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【定義】

修行途中で亡くなった僧侶(=亡僧)を正しく送るための喪儀法のこと。禅宗では古く中国の宋代に成立した『禅苑清規』に見える。後には、この方法が在家の「檀信徒喪儀法」にも転用されたという。

【内容】

中国禅宗では、亡僧のまま亡くなることは非常に問題で、1つの公案になるほどであった。
僧問う、亡僧遷化して甚麼の処にか去る。師云く、火後、一茎の茆。 『洞山録』

中国曹洞宗の洞山良价禅師に見える問答である。亡僧は立脚点を失うようで、それは大きな苦しみであったようだが、洞山禅師は火葬にした後で生える一本の草が亡僧だとした。その意味で、この草とは仏法そのものであり、祖師意でもあろう。或る種の安心を与えたといえる。しかし、問題はそのような与えられる安心に留まるのではなく、自ら安身立命する必要がある。

ところで、日本曹洞宗では既に道元禅師が京都におられた頃に「亡僧喪儀法」が修行されたことが分かる。
亡僧、僧海首座の為の上堂。彼の終焉の頌を挙するに曰く「二十七年、古債、未だ転ぜず。虚空を踏翻して、投獄すること箭の如し」と。師、挙し了って云く、夜来、僧海枯れぬ。雲水、幾くか嗚呼す。徹底、汝、見ゆと雖も、胸に満る涙、湖を鎖す。昨に一払を拈じて魂魄を打つ。一語、臨行して蘇を待たず、と。 『永平広録』巻1-111上堂

これは祖山本であるが、卍山本と内容は相違する。祖山本に従う限り、「昨に一払を拈じて魂魄を打つ」とある通り、道元禅師が自ら導師となって、払子を払った様子が伺える。また、道元禅師が本師と仰いだ1人である仏樹房明全和尚は、中国天童山で客死したが、明全和尚についても当時の天童山の山内で懇ろに喪儀される様子が伝わる(詳細は「明全」項参照)。

【差定】

現行の『昭和修訂曹洞宗行持軌範』には既に「亡僧喪儀法」が立項されているが、実際には昭和25年(1950)の『昭和改訂』の軌範から掲載されている。現行の差定は以下の通り。

遷化
維那告報
入龕諷経?(当晩諷経)
大夜念誦(龕前念誦)

出喪
挙龕念誦?
秉炬
山頭念誦
安位諷経

送骨念誦?
唱衣念誦?

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