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(7)すべり芸

 すべり芸は、何度も説明してきた通りですが、すべりで笑いをとるという笑いの手法です。なぜ笑いがとれるかも説明した通りですが、「すべらずに普通のボケをする」を基準状態と考えると、「なのにすべっている」というズレがあるわけです。
 でもまあ、すべり芸は端的に言ってすべっているわけで、単に笑いがとれずに終わったすべりと、笑いがとれたすべり芸との違いはなんなのかという疑問をお持ちの方もいるかと思います。その違いが分からないゆえに「すべり芸は難しい」などということも言われるわけですが、なんのことはありません。ウケるすべり芸とウケないすべり芸の違いは、「普通のボケをすべきなのにすべっている」というズレが受け手に理解されるかどうかです。
 すべり芸を受け手に理解させる方法はいくつかあります。ひとつは、ツッコむということです。ここはまさにズレの存在を事後的に認識させる補助手段としてのツッコミの出番です。受け手がすべるつもりですべったわけでない場合も、「すべってるやん」とツッコんで、すべり芸として回収してあげましょう。こういうツッコミをフォローということもすでに説明済みです。ツッコむ際は、あまり怒らない方がいいです。怒ると、マイナスの連鎖力が生じてしまうからです。呆れながら冷ややかに、あるいは誘い笑いをしながら小馬鹿にする感じで、ツッコむのがよいでしょう。前者は松本さんの山崎さんに対するツッコミ、後者は矢部さんの岡村さんに対するツッコミを参考にしています。岡村さんは、矢部さんのフォローを信じているからだと思いますが、結構な割合でしょうもないことを言っています。
 別の方法は、キャラクターとしてすべりキャラを定着させることです。あるいはコンテンツ全体としてすべりがメインであるということを受け手に理解させる場合でもよいです。そういう名前を付ける場合(「ショージ村上のすべる話」など)もあるし、すべりを繰り返すことでそういうものだということを定着させる場合もあります。こうすれば、受け手は「今からすべり芸によるズレが作出される」ということが分かります。これとツッコミが併用される場合もあります。
 すべりキャラとして定着している芸人は、山崎邦正さん(現・月亭方正)や、村上ショージさんなどが挙げられます。2人とも「ガキの使い」で重用されています。
 すべりがメインのコンテンツは、色々ありますが、ここでは「あらびき団」というテレビ番組を挙げておきます。「あらびき団」はすでに終了していますが、場末の芸人さんがたくさん登場してネタをやる番組です。とはいえ、エンタの神様やレッドカーペットみたいな正統派のネタ番組とは異なり、場末の芸人さんなので、すべっている場合が多いです。その芸人さんがネタをやってすべっているうちにVTRをブツッと切り、それを見ていた東野さんと藤井さんのいる別のスタジオに返して、両人が芸人のネタのひどさに辛辣なコメントを残すというのがこの番組のスタイルです。このVTRをブツっと切る演出も、「芸人がすべっているくせにツッコミによるフォローもしないまま唐突に終わっている」というズレ(これ自体はシュールの部類に属するズレです)を提供するもので、東野さんと藤井さんは、すべりによるズレと、すべりがツッコまれずに放置されたまま終わったというズレに対してツッコミを入れるのです。
 番組側も、この基本スタンスから一切ブレることはなく、基本的にはわざとネタのひどい芸人を選んで出し続けていました(稀にネタ自体がおもしろい芸人が登場することもありましたが)。芸人もすべらされることは承知でこの番組に出ていたものだと思われます。とはいえ、その内容の特殊性ゆえに何も知らない人が見ると戸惑ってしまうことも多いと思います。興味を持った方は、DVDでも見てみましょう。
 ちなみに、あらびき団にあるような「何が起こっているかよく分からないまま映像をブツッと切る」という演出は、他の作品でも結構見ることができます。「細かすぎて伝わらないものまね選手権」においてよく分からないものまねがされたまま出演者が落下していくという演出も、その例です。手っ取り早い例としては、関西電気保安協会のCMをご覧になってみてください。
 最後にひとつ。私の知り合いのプロに、「すべり芸という芸はない。すべりがおもしろいのは、全て本人が本気で笑いを取ろうとしたのに、すべってしまった場合だ」ということを言う人がいます。筆者はこの主張は正しくないと思っています。わざとすべっている人は、確実にいます。しかし、この言説もある程度傾聴すべき点を含んでいます。すなわち、「笑いをとるつもりですべった」場合の方が「すべるつもりですべった」場合よりは大きなズレが提供されるため、すべるつもりですべると、「わざとすべるならもっと盛大にすべるべき」と受け手が感じて、すべり芸が失敗に終わってしまう可能性があるのです。要は、受け手にすべり芸の作為性を見抜かれると、「すべるなら大きくすべるべき」という形で基準状態がせり上がり、ズレが小さすぎるままに終わってしまう危険性があるということです。すべり芸がすべるという現象です。これに対処するには、わざとやっていると悟られないようにやるか、作為性を見抜かれることを前提としたうえでより盛大にすべるかです。
 筆者の見る限り、ガキの使いに出演するときの方正さんとショージさんは、一生懸命やったうえで不本意ながらすべっているような気がします。あれをわざとやっているとすれば、わざとだと思わせないようにやっているのが腕だということでしょう。

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