最終更新: kyo_miyato 2017年04月28日(金) 01:38:21履歴
(1) 平安京内裏の正殿で、南庭に「左近の桜」と「右近の橘」が配されている建物はどれか。
(2) 東寺を下賜(かし)された空海が、天長5年(828)に設立した学校はどれか。
(3)「極楽浄土のこのよにあらはれける」(『大鏡』)と、その壮麗さを謳われた法成寺(ほうじょうじ)を建立し、「御堂関白」と称されたのは誰か。
(4) 鳥羽院の死後、崇徳上皇方と後白河天皇方に分かれて争われた戦乱で、「ムサ(武者)ノ世」(『愚管抄』)を告げるきっかけとなったのはどれか。
(5) 文治元年(1185)、壇ノ浦の合戦で安徳天皇とともに入水したが助けられ、帰京後出家して大原の寂光院に隠棲したのは誰か。
(6) 元弘元年=元徳3年(1331)、光厳天皇が即位した里内裏で、現在の京都御所の前身となったのはどれか。
(7) 16世紀半ば、京都に滞在したイエズス会のポルトガル人宣教師で、織田信長にも謁見し、日本での見聞を『日本史』にまとめたのは誰か。
(8) 八百屋仁左衛門の娘で、江戸幕府5代将軍の徳川綱吉の母となり、善峯寺や乙訓寺などを復興したのは誰か。
(9) 寛政元年(1789)から翌2年にかけて行われた京都御所の造営は、古制に倣って復元することが第一とされた。その際に参考にした『大内裏図考証』の作者は誰か。
(10) 狩野派一門による豪華絢爛な障壁画で知られ、慶応3年(1867)に大政奉還の舞台となった二条城の建造物はどれか。
(2) 東寺を下賜(かし)された空海が、天長5年(828)に設立した学校はどれか。
(3)「極楽浄土のこのよにあらはれける」(『大鏡』)と、その壮麗さを謳われた法成寺(ほうじょうじ)を建立し、「御堂関白」と称されたのは誰か。
(4) 鳥羽院の死後、崇徳上皇方と後白河天皇方に分かれて争われた戦乱で、「ムサ(武者)ノ世」(『愚管抄』)を告げるきっかけとなったのはどれか。
(5) 文治元年(1185)、壇ノ浦の合戦で安徳天皇とともに入水したが助けられ、帰京後出家して大原の寂光院に隠棲したのは誰か。
(6) 元弘元年=元徳3年(1331)、光厳天皇が即位した里内裏で、現在の京都御所の前身となったのはどれか。
(7) 16世紀半ば、京都に滞在したイエズス会のポルトガル人宣教師で、織田信長にも謁見し、日本での見聞を『日本史』にまとめたのは誰か。
(8) 八百屋仁左衛門の娘で、江戸幕府5代将軍の徳川綱吉の母となり、善峯寺や乙訓寺などを復興したのは誰か。
(9) 寛政元年(1789)から翌2年にかけて行われた京都御所の造営は、古制に倣って復元することが第一とされた。その際に参考にした『大内裏図考証』の作者は誰か。
(10) 狩野派一門による豪華絢爛な障壁画で知られ、慶応3年(1867)に大政奉還の舞台となった二条城の建造物はどれか。
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