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【定義】

僧堂での食事の終了時(「行鉢法」参照)や、受戒の最後に唱えられる偈文(『正法眼蔵』「受戒」巻参照)で、その偈文の始まりの句と、節が付いていたことから「処世界梵」と呼ばれている。以下の通りである。
処世界如虚空、如蓮華不著水、心清浄超於彼、稽首礼無上尊。

【内容】

読み方だが、唐音を使う場合には「しーしかいじきくん、じれんかふじゃしー、しーしんじんちょういひ、きしゅりんぶじょうそん」(食事の際)、或いは現在の授戒会などでは唐音で読まずに「しょせかいにょこくう、にょれんげふじゃくすい、しんしょうじょうちょうおひ、けいしゅらいぶじょうそん」と唱える。また、訓読すれば「世界に処すること虚空の如く、蓮華の水に著せざるが如し。心の清浄なること彼に超えたり。稽首して無上尊を礼したてまつる」となる。

この偈文を食事の終わりの際に唱えることについては、『教誡新学比丘行護律儀』「食了出堂法」に見え、また『禅苑清規』巻6「中筵斎」にも見える。
この槌を聞いて、維那、処世界梵を作す。これ用祥僧正の古儀なり。これに依って暫く従随す。 『赴粥飯法

そして、道元禅師はこの時に「栄西禅師(用祥僧正・葉上僧正)の古儀」を用いることを示されているが、これは「槌」を聞いて処世界梵に入ることを指している。中国は、磬子をもって処世界梵を唱えたからである。また、「受戒」巻の末尾にてこの偈文を唱えることを指示しているのは、『禅苑清規』巻9「沙弥受戒文」の影響を受けており、さらに、偈文自体の出典は『超日明三昧経』巻上「普明菩薩讃仏偈」である。

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