デッドエンドシンデレラ(怪文書)
最終更新：ID:aW5PdH8jBA 2016年11月17日(木) 04:07:10履歴
登場キャラクター:デッドエンドシンデレラ
デッドエンドシンデレラは決まってこの時間、歓楽街を歩くことにしている。
日はすっかり落ちて歓楽街も夜の街へと姿を変えていた。行きかう人々はめかし込んだ主婦や活気あふれる学生から、スーツ姿のよっぱらいや賑やかな若者たちに。
賑わっていた表通りの商店はシャッターを降ろしてしんと静まり、その代わりに、日が高いうちは陰に隠れていた裏通りの飲み屋街が煌びやかにその存在を誇示していた。
今の茉莉恵のように。
デッドエンドシンデレラ──茉莉恵が夜の歓楽街を歩く理由は二つある。一つは魔法少女としての活動。即ち人助けのためである。
夜の歓楽街で起こる主なトラブルは喧嘩であり、大概は酔っぱらった客同士での、あるいは酔っぱらった客と店側で起こる。茉莉恵は魔法少女として彼らの仲裁に入り
時には嫋やかな淑女のように宥め、時には高貴な貴族のように命令することで、彼女の持つ魅力に惹かれた人々（茉莉恵は犬と呼んでいる）は立ちどころに手を取り合い
尻尾を振るようになる。
もう一つは魔法少女としてではない茉莉恵個人としての奉仕活動である。奉仕活動といっても世間一般で認識されているような、ゴミ拾い等の清掃活動や、募金の呼びかけ
等の慈善活動とは異なる。いや、間違いなく慈善活動ではあると茉莉恵は考えている。少なくともどこぞの誰ぞの救いの手になるかどうかも分からない募金活動よりは
よっぽど有意義で、よっぽど現実的だ。何故なら──
「さあ、犬共！存分にわたしを称えない！わたしの美しい姿かたちを！わたしの美しい立ち振る舞いを！声を！踊りを！ミュージック、スタートよ！」
碌に美を知らない無知蒙昧な犬たちに身をもって本物の美とは何かを教えてやるのだから。石畳の通りのど真ん中で、行きかう人々を物ともせず茉莉恵は軽やかにターンを
決めた。何十、何百、ひょっとしたら何千に届くかもしれないくらい動画を見て練習をしたダンスのワンステップ目だ。飲み屋の看板がぶら下がったポールに予め固定
しておいた自撮り棒は、お茶目にウィンクする茉莉恵の勇姿をきっちり収めている。動画ではないので、美声までは収めていないのが残念だ。今後は父親にインスタへの
投稿方法だけではく、You〇ubeへの投稿と動画の編集方法まで教わろう、と茉莉恵は計画していた。こんな狭い一歓楽街だけでなく、日本に、いや世界に茉莉恵の歌と
踊りを届けるのだ。
金曜の夜のごった返した地獄の窯の中のような飲み屋街の、それもど真ん中で踊る茉莉恵に対し、しかし誰も咎めることはおろか嫌な顔一つせず、むしろ微笑ましそうな
顔で一瞥しては通り過ぎる者や、立ち止まってスマホを向ける者、中には肩をを組んで歌に合わせて合いの手を入れる学生の一団まであった。
デッドエンドシンデレラの魔法「毎晩12時までは誰からも好かれるよ」の効果である。この魔法のおかげで日の入りから24時までの間、どんな非常識で迷惑な行動を起こしても
他人から敵視されることはない。ただし、無条件に誰からも好かれるわけではない。複数の制約が存在する。行きかう人々の反応の違いも制約のうちである。
「好意には個人差がある」「元々の好意の有無、大小によって魔法によって引き出される好意の程度も変わってくる」−は0に。0は＋に。＋はより＋にするのが茉莉恵の魔法であり
二乗倍にすることは出来ない。魔法の文言とは違い、実際のところ、敵視されない程度に他者の意識を変える魔法であり、今一人場違いに歌い踊っている茉莉恵を見る人々の
目が、道化（ピエロ）を見る目なのか偶像（アイドル）を見る目なのかは彼らの心を除く術がない者には分からないだろう。
茉莉恵はそれで構わなかった。少なくともここでは誰もが茉莉恵に目を向ける。中には茉莉恵の美しさに見惚れる犬も、茉莉恵の美声に酔いしれる犬も沢山いるだろう（と思っている）
身も凍るような無関心や、腸が煮えくりたつ悪意を向けられることはない。ステージの中央で胸を張って煌めく存在──勝利者の茉莉恵になれるのだ。
◇◇◇
かつて茉莉恵はいつも勝利者だった。裕福な両親の元に生まれ、類まれなる美貌を持ち（少なくともかつての茉莉恵はそう信じていた）、試験は常に100点。体育も通知表に5以外が
ついたことはない。大勢の取り巻きは茉莉恵を称え、また茉莉恵も取り巻きの犬たちには餌を惜しまなかった。自分がステージの中心であり、スポットライトが当たる存在だと
信じて疑わなかった。中には陰湿な流言で茉莉恵を攻撃する躾のなっていない野良犬もいたが、茉莉恵は彼女らを、無能を棚に上げて嫉妬するしか脳がない敗北主義者（当時読んでいた
少女漫画で知ったフレーズ。茉莉恵は大層気に入り、自分を攻撃する者らを象徴するにこれ以上相応しい言葉はないと感動すらした）と呼んで相手にもしなかった。
ところがある日を境に茉莉恵の人生に決定的な亀裂が入ることとなる。最初は些細なことだった。いつもと変わらない朝、いつものように自室のスタンドミラーで自らの美しさに
見惚れていたら、いつもと違う何かを発見した。鼻の頭にできた小さなしこり。後になってそれがニキビであると知ったのであるが、その日の茉莉恵は特に気にしなかった。
小学6年生の夏休みを機にニキビがどんどん増えていくことになっても茉莉恵はそれほど気にしなかった。成長に伴う一時的な苦痛であり、茉莉恵がより美しく羽化するための、
いわば蛹のような時期であると自分を納得させたし、茉莉恵を溺愛していた両親も同じことを言った。取り巻き立ちの犬たちも表立っては特に吠えることもかみつくこともなく、
心の中にわずかにしこりを残しながらも茉莉恵は勝利者のままだった。
思い出すのもおぞましい。その後が問題だったのだ。その後、茉莉恵は長い小学校での主役人生の最終幕として子タレのオーディションに応募した。以前からの計画を実行に移したのだ。
卒業と同時にアイドルとなり、皆に称えられながら卒業式では壇上でお別れソングを歌う。茉莉恵の栄光の小学校時代の終わりとしてこれ以上相応しいものはない。
業界に多少ではあるがコネもある両親の手助けもあって、テープ審査までは茉莉恵の思い描いだ通り、とんとん拍子で進んだ。声楽の講師からみっちりと指導を
受けたこともありテープ審査も無事通過し、いよいよオーディションとなった。茉莉恵はその日も勝利者であり、はきはきと喋り、可憐に踊り、美しく歌った。全ての工程が
終えても茉莉恵は勝利者のままだった。自分が勝ったと確信していた。取り巻きの犬たちにも勝利の凱旋歌を歌わせる程に。自宅で大規模なパーティーを催す程に。
ところが、信じられないことに、茉莉恵はオーディションを落ちた。何度見ても、裏返しても透かして見ても結果通知の文言は変わらず、茉莉恵が飾るはずだった雑誌の一面には
信じられないくらい醜い犬があほ面を晒していた。なんで、どうして、意味分かんない。――鏡に向かって悲観に暮れる茉莉恵につけっぱなしだったTVから
どのチャンネルでも見る関西弁の司会者が、出演者の女芸人をイジる心無い声が聞こえた。
「お前なあ！見てみぃ中学の頃の写真！月のクレーターみたいなニキビ面しといて、わたしぃむかしはかわいかったんですよぉはないやろ〜！昔からドブスやん！」
観客＜（笑い声）
茉莉恵の困惑を他所に、周囲は急激に変化していった。取り巻きの犬達は茉莉恵に牙向く野良犬に変わり、少数派だった敗北主義者達はいつの間にかクラスの女子の半数に達していた。
唯一茉莉恵に牙を向かなかったのは、地味でおとなしくいるのかいないのかすら分からない不細工な小型犬のグループだけだった。
それでも、それでも茉莉恵は勝利者だった。例え孤独、いや、孤高の存在になろうとも、毅然と立ち向かった。決して背は向けなかった。例えグループラインからハブられても
かつて取り巻きだった犬たちから嘲笑と罵倒しか受けなくなっても、机に心のない落書きをされても、上履きを隠されても、お気に入りの子犬のキャップがついたカラーペン
を便器に捨てられても、茉莉恵は以前のまま勝利者であろうとした。あろうと努力した。
冬休み明けのある日、不細工な小型犬グループに憐みの目で
「茉莉恵ちゃん。あの…もし良かったらだけどね。……あのね…私たちとご飯食べる？」
と告げられるまでは。
その日、茉莉恵は勝利者ではなくなった。茉莉恵が嫌いでたまらなかった敗北主義者に成り下がった。クラスの女王の誇りも何もかもどぶに捨てて、哀れで惨めったらしい
負け犬に成り下がった。敗北主義者の茉莉恵はこれから先の人生、ステージに上れない、どころか観客席にすら立てない存在となったのだ。
中学に上がるころには茉莉恵の心には勝利者の茉莉恵は塵ほどしか残っておらず、敗北主義者の茉莉恵がその大半を占めていた。
背が低いくせに猫背で、ぼさぼさの髪にニキビを隠して、どもりながら小声で喋る敗北主義者の茉莉恵だ。かつて声楽の講師に褒められた甘く美しいソプラノは子ネズミの鳴き声
のようになってしまい、誰かに届くことも、ましてや相手を感動させることもなくなっていた。
誰とも喋らず、震える手と消え入りそうな声で出席していることだけを知らせるために学校にやってきて、授業が終わるとクラスの隅の机に突っ伏して寝たふりをしている。
時々本当に眠りに落ちて、白馬に跨った王子が再び茉莉恵を栄光の中に連れ戻してくれる、そんな他力本願で未練がましい白昼夢を見る度に、心の中にほんの僅かに残った勝利者の茉莉恵は
愚図で役立たずでデブでブスで陰キャでニキビ面の汚らわしい敗北者主義者の茉莉恵を何度も何度も鞭で叩いて叱責した。
敗北者主義者の茉莉恵はその都度背を丸めて、さめざめと泣いた。消え入る寸前の小さな小さな自尊心に、心の中で謝った。
ごめんなさい。ごめんなさい。ブスでごめんなさい。ぼっちでごめんなさい。敗北主義者でごめんなさい。
◇◇◇
ボリュームを全開にしたスマホから流れる音楽が止まり、一礼して胸を張る。立ち止まって観客となっていた犬たちの中から拍手と歓声が巻き起こった。
茉莉恵は犬たち一人一人に目を向け──いち、にぃ、さん、よん、ご、ろく、なな、はち、きゅう、じゅう、じゅういち…数えて11匹。従順な犬は昨日の一曲目より2匹減ったが
トータル10匹前後で推移しているのだから上々だろう、と彼らの歓声に鷹揚に頷き応える。
「気の利かない犬共ね！そんなにだらしない顔をしてよだれを垂らして……もっと餌が欲しいのでしょう？ほら、言ってごらんなさい！」
興奮さめやらぬ犬たちは声をそろえてアンコールを求めた。11人からなる大合唱に無関心に通り過ぎていく犬たちも人ごみの中に出来た集団に、中心にいる茉莉恵に目を向ける。
次のナンバーが終わるころには従順な犬はもっと数を増やしていることだろう。視界に茉莉恵を入れた時点で、魔法にかかってしまっているのだから。
（いいえ、それだけじゃない。わたしを知れば犬どもはみんな尻尾を振る。魔法じゃなくてわたしの魅力がそうさせるのよ）
茉莉恵が再び敗北主義者から勝利者へと変わった切っ掛けは、紛れもなく魔法少女になったからだ。
魔法少女に選ばれた――特別な存在と認められた事実と、魔法の力は、茉莉恵が失いかけていた勝利者としての自負を取り戻させた。
それは認めよう。不都合だからといって事実から目を背けるのは敗北主義者のすることだ。勝利者である茉莉恵は現実を冷静に受け入れるだけの度量を持っている。
だが、茉莉恵は魔法に依存仕切ってはいない。与えられた栄光に甘えて、ただ甘受するだけならば、それは紛れもなく敗北主義者に他ならない。勝利者としての
自分を取り戻した時、醜く肥大した敗北主義者の茉莉恵は鞭で叩いて片隅に追いやってやったのだ。二度と再びあんな不快極まる存在をのさばらせない為にも、
魔法少女となってからは常に自分を律し、高めてきた。間食も減らしたし（そのかいあって敗北主義者であった頃より体重は5�垓瓩�も減った）
ナチュラルメイクも覚えた。髪型も以前のように、ナチュラルにカールしたミディアムボブに戻し、セットに時間もかけるようになった。
デッドエンドシンデレラは決まってこの時間、歓楽街を歩くことにしている。
日はすっかり落ちて歓楽街も夜の街へと姿を変えていた。行きかう人々はめかし込んだ主婦や活気あふれる学生から、スーツ姿のよっぱらいや賑やかな若者たちに。
賑わっていた表通りの商店はシャッターを降ろしてしんと静まり、その代わりに、日が高いうちは陰に隠れていた裏通りの飲み屋街が煌びやかにその存在を誇示していた。
今の茉莉恵のように。
デッドエンドシンデレラ──茉莉恵が夜の歓楽街を歩く理由は二つある。一つは魔法少女としての活動。即ち人助けのためである。
夜の歓楽街で起こる主なトラブルは喧嘩であり、大概は酔っぱらった客同士での、あるいは酔っぱらった客と店側で起こる。茉莉恵は魔法少女として彼らの仲裁に入り
時には嫋やかな淑女のように宥め、時には高貴な貴族のように命令することで、彼女の持つ魅力に惹かれた人々（茉莉恵は犬と呼んでいる）は立ちどころに手を取り合い
尻尾を振るようになる。
もう一つは魔法少女としてではない茉莉恵個人としての奉仕活動である。奉仕活動といっても世間一般で認識されているような、ゴミ拾い等の清掃活動や、募金の呼びかけ
等の慈善活動とは異なる。いや、間違いなく慈善活動ではあると茉莉恵は考えている。少なくともどこぞの誰ぞの救いの手になるかどうかも分からない募金活動よりは
よっぽど有意義で、よっぽど現実的だ。何故なら──
「さあ、犬共！存分にわたしを称えない！わたしの美しい姿かたちを！わたしの美しい立ち振る舞いを！声を！踊りを！ミュージック、スタートよ！」
碌に美を知らない無知蒙昧な犬たちに身をもって本物の美とは何かを教えてやるのだから。石畳の通りのど真ん中で、行きかう人々を物ともせず茉莉恵は軽やかにターンを
決めた。何十、何百、ひょっとしたら何千に届くかもしれないくらい動画を見て練習をしたダンスのワンステップ目だ。飲み屋の看板がぶら下がったポールに予め固定
しておいた自撮り棒は、お茶目にウィンクする茉莉恵の勇姿をきっちり収めている。動画ではないので、美声までは収めていないのが残念だ。今後は父親にインスタへの
投稿方法だけではく、You〇ubeへの投稿と動画の編集方法まで教わろう、と茉莉恵は計画していた。こんな狭い一歓楽街だけでなく、日本に、いや世界に茉莉恵の歌と
踊りを届けるのだ。
金曜の夜のごった返した地獄の窯の中のような飲み屋街の、それもど真ん中で踊る茉莉恵に対し、しかし誰も咎めることはおろか嫌な顔一つせず、むしろ微笑ましそうな
顔で一瞥しては通り過ぎる者や、立ち止まってスマホを向ける者、中には肩をを組んで歌に合わせて合いの手を入れる学生の一団まであった。
デッドエンドシンデレラの魔法「毎晩12時までは誰からも好かれるよ」の効果である。この魔法のおかげで日の入りから24時までの間、どんな非常識で迷惑な行動を起こしても
他人から敵視されることはない。ただし、無条件に誰からも好かれるわけではない。複数の制約が存在する。行きかう人々の反応の違いも制約のうちである。
「好意には個人差がある」「元々の好意の有無、大小によって魔法によって引き出される好意の程度も変わってくる」−は0に。0は＋に。＋はより＋にするのが茉莉恵の魔法であり
二乗倍にすることは出来ない。魔法の文言とは違い、実際のところ、敵視されない程度に他者の意識を変える魔法であり、今一人場違いに歌い踊っている茉莉恵を見る人々の
目が、道化（ピエロ）を見る目なのか偶像（アイドル）を見る目なのかは彼らの心を除く術がない者には分からないだろう。
茉莉恵はそれで構わなかった。少なくともここでは誰もが茉莉恵に目を向ける。中には茉莉恵の美しさに見惚れる犬も、茉莉恵の美声に酔いしれる犬も沢山いるだろう（と思っている）
身も凍るような無関心や、腸が煮えくりたつ悪意を向けられることはない。ステージの中央で胸を張って煌めく存在──勝利者の茉莉恵になれるのだ。
◇◇◇
かつて茉莉恵はいつも勝利者だった。裕福な両親の元に生まれ、類まれなる美貌を持ち（少なくともかつての茉莉恵はそう信じていた）、試験は常に100点。体育も通知表に5以外が
ついたことはない。大勢の取り巻きは茉莉恵を称え、また茉莉恵も取り巻きの犬たちには餌を惜しまなかった。自分がステージの中心であり、スポットライトが当たる存在だと
信じて疑わなかった。中には陰湿な流言で茉莉恵を攻撃する躾のなっていない野良犬もいたが、茉莉恵は彼女らを、無能を棚に上げて嫉妬するしか脳がない敗北主義者（当時読んでいた
少女漫画で知ったフレーズ。茉莉恵は大層気に入り、自分を攻撃する者らを象徴するにこれ以上相応しい言葉はないと感動すらした）と呼んで相手にもしなかった。
ところがある日を境に茉莉恵の人生に決定的な亀裂が入ることとなる。最初は些細なことだった。いつもと変わらない朝、いつものように自室のスタンドミラーで自らの美しさに
見惚れていたら、いつもと違う何かを発見した。鼻の頭にできた小さなしこり。後になってそれがニキビであると知ったのであるが、その日の茉莉恵は特に気にしなかった。
小学6年生の夏休みを機にニキビがどんどん増えていくことになっても茉莉恵はそれほど気にしなかった。成長に伴う一時的な苦痛であり、茉莉恵がより美しく羽化するための、
いわば蛹のような時期であると自分を納得させたし、茉莉恵を溺愛していた両親も同じことを言った。取り巻き立ちの犬たちも表立っては特に吠えることもかみつくこともなく、
心の中にわずかにしこりを残しながらも茉莉恵は勝利者のままだった。
思い出すのもおぞましい。その後が問題だったのだ。その後、茉莉恵は長い小学校での主役人生の最終幕として子タレのオーディションに応募した。以前からの計画を実行に移したのだ。
卒業と同時にアイドルとなり、皆に称えられながら卒業式では壇上でお別れソングを歌う。茉莉恵の栄光の小学校時代の終わりとしてこれ以上相応しいものはない。
業界に多少ではあるがコネもある両親の手助けもあって、テープ審査までは茉莉恵の思い描いだ通り、とんとん拍子で進んだ。声楽の講師からみっちりと指導を
受けたこともありテープ審査も無事通過し、いよいよオーディションとなった。茉莉恵はその日も勝利者であり、はきはきと喋り、可憐に踊り、美しく歌った。全ての工程が
終えても茉莉恵は勝利者のままだった。自分が勝ったと確信していた。取り巻きの犬たちにも勝利の凱旋歌を歌わせる程に。自宅で大規模なパーティーを催す程に。
ところが、信じられないことに、茉莉恵はオーディションを落ちた。何度見ても、裏返しても透かして見ても結果通知の文言は変わらず、茉莉恵が飾るはずだった雑誌の一面には
信じられないくらい醜い犬があほ面を晒していた。なんで、どうして、意味分かんない。――鏡に向かって悲観に暮れる茉莉恵につけっぱなしだったTVから
どのチャンネルでも見る関西弁の司会者が、出演者の女芸人をイジる心無い声が聞こえた。
「お前なあ！見てみぃ中学の頃の写真！月のクレーターみたいなニキビ面しといて、わたしぃむかしはかわいかったんですよぉはないやろ〜！昔からドブスやん！」
観客＜（笑い声）
茉莉恵の困惑を他所に、周囲は急激に変化していった。取り巻きの犬達は茉莉恵に牙向く野良犬に変わり、少数派だった敗北主義者達はいつの間にかクラスの女子の半数に達していた。
唯一茉莉恵に牙を向かなかったのは、地味でおとなしくいるのかいないのかすら分からない不細工な小型犬のグループだけだった。
それでも、それでも茉莉恵は勝利者だった。例え孤独、いや、孤高の存在になろうとも、毅然と立ち向かった。決して背は向けなかった。例えグループラインからハブられても
かつて取り巻きだった犬たちから嘲笑と罵倒しか受けなくなっても、机に心のない落書きをされても、上履きを隠されても、お気に入りの子犬のキャップがついたカラーペン
を便器に捨てられても、茉莉恵は以前のまま勝利者であろうとした。あろうと努力した。
冬休み明けのある日、不細工な小型犬グループに憐みの目で
「茉莉恵ちゃん。あの…もし良かったらだけどね。……あのね…私たちとご飯食べる？」
と告げられるまでは。
その日、茉莉恵は勝利者ではなくなった。茉莉恵が嫌いでたまらなかった敗北主義者に成り下がった。クラスの女王の誇りも何もかもどぶに捨てて、哀れで惨めったらしい
負け犬に成り下がった。敗北主義者の茉莉恵はこれから先の人生、ステージに上れない、どころか観客席にすら立てない存在となったのだ。
中学に上がるころには茉莉恵の心には勝利者の茉莉恵は塵ほどしか残っておらず、敗北主義者の茉莉恵がその大半を占めていた。
背が低いくせに猫背で、ぼさぼさの髪にニキビを隠して、どもりながら小声で喋る敗北主義者の茉莉恵だ。かつて声楽の講師に褒められた甘く美しいソプラノは子ネズミの鳴き声
のようになってしまい、誰かに届くことも、ましてや相手を感動させることもなくなっていた。
誰とも喋らず、震える手と消え入りそうな声で出席していることだけを知らせるために学校にやってきて、授業が終わるとクラスの隅の机に突っ伏して寝たふりをしている。
時々本当に眠りに落ちて、白馬に跨った王子が再び茉莉恵を栄光の中に連れ戻してくれる、そんな他力本願で未練がましい白昼夢を見る度に、心の中にほんの僅かに残った勝利者の茉莉恵は
愚図で役立たずでデブでブスで陰キャでニキビ面の汚らわしい敗北者主義者の茉莉恵を何度も何度も鞭で叩いて叱責した。
敗北者主義者の茉莉恵はその都度背を丸めて、さめざめと泣いた。消え入る寸前の小さな小さな自尊心に、心の中で謝った。
ごめんなさい。ごめんなさい。ブスでごめんなさい。ぼっちでごめんなさい。敗北主義者でごめんなさい。
◇◇◇
ボリュームを全開にしたスマホから流れる音楽が止まり、一礼して胸を張る。立ち止まって観客となっていた犬たちの中から拍手と歓声が巻き起こった。
茉莉恵は犬たち一人一人に目を向け──いち、にぃ、さん、よん、ご、ろく、なな、はち、きゅう、じゅう、じゅういち…数えて11匹。従順な犬は昨日の一曲目より2匹減ったが
トータル10匹前後で推移しているのだから上々だろう、と彼らの歓声に鷹揚に頷き応える。
「気の利かない犬共ね！そんなにだらしない顔をしてよだれを垂らして……もっと餌が欲しいのでしょう？ほら、言ってごらんなさい！」
興奮さめやらぬ犬たちは声をそろえてアンコールを求めた。11人からなる大合唱に無関心に通り過ぎていく犬たちも人ごみの中に出来た集団に、中心にいる茉莉恵に目を向ける。
次のナンバーが終わるころには従順な犬はもっと数を増やしていることだろう。視界に茉莉恵を入れた時点で、魔法にかかってしまっているのだから。
（いいえ、それだけじゃない。わたしを知れば犬どもはみんな尻尾を振る。魔法じゃなくてわたしの魅力がそうさせるのよ）
茉莉恵が再び敗北主義者から勝利者へと変わった切っ掛けは、紛れもなく魔法少女になったからだ。
魔法少女に選ばれた――特別な存在と認められた事実と、魔法の力は、茉莉恵が失いかけていた勝利者としての自負を取り戻させた。
それは認めよう。不都合だからといって事実から目を背けるのは敗北主義者のすることだ。勝利者である茉莉恵は現実を冷静に受け入れるだけの度量を持っている。
だが、茉莉恵は魔法に依存仕切ってはいない。与えられた栄光に甘えて、ただ甘受するだけならば、それは紛れもなく敗北主義者に他ならない。勝利者としての
自分を取り戻した時、醜く肥大した敗北主義者の茉莉恵は鞭で叩いて片隅に追いやってやったのだ。二度と再びあんな不快極まる存在をのさばらせない為にも、
魔法少女となってからは常に自分を律し、高めてきた。間食も減らしたし（そのかいあって敗北主義者であった頃より体重は5�垓瓩�も減った）
ナチュラルメイクも覚えた。髪型も以前のように、ナチュラルにカールしたミディアムボブに戻し、セットに時間もかけるようになった。
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一発ネタキャラと思いきや重厚なバックグラウンドにビビったぽんな
茉莉恵ちゃんはどういう気持ちでデッドエンドシンデレラという名前付けたんだろうね…
灰にまみれまくったシンデレラがどんなエンドを迎えるか考えるとたまらんぽん