ずんだ案山子
最終更新：
hayashidada 2023年09月16日(土) 13:52:44履歴
ずんだ虫とずんだもんは別物である。某プロジェクトにおいてデザインされたずんだもんはずんだの妖精であり、オンリーワンの存在である。
一方、ずんだ虫は大量発生する害虫、ないしは害獣である。
田畑を荒らし、家屋に勝手に巣を作り、騒音や糞害を撒き散らす人類の天敵である。
恐ろしいことにあれらの糞尿は塩害を引き起こすという研究結果が出ているため、田畑にとっても害悪であり、それどころか作物に致命的な影響を与える様々な菌を保有しているためずんだ虫が入った畑は一巻の終わりと言われている。
こうなれば農家の皆さんは本気である。愛護団体の大きな声は、より大きな声で掻き消された。
「ああ？ ずんだ虫を殺すなだって？ じゃあテメエ等、あのクソ虫どもが引き起こした損害耳揃えて払ってもらおうか。現在過去未来永劫テメエ等があのクソ虫のケツ拭き続けるんならコッチは文句言えねえよ。その気がない偽善者共はウチで働いてみるか？ 俺等が何を言っているのか理解させてやるよ」
この発言は悪意あるマスコミの切り取りによって炎上したが、ネット上で動画が公開され逆に愛護団体が炎上することになった。
ずんだ虫はクソ。この共通認識が広まると全国津々浦々でずん虐と呼ばれる行為が横行した。
流石に眉をひそめるものも少なくなかったが、ずん虐愛好家たる鬼威惨達はその需要とともに日々増え続けていった。
「いぢゃ……いぢゃいいぢゃい！ やめでぇえぇぇぇぇえぇあぎゃらぎゅぶ」
ずんだ虫の両足を掴むと裂けるチーズのように股から引き裂いていく。胸の辺りまで引き裂くと溢れ出す緑色の体液がやがて口の中からも溢れ出しずんだ虫は絶命した。
「ばっちい」
汚いものに触れたと言わんばかりに指先だけでずんだ虫を路上に投げ捨てる男。いかにも不慣れな様子であった。
「不用意に投げ捨てるな。そいつらは田畑に深刻な被害を及ぼす細菌を持っていることが専らだ。万が一、畑に落ちたら損害賠償ものだぞ」
「げ。マジすか先輩。最悪っすね、ずんだ虫」
「だから俺達の商売が成り立つんだ。ずんだ虫様々さ」
そう言いながらも先輩と呼ばれた男はずんだ虫の四肢に五寸釘を打ち付けている。
「いぢゃいいいいいいいい！」
五寸釘は錆びており、身動ぎするたび貫通した肉をざらざらと鑢にかける。その苦痛は筆舌に尽くしがたいものがあることだろう。
虫は粗末な十字架に架けられていた。何やら機械から伸びた有刺鉄線でぐるぐると巻き付けて更に固定する。
「い、いぢゃい！ いちゃすぎなのだ！ くしょにんげん、さっさとぼくをかいほうするのだ！」
「元気があってよろしい」
先輩が人差し指で頬を弾いてやると虫はさらに喚き始めた。
「こ、こんにゃことして、ぼくのなかまがだまってないのだ！ かいほーされたらまっさきにぶっころしてやるのだ！」
出来もしない減らず口を叩く虫に後輩が嫌な顔をする。
「うるっせえなぁ……殺さないでいいんすか、先輩」
「殺してどうする。コイツはずんだ虫除けに使うんだからなるべく元気でいてもらわないと困るんだよ」
「見せしめですか？」
「そうだ。人里に近寄ると危ないって他の虫に理解させるんだよ」
「無理でしょ。ずんだ虫ですよ？」
「ああ、だから虫でも理解できるように施してやる必要があるのさ」
畑の近くに棒を立てそこにずんだ虫を張り付けた十字架をひっかけると、更に頭の上に赤い液体の入った瓶を備え付ける。
「なんです？ それ」
「辛味成分の入った液体だ。定期的に雫が垂れて虫にかかる」
舐めてみるか？ とスプーンに一匙乗せて差し出した。恐る恐る舐めてみると後輩は「ぎゃっ」と悲鳴を上げた。
「ヤバすぎでしょ。劇物じゃねぇっすか」
「栄養価は高いんだぜ？」
「いやあ、俺はゴメンですね。成程、コイツをこのクソ虫にぶっかけて悲鳴をあげさせるわけですか」
「ああ。同様のものを十個程用意するんだ」
そうして二人は黙々と作業を再開する。虫どもが無駄な抵抗をするので時間はかかったが日が落ちる前には終わらせることが出来た。
畑をぐるっと囲むように計十一体のずんだ虫の案山子が立てられた。それぞれが然程代わり映えのしない罵詈雑言を叫んでいる。
「くしょにんげん！ ぼくをどうするつもりなのだ！」「かとーせいぶつごときがもりのけんじゃたるこのぼくにふそんなのだ！」「ずんだもちをもってくるのだ、かとーせいぶつ！」「へこへこさせろヘコヘコぉ！」「ずんだもんのおうたるぼくがめいずる！ きさまらはちね！」
宇宙開闢以来、今まで存在し得なかったレベルで無意味な空気の振動が二人の耳朶を打つ。不愉快を通り越して吐き気を催す怪音に後輩は耳を塞ぎ、先輩は気にすることなく手元に用意した機械を弄くっていた。
「マジでうぜぇ……ムカつきすぎて堪えられねぇ」
後輩はそうぼやくと袋を取り出しその中から一匹のずんだ虫をつまみ上げた。
「やっとでられたのだ！ くちょにんげん、さっさとぼくをはなすのだ！」
喚くずんだ虫の要望通り虫を離すと地面に落っことした。
「いちゃい！ もっとずんちゃをていねいにあつかうのだくちょに」
んげん、と言う前に後輩によって下半身が踏み潰された。
「ああああああああああ！？」
やかましく喚くずんだ虫の頭を踏み潰さないよう加減しながら踏みつける。
「や、やめ、こ、ころさな……」
無駄に生命力の高い虫である。いずれにせよもう長くない生命ではあるが、命乞いをする気力がまだ残っているらしい。
その頭をぐりぐりと転がしながら靴裏に付いた泥を食べさせる。
「お、おごぉぉ……や、やめ……ぐぇ……ち、ちぬのだぁぁ……」
「先輩先輩。早くぶっ殺しましょうよ。耳が腐りそうだ」
「まあ待て。とりあえず車に隠れるぞ」
「うっす」
男達は少し離れたあぜ道に止められたバンに乗り込むためその場を離れる。解放されたずんだ虫が下半身のない体を引きずって血を垂れ流しながら逃げようとした。
「は……はあ、はあ、はあ……に、にげるのだ……」
はみ出した臓器が砂にまみれて砂利が血のせいで絡みつく。耐え難い苦痛に苛まれながら虫は幻想に過ぎない安全な場所を求めて這いずる。
視界は既に暗く、何も見えない。どこへ行けばいいのか分からない。どうしてこうなったのかも分からない。
ただ、いつものように人間の畑に作物を食べに来たらおかしな二人組に捕まって、仲間たちの内半分はその場で殺された。もう半分は張り付けにされた。
自分を含めた三匹が袋詰めにされた。
「きっとかわいいぼくにめがくらんでよくじょーしたのだ！」
そんなふうに思っていた。下等生物である人間に劣情を抱かれるのは気持ちが悪いけれど、生き延びることが出来た自分の美貌に悪い気はしなかった。
全部勘違いだった。自分は特別などではない。人間は下等生物じゃない。近付いてはいけない怪物だった。
自分は暇潰しに殺されるために捕まっていただけなのだ。何ら自分達の生死など人間にとっては特別なことじゃない。こうなった今、ようやくそれが理解出来た。
生きたい。死にたくない。その感情だけで体を動かす。そのすぐ後ろで、
「忘れてた忘れてた」
男は道路に捨てたタバコの火を消し忘れてたと言わんばかりの軽さでずんだ虫の命の火を踏み消した。
「ぶえ」
虫をしっかりと踏み潰し、地面に擦り付けるように丹念に磨り潰すと「よし」と笑みを浮かべ車へ戻っていった。
「さっきも言っただろう。ちゃんと始末しとかねえと下手したら賠償もんだぞ？」
「サーセン。でもちゃんとすり潰してきたんで！」
「しょうがねえなぁ……」
苦笑交じりで先輩が機械をいじると張り付けにされたずんだ虫に取り付けられた機械が動き出す。ずんだ虫に巻きつけられた有刺鉄線が動き出す。
「のだァァァァァァァァァ！？」「いぢゃいいぢゃいいぢゃいいぢゃいいぢゃいいぢゃいいいい！？」「おにくしゃんがずたずたになっちゃうのだぁぁぁぁぁぁぁ！」「はらわたさんがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ！？」
聞こえてくる悲鳴のオーケストラと噴き出る血のスプラッシュマウンテンに「おほぉ」と後輩が楽しそうな声を上げた。
「あー。いいっすねぇ。心が洗われますわ」
うっとりと悦に浸る後輩に先輩は苦笑する。
「お前も大概だねぇ……」
「そりゃ俺、あのクソ虫共が苦しむのを見るのが大好きですからね。なるべく地獄見てから死んで欲しいっすわ」
「なんか事情でもあったか？」
「道を歩いてたら糞引っ掛けられたっす！」
「成程」
「先輩だってあのクソ虫共がムカつきすぎて仕方ねえからこんなんやってんのと違いますか？」
「別に。俺はずんだ虫に恨みはない。愛着もないがな」
「じゃあなんでこの仕事やってんです？」
「あいつらの生態を調べるのは将来的に人間社会の役に立ちそうだから、かな」
後輩が露骨に嫌そうな顔をする。
「ええ？ あのクソ虫どもがですか？」
ずんだ虫といえばその存在が百害あって一利なしの害獣として認識されている。だからこうして彼らのような仕事が成り立っているのだ。にも関わらず、その生態が人間社会の役に立つなどと聞いたら誰でも眉をひそめそうなものだった。
しかし、先輩は機械をいじくりながらも無表情に続ける。
「今、こうしてアレらを痛め続けているが、何のためにやっていると思う」
「だからずんだ虫除けでしょ？ 他の虫を脅すために」
「そうだ。だけどあれは長期目標を前提としたシステムでな。今日明日の話じゃなくてずんだ虫の数世代に渡る計画なのさ」
「気の長い話っすね」
「そうだな。もっとも、ずんだ虫は一度交尾すれば出産までかかる時間は極端に短く、成虫になるまで一月も要らないことが専らだ。早ければ二から三ヶ月程度の話だ」
「命が軽い生きモンっすね」
などと話しているとずんだ虫どもは苦痛に耐えかねたのかハイライトを失った死んだ目になり「コロチテ……コロチテ……」と壊れた機械のようにうわ言を呟き始めた。
それを確認するなり先輩は手元の機械を操作する。ずんだ虫の頭上に備え付けられたビンから赤い液体がどろりとこぼれてくる。それが口の中に入ると頭部の穴という穴から火を吹き始めた。
「あぎゃああああああああ！？」「か、からい！ からすぎるのだ！」「むしろもはやいたいのだ！ べろべろがヒリヒリするのだ！」「あぢゃあああああああ！」「あぢゅいよおおおおお！」
途端に息を吹き返し騒ぎ出す虫。おお、と後輩が驚いたように声を上げる。
「すげえ。生き返った」
「ずんだ虫には一定ラインの苦痛を受けると脳の機能を停止させ死を懇願するコロチテ症という状態が存在するが、これまた一定の刺激を与えると復活する特徴がある」
「バカでは？」
「何を今更。とにかくこれで寿命でくたばるまで苦痛を与え続けることが出来る」
「でも傷とかで死なないんすか」
「アレには回復促進効果がある。よく見てみろ。怪我治ってるだろ」
言われて虫の様子を観察すると、確かに血だらけではあるものの傷は塞がっているようだった。ただし、有刺鉄線と傷跡が癒着して皮膚の下に有刺鉄線が埋まっている個体もあるようだった。
そして再び有刺鉄線が動き出す。皮膚を引き裂き、血肉を剥がされる痛みに虫どもが歌い始める。
「いやああああああ！ もうやめちぇぇえ！」「いちゃいいちゃいいちゃいあぎゃぐぇげぇぇぇぇぇ！」「ころせー！もうころせー！」「ごめんなさいごめんさいもうゆるしちぇぇぇ！」
そのオーケストラに耳を傾けながら「うーん。無限地獄」と後輩はリラックスした様子を見せていた。
「話の続きだがな」
淡々とした声音で先輩が続ける。
「これを何回か繰り返すとさすがのアレらも自分が下等生物だと理解する。人間の指先一つでどうとでもなる畜生以下のゴミだと考えるようになる」
事実、ずんだ虫たちは何故自分がこんな目にあっているのか、その理由を考え始めていた。
最初は人間に対する憎しみだけが膨らんでいったが、次第にその憎しみは恐怖へと変わっていった。言葉は通じているはずなのに、何もコミュニケーションが取れない。自分たちの命を路傍の石のように扱い、そしてそれが出来てしまう。
（よーせいは……ざこなのだ？）
その真実に至った時、己の愚かさを悔い、嘆くこととなる。無根拠に自分たちが最強にして最優の生物でありこの世の頂点と考えていた。
だが現実にはこうだ。自分たちはそんな良いものではない。むしろ無意味に殺されるだけのゴミくずにすぎない。
（よーせいなんかに、うまれなければ……）
深い悔恨がちっぽけな脳みそを支配する。痛みも苦しみも最早何の意味もなさない。それはその状況を回避するためのシグナルなのに、これからは死ぬまでその苦痛に支配されるのだ。
巣に残してきた家族を思う。最愛の妻と子供たち。どうか人間に遭遇しないことを願いたいが、きっと無理だろう。
「くしょにんげんなんてざこなのだ！」
妻は日頃から人間を侮っていた。自分が死んだ後、子供たちを養うために無用な危険をおかして人里に来るに違いない。そして、惨たらしく死ぬ。
子供たちも同じだ。自分たちのような愚物に育てられた子供たちがまともに育つわけがない。事実、子供たちは意味も理解しないまま「くちょにんげん！ くちょにんげん！」と口汚く人間を罵っていた。
不幸な未来が見えている。どうか、どうか一匹だけでいいから生き延びて欲しい。
血涙を流しながらいもしない神に願っていると視界の端に草むらに隠れたずんだ虫を見つけた。
「ま、ま、まま……ずん……」
口から溢れる血を吐き出しながらその名を呼ぶとメスは「ぱぱずん！ いまたすけるのだ！」とこちらにやってくる。
「だ……だめ……なのだ……にんげん……さまが……ちかくに……いるのだ……ころ……され……る……」
「にんげんしゃまってなんなのだ！ くちょにんげんなんてこわくないのだ！ いまはずしてあげ……いちゃあ！？」
有刺鉄線を外そうとするがその動きに巻き込まれ腕があらぬ方向へ捻じ曲がり地面に墜落する。
「い……いちゃい……いちゃいよぅ……」
「ままずん、ままずーん！」
そこへ子供たちが、駆け寄ってくる。心配そうに母親の擦過傷を舐めて治そうとしている。
「お……おちび……ちゃん……たち、ま……ま、ずんをつれて……にげる……のだ……」
腸を滅茶苦茶に抉られながらも驚異的な生命力で生き延び、必死に声を絞り出す父親に、子供たちは「やー！ やー！」と涙ながらに拒否をする。
「いやなのだ！ おとおちゃもかえるのだ！」
「ぼぐば……もう……むりなのだ……ばやぐ、にんげんざま……に……みづがるまえに……」
「くちょにんげんなんてぼくのぐるぐるぱんちでやっつけてあげるのだ！」
「そうなのだ！ ぼくのこんしんのぷくーでくちょにんげんをぶっころすのだ！」
なんて、なんて愚か！
そんなことに意味はない、そんなものは何も通用しない！
そんな夢物語を語っていないで早く逃げろ、そう言おうとしたずんだ虫が絶望の音をとらえる。
砂を踏む足音が近付いてくる。人間の足音だ。
「ばやぐ……にげ……」
「やかましいな」
冷淡な声が一家にかけられる。
「おかしな虫が野放しになっているのは、よくないな」
そう言うと人間、先輩は子供を拾い上げるように捕まえた。
「なにをするのだ、くしょにんげん！ はなちぇ！ ぷくー！」
人間に掴まれながらも幼虫は頬を膨らませる。
「そうなのだ！ さっさとおちびちゃんをはなすのだ！ さもないとぶっころしてやるのだ！」
抗議と脅しを兼ねた鳴き声を上げる母親。それを張り付けにされたずんだ虫は止めようとするが最早声も出ない。声帯が潰れたのだ。
代わりに何かが潰れる音がした。
先輩の手の中で幼虫の首から下が潰れた音だった。
「え？」
事態を飲み込めない母親の足元に子供の首が転がってくる。何が起きたかも理解できないまま死んだため、苦痛を感じさせない顔をしていた。
「いや……いやぁあああああ！？ お、おちび、おちびちゃんんんん！？」
「あ、あにずーん！？ うしょなのだぁぁ！？」
嘆く家族を見下ろしながら先輩はウエットティッシュで手を拭く。アルコールスプレーもかけて殺菌消毒を忘れない。
恐れていたことが起きてしまった。その絶望に張り付けにされたずんだ虫が声にならない声を上げた。
「よくもおちびちゃんを……！ ちねー！ ちぬのだ、くしょにんげんー！」
母親が手をぐるぐると振り回しながら殴ってくる。先輩はそれを避けもせず顔面に受け続けていた。
「どうだ！ この、この！ いちゃいだろ！ ちね、はやくちぬのだ！」
そう言って母親は殴り続けたがいつまで経っても先輩は死ななかった。むしろ少しも痛がらない。まったくのノーダメージであった。
やがて疲れたのだろう。手を振り回すことを止めた母親が弱々しく地面に落ちていく。
「はあはあ……どうちてちなないのだ……？」
「もう終わりか？」
そう言うと先輩は残されたもう一匹の幼虫を捕まえた。
「やー！ はなちて！ ままずん！ ぱぱずん！ たすけてのだー！」
自分も殺されると必死に抵抗し、助けを求める幼虫。「お、おちびちゃん……！」と母親は見上げるが、まだ飛び立つ力は回復してないようだった。
「今から三分時間をやる。その間に俺を殺せたらこの幼虫は解放してやるよ」
「こ……ころせなかったら……？」
「これは潰す。今度は頭を潰す。じわじわゆっくり潰す」
恐るべき宣言に、幼虫はより一層の抵抗を試みたが無駄だった。「いやー！ いやー！ ちにたなくない！ ちにたくないよぉー！」無意味な抵抗を見せるが当然どうしょうもない。
男は空いている片手でスマホを取り出し時間を計測し始めた。
「急げ。後２分と５５秒だ」
「う、うわぁあああああああああああ………！」
母親が力を振り絞り飛び立った。先輩の顔を渾身の力で殴り続ける。涙を流しながら殴り続ける。皮膚が破れ、緑色の血液を飛び散らしながら殴り続ける。やがて限界を迎えた腕が上がらなくなっても体を左右に振り回し手をぶつけて殴り続ける。
そのすべてが無意味。絶望の三分間は瞬く間に過ぎ去った。
「時間だ。潰す」
先輩は幼虫の頭を人差し指と親指で摘むと徐々に力を込めていった。
「ぐえ……ぐ……ぎ……」
目玉が飛び出し、舌が飛び出す。死にゆく我が子の顔を見せつけられ、母親はそれでも何とかしようと男の指に掴みかかろうとした。
「は、はなちて……おちびちゃん……はなち……」
虫を払うように、否、全くその通りに先輩は母親を押しのけた。それでいながら幼虫の死に逝く様を見せ付けるように目の前に持ってくる。
「た……たちゅ……けて……たちゅーけ……て……」
頭蓋が割れる。頭の切れ目から血が吹き出した。目玉は眼窩から飛び出して垂れ下がっている。ミシミシと終わりを告げる最後のBGMが幼虫の頭の中で鳴り響く。
母親は何も出来ない。動きたくても最早体が動かない。動いたところでどうしようもない。
事ここに至って、母親も現実を知る。
自分達はあまりに無力。
「おちび……」
「ちぬ……ちぬ……ちにた……ちに……たく……な」
水風船の弾けるような音がした。頭蓋が潰れ、先輩の人差し指と親指の腹が接触する。
幼虫の命脈はここに尽きた。
愕然とする母は遂に力を失い倒れ込む。
それを見るしかなかった貼り付けのずんだ虫はこの世に生まれた不幸を呪った。
（にんげんさまにちかづいてはいけなかったのだ。ぼくたちのようなごみはひっそりとかくれすんでなきゃいけなかったのだ……）
もしも次があるのなら、きっとそのように生きるのに。
ずんだ虫は全てを諦めながらも強く強くそう念じた。
やがて先輩は母親を回収し車に戻ってきた。
「お疲れっす！」
後輩の労いに頷きで返すと母親を渡した。最早抵抗する様子もない。袋の中に入れられると、早速中で何かがごそごそと動く気配がしたが後輩は気にせずフックに引っ掛けた。
「いやー。えげつなかったっすね！先輩鬼っすわ！」
「実験のために分からせる必要があったんだよ」
「実験すか」
「ずんだ虫って生まれてすぐ喋れる個体がいるのは知ってるか？」
「ああ、知ってますよ。なんなんですかね、あれ」
「アレは成虫が幼虫に情報を伝達しているから起きる現象だ」
「情報伝達っすか」
「ああ。ずんだ虫の頭部に枝豆が生えているが、あれが何のためにあるか知ってるか？」
「枝豆ミルクとかいうのだすためじゃないんすか」
「じゃあ、オスは？」
「あっ」
枝豆からミルクをやるのはメスのみであり、オスにその機能はない。にも関わらず雌雄を問わずずんだ虫には枝豆が存在する。
「じゃあ、聴覚っすか？」
「それだと子供は耳が聞こえなくなるだろ」
「むう」
幼虫には往々にして枝豆が存在しない。成虫になるにしたがい生え揃うものである。
故に、アレらの聴覚は枝豆に依存しない。
「んじゃあ、枝豆って何のためにあるんすか」
「情報伝達だよ。あれは送信機なんだ。成虫が幼虫にある程度の知識を生まれる前から与えることで、自然界における最底辺の生物であるアレが少しでも生き延びれるように手にした機能だな」
「なっほど。だから生まれてすぐに喋れるんすね。でも、アイツら全然その機能活かせてなくないっすか？」
ずんだ虫は繁殖力が異常なので数こそ増え続けるが個体の貧弱さは最早プランクトン並みである。にも関わらず自身の性能に過剰な自信があるので意味もない死を続けている。
「そうだよ。だからアレに俺達が教えてやらなきゃならないのさ。人里に近寄ったら死ぬよ、ってな」
「あっあー。だから殺さずに痛めつけ続けてるんすか！」
案山子と化したずんだ虫は人間の恐怖を宣伝し後世に残すための人柱、ならぬ虫柱だ。
彼らの恐怖、人間への畏れが子供たちへ伝わればいずれずんだ虫たちは人間に近寄らなくなる。そういう計画だった。
「そういうことだ。しばらくすればこの周辺のずんだ虫は学習して人里には降りなくなるだろう」
「どんぐらいかかりますかね？」
「分からん。まあ、実験だからその辺りも調べるのは目的の一つだ」
「人間の役に立つって言ってたのは結局なんなんすか？」
「件の情報伝達機能を解析出来れば、新たな通信手段の構築や人間同士のコミュニケーションや教育にも使えるかもしれないからな」
「なるほどですねー」
車の外ではずんだ虫たちが未だに悲鳴を上げている。死ぬまで続く責め苦に解放してくれと嘆いている。
ずんだ虫の夜明けは遠そうだった。
一方、ずんだ虫は大量発生する害虫、ないしは害獣である。
田畑を荒らし、家屋に勝手に巣を作り、騒音や糞害を撒き散らす人類の天敵である。
恐ろしいことにあれらの糞尿は塩害を引き起こすという研究結果が出ているため、田畑にとっても害悪であり、それどころか作物に致命的な影響を与える様々な菌を保有しているためずんだ虫が入った畑は一巻の終わりと言われている。
こうなれば農家の皆さんは本気である。愛護団体の大きな声は、より大きな声で掻き消された。
「ああ？ ずんだ虫を殺すなだって？ じゃあテメエ等、あのクソ虫どもが引き起こした損害耳揃えて払ってもらおうか。現在過去未来永劫テメエ等があのクソ虫のケツ拭き続けるんならコッチは文句言えねえよ。その気がない偽善者共はウチで働いてみるか？ 俺等が何を言っているのか理解させてやるよ」
この発言は悪意あるマスコミの切り取りによって炎上したが、ネット上で動画が公開され逆に愛護団体が炎上することになった。
ずんだ虫はクソ。この共通認識が広まると全国津々浦々でずん虐と呼ばれる行為が横行した。
流石に眉をひそめるものも少なくなかったが、ずん虐愛好家たる鬼威惨達はその需要とともに日々増え続けていった。
「いぢゃ……いぢゃいいぢゃい！ やめでぇえぇぇぇぇえぇあぎゃらぎゅぶ」
ずんだ虫の両足を掴むと裂けるチーズのように股から引き裂いていく。胸の辺りまで引き裂くと溢れ出す緑色の体液がやがて口の中からも溢れ出しずんだ虫は絶命した。
「ばっちい」
汚いものに触れたと言わんばかりに指先だけでずんだ虫を路上に投げ捨てる男。いかにも不慣れな様子であった。
「不用意に投げ捨てるな。そいつらは田畑に深刻な被害を及ぼす細菌を持っていることが専らだ。万が一、畑に落ちたら損害賠償ものだぞ」
「げ。マジすか先輩。最悪っすね、ずんだ虫」
「だから俺達の商売が成り立つんだ。ずんだ虫様々さ」
そう言いながらも先輩と呼ばれた男はずんだ虫の四肢に五寸釘を打ち付けている。
「いぢゃいいいいいいいい！」
五寸釘は錆びており、身動ぎするたび貫通した肉をざらざらと鑢にかける。その苦痛は筆舌に尽くしがたいものがあることだろう。
虫は粗末な十字架に架けられていた。何やら機械から伸びた有刺鉄線でぐるぐると巻き付けて更に固定する。
「い、いぢゃい！ いちゃすぎなのだ！ くしょにんげん、さっさとぼくをかいほうするのだ！」
「元気があってよろしい」
先輩が人差し指で頬を弾いてやると虫はさらに喚き始めた。
「こ、こんにゃことして、ぼくのなかまがだまってないのだ！ かいほーされたらまっさきにぶっころしてやるのだ！」
出来もしない減らず口を叩く虫に後輩が嫌な顔をする。
「うるっせえなぁ……殺さないでいいんすか、先輩」
「殺してどうする。コイツはずんだ虫除けに使うんだからなるべく元気でいてもらわないと困るんだよ」
「見せしめですか？」
「そうだ。人里に近寄ると危ないって他の虫に理解させるんだよ」
「無理でしょ。ずんだ虫ですよ？」
「ああ、だから虫でも理解できるように施してやる必要があるのさ」
畑の近くに棒を立てそこにずんだ虫を張り付けた十字架をひっかけると、更に頭の上に赤い液体の入った瓶を備え付ける。
「なんです？ それ」
「辛味成分の入った液体だ。定期的に雫が垂れて虫にかかる」
舐めてみるか？ とスプーンに一匙乗せて差し出した。恐る恐る舐めてみると後輩は「ぎゃっ」と悲鳴を上げた。
「ヤバすぎでしょ。劇物じゃねぇっすか」
「栄養価は高いんだぜ？」
「いやあ、俺はゴメンですね。成程、コイツをこのクソ虫にぶっかけて悲鳴をあげさせるわけですか」
「ああ。同様のものを十個程用意するんだ」
そうして二人は黙々と作業を再開する。虫どもが無駄な抵抗をするので時間はかかったが日が落ちる前には終わらせることが出来た。
畑をぐるっと囲むように計十一体のずんだ虫の案山子が立てられた。それぞれが然程代わり映えのしない罵詈雑言を叫んでいる。
「くしょにんげん！ ぼくをどうするつもりなのだ！」「かとーせいぶつごときがもりのけんじゃたるこのぼくにふそんなのだ！」「ずんだもちをもってくるのだ、かとーせいぶつ！」「へこへこさせろヘコヘコぉ！」「ずんだもんのおうたるぼくがめいずる！ きさまらはちね！」
宇宙開闢以来、今まで存在し得なかったレベルで無意味な空気の振動が二人の耳朶を打つ。不愉快を通り越して吐き気を催す怪音に後輩は耳を塞ぎ、先輩は気にすることなく手元に用意した機械を弄くっていた。
「マジでうぜぇ……ムカつきすぎて堪えられねぇ」
後輩はそうぼやくと袋を取り出しその中から一匹のずんだ虫をつまみ上げた。
「やっとでられたのだ！ くちょにんげん、さっさとぼくをはなすのだ！」
喚くずんだ虫の要望通り虫を離すと地面に落っことした。
「いちゃい！ もっとずんちゃをていねいにあつかうのだくちょに」
んげん、と言う前に後輩によって下半身が踏み潰された。
「ああああああああああ！？」
やかましく喚くずんだ虫の頭を踏み潰さないよう加減しながら踏みつける。
「や、やめ、こ、ころさな……」
無駄に生命力の高い虫である。いずれにせよもう長くない生命ではあるが、命乞いをする気力がまだ残っているらしい。
その頭をぐりぐりと転がしながら靴裏に付いた泥を食べさせる。
「お、おごぉぉ……や、やめ……ぐぇ……ち、ちぬのだぁぁ……」
「先輩先輩。早くぶっ殺しましょうよ。耳が腐りそうだ」
「まあ待て。とりあえず車に隠れるぞ」
「うっす」
男達は少し離れたあぜ道に止められたバンに乗り込むためその場を離れる。解放されたずんだ虫が下半身のない体を引きずって血を垂れ流しながら逃げようとした。
「は……はあ、はあ、はあ……に、にげるのだ……」
はみ出した臓器が砂にまみれて砂利が血のせいで絡みつく。耐え難い苦痛に苛まれながら虫は幻想に過ぎない安全な場所を求めて這いずる。
視界は既に暗く、何も見えない。どこへ行けばいいのか分からない。どうしてこうなったのかも分からない。
ただ、いつものように人間の畑に作物を食べに来たらおかしな二人組に捕まって、仲間たちの内半分はその場で殺された。もう半分は張り付けにされた。
自分を含めた三匹が袋詰めにされた。
「きっとかわいいぼくにめがくらんでよくじょーしたのだ！」
そんなふうに思っていた。下等生物である人間に劣情を抱かれるのは気持ちが悪いけれど、生き延びることが出来た自分の美貌に悪い気はしなかった。
全部勘違いだった。自分は特別などではない。人間は下等生物じゃない。近付いてはいけない怪物だった。
自分は暇潰しに殺されるために捕まっていただけなのだ。何ら自分達の生死など人間にとっては特別なことじゃない。こうなった今、ようやくそれが理解出来た。
生きたい。死にたくない。その感情だけで体を動かす。そのすぐ後ろで、
「忘れてた忘れてた」
男は道路に捨てたタバコの火を消し忘れてたと言わんばかりの軽さでずんだ虫の命の火を踏み消した。
「ぶえ」
虫をしっかりと踏み潰し、地面に擦り付けるように丹念に磨り潰すと「よし」と笑みを浮かべ車へ戻っていった。
「さっきも言っただろう。ちゃんと始末しとかねえと下手したら賠償もんだぞ？」
「サーセン。でもちゃんとすり潰してきたんで！」
「しょうがねえなぁ……」
苦笑交じりで先輩が機械をいじると張り付けにされたずんだ虫に取り付けられた機械が動き出す。ずんだ虫に巻きつけられた有刺鉄線が動き出す。
「のだァァァァァァァァァ！？」「いぢゃいいぢゃいいぢゃいいぢゃいいぢゃいいぢゃいいいい！？」「おにくしゃんがずたずたになっちゃうのだぁぁぁぁぁぁぁ！」「はらわたさんがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ！？」
聞こえてくる悲鳴のオーケストラと噴き出る血のスプラッシュマウンテンに「おほぉ」と後輩が楽しそうな声を上げた。
「あー。いいっすねぇ。心が洗われますわ」
うっとりと悦に浸る後輩に先輩は苦笑する。
「お前も大概だねぇ……」
「そりゃ俺、あのクソ虫共が苦しむのを見るのが大好きですからね。なるべく地獄見てから死んで欲しいっすわ」
「なんか事情でもあったか？」
「道を歩いてたら糞引っ掛けられたっす！」
「成程」
「先輩だってあのクソ虫共がムカつきすぎて仕方ねえからこんなんやってんのと違いますか？」
「別に。俺はずんだ虫に恨みはない。愛着もないがな」
「じゃあなんでこの仕事やってんです？」
「あいつらの生態を調べるのは将来的に人間社会の役に立ちそうだから、かな」
後輩が露骨に嫌そうな顔をする。
「ええ？ あのクソ虫どもがですか？」
ずんだ虫といえばその存在が百害あって一利なしの害獣として認識されている。だからこうして彼らのような仕事が成り立っているのだ。にも関わらず、その生態が人間社会の役に立つなどと聞いたら誰でも眉をひそめそうなものだった。
しかし、先輩は機械をいじくりながらも無表情に続ける。
「今、こうしてアレらを痛め続けているが、何のためにやっていると思う」
「だからずんだ虫除けでしょ？ 他の虫を脅すために」
「そうだ。だけどあれは長期目標を前提としたシステムでな。今日明日の話じゃなくてずんだ虫の数世代に渡る計画なのさ」
「気の長い話っすね」
「そうだな。もっとも、ずんだ虫は一度交尾すれば出産までかかる時間は極端に短く、成虫になるまで一月も要らないことが専らだ。早ければ二から三ヶ月程度の話だ」
「命が軽い生きモンっすね」
などと話しているとずんだ虫どもは苦痛に耐えかねたのかハイライトを失った死んだ目になり「コロチテ……コロチテ……」と壊れた機械のようにうわ言を呟き始めた。
それを確認するなり先輩は手元の機械を操作する。ずんだ虫の頭上に備え付けられたビンから赤い液体がどろりとこぼれてくる。それが口の中に入ると頭部の穴という穴から火を吹き始めた。
「あぎゃああああああああ！？」「か、からい！ からすぎるのだ！」「むしろもはやいたいのだ！ べろべろがヒリヒリするのだ！」「あぢゃあああああああ！」「あぢゅいよおおおおお！」
途端に息を吹き返し騒ぎ出す虫。おお、と後輩が驚いたように声を上げる。
「すげえ。生き返った」
「ずんだ虫には一定ラインの苦痛を受けると脳の機能を停止させ死を懇願するコロチテ症という状態が存在するが、これまた一定の刺激を与えると復活する特徴がある」
「バカでは？」
「何を今更。とにかくこれで寿命でくたばるまで苦痛を与え続けることが出来る」
「でも傷とかで死なないんすか」
「アレには回復促進効果がある。よく見てみろ。怪我治ってるだろ」
言われて虫の様子を観察すると、確かに血だらけではあるものの傷は塞がっているようだった。ただし、有刺鉄線と傷跡が癒着して皮膚の下に有刺鉄線が埋まっている個体もあるようだった。
そして再び有刺鉄線が動き出す。皮膚を引き裂き、血肉を剥がされる痛みに虫どもが歌い始める。
「いやああああああ！ もうやめちぇぇえ！」「いちゃいいちゃいいちゃいあぎゃぐぇげぇぇぇぇぇ！」「ころせー！もうころせー！」「ごめんなさいごめんさいもうゆるしちぇぇぇ！」
そのオーケストラに耳を傾けながら「うーん。無限地獄」と後輩はリラックスした様子を見せていた。
「話の続きだがな」
淡々とした声音で先輩が続ける。
「これを何回か繰り返すとさすがのアレらも自分が下等生物だと理解する。人間の指先一つでどうとでもなる畜生以下のゴミだと考えるようになる」
事実、ずんだ虫たちは何故自分がこんな目にあっているのか、その理由を考え始めていた。
最初は人間に対する憎しみだけが膨らんでいったが、次第にその憎しみは恐怖へと変わっていった。言葉は通じているはずなのに、何もコミュニケーションが取れない。自分たちの命を路傍の石のように扱い、そしてそれが出来てしまう。
（よーせいは……ざこなのだ？）
その真実に至った時、己の愚かさを悔い、嘆くこととなる。無根拠に自分たちが最強にして最優の生物でありこの世の頂点と考えていた。
だが現実にはこうだ。自分たちはそんな良いものではない。むしろ無意味に殺されるだけのゴミくずにすぎない。
（よーせいなんかに、うまれなければ……）
深い悔恨がちっぽけな脳みそを支配する。痛みも苦しみも最早何の意味もなさない。それはその状況を回避するためのシグナルなのに、これからは死ぬまでその苦痛に支配されるのだ。
巣に残してきた家族を思う。最愛の妻と子供たち。どうか人間に遭遇しないことを願いたいが、きっと無理だろう。
「くしょにんげんなんてざこなのだ！」
妻は日頃から人間を侮っていた。自分が死んだ後、子供たちを養うために無用な危険をおかして人里に来るに違いない。そして、惨たらしく死ぬ。
子供たちも同じだ。自分たちのような愚物に育てられた子供たちがまともに育つわけがない。事実、子供たちは意味も理解しないまま「くちょにんげん！ くちょにんげん！」と口汚く人間を罵っていた。
不幸な未来が見えている。どうか、どうか一匹だけでいいから生き延びて欲しい。
血涙を流しながらいもしない神に願っていると視界の端に草むらに隠れたずんだ虫を見つけた。
「ま、ま、まま……ずん……」
口から溢れる血を吐き出しながらその名を呼ぶとメスは「ぱぱずん！ いまたすけるのだ！」とこちらにやってくる。
「だ……だめ……なのだ……にんげん……さまが……ちかくに……いるのだ……ころ……され……る……」
「にんげんしゃまってなんなのだ！ くちょにんげんなんてこわくないのだ！ いまはずしてあげ……いちゃあ！？」
有刺鉄線を外そうとするがその動きに巻き込まれ腕があらぬ方向へ捻じ曲がり地面に墜落する。
「い……いちゃい……いちゃいよぅ……」
「ままずん、ままずーん！」
そこへ子供たちが、駆け寄ってくる。心配そうに母親の擦過傷を舐めて治そうとしている。
「お……おちび……ちゃん……たち、ま……ま、ずんをつれて……にげる……のだ……」
腸を滅茶苦茶に抉られながらも驚異的な生命力で生き延び、必死に声を絞り出す父親に、子供たちは「やー！ やー！」と涙ながらに拒否をする。
「いやなのだ！ おとおちゃもかえるのだ！」
「ぼぐば……もう……むりなのだ……ばやぐ、にんげんざま……に……みづがるまえに……」
「くちょにんげんなんてぼくのぐるぐるぱんちでやっつけてあげるのだ！」
「そうなのだ！ ぼくのこんしんのぷくーでくちょにんげんをぶっころすのだ！」
なんて、なんて愚か！
そんなことに意味はない、そんなものは何も通用しない！
そんな夢物語を語っていないで早く逃げろ、そう言おうとしたずんだ虫が絶望の音をとらえる。
砂を踏む足音が近付いてくる。人間の足音だ。
「ばやぐ……にげ……」
「やかましいな」
冷淡な声が一家にかけられる。
「おかしな虫が野放しになっているのは、よくないな」
そう言うと人間、先輩は子供を拾い上げるように捕まえた。
「なにをするのだ、くしょにんげん！ はなちぇ！ ぷくー！」
人間に掴まれながらも幼虫は頬を膨らませる。
「そうなのだ！ さっさとおちびちゃんをはなすのだ！ さもないとぶっころしてやるのだ！」
抗議と脅しを兼ねた鳴き声を上げる母親。それを張り付けにされたずんだ虫は止めようとするが最早声も出ない。声帯が潰れたのだ。
代わりに何かが潰れる音がした。
先輩の手の中で幼虫の首から下が潰れた音だった。
「え？」
事態を飲み込めない母親の足元に子供の首が転がってくる。何が起きたかも理解できないまま死んだため、苦痛を感じさせない顔をしていた。
「いや……いやぁあああああ！？ お、おちび、おちびちゃんんんん！？」
「あ、あにずーん！？ うしょなのだぁぁ！？」
嘆く家族を見下ろしながら先輩はウエットティッシュで手を拭く。アルコールスプレーもかけて殺菌消毒を忘れない。
恐れていたことが起きてしまった。その絶望に張り付けにされたずんだ虫が声にならない声を上げた。
「よくもおちびちゃんを……！ ちねー！ ちぬのだ、くしょにんげんー！」
母親が手をぐるぐると振り回しながら殴ってくる。先輩はそれを避けもせず顔面に受け続けていた。
「どうだ！ この、この！ いちゃいだろ！ ちね、はやくちぬのだ！」
そう言って母親は殴り続けたがいつまで経っても先輩は死ななかった。むしろ少しも痛がらない。まったくのノーダメージであった。
やがて疲れたのだろう。手を振り回すことを止めた母親が弱々しく地面に落ちていく。
「はあはあ……どうちてちなないのだ……？」
「もう終わりか？」
そう言うと先輩は残されたもう一匹の幼虫を捕まえた。
「やー！ はなちて！ ままずん！ ぱぱずん！ たすけてのだー！」
自分も殺されると必死に抵抗し、助けを求める幼虫。「お、おちびちゃん……！」と母親は見上げるが、まだ飛び立つ力は回復してないようだった。
「今から三分時間をやる。その間に俺を殺せたらこの幼虫は解放してやるよ」
「こ……ころせなかったら……？」
「これは潰す。今度は頭を潰す。じわじわゆっくり潰す」
恐るべき宣言に、幼虫はより一層の抵抗を試みたが無駄だった。「いやー！ いやー！ ちにたなくない！ ちにたくないよぉー！」無意味な抵抗を見せるが当然どうしょうもない。
男は空いている片手でスマホを取り出し時間を計測し始めた。
「急げ。後２分と５５秒だ」
「う、うわぁあああああああああああ………！」
母親が力を振り絞り飛び立った。先輩の顔を渾身の力で殴り続ける。涙を流しながら殴り続ける。皮膚が破れ、緑色の血液を飛び散らしながら殴り続ける。やがて限界を迎えた腕が上がらなくなっても体を左右に振り回し手をぶつけて殴り続ける。
そのすべてが無意味。絶望の三分間は瞬く間に過ぎ去った。
「時間だ。潰す」
先輩は幼虫の頭を人差し指と親指で摘むと徐々に力を込めていった。
「ぐえ……ぐ……ぎ……」
目玉が飛び出し、舌が飛び出す。死にゆく我が子の顔を見せつけられ、母親はそれでも何とかしようと男の指に掴みかかろうとした。
「は、はなちて……おちびちゃん……はなち……」
虫を払うように、否、全くその通りに先輩は母親を押しのけた。それでいながら幼虫の死に逝く様を見せ付けるように目の前に持ってくる。
「た……たちゅ……けて……たちゅーけ……て……」
頭蓋が割れる。頭の切れ目から血が吹き出した。目玉は眼窩から飛び出して垂れ下がっている。ミシミシと終わりを告げる最後のBGMが幼虫の頭の中で鳴り響く。
母親は何も出来ない。動きたくても最早体が動かない。動いたところでどうしようもない。
事ここに至って、母親も現実を知る。
自分達はあまりに無力。
「おちび……」
「ちぬ……ちぬ……ちにた……ちに……たく……な」
水風船の弾けるような音がした。頭蓋が潰れ、先輩の人差し指と親指の腹が接触する。
幼虫の命脈はここに尽きた。
愕然とする母は遂に力を失い倒れ込む。
それを見るしかなかった貼り付けのずんだ虫はこの世に生まれた不幸を呪った。
（にんげんさまにちかづいてはいけなかったのだ。ぼくたちのようなごみはひっそりとかくれすんでなきゃいけなかったのだ……）
もしも次があるのなら、きっとそのように生きるのに。
ずんだ虫は全てを諦めながらも強く強くそう念じた。
やがて先輩は母親を回収し車に戻ってきた。
「お疲れっす！」
後輩の労いに頷きで返すと母親を渡した。最早抵抗する様子もない。袋の中に入れられると、早速中で何かがごそごそと動く気配がしたが後輩は気にせずフックに引っ掛けた。
「いやー。えげつなかったっすね！先輩鬼っすわ！」
「実験のために分からせる必要があったんだよ」
「実験すか」
「ずんだ虫って生まれてすぐ喋れる個体がいるのは知ってるか？」
「ああ、知ってますよ。なんなんですかね、あれ」
「アレは成虫が幼虫に情報を伝達しているから起きる現象だ」
「情報伝達っすか」
「ああ。ずんだ虫の頭部に枝豆が生えているが、あれが何のためにあるか知ってるか？」
「枝豆ミルクとかいうのだすためじゃないんすか」
「じゃあ、オスは？」
「あっ」
枝豆からミルクをやるのはメスのみであり、オスにその機能はない。にも関わらず雌雄を問わずずんだ虫には枝豆が存在する。
「じゃあ、聴覚っすか？」
「それだと子供は耳が聞こえなくなるだろ」
「むう」
幼虫には往々にして枝豆が存在しない。成虫になるにしたがい生え揃うものである。
故に、アレらの聴覚は枝豆に依存しない。
「んじゃあ、枝豆って何のためにあるんすか」
「情報伝達だよ。あれは送信機なんだ。成虫が幼虫にある程度の知識を生まれる前から与えることで、自然界における最底辺の生物であるアレが少しでも生き延びれるように手にした機能だな」
「なっほど。だから生まれてすぐに喋れるんすね。でも、アイツら全然その機能活かせてなくないっすか？」
ずんだ虫は繁殖力が異常なので数こそ増え続けるが個体の貧弱さは最早プランクトン並みである。にも関わらず自身の性能に過剰な自信があるので意味もない死を続けている。
「そうだよ。だからアレに俺達が教えてやらなきゃならないのさ。人里に近寄ったら死ぬよ、ってな」
「あっあー。だから殺さずに痛めつけ続けてるんすか！」
案山子と化したずんだ虫は人間の恐怖を宣伝し後世に残すための人柱、ならぬ虫柱だ。
彼らの恐怖、人間への畏れが子供たちへ伝わればいずれずんだ虫たちは人間に近寄らなくなる。そういう計画だった。
「そういうことだ。しばらくすればこの周辺のずんだ虫は学習して人里には降りなくなるだろう」
「どんぐらいかかりますかね？」
「分からん。まあ、実験だからその辺りも調べるのは目的の一つだ」
「人間の役に立つって言ってたのは結局なんなんすか？」
「件の情報伝達機能を解析出来れば、新たな通信手段の構築や人間同士のコミュニケーションや教育にも使えるかもしれないからな」
「なるほどですねー」
車の外ではずんだ虫たちが未だに悲鳴を上げている。死ぬまで続く責め苦に解放してくれと嘆いている。
ずんだ虫の夜明けは遠そうだった。
このページへのコメント
日頃から人間を「くしょにんげん」等と見下してるような害獣が、人間の強さと自分達の弱さに気付いて「にんげんさま」呼びになるの好き…
そんな優秀な伝達期間があって何故学習しないんだと思ったら、コロチテ症のせいで思考が放棄されるからそこに至る不都合な情報は伝達されてないのか…
本来ならそういう危険状態に陥る過程こそ伝達されるべきなのに尽く生命体として不完全だなw
有刺鉄線でズタズタにされる部分が一番良かった。
ママずんが無駄に戦う滑稽さが次点でグッときた。
赤ずんが死ぬところは何度も読み返した。
作者様の「ずんだ虫」と「ずんだもん」に対する考え方の違いに、ものすごく共感しました！
「妖精は雑魚」と最期に認識出来たぱぱずんは、世の中の真理を知れて幸せだったのかもしれませんね！！
妖精の成体の枝豆がある理由についても、丁寧に説明がされていて非常に興味深かったです……！
序盤で愛誤団体が終わっててｗｗｗ
ていうか糞尿や体液まで毒とはある意味恐ろしいですね・・・
磔の無限虐に野良親子分からせ、素晴らしいです
さて、この実験の結果はいかに？