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【定義】

日本曹洞宗太祖瑩山紹瑾禅師法嗣で、大乗寺三世・永光寺二世の明峰素哲禅師の法系に属する一派のこと。

【内容】

明峰素哲禅師は、名実ともに瑩山禅師の長嫡として位置付けられ、法嗣にも大智禅師などを出すなどし、中世前期には曹洞宗内で重んじられた。しかし、弟弟子に当たる峨山韶碩禅師の長命や、峨山禅師門下に輩出された峨山五哲、就中通幻寂霊禅師の活動などにより、總持寺=峨山派の勢いが拡大するに及んで、明峰派の勢いは自ずと限定的なものとなっていった。中世の大きな流れとしては、現在の富山県内や熊本県内などに教線を伸ばしたようである。

そのような中、江戸時代に入ると明峰派の根拠地となっていた加賀大乗寺の26世に月舟宗胡禅師が、27世に卍山道白禅師が董し、しかも卍山禅師が「宗統復古運動」を実現すると、一気にその名声は全国へと広がった。また月舟禅師や卍山禅師はその法嗣も多く、中世の状況が一変するほどに明峰派の勢いを付けた。まさに、明峰派の中興である。

その後は、全国各地の有力寺院の住持に明峰派の僧侶が入るなどし、明治時代になると両大本山住持にも入るようになり、また、總持寺独住第三世・西有穆山禅師や、その法嗣である岸澤惟安老師は曹洞宗学の近代化にも寄与することで、宗派内に巨大な功績を残すに至った。

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