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漢字・仮名

鬼切丸


初期の頃からLainhalt氏の元でイングランド海軍司令として各種海戦に参加。
2007/06/01決議による英国降伏後は、『白狼』を設立し掃海活動を行う。

迩魁羅


初期の頃にイングランド私掠の一員としてカリブ封鎖や各種会戦に参加。
イングランドの三度に及ぶインド遠征にも従軍する。

ネーデルランドへ亡命したり、無差別海賊『Villain』の一員として活動していた時期もあり、無差別海賊とイングランド私掠の橋渡し役でもあった。

その人脈により第二次インド遠征の際にVillainの生き残りをイングランド私掠戦力へ雇い入れ、イングランドがケープからカリカットへ至る長大な封鎖線を構築することに成功した。

2007/06/01決議による英国降伏後もLainhalt氏と行動を共にし、カリブ奇襲や東南アジア遠征にも参加する。
ケープ大投資戦の際、寡兵による奮闘活躍から『英国十勇士』に数えられた英雄。

しかしその後、英国宮廷(アルマダ残党)による執拗な粘着ハラスメント(ホモ説)の前に倒れた。

テイカ


初期の頃よりイングランド私掠として各種海戦に参加。
鄭和氏による英国私掠水師設立の際にそのメンバーとして参加。イングランドの三度に及ぶインド遠征にも従軍する。

鄭和氏休止後は海事商会『紫好部』を設立し、師である鄭和氏の盟友・Lainhalt氏と活動を共にする。
ケープ大投資戦の際、寡兵による奮闘活躍から『英国十勇士』に数えられた英雄。

美人局無差別PKでNotosのプレーヤーを次々と潰し引退させていた乙鯖エイリアン・フナムシ一家の悪行に憤慨し旧イングランド海軍の東南アジア遠征に参加。
Lainhalt氏を襲撃してきたフナムシ一家の中島沙樹氏を撃沈。フナムシ一家の掃討に成功する。
しかしその後、英国宮廷(アルマダ残党)による執拗な粘着ハラスメントの前に倒れた。

鄭和


初期の頃よりイングランド私掠として各種海戦に参加。
私掠商会NavyFieldの活動休止後は、私掠商会『英国私掠水師』を設立しイングランド私掠の中核的活動を担い、イングランドの三度に及ぶインド遠征にも従軍する。
『海軍のLainhlt、私掠の鄭和』として、英国の海軍力の表裏を担った。

海賊でありながら「対仏私掠停止・英仏停戦」といった外交政策の提言など政治的外交的センスを持ち合わせ、港前での決戦を避け交易商船を狙う通商破壊に徹底するタイプの海賊であった。

休止し一時復帰したが、運悪くイングランドはkurefa政権による『文化大革命』でジェファーソン主義が吹き荒れている真っ最中の時期であったため、氏と活動を共にする海賊は、ほとんどおらず孤軍奮闘するも再び休止した。

でぶりん


初期の頃から宝石商として活躍。「初代・戦う宝石商」として知られる。

イングランド商会連合、そしてイングランド宝石商会議(同業者ギルド)のまとめ役として辣腕を振るう。

泥沼のピサ投資戦で消耗したイングランドは、ポルトガル・ぽこたん氏率いるイベリア側の大投資攻勢により、イングランドはアフリカ西岸の宝石港を失っただけでなく、【絶対国防圏】である北海のコペンハーゲンをポルトガルに、ベルゲンをイスパニアに占領され窮地に陥る。

しかし、でぶりん氏は屈しなかった。
イングランドではCrystarg政権が発足。反撃が計画されていた。

でぶりん氏はアフリカ西岸への「宝石ツアー」を企画し、その護衛を最初、フィリーナ・シルフィ氏に依頼したが断られ、次に依頼したLainhalt氏が快諾。

でぶりん氏が商人を集めて資金を提供し、Lainhalt氏が軍人を募ってまとめ、かくして宝石ツアー護衛を中心とした「イングランド海軍」が発足。
イングランドの怒涛の反撃が開始された。

ダイヤの積み込み中に現れたポルトガル私掠が1隻と見るや仲間の宝石商達と艦隊を組み、鉄板と有り余る資金で揃えた名匠大砲を積んで武装し「砲兵隊の心得」等のアイテムを駆使して戦い、商用ガレオンでガレアスのポルトガル私掠を追い払った。
その武勇伝は「初代・戦う宝石商」として現在も伝説として語り継がれている。

イングランド中興の立役者の一人であり、「宝石商会議設立1周年記念祭」での「1円ダイヤバザー」といった逸話や、スフィンクスの仮面とドルマンを愛用し温厚な人柄として知られ宝石商のまとめ役として活躍した。

ラフロ改悪による仕様改悪と英国会議が好んで用いる『バグ利用技』や『マクロ』といった不正行為や、『捨て垢工作』といったハラスメント活動を嫌い、全財産をLainhalt氏へ託しNotosの世界を去った。
「総帥、イングランドを頼みます」の言葉を残して。

早撃ちジミー


初期の頃よりイングランド私掠として各種海戦に参加。

特にバーバリアンガレーでアフリカ東岸を交易圏としていたポルトガル・香料軍団の商船団を相手に戦うスタイルはイベリア側からも賞賛された。

2007/06/01決議による英国降伏後もイングランド旗を掲げ私掠活動を継続。

南米西岸勅命でジェファーソン・シンジケートによる停戦に屈服せず、イングランド国旗を掲げて戦い抜くが、東アジア勅命時に英国会議のkurefa&アルマダ艦隊の攻撃を受けMIA(戦闘後行方不明)となった。

パン太郎


ネーデルランド出身のオスマン私掠海賊。

『リスボンの誓い』にてLainhalt氏を守る誓いを立て、変態ティアラ氏(土)が率いるイスラム系を中心とする私掠海賊団『ぱいおつ団』に所属しマルセイユを本拠地に活動していた。

東アジア勅命の際にジェファーソン・シンジケート、英国宮廷(アルマダ残党)を討伐を敢行しその武名を天下に轟かせた。

過去軍事組織に明確な攻撃対象にされることがなかったジェファーソン・シンジケートや英国宮廷(アルマダ残党)はパン太郎氏らぱいおつ団の活躍によって大きく震撼させられる。

ジェファーソン・シンジケートなどの暗躍、謀略や工作に対して海賊活動で正々堂々と対抗活動を開始したぱいおつ団に対して、Notos世界の行く末を憂う心ある者の多くはこの"新風"に大きな関心を寄せ、その活躍に期待されていたが無期限休止する。

没後、Lainhalt氏により英国宮廷及びジェファーソン・シンジケートを討伐し、イングランド、ネーデルランド両国への多大な貢献とその功績から此処に記された。


雛姫


初期の頃からイングランド私掠として活動。

Crystarg政権時に行われたイングランド私掠による『第二次カリブ封鎖』の際には、カリブに遠征するイングランド私掠のため英国本土との補給連絡も行った。
『British Pirates Campany』を設立しイングランド私掠の一員として各種海戦に参加。

2007/06/01決議に反対し、『ペンギン海賊団』に所属していた。

しばらく休止していたが復帰後、英PKKへ転向。
運悪くイングランドはkurefa政権による『文化大革命』でジェファーソン主義が吹き荒れている真っ最中の時期であったため、現在は休止中。

フォン・マーテル


イングランド開闢より軍人として活動を行い商会・ライオンハートの商会長であった。
しかし、「ライオンハート事件」により自身の商会を失い「カリブの壷」で海事修行中のところをLainhalt氏と出会い、その実力を買われ、氏の推挙によりイングランド海軍(PKK組織)司令へ就任。

イングランド海軍司令就任後、フォン・マーテル氏自身が出撃し、一晩で撃沈した海賊船は13隻にのぼり『海賊船を撃沈した最多記録保持者』となった。
この記録は今現在も塗り替えられていない。

フォン・マーテル氏が指揮するPKK艦隊が演習の際に英商船の護衛に出なかったことを口実に、英国宮廷のエレイン氏による議会工作によって氏の指揮するPKK艦隊は解散となってしまう。

その後、北条政権より先代の元英国会議議長(第2代)兼 元英国私掠海軍司令へ就任。
英私掠軍を率いて、アフリカ、インド戦線、海戦においてイベリア勢力と戦った、歴戦の闘将。一部からは最強の砲術家と賞讃される。

特にベンガル湾においてイベリア側のアジア派遣軍と激しく戦い『英国最後の反撃』と呼ばれる海戦・投資戦を指揮したことはよく知られる。

また外交面においては観月さおり副議長を交渉にあたらせて蘭リシー政権と改正北海条約を締結するなど、蘭英の友好的な同盟関係発展に尽力し、めざましい活躍を見せた。

しかし、国益より私利に走る英国宮廷(アルマダ残党)のエレイン氏、フィリーナ・シルフィ氏らと政策的に対立し、英国宮廷(アルマダ残党)による英国会議内の腐敗の進行に失望、議長を辞職した。
しばらくポルトガルに亡命していたがイングランドへ復帰。
フォン・マーテル氏の立ち位置は非国益(模擬)か国益(私掠)か最後まで謎であった。

日本周辺域における死海との戦闘による敗戦に対する報復として、何故か全く無関係なS・O・Dを襲撃。
以後、リスボン沖で開催される底模擬の襲撃を繰り返したが、Notos世論から大きな批判を浴びひっそりと姿を消した。

没後、Lainhalt氏によって『イングランド海軍名誉提督』に列せられ、此処にイングランドへ貢献したその功績を記された。

変態ティアラ


『リスボンの誓い』にてLainhalt氏(英)を守る誓いを立てたオスマン私掠軍のリーダー。

東アジア勅命の際には、自身が率いるぱいおつ団に所属していたパン太郎氏(土)、怪盗キッド氏らと共にジェファーソン・シンジケート(英国宮廷、ヴェネチア・カルテル、イスパ理事会、属州総督府)への攻撃を敢行、Notos世界にぱいおつ団の武名を轟かせた。

その後、ぱいおつ団は、変態戦隊、S・O・Dに分派、新たに立ち上げた変態戦隊『わかめ軍団』を率いてNotos世界の悪そのものであるジェファーソン・シンジケートやアルマダ残党(英国宮廷:美人局無差別PK団)の突撃隊と激しい戦いを繰り広げ、ジェファーソン勢力幹部の撃破、討伐するなど、大きな活躍を見せていた。

没後、Lainhalt氏により英国宮廷及びジェファーソン・シンジケート、属州総督府を討伐し、イングランド、ネーデルランド両国への多大な貢献とその功績から此処に記された。

マイヨ・プラート


ネーデルランド共和国騎士。
2007/06/01決議によるイングランド降伏に伴い英国会議はイスパニアからアルマダ・Josefina氏を招聘。『ブリテン島総督』としてイングランドへ進駐させた。
その後、英国宮廷はアルマダと共に『カルカッタ事変』を自作自演し、蘭同盟港である『ブレーメン』と『リューベック』へ奇襲攻撃を仕掛け2港を占領。北海条約を破棄する。

また、英国会議は英国王室艦隊Z等の工作キャラをネーデルランド共和国議会へ潜入させ2008/10/25決議を強行、蘭議長を追放し蘭共和国議会を解散させた。

このアルマダと英国会議による蘭国占領と弾圧に憤慨した一匹狼の憂国の士がマイヨ・プラート大尉である。
大西洋を北上中の英国宮廷(アルマダ残党)の宮廷暗黒卿Josefina氏を見事、討伐したネーデルランドの英雄。
アルマダ討伐の武功により此処へ列せられた。
マイヨ・プラート氏の正体についてはハンブルクに投下した資金量から英国宮廷(アルマダ残党)を攻撃するイベリア側の工作員であるとするなどの諸説がある。
「マイヨ=プラート」氏とは別人であることに注意。

A〜Z

Kenny


イングランド香辛料事業部本部長にしてロンドンの商会「ジョンブル魂」の初代会長。
Lainhalt氏らと共にイングランド商会連合の設立に参加。

早くから香辛料の交易価値に着目し「イングランド香辛料事業部」を設立。英国の香辛料交易の発展に尽力した。
また、2007/06/01決議(英国降伏)に反対の立場を取り、商人でありながらLainhalt氏ら旧イングランド海軍と行動を共にする。

美人局無差別PKでNotosのプレーヤーを次々と潰し引退させていた乙鯖エイリアン・フナムシ一家の悪行に憤慨し旧イングランド海軍の東南アジア遠征に参加。
Lainhalt氏を襲撃してきたフナムシ一家の中島沙樹氏を撃沈。フナムシ一家の掃討に成功する。
しかしその後、英国宮廷(アルマダ残党)による執拗な粘着ハラスメントの前に倒れた。

Lainhalt


イングランド中興の祖にして旧英国海軍総司令。Royal-NAVY商会会長。『総帥』と呼ばれている。

イングランド開闢より護衛隊長として通商保護活動を行い、第一次アテネ攻略戦、ルアンダ沖海戦等イングランドの主な海戦・投資戦へ従軍。
イベリア陣営と7000を超える海戦を戦い、のべ1000人を超える英国民・英陣営民を救出した。

英国Crystarg議長よる招聘により商会連合役員としてイングランド議会運営へ参加する。
イングランド議会政権下において各方面で活躍、護衛船団方式を編み出し、同盟国艦隊(蘭・「海の旅団」、伊・「東方不敗」)と連携を取り、西アフリカ方面におけるイングランドの制海権を確保した。

イスパニアのハラスメント系無差別PK団・アルマダによる6時間に及ぶ粘着ハラスメントを退け、カナリア沖でアルマダを撃破した。以後、アルマダはNotosの舞台から姿を消した。

イングランド議会内では小国と連携する立場をとり、リオ危機に端を発した葡仏紛争へ介入、フランスを英国陣営へ引き入れイベリア陣営を切り崩し「イベリア包囲網」を構築した。

蘭領東南アジアへ侵攻するイスパニアを北海条約に基づき「海の旅団(蘭)」と共同で迎撃するべく援軍派兵を進めたが、イスパニアのジェファーソン主義勢力に内通し、自国権益より自らの私利を追求する英国宮廷と政治的に対立。

英国会議による2007/06/01決議で英国宮廷、ヴェネチア・カルテルの画策により、イベリア戦争の戦争責任者として追放処分を受ける。

英国内に6/1決議によって英国会議(ジェファーソン主義)体制が敷かれた後も英国民を守り、旧英海軍の同志と共に戦い続ける。

乙鯖エイリアンであるフナムシ一家が東南アジアで猛威を奮い、Notosのプレーヤーを『美人局PK』で潰し始めた事から同志と共に東南アジアへ遠征し、その活動を封じ込めた。
英国宮廷でありフナムシ一家のメンバーである中島沙樹氏がフナムシ一家を封鎖するLainhalt氏らを襲撃したためフナムシ一家は生き長らえる。

属州総督府による「美人局PK」で窮地に陥った盟友・リシー蘭議長を救うためオセアニア・ワンガヌイまで出向き、三隻の手勢でワンガヌイ沖海戦にて属州総督府の船団を撃破してリシー蘭議長を救出した。

超大国であったイングランドの栄光の象徴とイングランド海軍(PKK組織)の生みの親であると共に、Notos世界でイングランドの仇敵であり悪逆非道の限りを尽くして暴れ回ったアルマダ、フナムシ一家、属州総督府(オトナの商会・腹筋同盟)「3つのハラスメント系美人局無差別PK団を討伐したイングランドの英雄」として旧イングランド海軍軍人及び関係者らRP系、国益系プレーヤーの精神的支柱であり、現在も能登世界に大きな影響力を持つ。
英国内で「英国再興」と「蘭英友好共存」を掲げる数少ない親蘭家の一人でもある。

あらゆる謀略や陰謀、捨て垢工作に屈することのない強さと優しさは今も人を惹きつける。

seaking



商会SEALsに参加、後に四つ葉同盟へ移籍。
冒険者として交易しながら航海を続けるが後にイングランドからネーデルランドへ亡命。

南米西岸勅命時にはLainhalt氏と活動を共にし英蘭の勅命艦隊の護衛をおこなったが、ハラスメント集団による誹謗中傷を受け休止する。

Lainhalt氏により英蘭両国への功績を称えられ『イングランド海軍名誉士官』として英海軍士官名簿に推挙。
後世にその勇名を残した。

SyainingBlue


Kenny氏亡き後、その志を継ぎ、英国再建へ奔走する。

takechiyo


イングランド開闢より私掠海賊として通商破壊活動を行い、第一次アテネ攻略戦、ルアンダ沖海戦等イングランドの主な海戦・投資戦へ従軍。
私掠商会NavyFieldを率いてイベリアの二大大国ポルトガル・イスパニアを相手に一歩も譲らず、激しい戦いを繰り広げた。

アテネ沖で「冒険者狩り」を行っていたイスパニア私掠商会・アルマダに対してイングランド軍人が戦いを挑み、「第一次アテネ沖海戦」が勃発した際に、takechiyo氏率いるNavyField商会艦隊は、イングランド艦隊の中核戦力であり激しい戦いを繰り広げた。

イングランド商会連合・Crystarg議長の出した「ベルゲン奪還宣言」により、イングランド私掠連合を率いて「第二次カリブ封鎖」を指揮。
その徹底した戦闘意欲は【軍神】と崇められたほどであった。

ラフロの改悪による対人戦仕様改悪からしばらく休止していたが、宮廷枢機卿の海事介入の際に英PKKを率いて西アフリカの賞金首討伐を行う。
ところが、宮廷枢機卿の意を受け、西アフリカを航行する色ネであれば問答無用で攻撃したため、Notos世論の強い反発を受けtakechiyo氏はPKKから手を引き引退した。

没後、Lainhalt氏によって『イングランド私掠名誉提督』に列せられ、此処にイングランドへ貢献したその功績を記された。

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