裁判所デビュー

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武闘派路線を突き進み、好き勝手に勢力を拡大してきた、そこには当然司法との対決が予想されていた。クレームならば腐るほど来ていた。そして、西村は電話越しに怒鳴りあいの喧嘩をしていた。内容証明郵便も来ていた。西村は気が向けば2ちゃんねるにそれを晒し(例:民主党の菅直人からの内容証明)、たいていは悠然と放置していた。しかし、裁判沙汰はまだ一件もなかった。

2001年1月のこと。わたしはパソコン通信のオフ会にお邪魔した際に、西村と直接会う機会を持った。その際、西村はこんなことを言っていた。

   内容証明ならたくさん来ている。ただし、告訴はまだ一件もなし。
   サーバがアメリカにあることもあって日本(とアメリカ)の現行法
   では名無しさんのアクセスログを引き出すことも、ひろゆき氏を
   告訴して勝つことにも無理があるらしい。告訴されたら、面白いの
   で徹底的に抵抗するとのこと。

西村は「どんと来い、裁判」の意気込みで、彼なりに勝算もあったらしい。

その2ヶ月後、その裁判がどんと来た。

  >1 名前:ひろゆき投稿日:2001/03/30(金) 22:13
  >東京地裁から通知書が来ました。
  >
  >4/11はふるって参加したいと思ってますです。
東京地裁からの通知書の巻き。
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=event&key=9...

西村を告訴したのは日本生命。東京地裁に対して2ちゃんねるの「ホームページ掲示板削除」の仮処分の申立を行ったのである。

今なら2ちゃんねる裁判なんて珍しくもなく、大方は無関心(結果も分かっている)だが、この時は何しろ初体験であった。初体験はだれでもドキドキするもの。そんなわけで、「ひろゆきさんがんばって派」「ニッセイを許しません派」「ニッセイ擁護&2ちゃんねる批判派」が入り乱れるちょっとした祭りになった。

その後の新聞報道で、日本生命は2ちゃんねる全体の削除を求めていた訳ではなく、「業務に 関連して個人を攻撃した部分」の削除を求めていたことが明らかになる。

西村が守ろうとしたものは何か?

わたしはこう分析する。

常識的に考えれば、個人の名誉を棄損しているのだから言われたとおりに削除すれば裁判なんて厄介事は避けられる。どうせゴミみたいな悪口である。さて、これに対する西村の行動原理である。この際の西村の主張は、ほぼ一点に絞られた。削除依頼は削除依頼板で2ちゃんねるのルールに従ってやってくれ、その際には対象スレッドのURLを忘れずに…である。

西村は電話での削除依頼は無愛想につけんどんに「削除依頼板へお願いします」と答えるのみ、ときに深夜に怒鳴りあいのけんかをし、削除依頼メールは読まずにゴミ箱に捨て、たまに読んだ面白い(電波な)抗議はネットラジオにて電波メールとして紹介し、そして内容証明はことごとく黙殺してきた。

西村だって、本当はこんなことはしたくない。電話があったら親身になって相談に乗ってあげたい。せっかくメールが来たら一件一件じっくり読んで丁寧なご返事を書いてあげたい。本当は彼は心優しい好青年なんだ。だけど、それをしてしまったら…「削除依頼は削除依頼板へ」という2ちゃんねるのルールが守られなくなってしまう。だから、西村は心を鬼にして、2ちゃんねる被害を受けた人々の血の涙を流しながらの悲痛な訴えを冷ややかなまなざしを頌えながら踏みにじって「削除依頼は削除依頼板へ」の2ちゃんねるのルールを守ってきたのだ。

西村が守ろうとしているモノは「表現の自由」でもなければ「通信の秘匿」でもないだろう、そんなモノは彼にとってはどうでもいいことのハズだ。彼が裁判になってまでも守ろうとしているのは、この「削除依頼は削除依頼板へ」という2ちゃんねるのルールだ。

なぜ?なぜならば、「削除依頼は削除依頼板へ」という2ちゃんねるのルールが守られなくなった場合、電話やメールによる削除依頼も個別に対応して、ひとつひとつスレッドを丹念に読んで「あれは削除、これは放置、これは微妙だ…」といちいち個別の事情を斟酌して考えて削除しなければならなくなるのだ。誰が?西村がである。寝るのに忙しくて床屋に行くのも面倒くさいとか言い出す男に毎日毎日毎日こんな地味な作業ができるかワケがない。

だから、何が何でも「削除依頼は削除依頼板へ」という2ちゃんねるのルールを守って貰わねばならないのだ。そうしないと、西村が削除活動の切り盛りをしなければなくなるのだ。文字のゴミ山のような2ちゃんねるのスレッドを読まなければならなくなるのだ。この人はそれはしたくはないハズだ。だたでさえ寝るのに忙しいのにそんな時間はどこにもない。そんなことをするぐらいなら訴えられた方がいい。彼はそこまで決意しているとわたしは見ている。

「削除依頼は削除依頼板へ」…これが、西村が2ちゃんねるを続ける絶対条件なのだ。

2001年4月11日、西村は召喚に応じて、堂々と東京地裁の門をくぐった。

この時は、彼なりに勝算があった・・・らしい。


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この作品は実話を元にしたフィクションであり、実在の人物、団体、インターネットサイトとは関係ありません。
ここに書かれている内容は、実際とは異なる場合がかなり多いでしょう。
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2008年03月22日(土) 05:50:59 Modified by battlewatcher




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