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【定義】

尊宿に対する仏事の一。元々は対霊小参と呼ばれていた。遺された弟子のために、小参をする法要出喪の前の晩に行うこととされている。

【内容】

現在の『行持軌範』では、秉炬師、または別に請した小参師が導師をするとされている。

維那は弟子達と共に、小参師を拝請するや、鳴鐘して龕前に大衆は集まり、両班は自位に立つ。小参師は、小参鼓の鼓声に応じて龕前に進んで焼香し、退くや真龕に対して椅子に着く。五侍者はその後ろに並び、以下の進退となる。

五侍者問訊?
両序問訊?
侍者請法香?
垂語
問答
提綱

そして小参師が退くや、続けて大夜念誦となる。

【対霊小参の意義について】

現在の『行持軌範』でも、或いは江戸期に編集された面山師の『僧堂清規』も、この対霊小参(古い記述は「対霊」)の意義については書かれていない。それはおそらく、他の清規を参考にしたためであろうと思われる。道元禅師の時代の清規には「対霊小参」自体が無く、その後制定されたが、意義についてはほとんどが省略されていた。しかし、義介禅師の「喪記(葬儀の様子について記された文献)」や、その孫弟子に当たる明峰素哲禅師などの「喪記」には、対霊小参が記されており、次のような内容である。
次いで対霊小参。小参法は、大夜当夜の晩、或いは次の日。知事、同じく孝子侍者、喪主を請して小参す。請するに云く「東堂和尚、すでに円寂す。小師等悲哀に旨を失す。請うらくは、喪主和尚、小参せよ。慈悲の開かれんことを万望す」と。即ち、鼓を鳴らして衆を集め、霊に対して椅を設け、住持知事、上肩より龕に近づいて立つ。両班如常。但し、龕に近きを上と為す。小師大衆、椅を遶って側に立つ。喪(主)、椅に著いて後、龕侍者まず問訊し、次いで頭首大衆、次いで知事・侍者問訊の後に、住持進歩して問訊す。大衆、下床して答問訊す。椅に著いて垂語し、無生の理を説いて、小師等の憂愁を慰む。 『徹通義介禅師喪記』

これは、義介禅師(1219〜1309)の場合である。様々な調査では『校定清規』(1274成立、1293刊行)の段階ですでに「対霊小参」は立項されている。その前の『禅苑清規』によって葬儀が行われたと見られる道元禅師や懐弉禅師では「対霊小参」は行われなかったと考えられる。

先の一文から拝察するに、「対霊小参」の意義とは、小参師拝請の文句に「小師等悲哀に旨を失す」とあり、また小参後にその意義が「小師等の憂愁を慰む」とあることから、残された弟子達が、師を失った悲哀で自失の状態にあるのを、小参師が慈悲でもって「無生の理」について垂語することで、その憂いを除くことを目的にしたことが拝察される。

この時、小参師が亡き師の代わりに小参を行うのか、それとも始めから別の立場で行うのかで議論が分かれるところではある。しかし、この段階で、龕は法堂の西間に安置されているという(『義介禅師喪記』)。そして、掛真仏事によって、荘厳された法座には新般涅槃された和尚が「真」によって生前同様に説法していたようなお姿で、安置されている。よって、対霊小参は、新般涅槃された先住とは無関係の可能性が高い。明峰素哲禅師の喪記によると、その辺りが判明する。
次いで対霊小参。兼椅子一脚、霊に向って之を立てる。拄杖?払子は例の如く之を設く。小参法は、逮夜当晩、或いは次の日。知事、同じく孝子侍者、總持寺堂頭大和尚を請す。請うて云く、先住明峰老師大和尚、既に寂に帰す。小師等悲哀に旨を失す。老和尚を請して小参す。万望慈悲開允。即ち、時至りて鼓を鳴らして衆を集める。住持、龕の左脇に立ち、両班は如常。但し、龕に近きを上と為すべきと雖も、是はまさに請師を尊敬するの儀なるべきを以て、椅に近きを上と為す。小師・大衆、椅を遶って側に立つ。請師、先ず、霊を望みて焼香礼三拝す。住持、龕の幃に在って、霊に代わって大展三拝す、答拝なり。次いで大衆と、普同問訊し、後に住持進歩して問訊す。請師、床を下りて答問訊す。住持、龕の幃に帰して後、請師、座に著く。垂語し、無生の理を説いて小師等の憂愁を慰む。垂語罷って床を下り、また霊に進んで焼香すること無く、礼三拝す。住持また答拝。後に、大衆と普同し摂す。問訊して本位に還りて立つ。大衆散ず。 『明峰素哲禅師喪記』

これからすると、大乗寺總持寺の住持を小参師として拝請している。当時の總持寺住持は峨山韶碩禅師であったが、ここから推測できるのは、あくまでも他山の尊宿を、その能力の高さを信頼して拝請しているのであろう。そして、亡くなった先住の代理をしているのは、次の大乗寺の住持である。それは答拝していることからも明らかである。

以上の考察を通して結論をまとめれば、対霊小参というのは、他山の優れた尊宿が法を説いて、残された弟子達が悲哀で自失状態にあることから開放する仏事だということである。また、その場合、亡き先住に代わるのは、あくまでも次の住持であり、小参師ではない。以上のことは理解できよう。

このページへのコメント

> 叢林@Net さん

色々と調べていきますと、従来不明とされてきた法式の意義が理解でき、勉強になります。今後とも、精進したいと思います。

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Posted by tenjin95@管理人 2007年06月02日(土) 21:10:16
http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/
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助化師さま

この度は色々とお骨折り頂き、誠にありがとうございますm(__)m

対真小参だけでこれだけ奥が深いとは、お互い良い勉強になりましたね。

アップされた記事を読み進めるうちに、宗門では弔事の現場においても行持道環の構図が垣間見れる様な気がして感動をいたしました。

報恩という概念に行の実践が顕現する世界は改めて頭が下がる想いがいたします。

ともに、勤精進していきましょう。

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Posted by 叢林@Net 2007年06月02日(土) 13:59:30
http://blog.goo.ne.jp/sorin-net
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