☆ただし、以下のワードについては、小論文内に必ず含むこと
- 利休が師事した茶人
- 禅を学んだ寺院
- 庇護を受け茶頭として仕えた人物
- 三千家それぞれの家名と代表的茶室の名称
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《解答例》 ※これらのポイントうち、赤字のキーワード部分を含む解説を適正に記述することができて正答 公式テキスト[増]159・177・190ページ/[新]190・204・223・239・240ページ
◦ 千利休は室町時代末期の大永2年(1522)に和泉国堺(現在の大阪府堺市)に生まれ、武野紹鴎に師事して、かつて村田珠光が創始した草庵の茶を習得した。
◦ また、大徳寺では禅を学び、茶禅一味を唱えて「わび茶」といわれる茶の湯を大成した。
◦ その後、織田信長や豊臣秀吉に茶頭(さどう)として仕え、天下一の茶匠と呼ばれるようになった。
◦ 千利休を祖とする茶道家元を“三千家”といい、利休の孫に当たる千宗旦が3人の息子に利休のわび茶の道を推進させた。
◦ 宗旦の三男の江岑宗左(こうしん そうさ)は表千家を、四男の仙叟宗室(せんそう そうしつ)は裏千家を、{次男の一翁宗守(いちおう そうしゅ)は武者小路千家をそれぞれ興し、三千家が確立した。
◦ これらの代表的な茶室として、宗左の表千家は「不審菴(ふしんあん)」、宗室の裏千家は「今日庵(こんにちあん)」、宗守の武者小路千家は「官休庵(かんきゅうあん)」などがある。
◦ ちなみに長男の千宗拙(せん の そうせつ)は幼少より父である宗旦について茶道を志したものの青年期に不仲となり、家を出て江戸で職を転々としながら浪人暮らしをしていたといわれる。
晩年は京都に戻り、正伝寺で自らの生涯と向き合っていたと伝えられている。
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