【定義】
明治12年(1879)5月15日に出版された太祖・瑩山紹瑾禅師の略伝。詳しくは『總持開山太祖略伝〈完〉』。著者は、当時曹洞宗務局総監であった滝谷琢宗禅師(後に大本山永平寺63世)であり、曹洞宗務局蔵版、明教社が販売を担当した。題は当時の大本山永平寺の貫首であられた久我環渓禅師、序は大本山總持寺の貫首であられた旃崖奕堂禅師、更に題は辻顕高老師、跋は後に大本山永平寺62世となる青蔭雪鴻禅師によって書かれた。
【内容】
本書は瑩山禅師の略伝ではあるが、著者の滝谷禅師は江戸時代までに刊行された諸本を批判的に捉え、瑩山禅師の御真筆及び峨山禅師御真筆の記事などを参照しつつ、その他の古文書、大乗寺・永光寺などに秘蔵されている諸本などを参照して編まれたという。また、その伝記として、行年58歳説を採用しているところも特徴である。
また、本文の前には「能州諸嶽山惣持禅師図」が収録されているが、本山の七堂伽藍以外に五院、各塔頭がともに記され、近世以前の總持寺の偉容を伝えるものとなっている。
明治12年(1879)5月15日に出版された太祖・瑩山紹瑾禅師の略伝。詳しくは『總持開山太祖略伝〈完〉』。著者は、当時曹洞宗務局総監であった滝谷琢宗禅師(後に大本山永平寺63世)であり、曹洞宗務局蔵版、明教社が販売を担当した。題は当時の大本山永平寺の貫首であられた久我環渓禅師、序は大本山總持寺の貫首であられた旃崖奕堂禅師、更に題は辻顕高老師、跋は後に大本山永平寺62世となる青蔭雪鴻禅師によって書かれた。
【内容】
本書は瑩山禅師の略伝ではあるが、著者の滝谷禅師は江戸時代までに刊行された諸本を批判的に捉え、瑩山禅師の御真筆及び峨山禅師御真筆の記事などを参照しつつ、その他の古文書、大乗寺・永光寺などに秘蔵されている諸本などを参照して編まれたという。また、その伝記として、行年58歳説を採用しているところも特徴である。
また、本文の前には「能州諸嶽山惣持禅師図」が収録されているが、本山の七堂伽藍以外に五院、各塔頭がともに記され、近世以前の總持寺の偉容を伝えるものとなっている。
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