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【定義】

道元禅師が京都興聖寺から越前に移ってきて、大仏寺が完成するまで仮住まいした寺。大仏寺の建物の一部は、同寺から移築した。現在では日本曹洞宗の一寺院であり、山号は老梅山。
爾時寛元元年癸卯九月二十日、越州吉田県吉峰古精舎に在りて示衆。 『正法眼蔵』「密語」巻奥書

このように、かなり古い寺院であったと推定される。

【内容】

天台宗系の泰澄が開いたという古刹だったが、長く荒廃していた。道元禅師が寛元元年(1243)に入越すると、当寺に留錫した。なお、『正法眼蔵』の半分がこの寺で記されている。しかし、道元禅師が大仏寺に入ると、その後荒廃したため、江戸時代の正徳5年(1715)2月に、越前天龍寺の雄英和尚が、面山師とともに同寺の古蹟を探り、再興を発願したという(『卍山広録?』巻28参照)。そして、近年になって田中仏心が復興し、永平寺64世森田悟由禅師を拝請して、中興開山とした。

なお、吉峰寺は「きっぽうじ」と読まれると思うが、道元禅師は『正法眼蔵』「梅華」巻の奥書だけ、以下のような表現をしている。
爾時日本国仁治四年癸卯十一月六日、越州吉田県吉嶺寺に在り。雪深きこと三尺、大地漫漫たり。

吉嶺寺」と記されているために、訓じて「よしみねでら」と読むのではないかとの説が出されたことがあったが、他に同様の記述がないため、「吉峰寺(きっぽうじ)」が正しいとされている。

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