曹洞禅・仏教に関するwikiです。人名・書名・寺院名・思想・行持等々について管理人が研究した結果を簡潔に示しています。曹洞禅・仏教に関する情報をお求めの方は、まず当wikiからどうぞ。

【定義】

在家人が守るべき戒のことであり、特に月6回(旧暦の8・14・15・23・29・30日)の斎日に寺院に集まって、1日1夜をもって守ることで、出家者の生活を準えた。斎日に守ることから八斎戒ともいい、内容は五戒に加えて衣食住の贅沢を戒めるものとなっている。

【内容】

在家人の戒律として機能する八戒は、以下の内容である。

第一不殺生(生き物を殺さない)
第二不偸盗(盗みをしない)
第三不邪淫(性交をしない)
第四不妄語(嘘を言わない)
第五不飲酒(酒を飲まない)
第六坐高広大床(高くゆったりしたベッドに寝ない)
第七不著花鬘瓔珞(装身化粧をしない)
第八不習歌舞戯楽(歌舞を視聴したり習ったりしない)

なお、前半五戒は大概上記の並びだが、後半三戒は色々な並びがあり、また、上記の第七・第八を統合して1つとし、「不非時食(昼以降の食事を禁止)」を入れることもある。

また、道元禅師は、仏法そのものの身体をもって戒律を護持することで学道になるとしている。
尽十方界、是箇真実人体なり。生死去来、真実人体なり。この身体をめぐらして、十悪をはなれ八戒をたもち、三宝帰依して、捨家出家する、真実の学道なり。このゆえに真実人体といふ。 『正法眼蔵』「身心学道」巻

さらに、瑩山禅師も『三根坐禅説』(或いは明峰禅師か)にて坐禅することが八戒を初めとする一切の戒律を護持するものだとする禅戒の原型になる考えを示している。
五戒・八戒・菩薩の大戒、比丘の具戒・三千の威儀、八万の細行、諸仏菩薩の転妙法輪、皆此の坐禅の中自り現前して、尽きること無し。万行の中、最勝の実行は、唯坐禅の一門なり。

なお、道元禅師が八斎戒でもって布教教化をしようとしていた形跡もあり、それを瑩山禅師は『伝光録』にて、次のように伝える。
興聖に住せし時、神明来て聴戒し、布薩毎に参見す。永平寺にして龍神来て八斎戒を請し、日々回向に預らんと願ひ出て見ゆ。之に依て日々八斎戒をかき回向せらる。今に到るまで怠ることなし。 第51章

この内容からすれば、興聖寺にいた時には、道元禅師が説戒をしていたのを、神人が聞きに来たということになり、また永平寺でも龍神が八斎戒を願ったということになる。そして、道元禅師はその龍神のために八斎戒を書いて回向したということだが、これが後にまで受け継がれたことを示す一文が、以下のものである。
同月三日、八斎戒の印板を賜う。 『御遺言記録

この記録は、道元禅師の最晩年の様子を、義介禅師の視点から書かれているというものだが(内容の真偽には議論がある)、ここで義介禅師は道元禅師から八斎戒の印板(註:版木のことであろう)を賜ったというのである。このような複数の伝記的資料からいっても、晩年の道元禅師と八斎戒というのは、何かしらの因縁を感じさせるものであり、これが在家化導に役立つことを思えば、永平寺では八斎戒をもって、在家信者とのつながりを持っていたことが推定される。

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