の前後関係について分かりやすいのは、『勅修百丈清規』であろう。
茶毘 喪の、涅槃台に至れば、喪司維那、都寺を俟ちて香茶を上り了りて、進前焼香し、小師を引いて秉炬仏事を拝請す。山門維那、念誦に云わく…… 『勅修百丈清規』巻3「遷化」項

上記では、「山頭念誦」とは出ていないが、後に『禅林象器箋』で無著道忠禅師は「解者曰わく、是れ即ち山頭念誦なり」(巻19「第十九類 喪薦門」)としている。

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

管理人/副管理人のみ編集できます