宿命の壺

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「いただくモノはいただいた。後はこのオヤジさえ逝ってくれれば・・・( ̄ー ̄)ニヤリッ」

2ちゃんねるが立ち上げられた直後の1999年6月、東芝クレーマー事件が起こる。東芝のサポートセンターから「クレーマー」と罵倒された男性が音声付きの告発HPを作成。インターネット自体がまだまだ物珍しかった時代であり、マスコミがこのHPを大々的に報道して東芝の対応を非難。東芝の副社長が男性に謝罪する事態に発展する。とうぜん、ネット上でも賛否大きな話題となり。人々はこの話題について語る場所を欲していた。それも匿名で。

天の采配であろうか、この事件が起こる直前に匿名掲示板2ちゃんねるは開設された。東芝クレーマー事件は大きな集客力となり、大きくアクセス数を伸ばす。

一方、“あめぞう”のサーバ不調は続き、そこをついて、西村がウザイぐらいに2ちゃんねるの宣伝を“あめぞう”上でしまくったという。

“あめぞう”にとってクレームも頭が痛い問題だった。ある日、クレームによってある板の閉鎖を余儀なくされ、管理人“あめぞう”が「責任を持ってうちの、HP引き継いでくださるという、団体の方いらっしゃいませんカー」というカキコに、ひろゆきが「おいらじゃだめでしょうか?」とレスを付け、“あめぞう”から「個人じゃおいらと同じ結果になると思うんです」と言われている。

この時、“あめぞう”は1月そこいら前に突然現れた小僧ごときに巨大掲示板の運営を引き継ぐことなぞ到底できるものではないと考えていた。

だが、西村には確信があった。“あめぞう”はじきに終わる。その跡こそ・・・

そうこうしているうちに“あめぞう”の住民たちが2ちゃんねるへと流出する。ある元あめざーは、それまで毛嫌いしてろくに見ていなかった2ちゃんねるに馴染みの“あめぞう”固定ハンが多数いたことに強い衝撃を受けたと証言している。

西村は人々が気付かぬうちに布石を着々と打っていたのである。

心あるあめざーたちは西村が「(新興宗教が)壷を売るように商売(勧誘)している」と嫌悪し、2ちゃんねるを「壺」「痰壺」と罵称したが、もはや止めようのない流れがつくられようとしていた。

“あめぞう”での自分の評判を知った西村は2ちゃんねるのトップページを壺の画像とし、今も続けている。そうしている西村の心底は誰にも分らない。なんとなく、壺に愛着がわいたのかもしれない。

8月、あめぞうウィルスが襲来。“あめぞう”を荒らすために何者かが作成したスタイルシートであり、これにより“あめぞう”は壊滅的打撃を受けた。このあめぞうウィルスが瀕死状態だった“あめぞう”にとどめを刺した。

サーバ不調、クレーム、そしてあめぞうウィルスの襲来。“あめぞう”は荒廃した。
そして、とうとうモラルダウンしたのか、肝心の管理人“あめぞう”本人が失踪してしまう。

荒廃した“あめぞう”掲示板はほたらかしになり、2000年を迎えることなく、1999年12月に事実上崩壊した。

あめぞう(仮)、あめざーねっと、あめぞう2000など「あめぞう」の名を冠したスレッドフロート型掲示板が立ち上げられるが、既に2ちゃんねるの覇権の確立を押しとどめることは不可能な情勢となっていた。

西村博之は掲示板世界覇者の跡目を実力で奪い取ったのである。

だが、2ちゃんねるはこの覇権奪取の経緯のため、後々まで「あめぞうのパクリ」との宿命的な十字架を背負うことになる。

「パクリだよ。見りゃ分かるじゃん。」

今は無きとあるネットラジオでの、西村の発言である。

“しば”がこね
“あめぞう”がつきし天下餅
座りしままに食うは“ひろゆき”


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この作品は実話を元にしたフィクションであり、実在の人物、団体、インターネットサイトとは関係ありません。
ここに書かれている内容は、実際とは異なる場合がかなり多いでしょう。
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2008年03月22日(土) 05:48:31 Modified by battlewatcher




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