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【定義】

風鈴を題材に詠んだ偈頌のこと。天童如浄禅師の風鈴頌が勝れている。

【内容】

道元禅師は、中国留学中に本師天童如浄禅師の風鈴頌の存在を知り、その詳細を質問しているほか、自らの著作にも繰り返し引用されて、その境涯の高さを讃歎している。
和尚の風鈴頌、最好中の最上なり。諸方の長老、縦い三祇劫を経るとも、また及ぶこと能わず。雲水・兄弟、箇箇頂戴す。道元、遠方の辺土より出来して、寡聞の少見なりと雖も、今、伝灯・広灯・続灯・普灯、及び諸師の別録を披き、未だ曾て如有ることを得ず。和尚の風鈴頌。道元、何の幸いか今、見聞することを得。歓喜踊躍、感涙して衣を湿す、昼夜に叩頭して頂戴す。 『宝慶記』第33問答

道元禅師はそのような勝れた頌は見たことがないと、如浄禅師を讃歎している。具体的には、以下の文句である。
先師古仏云く、渾身、口に似て虚空に掛り、東西南北の風を問わず、一等に他の為に般若を談ず、滴丁東了滴丁東。 『正法眼蔵』「摩訶般若波羅蜜」巻

意味は、「全身は口のようなもので、虚空にあるのだ。東西南北の風を問わない。他と等しく般若を談じているのだ。チチチントンリャンチチチントン」というものである。また、道元禅師には『玄和尚頌古』が残されているが、その中でも風鈴頌を一則として頌古を付している。

 天童和尚云く、
「渾身口に似て虚空に掛かれり、問わず東西南北の風、
 一等に他と般若を談ず、滴丁東了滴丁東」。
  渾身是口虚空を判ず、居起東西南北の風、
  一等に玲瓏として己語を談ず、滴丁東了滴丁東。
    『永平広録』巻9-頌古58

この頌古は、事実上「道元禅師風鈴頌」である。上記以外にも、頌の中に「虚空」の語が出ることから、『正法眼蔵』「虚空」巻にも引用例が見える。

【一休宗純禅師の風鈴頌】

一休禅師の漢詩集である『狂雲集』には、風鈴頌が見える。2首有るが、その内1首を紹介する。
静の時には響無く、動の時は鳴る、鈴に声有るか、風に声有るか。老僧が白昼の睡を驚起す、何ぞ須いん、日午に三更を打することを。

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